10 戯言と真実
「戯言を抜かすな」
苦し紛れの、嘘。そう思い込むには、あまりに魔人の口ぶりは、真実の響きを帯びていた。
「もうずいぶんと前のことだ。我々はお前たちを、蹂躙し尽くした。都もとうに滅ぼした」
「嘘だ」
俺の様子を眺め、魔人は下卑た笑い声を上げた。
「砦の狂戦士。それが、お前の呼び名だそうだ。どうやらその名のとおり、気が狂っているらしい。魔王様は、たった一人で抵抗を続けるお前が、目障りでならぬ。だからこそ、こうして我々が、わざわざ始末に出向いてやったというわけよ」
「嘘だ!」
かき消すように叫ぶ。
嘘に決まっていふ。そんなことが、あってたまるか。だって、彼女はそんなこと、ただの一言も——
「ヴェイル!」
跳ね橋の向こうから、彼女の声が響いた。血相を変えたその顔。刹那、足元に転がる魔人の目が、ぎょろりと動き彼女の姿を捉えた。
「もしや……あれが、元凶か」
背筋が凍りついた。しまった。何よりも先に、こいつを殺しておくべきだった。俺は慌てて剣を引き抜き、魔人の首元めがけて、刃を振るう。
だが――遅かった。
魔人の首が、一瞬で黒く染まったかと思うと、胴を離れて宙へ飛び出した。それは蝙蝠のような姿へと変じ、牙を剥き出しにして、一直線に彼女のもとへと翔ぶ。
「逃げろ!」
叫びも虚しかった。蝙蝠は、彼女の首筋へと、深々と喰らいついた。赤い血が宙に舞う。彼女の体が、そのまま後ろざまに、ばたりと倒れ込んだ。
俺は剣をかなぐり捨てて駆け寄ると、その首元から、力任せに蝙蝠を引き剥がす。断末魔を上げるそれを、真っ二つに引き千切り、彼女へと目をやった。
右の首筋から鎖骨にかけて、ぽっかりと、牙の孔が穿たれている。そこから、脈打つ鼓動に合わせるように、こんこんと鮮血が湧き出していた。
「そんな……」
その頭を、そっと持ち上げる。固く目を閉じ、苦しげに息をする女。その口の端から、つう、と血が伝い、雨水と混じり合って、地に薄い血溜まりを広げていく。
「どうして……どうして、ここへ来た!」
彼女は、うっすらと目を開くと、血に濡れて震える手で、俺の手を握った。
「記憶を……ください…………」
「……何?」
今にも消え入りそうな声だった。口から赤い塊が溢れるのも厭わず、彼女は切れ切れに続けた。
「私のことなど……忘れて。こんな、醜い……私のこと、なんか…………」
ふたたび閉じられたその目の端から、一筋の涙が、こぼれ落ちた。
「ふざけるな!」
俺は、その手を振り払って叫んでいた。
「自分の都合のいいように、俺の記憶を弄るな」
彼女の首元を押さえ、そっと抱え上げると、俺は砦の中へと駆け出した。とにかく止血だ。何か、傷を押さえるものさえあれば。
必ず助ける。
だってお前には、まだ、聞かねばならぬことも……言うべきことも、残っているのだから。
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これほどまでに、記憶を失いたいと願ったことは、かつてなかった。取り返しのつかぬ後悔が、知りたくもなかった現実が、胸の内を深く抉る。だが、この痛みこそが、俺の傲慢に下された罰なのかもしれなかった。
幸いにも、彼女は辛うじて命を繋ぎとめた。ただ、まる一週間、口を利くことすらできず、まるで時の止まった人形のように、ただ寝台に横たわっていた。
俺はその傍らで彼女を見守りながら、ひたすらに、己を責め続けるほかなかった。
それでも、できることをやるしかない。彼女が薬草を摘んでいたのを思い出し、それらを煮出して、軟膏をこしらえた。傷そのものは、案じていたよりも浅かった。ガーゼを替えるたび、俺はそっと胸を撫で下ろした。
難儀したのは食事だった。肉のほうから襲ってきてくれるのは良いが、いかんせん、俺の調理の腕はまるで駄目だった。
どう足掻いても、彼女のように美味くは作れない。こんなことなら、作り方を教わっておくのだった。
それでも、試行錯誤を重ねながら、俺は食事を用意し続けた。
匙に掬い、そっと口元へ運んでやると、こくり、と喉が動くのが分かる。そのかすかな動きに、なぜだか、胸が熱くなった。
そうして、八日目の朝。
窓から差し込む陽光が、主棟四階の貴賓室を、柔らかく照らしていた。淡い光の中で、彼女がゆっくりと身を起こす。それを見て俺は、気づけば涙をこぼしていた。
こけた頬に、わずかな血色を取り戻した彼女の、目覚めの第一声は、
「お腹……空きました」だった。




