11 本物の女神
昼下がりの大広間。ふわりと漂う香りの正体は、俺のこしらえた、魔獣肉のシチューだった。まだ湯気の立つ皿を、席についた彼女の前へ置く。
「ほら。ゆっくりでいい。温かいうちに、食ってくれ」
彼女は、目を丸くして驚いている。
「これは、ヴェイルが?」
「ああ。味はあまり期待するなよ」
彼女は、まだ震える手で匙を取ると、ひと匙口へと運んだ。
「……おいしい」
その、小さな呟き。それが、これほどまでに俺を安堵させてくれるとは、思いもよらなかった。
「良かった。お前の腕には、遠く及ばんがな。これでも上達したんだ。正直、はじめはとても食えたものじゃなかった」
冗談めかして笑ってみせる。だが、彼女は匙を握りしめたまま、俯いて動かない。
「どうして、ですか」
ぽつりと零れたその声は、まだ掠れていた。
「どうして……こんなに、良くしてくださるのですか」
理由など簡単だ。これまで、彼女が俺にしてくれたこと。それを思えば、この程度のことは何ほどのものでもない。だが、どう言えばそれが彼女に伝わるのか。俺には分からなかった。
「私は、ひどい人間です。嘘つきなのです」
声が震えている。彼女は、匙をそっとテーブルへ置いた。
「私は……女神なんかじゃ、ありません」
その言葉は、まるで、長く張り詰めていた糸が、ぷつりと切れる音のようだった。頬を伝う涙とともに、彼女にまとわりついていた、わずかばかりの神秘の帳が、ゆっくりと剥がれ落ちていく。
「私は、ほんの少しだけ特別な力を持ってしまった……ただの人間です。嘘をついて、あなたを騙していました。そのほうが都合が良かったから……ずっと、ずっと…………」
大粒の涙は留まることを知らず、ぽたぽたと、テーブルの上に小さな水たまりをつくる。俺は手を伸ばし、その目元をそっと拭った。
「そんなこと、最初から、分かっていた」
「え……? どうして――」
「どう見たって、本物の神様には見えなかった」
彼女は自嘲するように、力なく笑った。
「……そうですよね。こんな、薄汚れて痩せこけて、髪もぼろぼろの女神様なんて、はじめから、信じてもらえるはず――」
「だが」
俺はその言葉を遮った。
「俺にとって、お前は本物の女神だ」
彼女が、ふたたび顔を上げる。赤く泣き腫らした目元。それとは裏腹に、大きく見開かれた、海のような碧い瞳。
それを前にして、俺はごく自然に、想いを言葉へと紡いでいた。
「何を言って――」
「俺たちの過去がどうであったかなんて、もう関係ない。この国が、とうに滅んでしまったことも」
「どうして、それを……」
「あの魔人が言っていた。やはり、本当だったんだな」
彼女は口を噤んだ。
俺は、自分の掌へと視線を落としながら続ける。
「お前が女神じゃなくても、守るべきものがもう何もなくても、俺は構わない。お前がこうして、そばにいてくれる。ただそれだけで、俺の心は満たされていくんだ」
彼女の視線が揺れた。それはきっと、戸惑い。あるいは罪悪感。彼女だけが知る、幾つもの過去がそうさせているのだろう。
それは、もはや俺には知り得ない。だからこそ、今この胸に確かにある、この気持ちこそが、俺のすべてなんだ。
「名前」
「え?」
「お前の、名前だ。あるんだろう」
彼女は唇を噛み、しばし躊躇ったのち——告げた。
「……リア」
リア。その響きが、俺の心の空白を、静かに満たしていくのが分かる。そして気づいた。空のグラスを満たすものは、復讐心などではなかったことに。
「リア。お前が好きだ」
彼女は、大きく目を見開いたまま、固まった。その顔が、熱に浮かされたように朱に染まっていく。開きかけた唇から、浅い呼吸が微かに漏れた。
「愛してしまったんだ。お前のことを」
もはや俺に、包み隠すものなど、何ひとつなかった。ただ、リアに知っていてほしかった。嘘偽りのない、彼女へのこの想いを。
「ずるいです。今さら、そんなの」
ふたたび、涙が溢れ出す。そうしてリアは、まるで子供のように声を上げて泣いた。
俺は彼女の隣に腰を下ろし、その小さな背中を撫で続けることしかできなかった。
結局、彼女が俺の想いに応えてくれることは、なかった。




