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真白と、白いチーズケーキと紅茶(2)

「えっ、ちょっと待って青司くん。アトリエ兼、喫茶店……ってどういうこと? 青司くん画家なのに、なんで『喫茶店』を開こうとしてるの?」


 わたしは青司くんの目を見つめて、確認するように訊いた。

 青司くんはゆっくりと答える。


「たしかにちょっと突拍子すぎて、すぐには理解できないかもしれないけど……それでも、俺は本気だよ」

「……」


 わたしはますます混乱した。

 喫茶店を開く?

 そのためにこの町に戻ってきた?

 いままでいっさい連絡が取れなくなって、どこに行ってしまったのかすらもわからなくなっていたのに? 急に戻ってきたと思ったら、画家になっていて。で、しかも喫茶店を開きたい?


 どういうことなのかまったくわからない。

 いったいこの十年の間に、何があったのだろう。


 ううん、それはひとまず置いておいて。

 まず……喫茶店? それをしかもこの家で、かつてのお絵かき教室だったところでやるって。喫茶店をきちんと開けるような設備が備わってるとは思えない。それをどうするつもりだろう。十分な広さはあるけれど……。


「ほんと、いきなり帰って来たし、びっくりさせちゃったよね。ごめん。でもちゃんと考えてきたんだ。開店する資金もあるし、いろんな手続きももうすでに済ませてある。食品衛生管理者の資格も取ったし……もういつでも店を開くことができる」

「……でも、なんで今……」

「実は俺、いっぱしの画家にはなれたけれど、ときどきスランプっていうか……何を描いたらいいかわからなくなるときがあって。それは今まで何回もあったけど、今回のは一番……深刻でさ。スランプの度に、俺はこの家に住んでいたときのことを思い出して……苦しんで……そしてどうにか乗り越えてきた。でも今回は、もう実際に戻らないとダメなレベルだって思って――」

「……」

「勝手……だよね。でもやっぱりここじゃなきゃ、ダメなんだ。ここが俺の原点だから。無くしたものを取り戻さないと……前に進めない気がする」

「……」


 なんて返していいのかわからない。

 黙ったままのわたしに、青司くんはハッとなって話題を変えた。


「あ、ごめん、俺の話ばっかりして。まだ……だからどういうお店にしたいとか、だいたいのことは決めてきたんだけど、細かいところは詰めてなくてさ。だから、できたら真白と一緒に――」

「青司くん」


 わたしはやっぱり、一番訊きたかったことを訊いとかなきゃ、と思った。

 さっきから頭の中にちっとも青司くんの話が入ってこない。やっぱり、それを解消しない限り青司くんとの仲はちゃんと戻らない……そう思った。


「ねえ、青司くん」

「な、なに?」

「今まで……いったいどこに行ってたの? どうして、急に連絡がつかなくなっちゃったの? ねえ、それって……ここに戻ってきたのって、結局自分のため? なんで? なんでわたしたちのこと……。ねえ、教えて。教えてよ、青司くん!」

「……それは」


 責めるようなわたしの言葉に、動揺する青司くん。

 わたしはさらに自分のスマホを取り出して見せた。


「ねえ、見てこれ。わたしずっと電話番号もメールアドレスも変えてなかったんだよ。なのに……どうして? どうして青司くんはわたしが送ったメールにずっと返事をくれなかったの? つながることも……できなくなって。ずっと送り返されつづけていて。わたし、青司くんが引っ越していってしまった日からずっと、ずっと……っ」


 画面にはたくさんの送信履歴が並んでいた。

 わたしはこれを見ると、いつも涙がこぼれてきてしまう。

 何度も何度も、これを見て泣いてきた。その思いがまた一気に、こみあげてくる。


 そんなわたしに、青司くんはひどく申し訳なさそうな顔を向けた。


「ごめん、真白。ごめん……」

「ごめん、なんて。そんな……そんな一言だけじゃ、納得できないよ! ねえ、なんで? なんでなの……ちゃんと話して? あの日、あの日から……わたしたちのことを嫌いになっちゃったの? ずっと友達だと……思ってたのに。青司くんは、わたしたちのこと忘れたくなっちゃったの?」


 わたしは、彼に気持ちを伝えたことはなかったけれど、せめて友達同士ではあると信じていた。教室のみんなだって、きっとそうであったはずだ。

 でも……引っ越しの日に見送ってから、一日も経たないうちに誰とも青司くんと連絡がつかなくなってしまった。その時の絶望感たるや。


 行き先は、着いたら教えるって約束だった。

 なのに、その約束はずっと果たされないままだった。

 わたしは青司くんのことをこの十年間ずっと好きでいつづけてたけど、それと同じくらい、そのことを許せないでいた。


「ごめん……ほんとごめん、真白。許してもらえるかわからないけど……。話すよ、どうして真白たちに連絡ができなくなったのか」

「うん。ぜひ、教えて」

「俺……あの日、東京に着いたら、急に海外に行くことになってしまったんだ」

「え? 海外?」


 わたしはぽかんとしてもう一度確認する。


「え? なんで? 海外って、東京のお父さんのところに行くって話だったじゃ……」

「そう。あの日……俺は父さんのいる東京に向かった。でも、向こうに着いたらすぐ……もう行くぞって飛行機のチケットを渡されて。それでそのまま……」

「ええーっ!?」


 青司くんはある程度の荷物を先に送っていた。だからその日は、身一つで東京に向かうだけになっていた。

 あの日の光景をわたしは忘れない。

 駅までお絵かき教室のみんなと見送りに行った。青司くんの乗った電車が見えなくなるまで、わたしたちはずっと手を振りつづけていた。

 そんな別れ方だったから、急に青司くんと連絡がとれなくなると……みんな青司くんに対してひどい文句を言っていた。わたしも、そのうちの一人だった。


 でも、青司くんにはまさかそんなことが……起きていたなんて。


「い、行き先は?」

「イギリス。向こうに着いたらさっそく向こうの携帯を渡されて。さらに向こうの美大に行けって。あと、学業に支障が出るからって、前のスマホも取り上げられて……」

「そんな……」

「父さんは母さんと離婚した後、海外で人気の画家になっていた。それで、一年のほとんどをあっちで過ごすようになっていたんだ。そんなこと、俺まったく知らなくて……母さんの葬式を終えたら、父さんしか頼れる人がいないって思ってて……でも、それは大きな間違いだったよ」


 わたしは、目の前の紅茶とチーズケーキを見つめた。

 その向こうには、ぼんやりとあのかつてのお絵かき教室の先生、桃花先生の顔が浮かぶ。


 青司くんのお母さん。

 九露木桃花(くろきももか)先生は、親子だからか青司くんとよく似た笑い方をする女の人だった。

 どこか抜けてる、天然な感じの人でもあり、みんなからいつも好かれていた。ひどく怒鳴ったり、怒ったりしているのを見たことがない。とっても優しい人だ。


 先生は、わたしが物心つくころにはすでにシングルマザーだった……と、記憶している。

 川向こうの白い洋館には「九露木さん」っていう母子が住んでるのよ、と母に教えられていたからだ。

 でも、青司くんが小学校に上がるくらいのとき、あの「お絵かき教室」がオープンして。


 わたしはそこに幼稚園の年長さんくらいから通いだした。

 それから十五歳、つまり中学三年生になるまで通って。

 実に十年もの間、親しくさせてもらった。


 先生は、生きている間一度も、元の旦那さんの話をしなかった。

 いつ離婚したのか。それとも死別したのか。どんな職についていたのか。

 何度かわたしたちが冗談ぽく訊いてみたこともあったけど、いつも「秘密」とかわされていた。

 うちのお母さんも、近所の人も誰も、それは知らなかったと思う。

 桃花先生はとても優しい人だったから、たぶん元旦那さんの悪口を一度も言いたくなかったんじゃないかな。


 今の話を聞くと、きっとそうだ。

 もし一度でもぽろっと口に出してしまったなら、どんどん悪く言ってしまう、そんな不安にかられていたんだろう。だから、先生はずっと黙っていたんだ。


 でも――。

 今はそれを、もっと早く知っていたかったと思う。

 そうしたら誰も、こんな辛い思いをせずに済んだのかもしれない。

 わたしも、青司くんも、みんなも……。青司くんのお父さんのことをもっとちゃんと知れていたら、わたしたちは東京へ、そして海外は行かせはしなかっただろう。


「ごめん。そんなこと知らなくて、わたし……」

「いいや。いいんだ。真白やみんなに愛想つかされていても当然だよ。父さんにあんなことされても……いくらだって抵抗のしようはあったんだから。俺がその気に、なりさえすれば。でも……あの頃の俺はそんなことできなくて。とても……弱かった。本当ごめん」

「もう、もういいよ青司くん。青司くんもきっと、辛かった……よね。なのに……わたし……」

「そんな、真白が気に病むことなんかない。悪いのは、悪いのは俺だ。全部、全部あいつに――」


 そのときカチャン、と紅茶の入っていたティーカップが音をたてた。

 誰も触っていないのに、カップとソーサーが勝手にズレた。それはまるで、桃花先生が「それ以上言わないで」って言っているみたいで。


 青司くんもじっと、その先生のティーカップを見つめた。

 ワイルドストロベリーが描かれた、ウエッジウッドのカップ。それは桃花先生がよく使っていた特別なカップだった。

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