ブルーシート
三十年前、地球という星に『ダンジョン』という名の過酷な試練を与えた創造神、ケンさん(※高坂からの呼称)。
彼が天の御座を放棄し、ツムギ村で「住み込みの村役場職員」として温泉とコーヒー牛乳を満喫し始めてから数日が経過した。
地球上の全ダンジョンから凶悪なモンスターの気配が消え去り、代わりに温泉やマッサージチェアが湧き出すという『超常的平和』を享受していた人類だったが――その安寧は、唐突に終わりを告げた。
「……空が、割れる……!?」
JSA本部の戦略指令室で、防衛局長の葛城が窓の外を見上げて絶望の声を漏らした。
西東京市の上空のみならず、地球上のあらゆる空に、まるで巨大な黄金のヒビが入ったかのような恐るべき亀裂が走っていた。
亀裂の奥から溢れ出すのは、人類の魔力測定器では計測不能な、純度百パーセントの神威。
それは、地球という小さな箱庭を遥かに凌駕する、広大な宇宙の真理そのものだった。
◆ ◆ ◆
『ア、アアァァァッ……!来テシマッタ……!星界ノ調停神様ガ……!!』
ツムギ村の縁側で、ほうじ茶をすすっていたケンさんが、空を見上げてガタガタと震え出した。
彼が着ている1980円のジャージが、恐怖で波打つように発光している。
『どうしたんですかケンさん。急に空が金ピカに光り出しましたけど、あれもダンジョンの影響ですか?』
高坂紬は、干していたシイタケのザルを取り込みながら呑気に首を傾げた。
『違ウ、ツムギヨ……!我ハ地球ノ試練ヲ管理スベキ『天ノ御座』ヲ放棄シテ、コノ村デ温泉ニ入ッテイタ……!ソノ怠慢ガ、天界ノ最高神サマ達ニ知レ渡ッテシマッタノダ!』
ケンさんの悲痛な叫びと共に、黄金の亀裂がパリンッ!と砕け散った。 空の彼方から現れたのは、六対の輝く翼を持ち、太陽のように巨大な光輪を背負った、三柱の超常的な巨人たち――【星界の調停神】であった。
彼らは、宇宙の理から外れた世界を浄化し、無へと還すための絶対的な執行者である。
『――地球ノ管理神ヨ。天ノ御座ヲ空ケ、下等生物ト戯レルソノ堕落。星ノ摂理ニ対スル、万死ニ値スル叛逆デアル』
神々の荘厳な声が、直接世界中の人々の脳内に響き渡った。
恐怖に震え上がるアーサーや氷室たちを背に、ケンさんは土下座の姿勢で地面に額を擦りつけた。
『モ、申シ訳ゴザイマセン!シカシ、コノ村ノ大根ト温泉ハ、宇宙ノ真理ヲモ凌駕スル極上ノ……!』
『――問答無用。穢レタ箱庭ハ、創世ノ劫火ニヨッテ浄化シ、新タナ星トシテ創リ直ス』
調停神の一柱が、天高く右手を振り上げた。 その掌に集束するのは、世界中の海を一瞬で蒸発させ、大地を融解させる神罰の極大魔法【創世の流星群】。
何万発という致死の流星が、西多摩を中心とした日本列島めがけて、圧倒的な破壊の雨となって降り注ごうとしていた。
人類の歴史が、今度こそ本当に終わる。
誰もがそう悟り、絶望の涙を流した、その時だった。
『……ケンさん』
高坂紬が、スッと目を細め、静かな声で言った。
『あの空で怒ってるデカい人たち、もしかして……ケンさんの「県庁の上司」ですか?』
『え? ア、ハイ……。宇宙トイウ組織ニオケル、我ノ直属ノ上官デアリマスガ……』
『やっぱり!ケンさんが仕事(保健所の立ち入り検査)を放り出して、うちの旅館で三日もサボってるから、とうとう本庁の上の人がブチギレて監査にやってきたんだ!』
『…………ハ?』
ケンさんの神々しい顔が、ぽかんと間の抜けたものになった。
高坂の元・社畜としてのトラウマと倫理観が、目の前の神話的な絶望を「職務怠慢の部下を追ってブチギレた本庁の監査官」という、超絶ローカルな公務員の不祥事へと強引に書き換えてしまったのである。
『マズいですよ!あんなに顔真っ赤にして怒り狂って!しかも、なんかいっぱい物を投げてきてるじゃないですか!ああもう、せっかく育てたトマトが潰れちゃう!!』
上空から降り注ぐ【創世の流星群】。
一発一発が街を消し飛ばす神罰の雨を、高坂は「上司が怒って投げ落としてきたモノ(八つ当たり)」だと解釈した。
『しずくちゃん、陸くん!裏の納屋から「アレ」を持ってきて!』 「は、はいっ、ツムギさん!」
高坂の指示で陸たちが運んできたのは、ホームセンターの園芸コーナーで一枚五百円で売られていた、巨大な『ブルーシート(厚手タイプ)』だった。
『トマトとキャベツの畝に被せるぞ!トカゲくん、風で飛ばないように四隅にブロック石を置いて!』
『キュルゥン!(意訳:承知いたしました、支配人!)』
終焉の古竜が素早い動きでブルーシートの四隅に重しを乗せた直後。 神々が放った数万発の【創世の流星群】が、ツムギ村めがけて着弾した。
――ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
天地を揺るがす轟音。
西多摩の山林が、いや、日本そのものが地図から消滅したかと、世界中の誰もが目を閉じた。
しかし。 轟音の後に響いたのは、なんとも間の抜けた音だった。
ポヨンッ。ポポヨンッ。
「……え?」
JSAのモニターを見ていた葛城が、素頓狂な声を上げた。
ツムギ村の畑を覆い隠した、鮮やかな青色のブルーシート。
神の怒りであるはずの流星群は、そのブルーシートに直撃した瞬間、まるでトランポリンに落ちたスーパーボールのように「ポヨンッ」と軽快に弾き返され、宇宙の彼方へとバラバラに飛んでいってしまったのだ。
『何ィッ!?我ラガ神罰ノ流星ガ、アノ青キ膜ニ触レタ瞬間、存在ゴト反射サレタダト!?』 空に浮かぶ星界の調停神たちが、驚愕に目を見開いた。
高坂の【地主】スキル。それは「自身の財産(農作物)を理不尽な暴力から守る」という点において、宇宙の摂理すら凌駕する絶対防衛の加護を発揮する。
彼が「雨風(流星)をしのぐためにブルーシートを被せた」と認識した時点で、その五百円のビニールシートは、神の魔法すら通さない【世界樹の天蓋(絶対不可侵障壁)】へと昇華されていたのである。
『ふぅ、危ない危ない。これでトマトは守れたな』
高坂はポンポンと手を叩き、額の汗を拭った。
『それにしても、ケンさんの上司、いくら怒ってるからって他人の畑に物を投げ込むなんてマナーが悪すぎるぞ!』
高坂はズカズカと庭の中央に出ると、これまた百円ショップで買ってきた『プラスチックの拡声器(電池式)』のスイッチをカチッと入れた。
『あー、あー!マイクテス、マイクテス!』
ピーッ!というハウリング音が、神々の鼓膜(という概念)を劈いた。
『そこの上空で怒ってる、本庁の偉い人ー!!』
拡声器を通した高坂のダミ声が、西東京市の上空にビリビリと響き渡る。
『ケンさんが仕事をサボったのは、うちの温泉が気持ちよすぎたからです!俺が無理に引き留めたようなもんなんで、怒るなら俺に言ってください!そんな空の上から物を投げてないで、玄関から降りてきて、お茶でも飲みながら落ち着いて話しましょうよ!!』
「ぼ、ボス・ツムギ……!アノ宇宙ノ破壊神ニ向カッテ、お茶会ノ勧誘ヲ……!?」
アーサーが白目を剥いて卒倒しかける。
『――愚カナ人間ヨ。我ラ調停神ヲ、下界ノ茶会ニ招クナドトイウ不敬。ソノ魂ゴト、深淵ニ消エルガ良イ!』
調停神の一柱が激怒し、さらなる神威を練り上げようとした。
だが、その横にいたもう一柱の神が、スッと手を挙げてそれを制止した。
『待テ。アノ男ノ背後……畑ヲ覆ウ青キ膜ヲ見ヨ。我ラノ神罰ヲ無傷デ弾キ返スホドノ、神話級ノ防護結界。ソシテ、アノ男カラ放タレル、宇宙ノ理スラ捻ジ曲ゲル圧倒的ナ「地主ノ覇気」……』
調停神たちの顔色(神気)が、サーッと青ざめた。
『マサカ……アノ男コソガ、コノ宇宙ノ外側カラヤッテキタ、真ノ【上位神】ダトデモ言ウノカ……!? ダトスレバ、我ラノ神罰ナド、彼ニトッテハ児戯ニ等シイ!』
調停神たちは、高坂が振るう百均グッズのデタラメな威力と、全く怯まない態度から、「自分たちよりも遥かに格上の存在が、人間のフリをして地球に隠れ住んでいる」と完全に勘違いしてしまった。
『降リヨウ。我ラモマタ、アノ男ノ不興ヲ買エバ、概念ゴト消去サレル恐レガアル』
先ほどまでの荘厳な威圧感はどこへやら。
三柱の星界の調停神たちは、スーッと空から舞い降りると、光を抑えて『背広を着たサラリーマン風の三人組』の姿へと擬態し、ツムギ村のトラロープの前で大人しく靴を揃えて待機した。
『おお、降りてきてくれましたね!いらっしゃいませー!』
高坂は拡声器を下ろし、ニコニコと笑顔で出迎えた。
『ケンさん、ほら、上司の人たちにお茶出して! あと、お客様用の百均スリッパ、そこにあるから履いてもらって!』 『ハ、ハハァッ!!直チニ!』
地球にダンジョンを作った創造神が、震える手で宇宙の最高神たちに百円のスリッパを差し出す。
調停神たちもまた、ガチガチに緊張しながら「シ、シツレイシマス……」と、畏まった様子でツムギ村の縁側へと上がり込んだ。
「……嘘でしょう?」
一部始終を見ていた氷室玲奈が、ついに思考を放棄して崩れ落ちた。
「宇宙の破壊神たちが……高坂さんの家で、膝を突き合わせて麦茶を飲んでいるわ……」




