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乙女ゲームのヒロインは推し活がしたいのです  作者: ひよっと丸


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第10話 推しの推しは推せます


「もちろん行きましてよ?」


 ロドリゲス公爵家のアルテマの自室にて、メイド服に着替えたアンジェリーナにさもありなん。とばかりにアルテマは答えた。

 行くといえば、そこに決まっているでしょう。とばかりの言い方であったが、それは仕方の無いことである。何しろ、アルテマ本人から教えてもらったことなのだから。貴族の避暑地、サンマリーノに夏のバカンスに行くのである。それはもう夏になったら当たり前の事柄なのだ。貴族であれば常識であり、貴族家に仕えるものならば、それくらい知っておかなくてはならない事柄なのである。


「はい。かしこまりました」


 両手をお腹の辺りで組んで、軽く会釈のように頭を下げる。だが、かしこまったからと言って、アンジェリーナは何をしたらいいのか分からなかった。もちろん、回りに他のメイドがいるにはいるが、誰も何も言ってこないからだ。


「支度はメイド頭がしてくれるから、アンジェリーナさんにしていただくことは何も無くてよ」


 そう言って、アルテマは優雅にカップの中身を飲み干した。


「アンジェリーナさんには我が家流の作法を知っていただきたいの」


 アルテマが合図をすると、メイド頭がワゴンを押してやってきた。


「彼女が、メイド頭のリマルテよ。わたくしの乳母でもあるの」


 簡潔な紹介をされたので、アンジェリーナはメイド頭のリマルテに向かって頭を下げた。先程より深めである。要は会釈の角度が違うということだ。


「アンジェリーナさん、まずはこちらの席に座って下さい」


 リマルテがアルテマの右横の位置に椅子を用意した。


「お嬢様のお作法をしっかりと覚えてください。もちろん、メモをとっても構いません」


 そう言われてしまえばすぐさまメモの用意をするアンジェリーナであった。


「茶器の出し方から通しで見ていてください」


 リマルテはそう言うと、流れるような手つきでお茶をいれ、アルテマの可動域を侵害することなくテーブルの上にカップを置いた。アルテマが出されたお茶の香りを嗅ぎ、一口口に含んだところで、ケーキの乗った皿がアルテマの正面に置かれた。アルテマはそれが当たり前という感じでフォークを手に取りケーキを1口大にすると、その1切れを口に運んだ。所作は美しく、無駄がない。食器が触れ合う音もしない。まるで無声映画を見ているような錯覚に陥るほどだった。何をどうメモすればいいのか分からなかったが、アンジェリーナは文字ではなく、絵に描いてメモをとることにした。人物は丸に棒で表し、テーブルにカップとケーキ皿を書き込む。そして、そこに注釈として出すタイミングと皿の向きを書き込んだ。

 そうしてアルテマをじっくりと観察すれば、咀嚼する時はもちろん口を閉じ、口元をハンカチで軽く押さえ、次の所作に移るタイミングを周囲に知らしめていた。これはおそらく給仕に対する配慮なのだろう。カップに口紅が着くことを抑えているのかもしれない。ハンカチはそのためのアイテムらしい。


(すごい。まるで無駄のない動きさすがは悪役令嬢だわ)


 アルテマの所作に感動しつつ、アンジェリーナはメモをとる手を止めなかった。なぜなら、アルテマがカップを置いたタイミングに合わせてリマルテが新しいお茶を注いだからだ。ソーサーごとすくいとるかの様に手に取ると、流れるような、いや、実際お茶が宙を流れていた。おそらくアルテマの耳にはハッキリと注がれるお茶の音が聞こえていることだろう。


(コレは執事カフェの執事も真っ青ってやつね)


 思い起こすのは生前の日本で開催されていたイベントである。執事カフェで至れり尽くせりを経験した。もちろん、乙女ゲームのイベントでは給仕の人たちの素晴らしい作法も見てきたけれど、やはり、本物は違うのだ。推し活のためにはアンジェリーナもあの技を習得しなくてはならないのである。推しと推しの推しが優雅なティータイムを過ごすのを、こんな間近で観られるのだ。観られないなんて選択しはないのである。俄然やる気が出てきたアンジェリーナであった。


「何か気になることがあって?」


 アンジェリーナのあまりにも熱の篭った視線に気がついたのか、アルテマが軽い咳払いをしてから口を開いた。コレは叱責の合図である。主人をガン見するなんて、あまりにも不敬である。


「はい。アルテマ様。カップに口紅が着いた場合はハンカチで拭き取るのがよろしいのでしょうか?」


 見ていたからこそだけれど、前世では何気なく指で拭っていたものだ。今アルテマはハンカチで拭き取っていた。


「そうね。カラトリーは食事の度に新しいものを使用するけれど、カップはそのままお茶を継ぎ足されるから拭き取らないと給仕に見られて恥ずかしいわね」


 なるほど、とアンジェリーナは思った。前世の記憶と照らし合わせると、ハンカチは膝の上に広げたナプキンのようなものなのだろう。確か深層のお嬢様はハンカチで鼻をかむと少女漫画で描かれていたと思い出す。まぁ、この乙女ゲームの世界にはティッシュ何てものは存在しないので、当たり前にハンカチでかんでいるのだろう。いや、公爵令嬢が鼻をかむなんて行為をするはずがない。なにしろここは乙女ゲームの世界なのである。つまり、アイドルはトイレに行かない説だ。


「それで皆様ハンカチをつねにお持ちでいらっしゃるのですね」


 合点がいったという顔でアンジェリーナが返事をすれば、リマルテが深く頷いていた。ハンカチをやたらと配れるのは、持っているのが一枚ではないからだったのだ。汚れれば当然新しいものをだす。見栄えが悪くならないように、侍従が予備を隠し持っているのだろう。つまり、アルテマ付きのメイド見習いとなったアンジェリーナにその使命が、課せられたというわけだ。


「こちらがアルテマお嬢様のハンカチにございます」


 リマルテが数枚のハンカチをテーブルに並べた。パッと見は同じ白いハンカチに見えるが、よく見ればどれも違うハンカチであった。


「それぞれ用途が違います。口を隠すもの、口を拭うもの、汚れを拭うもの、手当に使うもの、下賜するもの」


 そう説明されればよくわかる。口を隠すものはなんとも言えない繊細なレースで作られていた。口を拭うものは柔らかな絹で作らている。汚れを拭うものは綿でできていた。下賜するものは縁どりがレースで本体は絹、そこに白い糸で家紋とアルテマのイニシャルが刺繍されていた。

 これらを使い分けるだなんて、なんとも難しいことである。というか、それだけの枚数と品数を揃えられる公爵家、恐るべし。


「全ての貴族家がこうしている訳ではございません。ですが、ロドリゲス公爵家としてそれなりの品位を見せねばなりませんから、必然的にこのように種類を揃えることとなっております。もちろん、アンジェリーナ、あなたにも覚えていただきますよ」


 リマルテにそう言われ、アンジェリーナは背筋を伸ばし脊髄反射で返事をしたのだった。


「リマルテ」


 アルテマの合図でアンジェリーナの前にケーキ皿が置かれた。


「食べてみてちょうだい」


 アルテマにそう言われたからには食べなくてはならないのだろうけれど、アンジェリーナはすぐには手を出せないでいた。なぜなら、これば試験だからだ。そのくらいのことはすぐに察せる。なにしろ先程アルテマが、食べていたのとは違う種類のケーキが出てきたからだ。見た目が前世の記憶と少し違うけれど、これはどう見ても最高難易度のアレである。


「これは……ミルフィーユ?」


 おそらくパイ生地の焼き方がこの世界だと甘いのだろう。少し歪な長方形のパイ生地の間にクリームが何層かになって、挟まれていた。色鮮やかなのは果物を煮たジャムのようなものと思われる。地層、いや、断面はきちんと整えられていて大変綺麗である。綺麗であるからこそ、攻略が難しいのだ。そう、激ムズなのだ。前世で耳にした事があるのだが、ミルフィーユは通常とはだいぶ違う食べ方をするケーキなのだと言う。それがどんな手法だったのか、アンジェリーナは記憶を手繰り寄せようと試みた。


「ふふ、これがミルフィーユとご存知なのね」


 アルテマはイタズラが見つかった時のような顔をして、笑っていた。リマルテはまぁ、笑ってはいなかったけれどその目はアンジェリーナを探るように動いていた。


「はい、あの……高貴な方たちの食べ物だと」


 これは嘘では無い。なにしろパイ生地を作るのに使われる小麦は相当細かくひかれたもので、何よりも練り込まれているバターが大変お高いのである。お作法の授業の教科書に載っていたのだから間違いはないだろう。注釈としてあまりに親しくない人とのお茶会には不向き、と書かれていた気がする。


「お作法の教科書をお読みになられていたのね。素晴らしいわ」


 アルテマが手放しで褒めるから、アンジェリーナは気恥しくなってしまった。ただ単に、お作法の教科書に書かれていたお菓子が美味しそうだったのでアレコレ想像して、街のお菓子屋のショーウィンドウを覗いていただけなのだ。とてもではないけれど、平民が買えるような値段はついてはいなかった。


「お褒めに預かり光栄なのですが、読んだだけでして」


 アンジェリーナが恥ずかしそうにうつむけば、アルテマはにっこりと微笑んだ。


「それでも素晴らしいことですわ。知らない。と言うことは罪です。アンジェリーナさん、あなたは自分から知識を得ようと努力しています。それは誰にでもできることではないのですよ」


 推しの推しにそこまで褒めちぎられるといささかむず痒くなるというもので、アンジェリーナはなんだか座りが悪くなり落ち着かなくなってしまった。


「では、この、ミルフィーユの食べ方をお教えしますわ」


 そういった時、すでにアルテマの前にはミルフィーユの乗った皿が置かれていた。さすがはメイド頭リマルテである。会話をしている最中の出来事のはずなのに、まったく気が付かなかった。大きく目を瞬かせているアンジェリーナを見て、リマルテが軽く咳払いをしていなした。途端にアンジェリーナの背筋が伸びる。


「教科書にも書かれていたと思いますけれど、こちらのケーキはとても食べにくいの……ですから、気の置けないおともだちとしか一緒に食さないケーキですのよ」


 いいながらアルテマはフォークでミルフィーユを横に倒した。それから一口大に切り分け、フォークに乗せて口に運んだ。粉砂糖がかけられていると言うのに、アルテマの口元はまったく汚れてなどいなかった。


「いかがかしら?」


 汚れてなどいない口元をハンカチで軽く押え、アルテマはアンジェリーナに聞いてきた。


「はい。やってみます」


 確かにそんな食べ方をすると美しい。なんて事を以前マナー講師とかいう人物がテレビで語っていたのを思い出した。マナーは決まり事ではなく、相手を不愉快にさせないこと。そういうことなのだ。


「及第点にございます」


 アンジェリーナの一通りの動作を確認して、リマルテが口を開いた。そこそこできていたということらしい。


「アンジェリーナさん、このミルフィーユ、とても食べにくいでしょう?」

「はい」

「この手のケーキは他にもあるわ。意地の悪いご婦人はあえてお茶会で出してくるのよ」

「あえて?」

「ええ」


 アルテマが当たり前のように話すので、アンジェリーナは考えた。なにしろアルテマは、公爵令嬢である。乙女ゲームにおいて悪役令嬢であったとしても、社交界においては公爵令嬢の肩書きを持つのだから、そんな、意地の悪いことをされるだなんて信じられなかった。


「あら?不思議そうなお顔をなさっているわね」

「はい」


 アンジェリーナは疑問をそのままぶつけたかったけれど、そこは貴族らしくアルテマがアンジェリーナの気持ちを汲み取ってくれた。


「わたくしは、ロドリゲス公爵家の娘ではありますが、社交界においては単なる小娘にすぎません。父や母が同席をしていればそれなりの扱いを受けることができますが、所詮は肩書きを持たない貴族の未成年の女なのです。伯爵夫人や、子爵夫人の方が立場が上なんですのよ」


 アルテマがあっさりと解説してくれたので、アンジェリーナは前世の記憶を思い出した。確かに、あるあるの話ではある。社長令嬢が居丈高に振舞って、貧乏人の女の子をいじめていたら、取引先の御曹司にざまぁされる話がよくあった。結局は会社経営に携わってもいないお嬢ちゃんが虎(父親)の威を借る狐をしていたために、父親の会社ごと潰されるというオチの話である。現代版シンデレラストーリーとしてドラマでよく取り扱われた題材で、ヒロインは実はライバル会社の社長の行方不明の孫娘だったりするやつだ。社長令嬢の肩書きが無くなれば、取り巻きたちは一人も残らない。当たり前の話である。要するに、アルテマは公爵令嬢ではあるが、この先誰と結婚するかなんて分からない。噂で皇太子妃候補と囁かれているだけで、そうなる未来は確定では無いのだ。

 そんな些細なことだけれど、社交界ではマウント合戦が繰り広げられていて、派閥がちがえば高位貴族の娘など、いじめの対象と見なされてしまうということなのだろう。


「ですから、わたくし隙を作りたくはありませんの」


 アルテマが毅然とした態度で宣言をした。


「はい?」


 アンジェリーナはその宣言の意図が読み取れなかった。


「お嬢様がサンマリーノの社交場にて恥をかかぬよう、アンジェリーナさん、あなたを特訓致します」


 リマルテがとびきりの笑顔で宣言してくれたのだった。

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