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記憶いただきます  作者: 猫屋敷浜辺
第二章 記憶を奪った女神
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2 花の散る音

 この気持ちが何なのか。

 それに気が付くのに、たいして時間はかからなかった。


 彼と……ヴェイルとまともに話せたのは、最初のうちだけ。すれ違いざまに、挨拶を交わす程度の間柄。それなのに、それだけで、胸が高鳴った。


 村の誰にも感じなかった、こんな気持ちを、私は初めて知った。


 けれど、砦の暮らしは、花畑のように穏やかではいられない。毎日誰かが死んでいく。


 人手が足りず、負傷兵の手当てに駆り出されたこともあった。目を背けたくなる傷、鼻を突く腐臭、死にゆく兵の掠れた声。戦争がどんなものか、私は、肌で思い知らされた。


 怖かった。彼が死んでしまうことが。また、大切なものを魔物に奪われてしまうことが。そうなったらもう、二度と立ち直れない気がした。


 でも、あの炎の中で、悔し涙を流すことしかできなかった私に、いったい何ができるだろう。


 物資も乏しく、私は薬草採りを頼まれ、砦の外へ出た。砦の周囲に張られた結界の内側なら安全だと言われても、やはり怖い。籠を抱え、山道を奥へと進み、蔦を払ったその先で、私はそれを見つけた。


「これ……女神様かしら」


 雑草に埋もれ、ひび割れ、苔むした女神の像。誰からも忘れ去られたように、ぽつんと佇んでいた。けれど、今の私には、唯一すがれるものだった。私は像の前で目を閉じ、祈った。


 どうか、ヴェイルが死にませんように。彼が、私の前からいなくなってしまいませんように。


 返事はない。それでもよかった。祈るこの気持ちだけでも、彼の力になれたらいい。ただ、その一心だった。


「あっ」


 像の足元に、薬草が生えていた。


「ご加護に感謝いたします。女神様」


 戦争が始まって、四ヶ月ほどが経った頃のことだった。


**


 それから私は事あるごとに、あの像を訪れては祈った。意味があるのかどうかは、分からない。それでも、何もせずにはいられなかった。


 砦の状況は、日ごとに悪くなっていった。襲撃は増え、撃退するのがやっとだった。兵の亡骸は、埋める場所さえ足りない。重苦しい空気が、砦全体にのしかかっていた。


 ヴェイルは生きていた。けれど、明らかにやつれ、髪は伸び、髭も剃られないままだった。食事も残すようになっていた。彼の周りによくいた仲間たちは、いつしか、誰一人いなくなっていた。


 それが、彼の心に深い影を落としているのだと、私にも分かった。


 閑散とした大広間。食器を片付けながら、私は思いきって声をかけた。


「ヴェイル」


 ゆっくりと、彼の視線がこちらへ向く。その瞳が、初めて会った時よりも濁って見えて、胸が締めつけられた。


「ああ、リアか」


 声は小さく、どこか遠くへ向かって話しかけているようだった。私は居ても立ってもいられなくなって、彼の向かいに座った。


「平気ですか? 最近、やつれて見えます。私……心配なんです、あなたのことが」


 彼は一瞬驚いた顔をして、それから、哀しそうに微笑んだ。


「大丈夫だ。大した怪我もしていない」

「でも、次の襲撃で死なない保証なんて、どこにもありません」

「それが、兵士の定めだ」


 その顔が、私を覚えていてくれたあの時と何も変わらなくて、なぜだか泣いてしまいそうになった。


「どうして、ヴェイルは戦うんですか。戦いは、他の人に任せて、ここを離れたって誰も責めません」


 戦争のことなんて、本当は、どうでもよかった。

 ただ、彼に生きていてほしかった。


「無理だ。死んでいったあいつらに、顔向けできない。背を見せるくらいなら、戦って死んだほうが良い」

「でも……あなたに生きていてほしいと願う人の、気持ちはどうなるんですか。私は、あなたに死んでほしくないんです」


 不意に涙が一筋、頬を伝った。泣きたくなどなかったのに。あの日の無力感を、もう二度と味わいたくなかったのに。


 それでもヴェイルは、変わらない微笑みを湛えていた。


「心配するな。俺だって、そう簡単に死ぬつもりはない。それに……俺にもまだ、守りたい人がいる」


 少しだけ照れくさそうに頬を掻く姿に、私の心臓はどくんと跳ねた。

 彼が命を懸けても守りたいと思う、大切な人。


「その人って――」

「ああ。俺の……妻だ」


 心の中で、花が散る音が聞こえた気がした。

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