2 花の散る音
この気持ちが何なのか。
それに気が付くのに、たいして時間はかからなかった。
彼と……ヴェイルとまともに話せたのは、最初のうちだけ。すれ違いざまに、挨拶を交わす程度の間柄。それなのに、それだけで、胸が高鳴った。
村の誰にも感じなかった、こんな気持ちを、私は初めて知った。
けれど、砦の暮らしは、花畑のように穏やかではいられない。毎日誰かが死んでいく。
人手が足りず、負傷兵の手当てに駆り出されたこともあった。目を背けたくなる傷、鼻を突く腐臭、死にゆく兵の掠れた声。戦争がどんなものか、私は、肌で思い知らされた。
怖かった。彼が死んでしまうことが。また、大切なものを魔物に奪われてしまうことが。そうなったらもう、二度と立ち直れない気がした。
でも、あの炎の中で、悔し涙を流すことしかできなかった私に、いったい何ができるだろう。
物資も乏しく、私は薬草採りを頼まれ、砦の外へ出た。砦の周囲に張られた結界の内側なら安全だと言われても、やはり怖い。籠を抱え、山道を奥へと進み、蔦を払ったその先で、私はそれを見つけた。
「これ……女神様かしら」
雑草に埋もれ、ひび割れ、苔むした女神の像。誰からも忘れ去られたように、ぽつんと佇んでいた。けれど、今の私には、唯一すがれるものだった。私は像の前で目を閉じ、祈った。
どうか、ヴェイルが死にませんように。彼が、私の前からいなくなってしまいませんように。
返事はない。それでもよかった。祈るこの気持ちだけでも、彼の力になれたらいい。ただ、その一心だった。
「あっ」
像の足元に、薬草が生えていた。
「ご加護に感謝いたします。女神様」
戦争が始まって、四ヶ月ほどが経った頃のことだった。
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それから私は事あるごとに、あの像を訪れては祈った。意味があるのかどうかは、分からない。それでも、何もせずにはいられなかった。
砦の状況は、日ごとに悪くなっていった。襲撃は増え、撃退するのがやっとだった。兵の亡骸は、埋める場所さえ足りない。重苦しい空気が、砦全体にのしかかっていた。
ヴェイルは生きていた。けれど、明らかにやつれ、髪は伸び、髭も剃られないままだった。食事も残すようになっていた。彼の周りによくいた仲間たちは、いつしか、誰一人いなくなっていた。
それが、彼の心に深い影を落としているのだと、私にも分かった。
閑散とした大広間。食器を片付けながら、私は思いきって声をかけた。
「ヴェイル」
ゆっくりと、彼の視線がこちらへ向く。その瞳が、初めて会った時よりも濁って見えて、胸が締めつけられた。
「ああ、リアか」
声は小さく、どこか遠くへ向かって話しかけているようだった。私は居ても立ってもいられなくなって、彼の向かいに座った。
「平気ですか? 最近、やつれて見えます。私……心配なんです、あなたのことが」
彼は一瞬驚いた顔をして、それから、哀しそうに微笑んだ。
「大丈夫だ。大した怪我もしていない」
「でも、次の襲撃で死なない保証なんて、どこにもありません」
「それが、兵士の定めだ」
その顔が、私を覚えていてくれたあの時と何も変わらなくて、なぜだか泣いてしまいそうになった。
「どうして、ヴェイルは戦うんですか。戦いは、他の人に任せて、ここを離れたって誰も責めません」
戦争のことなんて、本当は、どうでもよかった。
ただ、彼に生きていてほしかった。
「無理だ。死んでいったあいつらに、顔向けできない。背を見せるくらいなら、戦って死んだほうが良い」
「でも……あなたに生きていてほしいと願う人の、気持ちはどうなるんですか。私は、あなたに死んでほしくないんです」
不意に涙が一筋、頬を伝った。泣きたくなどなかったのに。あの日の無力感を、もう二度と味わいたくなかったのに。
それでもヴェイルは、変わらない微笑みを湛えていた。
「心配するな。俺だって、そう簡単に死ぬつもりはない。それに……俺にもまだ、守りたい人がいる」
少しだけ照れくさそうに頬を掻く姿に、私の心臓はどくんと跳ねた。
彼が命を懸けても守りたいと思う、大切な人。
「その人って――」
「ああ。俺の……妻だ」
心の中で、花が散る音が聞こえた気がした。




