第47話『天つ風を味方にして』
第47話です。
カエサルは“テレポ”が貼られている投げナイフを投擲した。それと同時に詠唱を始める。
一方、パウンド・ウルフは投擲を匂いで捉え、通常と変わらず回避行動を取ろうとする。同時に呼吸が乱れた相手が詠唱に入ったと警戒を強めた。
――『真似筋』はもう使えねえな……。目と耳が駄目になったなら操作難易度は倍以上。本体(俺)にまで被害が被る。なら、2倍精神を使えばいいだけだ……。
カエサルは詠唱を留めない。パウンド・ウルフが触れない距離を維持しながら虎視眈々と好機を狙い続けている。
「“テレポ”!!」
詠唱は聞こえないが、パウンド・ウルフの予想通り、カエサルの匂いは投げナイフの位置へ移った。目と耳が使えない故に酷使した鼻はその変化を0.1秒以内に捉えた。
「そこだろぉ!!」
確かに、パウンド・ウルフの脚は匂いの塊を貫通した。ドチュッ……と音を立てたそれからは血が滴る。しかし、残っていた触感が貫いたものが肉ではないことを知らせる。
――軽い……あまりにも軽すぎる?? 何を蹴った?? これはヤツではないのか!?
“テレポ”により飛ばされたものはカエサルが羽織っていたマントそのものである。
カエサルはパウンド・ウルフが来るまでの間に2つの準備をしていた。一つは“スピーカン”に“リライト”の詠唱を録音させることだ。
もう一つは止血時に、自身の血をマントに染み込ませることだ。
“リライト”の目的は目と耳を奪うこと。血を染み込ませたマントの目的は――
――奴が二人いるだとっ!?
「――待っていたっ!!――」
すかさず、カエサルは体を低くし滑り込むようにパウンド・ウルフに近づいていた。
パウンド・ウルフからすれば貫いたそれは相手の匂いがするものであり、近づいてくるそれも相手の匂いであった。
いくらパウンド・ウルフでも既に放った一撃は戻せない。その刹那だけが、カエサルの勝機だった。
勢いを殺さず滑り込んだカエサルの直剣はパウンド・ウルフの横腹を微かに斬り上げる。
この戦闘で初めて、痛みがパウンド・ウルフの身体に刻まれた。その痛みだけが、近づいたもう一つの匂いを本物であることを裏付けていた。
「ぐぬぅ……やるなぁ……だが、浅い。功を急ぎすぎたか? この傷では致命傷にすらならない……」
痩せ我慢とも取れる発言だが、パウンド・ウルフには“倒れない”という自信からくる根拠があった。その痩せ我慢をカエサルも本気では受け取っていないが、致命傷には至らなかったことを太刀筋で理解している。
――必要なのは確実に戦闘不能まで貶める“決定打”だ。今の私に足りなかったのは“火力”ではない“準備”だ。奴を負傷させるまでいかなくてもいい。戦いの舞台から降ろせばいい。
そして準備は既に整っている!!
パウンド・ウルフが嗅覚じたのは3つの反応だ。一つはカエサルが投げた“魔法具”が張られた投げナイフ。もう一つは転移したことにより、存在感を出し続けている何か。そして、最奥で直剣を天高く掲げている相手の匂いであると断定しているものだ。
――この中で一番ヤバいのはナイフだ。こいつに注意しなければ何かと転移されて居場所をシャッフルされる。それだけはまずい。先ほど攻撃してきた奴の匂いに示しを付けたが、転移を繰り返されれば分からなくなる。
依然、パウンド・ウルフは鼻で周囲を観測している。カエサルが出している匂いは普遍的なものではない。しかし、それ故に消えてしまう場合があった。
――それにこの場は奴の血の匂いが濃すぎる。奴の匂いに紛れ始めてやがる。目と耳が治る前に匂いが混ざり合えば終わりだ。
パウンド・ウルフの決断は早かった。
――匂いが混ざる……なら……先手必勝だ!!
パウンド・ウルフはカエサルの元へ一直線に動き始めた。姿勢を低くし細心の注意をはらいながら威圧するかのように「ヴラララァァァ!!」と駆ける。常に周囲を警戒する姿勢は獲物を捕らえる前の肉食獣のようだ。
「だろうな。貴様はそうすると思っていた……“テレポ”!!」
カエサルの位置は入れ替わる。
――予想通りだ。転移を使いやがったなぁ!! 入れ替わったのはナイフじゃねえ。俺か匂いを嗅ぎつけれなかった何かだ。だが、危惧するべきものじゃねえ!! これ自体に何か危険性があるような匂いはしない!! 今はヤツに!!
何かが割れた。
膨らんだものが破裂したかのようだ。何かが飛び散る。それは目前にいたパウンド・ウルフにも付着した。
――何だ!? これは?? 水?? いやそれよりも何が起きた?? 突然何かが消えて、匂いが爆発した??? 理解ができねぇ!?
パウンド・ウルフからすれば、何もない空間から突然、大量の匂いが鼻を覆ったのだ。それは自らの嗅覚を塞ぐほどのものであった。赤い水は猟犬の嗅覚に大きな穴を作ったのだ。
――クソ!! これは血かよ!! 何かしらの手段で血を皮の袋に入れて、それを破裂させた。わけがわからない匂いの正体は獣の皮か!? 俺の匂いと混合していたからわかりにくくかった!! ちくしょう!! ちくしょう!!
悔やむ間もなく、そのときは訪れた。風が血によって塞がれた嗅覚を開かせたのだ。血の匂いが吹き飛ぶ。カエサルから吹いている豪風はカエサルの匂いを常に運びながら、血を壁に叩きつけるほどであった。
――何だよ!? これは!? 匂いが……風の匂いがでかすぎるだろッ!!? 回避は不可能?? 周囲の状況が何もわからねえ!! 奴以外の匂いが何もわからねえ!!
何も見えず聞こえないパウンド・ウルフが見たものは巨大なカエサルである。これは誇張でもなければ比喩でもない。彼にはそのように嗅覚えたのだ。
「風よ……天つ風よ……我らを守りし風よ!! その恩寵を私に授け給え!! これは大切なものを『守るため』の決戦だ!! 『天鳳』!!」
カエサルの剣先から伸びていた風の刃は10メートルを軽々と超えていた。
カエサル・グリス・ロクサーヌの“権能”『風切りの刃』は自らの領域(領地)でのみ効果を発動し始める。風を呼びかけることで纏い、射程と貫通力を底上げさせる“権能”だ。この場はカエサルの領域ではなかった。
しかし――
――風は私の血を私自身と認識した。故に、私の血でこの場を埋め尽くすことで、擬似的な領地を風に誤認させることにした……。成功するかは五分……いや二分以下だった。……こんな無茶な作戦をするなんて私らしくないな……。
カエサルが直剣を振り下ろすほどに風は竜巻のように周囲のものを巻き込みながら落ちてゆく。パウンド・ウルフにはその風の動きだけがしっかりと見えていた。
――フフ……君のせいだぞ……マコト。
マコト……君が私の世界を変えてしまったのだ……。責任は後で取ってもらうことにしよう
カエサルの風がすべてを飲み込――
「待て!! 降参だ!! 俺の負けだ!! お前には逆らわない!! お前の仲間にも手を出さない!!」
その声を聞き、カエサルは直剣をその場でピタリと留めた。風を霧散させその言葉を放った相手を見た。
パウンド・ウルフは腹を見せていた。動物がお腹を見せて降伏を教えるように、獣人も腹を見せることにより自身の降伏を相手に宣言する。
この行為は獣人の誇りを捨てて、屈服することと同義である。そのため、完全に敵意がないことの証明だ。何よりもそれをカエサルが疑うことはなかった。
「……私も無抵抗の敵を斬るのは遠慮したい。この場は貴殿の行為で治めるとしよう……では……マコトのもとに……ぐぅぅっ……」
カエサルは満身創痍であった。度重なる出血に止血以前に血が流出しすぎたのだ。これ以上の戦闘は身体がついていかない。
――くっ……悔しいが……やむなしか……。すまないな……。マコト、私はここまでのようだ。
カエサル・グリス・ロクサーヌ
“テレポ”により戦線を離脱
パウンド・ウルフ
カエサルへ全面的な降伏
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「始めましょうか……ティーチさん!!」
「貴様だけか? ゲンマ・エピタイン……」
“テレポ”は詠唱してますが、パウンド・ウルフには聞こえてないので、描写はしていません。




