06「これは彼女の言いなりになっているわけではない」
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母は紅茶を淹れるのが苦手だ。我が家では、お茶を淹れるのは父の役割だった。
二人分の紅茶を淹れると、父は深く息をついた。
『授業に身が入らないのは、いただけないかな。このままでは、母さんの言う通り、婚約を解消してもらわないといけないね』
『……ごめんなさい。でも、こんやくのかいしょうはいやだ』
俺が悪いのは百も承知だ。でも、婚約解消は嫌に決まってる。
『なるほど。それなら、どうしたら良いと思う?』
『……がんばる』
『頑張る、だけじゃどうにもならないから、今こうなっているのはわかるかな』
『……』
黙り込んだ俺を見て目を細めると、父はテーブルに視線を落とした。
『……悪いのはレックスだけではないよ。僕たちにも反省点はある。
遊ぶ時間をほとんどなくしてしまったのは確かにやり過ぎた。短期決戦ならまだなんとかなったかもしれないけど、これは長期戦だからね。ずっと気持ちを保たせるのは難しい。
それを根性でやり遂げてしまうのがエナシアだ。……でも、君はエナシアの息子であっても、エナシアではない』
母の八割は根性でできていると思っている。今でも。
『……うん』
『まずは、遊ぶ時間を少し増やそう。ただ気をつけて欲しいのは、ジョセフィーヌ嬢との婚約に関わること、勉強に苦労していることは友達に話さない。これはできそう?』
『がんば……ううん、できる。やる』
『うん。あとは、勉強した内容を整理して僕に教えて欲しい。教わったその日か、次の日までに。
まずは政治と経済から始めて、慣れたら他の科目もやろう』
『?なんで?』
『僕が教わった内容と、最新の内容が違ったりするんだ。研究は日々、進んでいるからね。
頼んだよ、レックス先生』
先生。
チョロい俺は、先生というその響きでまんまとその気にさせられた。
父はこうやって人を乗せるのが本当にうまかった。
父と母がそれぞれ飴と鞭を担う、絶妙な夫婦なのだ。
『わかった!』
『うん、よろしく頼むよ。
集中できなかった分の授業は、記録があるはずだから、まずそれで復習すること。その内容を僕に教えてね』
『はあい』
『あとは、母さんと、ジョセフィーヌ嬢への謝罪だ』
『……う』
『母さんは寝不足もあったから、しっかり寝てもらおう。寝不足は本当に良くないんだ。
君が勉強をしないなら、ベッドに置いてる睡眠改善の魔道具を僕らの部屋のものと入れ替えたいなぁ……』
『それはダメ!!』
だってジョセフィーヌとお揃いなんだもん!!
『じゃあ、勉強を頑張ろう』
『……はい』
『母さんには、明日の朝ちゃんと謝ること。ジョセフィーヌ嬢にはしばらく一人で授業を受けてもらおう。次のお茶はいつだい?』
『……さらいしゅう』
『再来週か。じゃあその時に心を込めて謝れるようにしておこう。
だけどもし、婚約を解消したいと言われたら、その時は無条件で受けるよ。そういう約束だからね』
『……うう、いやだ……』
涙が込み上げてくる。
『嫌だね。わかるよ。
けれど、ジョセフィーヌ嬢も授業に集中できなくて嫌な思いをしたんじゃないか?』
そうだ。何度もジョセフィーヌに次は気を付けて欲しいと言われていた。
でも、この時の俺にはそれができなかったのだ。
『そう、です』
『うん。四回もそんな気持ちにさせてしまったのは、レックスの落ち度だ。わかるね?』
『はい』
『この婚約に関する決定権はジョセフィーヌ嬢にある。僕たちも、彼女の意思に反することはしない。
これは彼女の言いなりになっているわけではない。君たちの契約を最大限に尊重しようと僕たち大人が四人で話し合って決めたことだ。
だから、契約内容の変更だって、君たちが同意すればできる』
『……ええっと父さん、言ってることがなんとなくしかわからない』
『続けるのもやめるのも、ジョセフィーヌ嬢はいつでも決められる。レックスは更改のお茶会の席でだけ決められる。これはわかるね?』
『うん』
『いつでもひっくり返せる分、ジョセフィーヌ嬢の方が有利な内容であることは確かだ。レックスがそれでも良いと言ったからね。
だけど、たとえば更改のお茶会で、レックスも好きな時に解消を申し出られるようにしたいと言って、ジョセフィーヌ嬢がそれを了承したら、どちらも同じ条件に立てる』
『……それはわかった。でも、たぶんしない』
『どうしてだい?』
『ジョセフィーヌはおれを幸せな気持ちにしてくれるけど、おれはたぶんジョセフィーヌにとって幸せな気分になれるやつじゃない』
俺が強く望んで……というか泣き落として結んでもらった婚約だ。
俺は嬉しいけれど、ジョセフィーヌにとって俺は、彼女の母の友人の息子。
たまたま婚約者になっただけのやつだ。だけど。
『……もし、もしなれたら、する、かも?』
『うん、君がそれで良いなら、良いと思うよ』
『はい』
『じゃあまずは、作戦を立てよう』
『……作戦?』
『ジョセフィーヌ嬢に次に会うのは二週間後だ。だけど、その前にレックスの気持ちを伝えちゃいけないなんて決まりはないからね。
レックス、君の一番の武器は、悪いことをしたらちゃんと謝れる、その素直さ、まっすぐさだ。
その武器はどんどん使っていこう』
そして、父と立てた作戦を実行すべく、俺は夜遅くまで机に向かった。
***
『母さん、昨日はごめんなさい』
翌日、ダイニングで。
先に朝食のために席についていた母に、俺は真っ先に頭を下げた。
『……どうすることにしたの?』
『おれが先生になる!』
『どういうこと?』
『勉強した内容を僕が教わることにしたんだ。いいアイディアだろう?』
父が助け舟を出してくれた。
『なるほど。まあ良いでしょう。ジョセフィーヌちゃんにはどうするの?』
『それなんだけど……母さんにおねがいがあるんだ』
『……聞きましょう』
『次に会う日まで、毎日……は、むずかしいかもしれないけど、できるだけ手紙を出したいんだ。その時、庭のお花をいっしょにおくりたいんと思うんだ。切っても、いい?』
母は祖母が大切に育ててきた庭を、同じくらい大切に守ってきた。
母がチラリと父を見た。
父はにこにこと笑っている。
『良いでしょう。ただし切る時は必ず普段庭の世話をしている誰かに立ち会ってもらってちょうだい。トムじいが来ている時はトムじいに。適当に切ってしまうと、その後の生育に差し支えることがあるから』
トムじいは庭師だ。週に二、三回来てくれる。
『ありがとう!トムじいに聞いてみる!』
『……バラは花を選んだら、切るところから棘の処理まで大人に任せること。良いわね?』
『わかった!』
『……昨日は私もイライラしていて悪かったわ。ごめんなさい、レックス』
『ううん、おれが悪かったんだ。母さん、ごめんなさい。おれ、ジョセフィーヌとこんやくかいしょうしたくないから、がんばる』




