第8話 今度こそ推しの推しを推す
「ほんと、貴族様様な授業しかないじゃない」
平民の生活から遠く遠く遠くかけ離れたもの、それは芸術と音樂である。生活と心に余裕がなければ足元に咲く花にさえ気が付かない。平民の大多数はその日暮らしが主流である。ある程度の仕事に就いていたとしても、日々の食事が優先で、花を愛でる暇もなければ音楽に耳を傾ける余裕もないのが、平民の常である。
「楽器なんて、触ったことないわよ」
もちろん、これは今世での話である。前世であったのなら、アンジェリーナは楽器ぐらい触っているし演奏だってしたことがある。アルトリコーダーと鍵盤ハーモニカではあるがれっきとした楽器である。あと多分音楽の時間に足踏みオルガンを使っていたかもしれない。でも、今世においては教会でオルガンを見たぐらいだ。もちろん演奏なんてできようもない。触れるのはシスターだけな神聖な楽器である。
「歌は歌ったことがあるんだけどなぁ」
その歌も教会でオルガンに合わせて歌った賛美歌である。あとはお祭りの時にみんなで歌って踊った程度だ。
「いきなりヴァイオリンとピアノを弾くとか、無茶振りがすぎるわ」
もちろん、音楽の時間であるから授業の一環である。貴族の子女は家庭教師をつけてヴァイオリンやピアノなどの楽器の演奏を嗜むのが当たり前なのだ。
「音大生じゃないんだから、試験がヴァイオリンとピアノのデュオとかありえないんですけど」
もちろん、乙女ゲームにおいては王道のイベントである。意中の攻略対象者とデュオをするのだ。そのために二人っきりで練習を重ね、好感度をあげていく、もちろん成功すればスチル絵も手に入る大変重要なイベントなのだ。が、だがしかし、アンジェリーナは攻略対象者を攻略するつもりはサラサラない。全くもって持ち合わせてなどいない。そうなると、必然的に自主練になってしまうのだが、そうそう高価な楽器を平民の生徒に貸してはくれないのである。
だからこそ、乙女ゲームにおいては攻略対象者が必要なのだ。貴族の息子と言う肩書きで信頼されている彼らが、楽器に不慣れなヒロインを助けるために学校の楽器と練習室を借りてくれるのだ。イベントの起こり方は攻略対象者によって違ってはくるが、リオネッロ・セザンは特別なムービーで登場する。夕方の校舎のどこからか聞こえてくるヴァイオリンの旋律。どこかもの寂しげに聞こえるその旋律に誘われて、リオネッロがヴァイオリンを一人で奏でている場面に遭遇する。そこで会話をかわし、好感度が上がれば二人でレッスンができるようになるのだ。
「絶対無理」
意中の相手でないどころか、攻略したくない攻略対象者である。二人っきりになんて絶対になりたくなどない。アンジェリーナはしこたま考えた。攻略対象者を攻略しないで乙女ゲームを進める方法だ。まぁ、ヒロインであるアンジェリーナ自身が乙女ゲームをプレイしているつもりはサラサラないので、攻略対象者たちの好感度なんて上がりようもないのは確かなのであるけれど。
「こんな時こそ(回数無限)悪役令嬢の出番よね」
前世で何回も乙女ゲームをクリアしたアンジェリーナはしっかりと覚えている。誰よりも上手に、そして情緒溢れる演奏を奏でるのはアルテマなのである。乙女の囁きのようなそれでいてたくましい騎士のようなそんな旋律を奏でるアルテマは、まさにキングオブ悪役令嬢なのである。もちろん、ピアノも素晴らしい演奏だ。白魚のような美しい指先が鍵盤の上を魔術師の如く動き回り、うっとりと聞き惚れる演奏をしてのけるのである。もちろん、乙女ゲームにおいて、ヒロインはそれを上回る演奏をしなくてはならないのであるが、そこはデュオと言う縛りのおかげでパートナーに助けられて勝利するわけではある。
「アルテマ様」
音楽室に入るなり、アンジェリーナはアルテマの元へと駆け寄った。それはもう、子犬がしっぽをちぎれんばかりに振りまくって飼い主の元に駆け寄るが如く。
「まぁ、アンジェリーナさん。如何なさいましたの?」
ヒロインの、うるうるお目目で見上げれば、悪役令嬢でさえ攻略できてしまえるようである。背後の取り巻きたちが、以下略
「アルテマ様にお願いがございます」
ヒロインの必殺技、お祈りポーズでお願いをすれば、例え悪役令嬢であってもヒロインのお願いを聞いてしまうのである。さすがは乙女ゲームの世界、ヒロインだけに許されたチートである。
「よろしいですわ。わたくしが皆様の姿勢を確認しますので、順番に、ね?」
一人だけ抜け駆けは大変宜しくないので、アンジェリーナは今回も平民の女子生徒を巻き込むことにした。さすがにどんなに裕福な家庭平民の家庭であっても、楽器ばかりは与えられなかったらしく、全員が初心者であった。そして、そこにちゃっかりと紛れ込む下級貴族の女子生徒たち。もちろん、アルテマは差別なんてしないから、教えを乞う姿勢を見せれば誰彼構わず指導をしてくれた。
「背筋は真っ直ぐに、ね?」
ついつい前かがみになってしまう平民の女子生徒に優しく指導するアルテマは、なんだかとても嬉しそう見えた。それはたしかにそうである。何しろ公爵令嬢であるアルテマには、貴族の生徒たちはおいそれと声などかけては来ないのだ。恐れ多くも未来の王太子妃と噂されているのだ。万が一があってはならないし、おかしな噂を立てるわけにもいかない。
「ゆっくりと弓を動かしてみて」
アルテマに言われ皆が慎重に弓を動かす。当然音がならないし、なったとしてもなんとも言えない不協和音である。
「音が鳴った方は素晴らしいわ。素質が既にありましてよ。鳴らなかった方怖がらないでくださいな。思い切ってヴァイオリンに気持ちをぶつけてくださいませ」
平民の女子生徒たちからすれば、高価な楽器であるヴァイオリンに力いっぱい弓を当てるなんて恐ろしくてできないのだ。もちろん、実際にはそこまで力はいらないのだけれど、おっかなびっくりしているものだから、弦の上を弓が滑ってしまうのだ。
「大丈夫です。失敗を恐れないで」
アルテマが、一人一人に優しく丁寧に指導するものだから、取り巻きたちは悔しくて仕方がない。歯ぎしりをしながらヴァイオリンを弾けてしまえる自分を呪うしかないのである。
「今日一日かけてヴァイオリンだけか」
呆れたような声で言ってきたのはアンジェリーナの推しクラウディオである。悪役令息であるクラウディオも、当然のごとくヴァイオリンもピアノも上手に弾くことができる。なぜなら、アルテマとデュオがしたいがためにどちらも人並み以上の出来栄えにしてあるからだ。そして、二人のデュオは授業中に見ることができるのだ。もちろんスペシャルムービーである。ヒロインが二人との好感度を下げすぎていなければ、教師の指示の元、お手本ということで二人がデュオを披露してくれるのである。
「皆さま楽器に触ったこともございませんでしたのよ。まずは触れ合って頂かなくては」
「試験はデュオだぞ。誰が組んでくれると言うんだ」
いきなりの、結果論的な事を言われ、平民の女子生徒たちは下を向いてしまった。たった一年でデュオをする相手をみつけ、試験を受けなくてはいけないのだ。大抵の貴族の生徒は、自分と同じくらいの実力を持った貴族の生徒とデュオを組んでしまう。ろくに演奏ができない平民の生徒たちは、平民同士でデュオを組み、散々たる結果を迎えるのである。そんななか、ヒロインだけは攻略対象者とデュオ組み、素晴らしい演奏を披露するのが乙女ゲームなのであった。が、アンジェリーナはそんな事望んじゃいない。
「皆さん試験を受けるのですから、絶対にパートナーは見つかります」
アンジェリーナは力いっぱい抗議した。これは乙女ゲームでも出てきたヒロインのセリフである。ヒロイン横のセリフを聞き、その時に好感度が一番高い攻略対象者が庇ってくれるのだ。とうぜんそのシーンを生徒全員が見ているわけだから、この後にムービーで登場したリオネットに軽い嫌味を言われるのだけれど。
「まぁ、見つからなければ教師が相手を見繕ってはくれるからな」
そう言い捨ててクラウディオは立ち去ってしまった。これだけなら単なる嫌な奴なのだけれど、実際は違う。アルテマに何か言われたくて口をはさみにきてしまうのだ。要するに、好きな子に意地悪をしてしまう男子のアレである。もちろん誰も気がついてなどいない。だから平民の女子生徒だけでなく、下級貴族の女子生徒までもが陰口を叩いてしまうのだから。
「クラウディオ様は相変わらずね」
そんなクラウディオの背中を眺めながら、アルテマは困ったような微笑みを浮かべていた。もちろん、ここでヒロインが食ってかかればそれこそ悪役令嬢たるアルテマの本領が発揮され、ヒロインは返り討ちにあってしまうのだ。当然だが、アンジェリーナはそんなことはしない。何しろ推しのクラウディオが何とかしてアルテマに関わりたくてちょっかいを出してきている大切なイベントなのだ。
「アルテマ様はやはりクラウディオ様とデュオをなさるんですか?」
取り巻きたちの視線がかなり厳しくなったが、そんなことアンジェリーナにとっては大したことでは無い。何しろ推しと推しの推しとがデュオをするといつ尊いイベントのトリガーを引かなくてはならないのだ。
「え?そ、うねぇ」
アンジェリーナの問いかけにアルテマは戸惑ってはいるものの、実力から言ってアルテマとデュオができるのは現時点でクラウディオしかいない。ヒロインが好感度を上げた攻略対象者次第では、攻略対象者の誰かとデュオをする場合も出てくるのだが、アンジェリーナはそんな余計なことをするつもりはないのである。強いていえば、実力者である攻略対象者のリオネッロがアルテマとデュオをしないように画策をするつもりではある。
「心配するな、教師が呼んでいる」
立ち去ったと思ったら、またもやクラウディオが背後にやってきていた。
「あら、なんでしょう?」
小首を傾げるアルテマではあるが、教師からの呼び出しについては心当たりがあるようだ。
「見本を見せろ。との事だ」
クラウディオが、顎で示した先にいるのは音楽の教師である。仮にも教師を顎で示すなど態度が悪すぎるのだが、それでこそ尊大な態度の悪役令息なのである。
「あら。では皆様、ビアノの前にお集まりになって」
アルテマに促され、ぞろぞろとピアノの前に集まれば、クラウディオがヴァイオリンを持って待ち構えていた。
「試験の課題曲の手本だ。楽譜は持っているだろう?」
「ええ、もちろんです」
クラウディオとアルテマが言葉を交わす。学園の制服を着ているのだが、なんとも美しい絵画のようである。
「完成型だと思って聴くように」
教師が合図をすれば、クラウディオがヴァイオリンを奏で始めた。それを追走するようにアルテマのピアノが旋律を奏でる。誰もがウットリと聞き惚れる中、一人だけ仏頂面の生徒がいることをアンジェリーナは知っていた。誰あろうリオネッロである。実力はあるのだが、いかせん子爵家なので、初日に公爵令嬢とデュオはさせてもらえなかったのだ。それが悔しくて放課後の一人ヴァイオリン演奏となるわけなのだ。
(フラグを回収するつもりはないのよ。ごめんなさい。リオネッロ)
アンジェリーナは内心リオネッロに謝りつつ、アルテマに今後も教えを乞う約束をとりつけるのであった。




