表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶いただきます  作者: 猫屋敷浜辺
第一章 記憶を失った兵士
3/26

3 茨の冠

 見渡すかぎり、一面の花畑だった。その中央で、俺と、あの自称女神は、向かい合って立っていた。

 

「おめでとうございます、ヴェイル」

 

 彼女は静かに歩み寄ると、編んだ花の冠を、そっと俺の頭に載せた。

 

「ありがとう」

 

 礼を呟いて、その顔を見つめる。海の波のように、たえず揺らめく碧い瞳。知っている。この女を、俺はどこかで知っている。

 だが、それがいつ、どこでのことだったのか。いくら手繰り寄せても像を結ばない。

 

 もっと近くで、確かめたかった。

 俺は、そっと顔を寄せる。

 

 その刹那、彼女は変わり果てていた。


 タールを塗り込めたような、漆黒の肌。眼窩には、ぎらりと濡れ光る、ルビーの赤。

 

 気づけば、花畑は掻き消えていた。ひび割れた枯れ野に、血に濡れた剣が幾千と突き立っている。頭上の花冠はいつしか茨と化し、幾本もの棘が、俺の額へ深く食い込んでいた。

 

 目の前のそれが、耳元まで裂けた口を、ぐぷりと開く。そうして、ゆっくりと、顔を寄せてくる。かつての彼女の面影など、もう、どこにも残ってはいない。

 

 それはまるで――


「悪魔だ」

 

 目を開けた瞬間、視界を覆い尽くすその顔へ向かって、俺はそう呟いていた。小さな悲鳴とともに、女が弾かれたように仰け反る。

 

 俺はゆっくりと上体を起こした。


 固い寝台のシーツには、びっしりと汗が滲んでいた。見回せば、幾筋ものひび割れが走る、見慣れた石壁。間違いない。ここは、砦の中にある兵舎だ。

 

「そんなに恐ろしい顔をしていましたか、私」

 

 少し不服そうな声色の、自称女神の女。フードを下ろしたその面差しは、悪魔とは似ても似つかぬ、年若い娘のものだった。

 

「変な夢を見た……ここはあの世か?」

「いいえ、現実です。あなたは見事、ガルムの群れからこの砦を守り抜きました。途中で、気を失ってしまいましたが」

 

 全身にまとわりつく、濃い血の匂い。それが、あの戦いが、幻でなかったことを証している。腹には幾重にも包帯が巻かれていた。血こそ滲んでいたが、どういうわけか、痛みはまるでない。

 

「この腹……手当てをしたのは、お前か」

「いいえ。私は大したことはしていません。傷が塞がったのは、すべて、あなた自身の力によるものです」

「俺自身の?」

「ええ。記憶と引き換えにお授けした力は、剣の冴えや膂力ばかりではありません」

 

 言われて、改めて腹を撫でる。腸がこぼれ落ちるほどの傷を負ったとは、とても思えぬほど、肉は隙間なく再生していた。

 

「お前は……いったい、何者だ」

「ですから、女神です」

 

 しれっと言ってのける。


 だが、やはり得心はいかない。見てくれは、どこからどう眺めてもただの人間だ。とはいえ、ここで問答を重ねたところで埒は明くまい。


 俺は眉間を揉みほぐしながら、問いを変えた。

 

「では……その女神様が、この地上に、何の用だ」

「あなたを、助けに来ました」

「なぜ、俺を」

「あなたに死なれては困るのです」

「……なぜ」

「決まっています。魔物を殺すため」

 

 そこまでして魔物の死を望む、その理由はなんだ。

 胸の奥でそう問いかけて、俺はふと思い至る。

 

「その理由も……お前が、俺から奪ったのか」

「奪った、のではありません。取り引きしたのです」

「なぜ、そうまでして記憶を欲しがる」

「別に、欲しいわけではありません。いくら女神とて、力をただで授けるわけには、まいりませんから」

「そういうものなのか」

「ええ。そういうものです」

 

 魔法だの、加護だの、奇跡だの。

 その理は、俺にはまるで見当もつかない。

 

「俺は、どれほどの記憶をお前に渡した」

「それはもう……たくさんです」

 

 女はそう言って、どこか遠くを見るように少し上を向いた。

 

「本当に、数えきれぬほどの記憶をいただきました。あなたが私に記憶を渡したという、その記憶さえも」

 

 言うとおりだった。俺の裡に残された記憶は、虫の食った葉のように穴だらけだ。思い出せぬというのは、どうにも据わりが悪い。

 

「それは……返してもらう、というわけにはいかないんだろうな」

「残念ながら。ですが、お話しして差し上げることは、できますよ」

「……ならば」

 

 その時、ぐぅ、と情けなく、腹の虫が鳴いた。こんな時でも、律儀に空腹は訪れるものらしい。女は口元に手を添え、少し、笑ったように見えた。

 

「続きは、まずその空腹を満たしてから、といたしましょうか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ