02「簡単ではないけれど、不可能ではない」
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『レックス』
婚約を結んでもらったその日。邸に帰って早々に俺は父の執務室に呼び出された。
そこには、執務机に向かう父の傍に、分厚い本を持った母がいた。
俺の母は、努力の淑女と呼ばれるエナシア=サビニエル侯爵夫人。
子爵家の庶子でありながら、懸命に努力を重ねて侯爵夫人の座を掴み取った、文字通りの努力の人だ。
しかしガキの頃の俺は、ある程度のことは卒なくこなせた。
そんな努力とは無縁だと思っていた。
『父上、母上。ジョセフィーヌじょうとのこんやく、本当にありがとうございました。
おれ、がんばります』
俺の言葉を聞いて、母がため息をついた。
『頑張る、ね。具体的に何を頑張るの?レックス』
何を?言葉に気をつければ大丈夫なんじゃないのか?
『えっと、かわいいと思っているのにブスなんて言わないように気をつけます』
母のため息が、ひときわ深くなった。
『……それだけで済むと思っているの?』
『??ダメなんですか?』
『ハッキリ言うわ。今のレックスでは一年経たずに婚約解消よ』
『えええっ!!?』
なんで!!?
『さっきも聞いたでしょう?ジョセフィーヌちゃんに来ている縁談はうちだけではなかったの。
あなたの叔父にあたるクソ野郎のやらかしで、我が家はまだ賠償金を王家や関わった家に支払っている最中。崖っぷちの家よ。
ジョセフィーヌちゃんのところに縁談を持ちかけている家のほとんどが、うちよりも健全で、ジョセフィーヌちゃんを守ることができる力を持っている。……言いたいことはわかる?』
母がクソ野郎と呼ぶ叔父は、元々母の婚約者だった。
なんでも、否応なしに人を惹きつけてしまう特殊体質で、惹きつけられなかった母に興味を示し、無理やり婚約を結んだらしい。
その後、王家の夜会で盛大にやらかし、研究施設送りになったと聞いている。
弟のやらかしのせいで婚約が解消になった父と、勉強を重ねるうちに高位貴族だからできることをやりたくなった母が結婚することになった、というのが両親の馴れ初めである。
……そんな始まり方の夫婦だが、父の方が母を好いているように見える。
叔父が今も生きているかは、わからないらしい。
とにかく、そんな叔父のせいで、うちは侯爵家にもかかわらず、最低限侯爵家としての体裁を保てるギリギリの経営状態だった。
『ええと……うちは、あんまりよくない』
俺の答えを聞いて、母は小さくため息をついた。
『……まあ良いでしょう。
つまり、うちがこのままでは、ジョセフィーヌちゃんに何かあった時に守れない。
そして、うちが弱いままでは、もっと強い家にジョセフィーヌちゃんを取られる可能性がある』
取られる!?
『!!!やだあ……』
じわりと涙が滲んだ。
『嫌よね。私も嫌だわ。
あなたと同じかそれ以上に、私もジョセフィーヌちゃんを気に入っています。是非ともお嫁に来て欲しい。
でもそのためには、我が家も力を取り戻さなくてはならないし、何よりあなたが力をつけて、ジョセフィーヌちゃんに嫁ぐ価値がある男だと思ってもらわなくてはいけないの』
嫁ぐ、価値。
そう言われてもまだ子どもの俺にはピンと来なかった。
『……何をすればいいの?』
『勉強の時間を倍にします』
母が即答する。
『倍!!?』
母の言葉に父が続けた。
『剣術の鍛錬の時間も増やそう。あとは僕とボードゲームをする時間も、かな。勉強だけじゃない、なるべく多くの角度で「負けない」ようにならなくちゃいけない』
『負けない……』
じっと黙り込んだ俺に、母が言葉をかけた。
『全てに勝たなくてもいいの。あるところでは負けてしまうこともあるわ。でも負け越してはだめ。
……難しいことを言っているのは承知の上よ。覚えておいて、今日からレックスにとって負けるということは「ジョセフィーヌちゃんが婚約者ではなくなる」ことよ』
婚約者じゃなくなる!?
せっかく婚約してもらったのに!?
『……やだあああ』
涙がこぼれるギリギリまで込み上げてくる。
『嫌よね。
良い?レックス。
あなたがジョセフィーヌちゃんと婚約できたことは、運が良かったの。私がセラフィーヌと仲が良かったから。つまりあなたの力ではない。
でもここからは、あなたの力でこの運を手繰り寄せ続けることが不可欠なの。言っていること、わかる?』
よくわからない。
でも、今のままではダメだということは七歳の自分にもわかった。
『……やだああああ』
『泣くな!』
母の大声にびくんと身を硬くした。
『泣いた瞬間、ジョセフィーヌちゃんは他の男のものになると思え!!』
嫌だ。そんなの絶対に、嫌だ。
あの子は俺の「こんやくしゃ」になったんだ。
他のやつに取られてなるものか。
『……』
服の袖でぐじぐじと顔の涙を拭く。
俺の様子を見て、母が肩をすくめて父と顔を見合わせた。
『……とはいえ、私たちの前では泣いてもいいわ。弱音も吐きなさい。
大人にもそういう場所があるのよ』
『……そうなの?』
『ええ』
『父さんにも?』
父は母を見て、小さく笑って見せた。
『そうだね、あるかな』
『ただ、これはあなたの戦いであり我が家の戦いでもあるから、私とグレイリオ様の前でだけにしてね。
友達にこぼすと、そこから大人たちに知られて足元を掬われる可能性があるわ。できそう?』
『……うん。やる』
この時の俺は意味をよくわかっていなかったが、ジョセフィーヌに関しては友達も敵なのだということだけはしっかり理解していた。
やらなきゃ、ジョセフィーヌが他のやつに取られてしまう。
それなら、やるしかない。
『ジョセフィーヌちゃんのためにやることだけれど、ちゃんとあなたのためにもなるわ。あの子をダシに使って悪いんだけど』
『……ダシ??』
首をかしげた俺を見て、父がクスッと笑った。
そこに母が咳払いをして、父の表情が無になる。
『こっちの話。
とにかく、あなたにやる以外の選択肢はありません。簡単ではないけれど、不可能ではないわ。
私もグレイリオ様も一緒に戦います。……やるからには、勝つわよ』
この時は、勝つという意味がよくわからなかった。
でも、母は思い通りにいかないことはたくさんあることをしっかり理解した上で、それでも思い通りにいかないことが嫌いな人だ。
その母が勝つのだと言うなら、それは絶対なのだ。
『……はい、母さん』
「簡単ではないけれど、不可能ではない」
こちら、某ボーイズグループの歌詞からいただいています。まぜべや、おすすめです(笑)




