第7話 全ては推し活のために
「クラウディオ様が尊い」
既に日課となった朝の参拝。すなわち登校してきたクラウディオの姿を見眺める行為である。前世で言ったらストーカー行為にしかならないような危ない日課である。だがしかし、ここは乙女ゲームの世界であるから、平民の女子生徒が貴族の男子生徒を影から見つめる行為は許されるのである。そう、アイドルの追っかけのようなものとして、回りは生暖かい目で見るだけなのだ。もちろん、その逆は決して許されない。平民の男子生徒が貴族の女子生徒を眺め様なものなら、即座に教師に首根っこを掴まれて指導室行きである。
「そこで何をしている。庶民」
いつの間にかにクラウディオがアンジェリーナの背後に回り込んでいた。いや違う。馬車から降りて普通に通路を歩くと、自然にアンジェリーナの背後に来てしまうのだ。
「はいっ、あの、推しか……いえ、貴族の皆様の登校風景を眺めておりました」
ほぼほぼストーカー行為を推し活なんて、恐れ多くて言えるわけがない。いや、この世界に推し活なんて言葉は存在しない。だからまぁ、無難な言葉で茶を濁すアンジェリーナなのであった。
「庶民は暇なのだな」
聞きようによっては随分な嫌味ではあるが、実はこの言葉にクラウディオの優しが隠れているのである。クラウディオは決して「平民」という言葉を使わない。それは身分を表す言葉であるから、自らが口にすることは良しとするが、第三者が口にするのは身分をひけらかす事になるとして、クラウディオは「庶民」という言葉を使うのである。もちろん、これもキャラクター名鑑に書かれていた知識である。だからこそ推しのクラウディオに「庶民」と呼ばれるのは最and高なのである。
「今日は芸術の授業なんだよねぇ。どうしようかなぁ」
立ち去るクラウディオの背中を眺めつつ、アンジェリーナは深いため息をついた。乙女ゲームのヒロインであるアンジェリーナが攻略対象者を攻略しなくても、ストーリーは進むのである。順番に授業が進み、出したくなくても攻略対象者たちがアンジェリーナの前に現れるのだ。最も、同じ学年であるから、出す出さないの問題ではなく、同じ教室に存在しているのである。避けられるわけがないので、アンジェリーナは教室の中ではひたすら空気となるしかないのである。これは平民の生徒が共通で行っていることであるから特に問題は無い。乙女ゲームのヒロインは、分からないことがあれば積極的に挙手をして元気よく質問をしていたが、攻略したくないアンジェリーナからすれば、そんな悪手な行為などできるわけがなかった。
「乙女ゲームでのヒロインの行動はどう考えてもかまってちゃん、あざといのよね。貴族の生徒からすれば時間の無駄だし、同じ平民の生徒からしても余計なお世話になっているのよ」
今だからこそ冷静にヒロインの行動について分析をするアンジェリーナであるが、プレイしていた当時はなんとも思わなかったのだから不思議なものである。やはり当事者になってみないと分からないこともあるのだ。
「芸術の授業は、座学と実践なのよね。確か、校内に美術館があるのよね」
そう、子の学校は基本貴族の子女のために作られたので、乗馬のための牧場もあるし、社交ダンスのためのダンスホールもあり、演奏会の為のコンサートホールもある。そして、感性を高めるために国内外の一級品を揃えた美術館まであるのだ。そんなわけで学校内は恐ろしほどに広い。そんなわけで、一日に一教科しかできないのである。
「入口から美術館までが遠すぎる」
校内に馬車を乗り入れることが出来ないので、当然貴族の生徒たちも歩いている。まぁ、貴族は普段から広い自宅で歩き回っているらしいので、全く気にしてなどいないようで、逆に平民の生徒の方が歩きなれていないようで、教室に着くと疲れきった顔をしていたりするのである。
「芸術と言うと、マルカントーニオ・アハロが出てくるわけよね。でも、攻略するつもりはサラサラないんだから、関わらないようにしなくちゃ」
ちょっとした独り言を呟きながらアンジェリーナは廊下を歩く。もっとも、廊下というより巨大な回廊である。一つ移動する事に景色が変わるのだ。日本庭園で言えば侘び寂びの世界感なのかもしれない。
「美術館に行くまでに芸術鑑賞させられているって事よね。これも座学で聞かされることなのかしら?ああ、そういえば貴族のお屋敷の庭はテーマが決められているって聞いたことがあるわ。季節ごとに総取っかえするのも経済を回す効果があるんだっけ」
アンジェリーナの頭の中にはこの世界で見聞きした記憶と、前世の記憶が入り交じっている。だからこうして自分で整理しないと、その記憶がいつどこで見聞きしたものか分からなくなるのだ。おそらくこの記憶は前世乙女ゲームの中で聞かされた話だろう。経済を回すなんて、平民の家庭でする話ではない。
「ううん。何とかしないとマルカントーニオの独演会を聞かされる羽目になるのよね」
この先、芸術の授業で起こるイベントを何とか回避したいアンジェリーナはとにかく歩きながら考えるしか無かった。何しろ時間が無い。授業はとにかく出なくてはならない。選ばれて学校に通える権利を得た平民の生徒が、授業をサボるなんてあってはならないことなのだ。
「まずは、自由に館内の美術品を鑑賞してください。メモをとっても構いません。その後に座学になります」
全く策が思いつかないまま芸術の授業が始まってしまった。教師は乙女ゲームにめずらしく女の教師だった。確か普段は貴族家庭の女性に絵画を教えてるのだとキャラ名鑑に書かれていた気がする。まぁ、女性キャラなので流し読みした程度ではあるのだけれど。
「どうしよ」
アンジェリーナは大いに焦った。生徒たちは思い思いの美術品を見るために移動を初めてしまったからだ。たしか、ここでヒロインが選んだ美術品によって攻略対象者との好感度が変わった気がした。マルカントーニオが出てくるのは当たり前なのだけれど、ヒロインが最初に見る美術品によって声をかけてくる攻略対象者が変わるのだ。マルカントーニオ狙いなら、最初は彫像である。等身大の騎馬像を見て、ヒロインが驚いているところに現れるのだ。植物画ならジュリアーノで、静物画ならリオネッロ、風景画ならガレアッツォだったと記憶している。つまり、それ以外の絵画を最初に選べばいいのだ。
「あそこよね」
アンジェリーナは秘策を思いつき、その直感のまま行動に移した。
「アルテマ様、ご一緒させていただけませんか?」
困った時の推しの推し。完璧なる公爵令嬢アルテマの傍にいれば、爵位がした下である攻略対象者たちが声をかけてくるような事はないのである。
「まぁ、アンジェリーナさん」
突然声をかけられて驚きはしたものの、それはあくまでもそんなフリでしかない。アルテマはある程度周囲の生徒たちの様子を確認していたのだ。そして、学校内の美術館とはいえ、マナーのなっていない生徒たちをたしなめる。と言うことをしてのけるのだ。もちろん、その行動が乙女ゲーム内において悪役令嬢と言われてしまうのだけれど、今はそんな存在のアルテマが頼もしい存在なのである。
「もちろんよ」
アルテマに気持ちよく迎い入れられたので、作戦は成功である。あとは、女好きと噂されているマルカントーニオがしゃしゃり出てくることがないように願うばかりである。ついでに言えば、アンジェリーナがアルテマにくっついて歩くことになったからか、平民の女子生徒たちもその後ろをついてきていた。取り巻きたちは少々きつい目で見てきたが、当のアルテマが何も言わないので、大人しく彼女たちも後をついてくるだけだった。
「アルテマ様。こういった風景画を鑑賞する際のポイントは何でしょうか?」
アンジェリーナはさりげなく聞いてみた。この質問は、乙女ゲームに置いて攻略対象者に聞く内容である。アンジェリーナは片っ端からフラグをへし折るために、あえて攻略対象者との会話を悪役令嬢アルテマにしてみたのだ。
「そうね、まずは季節を感じてみるのはいかがかしら?」
この回答はジュリアーノから得るものである。花と緑が大好きなジュリアーノは、絵画からでさえ季節を感じとろうとして、細部に描かれた植物までをじっくりと観察するのだ。
「季節、ですか?」
アンジェリーナはちょっとよくわかりません。と言った感じで小首をかしげてみた。これは攻略対象者になら効果的なのだが、はたして悪役令嬢にはいかがなものだろうか?
「少しわかりにくかったかしら?例えば、ね?こちらの絵画は木々の葉の色が少し柔らかい色をしているでしょう?けれど、こちらの絵画はかなり濃い色で木々の葉を表現しているわ」
ふむふむ、なんて頷きつつ、アンジェリーナはアルテマの解説に耳を傾けた。
「つまり、こちらの絵画は春先の風景で、こちらの絵画は夏の風景だと思われるの。それに、タイトルが『王都の公園』と『サンマリーノにて』でしょう?」
アルテマがそんなことを言うけれど、アンジェリーナは全くピント来なかった。いや、本当は前世の記憶で知っていることなのだ。サンマリーノは貴族に人気の夏の避暑地である。日本で言うところの軽井沢みたいなところだ。だから、貴族ならタイトルを見ただけで夏の情景を描いた絵画だと理解するところなのだが、あいにくと平民であるアンジェリーナにはタイトルのサンマリーノなんて知らない話なのである。つまり、そんなところが、アルテマを乙女ゲームのなかで悪役令嬢としてしまう要因の一つとされてしまうのだ。避暑地なんて知らない平民の生徒に対して配慮ができない高慢な態度をとったとして。
「ロドリゲス嬢、それでは庶民には伝わらない」
アンジェリーナが乙女ゲームのセリフをそのまま口にしようとしたその時、クラウディオが割って入ってきた。
「あら、クラウディオ様、なぜかしら?」
アルテマが不思議そうに首を傾げた。本物のお嬢様の本気の仕草は、もはやあざといのではなく尊いのである。アンジェリーナは心の中で盛大に鼻血を出しつつ、全力でフォローをすることにした。これでは推しも推しの推しも高慢ちきな嫌なやつになってしまう。
「ごめんなさい。アルテマ様。サンマリーノとは、どこにあるのでしょう?」
王都しか知りません。という顔をして、アンジェリーナはアルテマに質問をした。これで推しの言葉足らずをフォローしつつ、アルテマに恥をかかせることを回避したはずだ。あくまでも、アンジェリーナは無知な平民の生徒でなくてはならないのである。
「まぁ」
自分の失言に気が付いたアルテマが、小さな声を上げた。もちろん、これはあくまでもパフォーマンスである。アンジェリーナは無知な平民の生徒でなくてはならないのだ。
「サンマリーノをご存じではありませんでしたのね」
アルテマは一つ言葉を飲み込む様な仕草をして、アンジェリーナの顔を見た。そして、その後ろにいる平民の女子生徒たちを見た。公爵令嬢としてのふるまいは重要ではあるが、わからないことを素直に聞いてくる人に対して教えない。というのはアルテマの矜持に反していた。
「申し訳ございません。私、王都から出たことがないものですから」
嘘ではないが、本当でもない。アンジェリーナは王都から出たことはある。ただ、本当に出ただけで、王都を囲む城壁の外にある墓地に行ったことがあるだけだった。たいていの平民の墓は、王都の外にある集団墓地になるから、お墓参りをするときだけ、王都の外に出るのだ。ただそれだけのことなので、王都から出たことがない。イコール他の街に行ったことがない。という意味なのである。
「まあ、そうでしたのねで「国の地理ぐらい学んでおけ、庶民」は、わたくしが……」
アルテマの言葉を遮って言うだけ言うと、クラウディオはさっさといなくなってしまった。まさに悪役令息らしい行動である。
「サンマリーノとは街の名前なのですか?」
アンジェリーナは仕方がないのでなんとかフォローしてみた。もちろん前世の記憶で知ってはいるのだけれど、それはチートなので内緒である。他の平民の女子生徒たちが、アンジェリーナにものすごい圧をかけてきているのがひしひしと伝わってきてなんとも言えなかった。
「サンマリーノは避暑地なのよ」
アルテマがさらっと答えたので、アンジェリーナはまたもやフォローをしなくてはならなかった。こういうところなのだ。結局は。
「避暑地……」
もちろん知っている言葉ではあるが、平民からしたら馴染みのない、全くもって馴染みのない、むしろ生涯関わることがないぐらいに縁遠い言葉であった。
「避暑地も分からないいのか、庶民」
そこにすかさずクラウディオが突っ込んできた。突っ込んできたと言うとだいぶ語弊があるが、一度立ち去ったのにも関わらず、またもやアルテマの隣に立ち、哀れみを持った目でアンジェリーナを見つめていた。
「ええええ?避暑地ぐらい分かります。夏に涼みに出かけるところです」
「なんだ、知っているのなら聞き返すな」
「え?私のせいですか?」
慌てるアンジェリーナを他所に、またもやいい逃げのごとくクラウディオは去っていってしまった。
「夏に出かける有名な街なの。ですから、サンマリーノと言えば夏という事になりますのよ?」
アンジェリーナは心の中で突っ込んだ。それは貴族は、ってお話ですよね。そう心の中で叫ぶしかなかった。もはや、でもでもだって、と盛大に言いたかった。だがしかし、そんなこと言えるわけが無い。親切丁寧に公爵令嬢たるアルテマが教えてくれたのだ。要するに「夏と言ったらサンマリーノ」「サンマリーノと言ったら避暑地」っと言った事なのだ。もう、納得してしまうしかないのである。
「なるほど、ためになります」
アンジェリーナが、力いっぱい返事をしたものだから、取り巻きたちもアルテマの後ろで黙って頷くしかない。もちろん、アンジェリーナの背後で平民の女子生徒たちも黙って頷いていたのであった。




