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真白と、白いチーズケーキと紅茶(1)

第六回書き出し祭り第二会場に出した作品です。

なるべくまとまった話ごとに掲載していこうと思ってますので、よろしくお願いいたします。

「あの~、まだですか?」

「はい、すみません、もう少々お待ちくださいませ!」


 もう何度目だろう。

 このセリフを口にするのは。


 わたしの職場は現在、殺人的な忙しさとなっていた。


 お昼時のファミリーレストラン。

 次々にお客様がご来店しているが、席へのご案内も配膳も、正直追いついていない。

 いわゆる「猫の手も借りたい状況」である。

 でも、ホールにはわたしと女の先輩の二人しかいない。


 数名の高校生アルバイトたちが、この間、卒業を期に一斉に辞めてしまったのだ。


 ここ最近は連日、この少ない人員で回されている。

 わたしはこの店にウェイトレスとして採用されてから、初めて音をあげそうになっていた。


「はあ……はあ……お疲れ様でした……」


 後から来た先輩たちにバトンタッチしながら、よろよろとバックヤードに駆け込む。


 もう限界。

 早く帰って休みたい……。



 午後五時十分――。

 タイムカードを切って、ようやくわたしは解放された。


 私服に着替えて、店の裏に停めてあった白い自転車にまたがる。


「は~、もう忙し過ぎだよ~。早く新人入れてほしいなあ……」


 店の前は車がブンブンうなりをあげて走っている。

 相変わらず土埃がひどい。

 わたしはあわててコートのポケットに入っていたマスクをつけた。 


 ここは埼玉の片田舎にある、加輪辺町(かわべちょう)という町だ。

 観光スポットと呼べるようなところはどこにもない。

 平々凡々とした町である。

  

 国道の両側には田園風景がどこまでも広がっていた。


 遠くには荒川の堤防。

 傾きはじめた日。

 そして、三月上旬の風。


「うー、さぶっ」


 わたしこと羽田真白(はねだましろ)は高校卒業後、フリーターとして七年間いろんなところに勤めてきた。

 今のファミレスに落ち着いたのが二年前。


(は~、なんだかんだ二年も続いてるよなあ……こんなに忙しくなったのは初めてだけど……)


 ぼんやりとそう思いながら、荒川につながる支流沿いの道に曲がる。


 この川は大股で五歩ぐらいの幅しかない。

 ところどころに川に下りられる階段があって、橋がしばらくないところは対岸に渡るための飛び石も設置されていた。

 桜並木も川沿いにずっと続いているが、まだ蕾しかついていない。


 もうすぐ春だな、と思った。



 ピルルルルッと急にバッグの中で着信音が鳴る。

 きっと友人からだ。

 友人たちはみんな東京の大学に行き、今はそれなりの会社に勤めていた。彼氏ができたとか、どこどこに旅行に行ったとか、最近はそんな報告をいつも聞かされる。

 正直うらやましい。


 けど――。

 

 わたしは、この桜が満開になっても、きっと次の春が来ても、今とあまり変わらない気がする。

 変わりたくてもどう変わればいいかわからないのだ。

 わたしは十年前にいろいろなものを失って、それからこの代わり映えのない灰色の日々をずっと繰り返していた。


「ん?」


 橋を渡って家の前に到着すると、川向こうに見慣れない車が走っていくのが見えた。

 水色のワンボックスカー。


「えっ?」


 それは思いがけないところで停まる。

 家の真向かい、つまり川の向こう側には真っ白い外壁の古い洋館が建っているのだが……そこの前に停車したのだ。

 その家は現在空き家だった。


「え……? なに、誰……不動産屋さん? それとも……泥棒!?」

「泥棒じゃないわよー真白。今日あそこに越してきた人」

「お、お母さん!?」


 声がした方を振り返ると、玄関先で草むしりをしている母がいた。


「おかえり。あんたがバイトに行った後にねー、挨拶に見えたのよ、その人。さっきようやく業者さんたちも帰ったみたいだし。あんたもご挨拶してきたら? ちょうどほら、また戻ってきたみたいだし」

「いや、わたしはいいよ……」


 そう言うと母はニヤニヤしだした。


「ほんとにいいのぉ? その人が……九露木(くろき)さんの息子さんでも?」

「え? 嘘……!」


 九露木。

 その名を聞いた途端、わたしは自転車を放って走り出していた。


「そんな……まさか……。はあっ、はあっ……」


 胸が痛い。

 息が、切れる。

 水色のワンボックスカーは洋館の右手のスペースにバックで入ろうとしていた。わたしは急いで橋を越えて車の前まで行く。


「あ……」


 近付くと、ちょうど運転していた人と目が合った。

 男の人はハッとしたようにわたしを見る。


 ギッと音がしてエンジンが止まる。

 そして、運転席からゆっくりと降りてくる。


「……真白?」

青司(せいじ)、くん?」


 目の前に「青司くん」がいた。

 九露木青司(くろきせいじ)くん。

 十年前に引っ越していってしまった、わたしの幼馴染でもあり、そして……初恋の人だ。


 少し見た目が変わっていたが間違いなかった。

 サラサラの黒い髪に、眠そうな目。スッと通った鼻に、猫背気味の高い背。そして……この独特で落ち着いた低い声。


 もう会えないと思っていた。

 なのに……。

 急に世界がぱっと色を取り戻したみたいになった。

 青司くんの周りだけが、色鮮やかに輝いて見える。


「ひ、久しぶり……」

「うん。久しぶり……」


 そう言い合うと、お互い無言になってしまった。

 周囲の木立が風にさわさわと揺れる。


 彼はこの十年ですっかり大人になっていた。

 わたしより三歳年上だから……今は二十八、か。

 あまりにも嬉しくて、わたしは今にも卒倒しそうになっていた。

 でもそうならないようになんとか次の言葉をつむぎだす。


「あ、あの。さっきお母さんから聞いて、さ。びっくりしたよ……」

「ああ……いろいろあって、またここに住むことになったんだ」

「そう……」

「とりあえず、中で話す?」

「うん」


 青司くんは助手席から買い物袋を二つ取り出すと、表の方に回った。わたしはその後を緊張しながらついていく。


 大きな玄関扉。

 その横には、「お絵かき教室」と書かれた看板がまだ掲げられている。

 十年の間にすっかり色あせてしまったが、下の方にはまだ青司くんのお母さんの名前がはっきりと刻まれていた。


「これ……」

「ああ、俺も今日、これ見て懐かしいって思った」


 じっと、青司くんもそれを見つめる。

 その瞳はどこか寂しそうだった。たぶん、わたしも今似たような目をしていたと思う。


 青司くんが鍵を開けて中に入る。

 夕暮れの薄暗い部屋。

 そこには、昔のままの光景が広がっていた。


「……は~、懐かしい」


 アンティーク風の木の机が三つ置かれていて、それぞれの上に椅子が四つずつさかさまに乗せられている。

 わたしは十年前まで、ここの「お絵かき教室」に通っていた。

 そこには優しい水彩画家の女の先生と、その子どもの青司くんがいた。何人もの生徒たちが、学び合って、ふざけ合って、笑い合って。とても幸せな日々を過ごしていた。


 でも、それはある日突然消えてしまった。わたしは心のよりどころを一気に失って……ずっと立ち止まりつづけていた。

 ここは、なにも変わってない。

 今のわたしと同じように――。


 でもわずかな違いもあった。


 今は、ワックスがかけられたばかりなのか、木の床が飴色に輝いている。

 窓もどれもピカピカで、十年空き家であったとは思えないほどの綺麗さを取り戻していた。

 業者が来ていたと母が言っていたけれど、これはなるほどプロの技だと思った。


 奥には手洗い場と、サンルーム。

 その先の庭にはいろんな草花が植わっていて。

 視線を左手に向けると、いろいろな画材を入れていた棚があった。今はなぜかほとんどからっぽだ。そしてその上の壁にはたくさんの絵が飾られて――。


「え……?」


 それは、かつての生徒たちが描いた絵ではなかった。今飾られているのは……あきらかにプロの絵。

 しかも、おそろしく美しい水彩画だった。


 計算された色彩、グラデーション。精密に描かれた人物や風景。

 それは心が洗われるような素晴らしい絵だった。それと同時に、ひどく懐かしい気持ちにもさせる絵でもある。


「青司くん、これ……」


 振り返ると彼もちょうどわたしを見つめていた。

 でも、なぜかちょっと複雑そうな表情をしている。


「それ、俺が描いたんだ。これでも一応……画家だから」

「えっ、画家? 青司くん画家になったの?」

「うん……」

「は~、すごい。これ全部、青司くんが……」


 青司くんはわたしの言葉に照れたのか、ささっと奥の方へと行ってしまった。

 右奥にはカウンター式のキッチンがあり、その前には足の長い椅子が五つ並べられている。

 買ってきた食材を冷蔵庫に詰めながら、青司くんは電気ケトルのスイッチをポンと押す。


「今、お茶入れるから。そこ座ってて」

「うん……」


 カウンター席に腰かけると、なんとなく昔のことが思い出されてくる。

 ここで過ごしていた、昔のこと。


「ねえ。よくおやつの時間にさ、先生がいろんなお菓子とか飲み物を……ふるまってくれたよね? わたし、それがホントに大好きでさ。覚えてる?」


 先生の手作りのおやつ。

 もう一度食べてみたいと思うけれど、もうそれが叶うことはない。だって先生はもう、十年前に亡くなって――。


「はい、どうぞ」

「え?」


 見るといつのまにか目の前に白いチーズケーキと、湯気の立つあたたかい紅茶が置かれていた。

 わたしは思わず目をしばたたく。


「こ、これ……」

「母さん直伝のケーキ。それと、昔と同じ銘柄の紅茶。良かったら、一緒に食べてみて」


 わたしは胸がいっぱいになった。

 なんで。どうして今これが、ここで出てくるの。


「青司、くん……」

「俺さ、昔母さんがここでやってたみたいなこと、したくなって。絵とおやつとみんなの笑顔……それに囲まれたいなって思って。それで、ここに戻ってきたんだ」


 青司くんは、そう言ってふわっと笑う。

 その笑顔はとても優しくて。


「だから、ここでアトリエ兼、喫茶店を開こうと思ってる。良かったら手伝ってくれないか、真白」

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