表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶いただきます  作者: 猫屋敷浜辺
第二章 記憶を奪った女神
22/26

9 告白

 気づくと、寝台の上だった。石造りの室内。兵舎とは違って、嫌な匂いもしない。窓の外には、遠くの山々が見えた。


「将官の部屋だ」


 羊皮紙の散らかったテーブルの向こうで、ヴェイルが椅子に腰掛けていた。立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。その体は、以前にも増して精強で、失われていたはずの右足も元どおりに戻っていた。


「気分はどうだ」

「もう、大丈夫です」


 気丈に答え、寝台を降りようとして、ぐらりと体が傾いた。彼が支え、隣に座る。寝台が、深く沈んだ。


 痛いほどの静寂。あの喧騒。彼の顔についた血。それが意味するものを察するのは、容易だった。


「……仕方なかった」


 長い沈黙の後、嗄れた声が静かに響いた。


「それより、お前が無事でよかった」


 壁を見据えるその横顔は、どう見ても、納得しきっている人のものではなかった。


「ヴェイルこそ、大丈夫ですか」


 振り向いた彼の、濁った翡翠の瞳から、涙がこぼれ落ちた。シーツに小さな染みを作る。


「すまん」


 乱暴に目元を擦る彼。離した腕の下、雫はもう見えなかったけれど、目元だけが赤くなっていた。


 その瞬間、理解した。彼に背負わせてはいけない業を、私が背負わせてしまったのだ。これは、私の罰だ。だとしたら本来、それを背負うべきは私のほうだ。


 私は彼の左手の甲に、そっと右手を重ねた。


「記憶を、いただけますか」


 彼は、はっと目を見開き、手を引っ込めた。


「だめだ。それだけは」


 立ち上がろうとする彼の手首を、掴んで止める。


「お願いです。これは、あなたが抱えるべきものじゃありません」

「違う。やったのは俺だ。俺の責任だ」

「私は、あなたに幸せになってほしいんです。つらい記憶は、全部私が引き受けます」

「お前に、そんな義務はない」

「でも、それが私の役割なんです」

「役割ってなんだ。なぜそこまでする」

「だって——私は、ヴェイルのことが、好きだから」


 時が止まった気がした。鳥のさえずりが、やけに大きく響いた。


 言ってしまった。


 ずっと、胸の奥にしまっておくはずだった、この気持ちを。


「好きって……どういう……」

「知っていますよ。あなたには奥様がいる。でも、しょうがないじゃないですか。好きになってしまったんだから」


 彼は絶句し、頭を抱えた。何かを言いかけて口を開いては、また閉じるのを繰り返した。


「安心してください。振り向いてほしい、なんて思っていません。それが無理だと、あなたが教えてくれましたから」


 彼がくれた、あの幸せな記憶。

 私には決して手が届かない、望んではいけないもの。


「私があなたに差し上げられるものは、何もありません。だけど、いらないものをいただくことはできます。それが、私の役割だから」


 私は、投げ出された彼の手をそっと握った。


「あなたには、あなたの役割があります。この先も、皆を守るんでしょう。だからいらないものは、全部、私に捨ててください」


 彼の手が、ぴくりと震える。でも、本気で振りほどこうとしていないことは、伝わってきた。


「今日……私はいろんな人の記憶を見ました。それを、あなたの記憶で、塗りつぶしてほしいのです」


 彼は俯き、しばらくしてから、静かに頷いた。そして、私の手を強く握り直す。


 そして記憶の洪水が、始まった。


 つい先ほどのことだったから、その景色はひどく鮮明だった。家畜小屋の裏。兵に腕を掴まれ、ぐったりとした私。それを見た瞬間の、身を焼くような激情。


 突き飛ばす。囲まれる。剣が抜かれ、喉元に突きつけられ――そして。


 人の命を奪う感触は、こんなにも、あっさりしているものなのか。荒い息、赤く染まった手。湧き上がる憎悪と、悔恨。そして、息をする私を見た時の、安堵。


 その全部が、もう私のものになった。

 二人だけの秘密は、もう、ない。

 

 これからは、私が彼の秘密を守り抜く番だ。それが、私なりの愛のかたちなのだと思う。


 翌日、将校を含む七人の亡骸が、家畜小屋の裏で見つかった。


 ヴェイルはそれを聞き、誰の仕業かと、ただ、憤っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ