最強の助っ人
「あ、視聴者さん!ずっと見ててくれてありがとうございます。えっと、水源も確保できたんで、次はここを耕して畑を作ろうと思うんですよ。ヤスさんも『自給自足は男のロマン』って言ってましたしね」
S級ダンジョンの最深部。致死量の瘴気が渦巻くはずのその場所で、高坂紬は呑気にスマートフォンに向かって語りかけていた。
画面の向こう側――JSA本部の戦略指令室では、防衛局長の葛城をはじめとする政府の要人たちが、胃薬を片手にその狂気のライブ配信を血走った目で見つめ続けている。
「……あいつ、今度はS級の岩盤を耕して畑を作る気か……?神話の霊薬を農業用水に使う気じゃないだろうな……」
葛城の呟きに、誰も答えることはできない。 三十年前に世界各地でダンジョンが突如出現して以来、S級と認定されたダンジョンは過去に数えるほどしか観測されていない。
しかし、そのどれもが人類に致命的な被害をもたらしてきた。あるものは自然消滅するまで周辺の都市を食い尽くし、あるものは島を丸ごとモンスターの巣窟に変え、現在に至るまで奪還できていない。そんな人類の絶望の象徴であるS級ダンジョンが、今、ジャージ姿の青年の手によって『家庭菜園の予定地』へと姿を変えようとしているのだ。
『でも、この地面、やたらと硬くて。百均のスコップじゃちょっとキツいんですよね。……ん?』
画面の中の高坂が、ふとカメラの外に視線を向けた。そして、パッと明るい声を上げる。
『おっ! こんにちはー! もしかして、外で寝てるコスプレイヤーさんたちのお仲間ですか?』
その言葉に、指令室のオペレーターが悲鳴を上げた。
「き、局長! 配信の画面端に映り込んでいる影……あれは、冠位室の氷室さんたちです!国家最高戦力が、ついに現場に到着しました!」 「なんだと!?マズい、氷室たちは相手が『S級をペットにする異常存在』だと知らないぞ!もし彼女たちが攻撃を仕掛けでもしたら、日本が消し飛ぶぞ!!」
葛城はインカムに向かって絶叫したが、S級の瘴気による強力な電波障害のせいで、JSA側からの通信は氷室たちに一切届いていなかった。
(※高坂のスマホだけが、【地主】スキルの恩恵で謎の超高速通信を維持している状態である)。
◆ ◆ ◆
「……な、なんなの……この空間は……」
一方、現場に到着した『氷の女帝』ことS級攻略者の氷室玲奈は、透き通るような銀髪を戦慄に逆立たせ、美貌を恐怖で引き攣らせていた。 背後に控える二人のS級攻略者も、武器を構えたまま石像のように固まっている。
入り口の『百均のトラロープ』を潜り抜けた瞬間、彼女たちを押し潰そうとしていたS級の瘴気は嘘のように消え去った。 そして辿り着いた最深部で見たものは、過去のどの文献にも載っていない悪夢のような光景だったのだ。
青白く発光する泉。あれはどう見ても、一口で瀕死の重傷を治す伝説の秘薬『世界樹の霊薬』の源泉だ。 その傍らで腹を見せて寝転がっている黒い子熊。あれは間違いなく、三十年前に一度観測されたとされるデータに記録された歩く自然災害【星喰いの大羆】と全く同じ特長である。
(やや小さい気がするが)
そして何より恐ろしいのは、片手に百均のスコップを持ち、もう片方の手で『謎の黒い板』に向かって独り言を呟いているジャージの男。 氷室の持つS級の『魔力眼』をもってしても、男からは一切の魔力が感じられない。それはつまり、男が魔力を持たない一般人であるはずがなく――『氷室たちS級攻略者ですら感知できない次元にいる上位の存在』であることを示していた。
「あの、道に迷っちゃいました?こんな山奥まで大変だったでしょ。重そうな衣装着て、喉渇いてません?」
得体の知れない神(高坂)が、人懐っこい笑顔で近づいてくる。 氷室たちは後ずさろうとしたが、圧倒的な存在感を前に足がすくんで一歩も動けない。 高坂は紙コップに、先ほど湧き出したばかりの『世界樹の霊薬』を無造作に汲むと、氷室の前に差し出した。
「沸かしてない生水なんで、お腹壊したらごめんなさいね。でも、冷たくて美味しいですよ」
神話級の秘薬を、百均の紙コップになみなみと注いで差し出された氷室は、震える両手でそれを受け取った。
(……これを飲めというの……?ダンジョンで湧いた得体の知れない水なんで飲んだら……。でも、ここで拒否すれば、機嫌を損ねて殺される……ッ!)
氷室は決死の覚悟で目を閉じ、紙コップの水を一気に飲み干した。
「……ぁ……っ」
その瞬間。氷室の体内に蓄積されていた攻略による精神的摩耗や古傷が一瞬にして完全に浄化され、彼女の持つ魔力の最大値が爆発的に跳ね上がった。体が弾け飛ぶどころか力が細胞の隅々まで満ち溢れていく。
(……凄まじい。これが、上位存在の施し……!)
「どうです?美味しいでしょ。あ、そうだ。せっかくお隣さん……っていうか、近所まで来たんですし、もしよかったらうちの畑仕事、手伝っていきません?」
「は、畑仕事……?」
「ええ。そこにネギを植えたいんですけど、スコップ一本じゃ腰が痛くて。お姉さんが持ってるその『デカい氷の剣』とか、お兄さんたちの持ってる『ごつい槍』とか、土を耕すのにちょうど良さそうだなーって」
高坂は、国家予算をつぎ込んで作られた国宝級のS級アーティファクトたちを指差して、屈託のない笑顔を見せた。 氷室玲奈は、日本最強の攻略者としてのプライドを、あっさりと捨て去る決断をした。
逆らえば日本が滅ぶ。ならば、この絶対的な存在に従うしかない。
「……喜んで、お手伝いさせていただきます。主」
「えっ?マスター?いや、高坂でいいですよ。じゃあ早速、カメラに映らないように横の方の土を耕してもらっていいですか?」
◆ ◆ ◆
数分後。JSAの戦略指令室では、静まり返った空間に、高坂の呑気な声だけが響いていた。
『いやー、視聴者さん! 見てくださいよこれ!』
画面が切り替わると、そこには、数分前までガチガチの岩盤だったはずの地面が、見事なまでにフカフカの黒土に耕され、美しい畝が真っ直ぐに作られている光景が広がっていた。
『親切なコスプレイヤーさんたちが手伝ってくれて、あっという間にネギの畑ができちゃいました!あ、顔出しはNGらしいんで映しませんけど、氷の剣で土を砕いてくれるスキル、マジで農作業に向いてますよ!』
カメラのフレーム外からは、「はぁっ! はぁっ! 絶対零度・氷華乱舞ッ!!」
「砕け散れェ!S級土魔法・大地崩落!!」という、人類最高峰の必殺技を『土木作業』に全力でぶち込んでいる冠位室メンバーたちの悲痛な叫び声が聞こえてくる。
「……氷室たちが……俺たちの氷室たちが、ネギの苗を植えるために必殺技を連発している……」
最高顧問の一人が、魂が抜けたような声で呟いた。葛城は顔を覆い、もはや涙すら出ない乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「……おい、コメントを打て。『畑の完成、おめでとうございます。素晴らしい畝ですね』とな……」




