8 雨漏り
兵舎の天井に、染みが広がっている。冷たい雨が、石の裂け目から染み出し、じわじわと侵食していく。まるで、心の隙間に忍び寄る病のようだった。俺は寝台に横たわり、ぼんやりとその数を数えていた。
あの満月の夜から、彼女は変わった。明らかに、距離を置かれている。食事の折も、向かいではなく、離れた席に腰を下ろすようになった。何度か誘いはしたが、そのたびに断られた。
開きかけていたはずの扉に、彼女は、固く鍵をかけてしまったらしい。
魔物は、相変わらず襲いかかってくる。まるで、俺に殺されるためだけに現れるかのように。だが、殺すほどに、今度は虚しさばかりが募った。
そして、あの夜に灯った胸の炎は消えるどころか、日を追うごとに、強く燃え上がっていった。
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大広間に、雨音が反響している。彼女は、今日もまた、離れたテーブルで食事をとっていた。この気まずさを、一刻も早く壊したかった。だからきっと、焦っていたのだと思う。
「いつまで、俺を避けるつもりだ」
皿を手に、その向かいへ座り直す。無言のまま立ち上がろうとするその腕を、掴んで制した。
「待ってくれ。話くらいは、いいだろう」
困惑した顔をして、彼女は、ゆっくりと座り直した。
「別に、避けているわけではありません」
「分かる。記憶を失ったからといって、勘まで鈍ったわけじゃない」
目を逸らし、匙を握り直すその手は、明らかにぎこちなかった。
「理由があるなら、言ってくれ。黙って距離を置かれても、どうしようもない」
彼女は、固く口を閉ざした。
「なら、答えずともいい。ただ、聞くだけ聞いてくれ。俺はずっと、復讐のためだと思って生きてきた。だが、どれほど殺してもこの渇きは満たされない。本当は、もっと別の何かを、求めていたのかもしれない」
返事はない。それでも構わず、続けた。
「お前は言ったな。俺は、大切な記憶をお前に渡したと。ならば、俺がお前のことを、綺麗さっぱり忘れているのは、なぜだと思う」
彼女がゆっくりと顔を上げ、俺を見た。
「俺と、お前の間には、過去に何かがあったんだろう。大切な何かが。そして俺は、その記憶を渡した……違うか」
問いというよりも、それは、願いに近かった。夢のように輪郭のぼやけたこの世界で、目の前の彼女だけが、唯一、確かな手触りを持つ存在だったからだ。
だが、返ってきた言葉は、望むものではなかった。
「あなたの大切な記憶は、そこには、ございません」
きっぱりとした、低く、静かな声だった。
「私とあなたの間には、何もありませんでした。それに……そのような資格は、私にはないのです」
唇を噛み、目を伏せる。その姿に、なぜか胸の奥が、締めつけられる思いがした。
「資格? 何の話だ」
「あなたは、何もお知りにならなくて結構です。知らなくていいのです」
「聞けば話すと、お前はいったはずだ。それにこれは、俺の記憶だろう。知る権利くらいあるはずだ」
「今は、もう、あなたのものではありません。私のものです。私が決めます」
「それは――」
会話を断ち切るように、警鐘が鳴り響いた。空気が、一変する。その意味するところを、二人とも理解していた。
「行きたく……ない」
本音が、口を突いて出た。復讐心よりも、今はただ、過去を知りたかった。
「あなたが行かねば、この砦は終わります。その先の王都も、幾多の命も。あなたには、戦う責務があるのです」
言葉とは裏腹に、その声は、今にも消え入りそうだった。




