最強の敵
数百万の未知のモンスターによる『世界同時ダンジョン暴走』が、一本の百均殺虫ラケットによって呆気なく鎮火してから数日後。
西多摩のS級ダンジョン最深部――ツムギ村には、長らくの死闘(※農作業と害虫駆除)を乗り越えた穏やかな平和が訪れていた。
『ふぅ……。やっぱり、朝の縁側で飲むお茶は最高だなぁ』
高坂紬は、湯呑みを両手で包み込みながら、ズズッと熱い緑茶をすすった。
庭では、ポチ(星喰いの大羆)とピーちゃん(不死鳥)がボール遊びをし、裏山のシイタケ畑では終焉の古竜がトラクター代わりに器用に爪を使って土を耕している。
アーサーや氷室たちも、すっかり農村の暮らしに馴染み、平和なスローライフを満喫していた。
「高坂様。朝早くから失礼いたします」
そこへ、JSA防衛局長の葛城が、いつになく申し訳なさそうな、ひどくバツの悪そうな顔をしてトラロープを潜ってきた。彼の手には、一通の分厚い茶封筒が握られている。
『あ、葛城さん。おはようございます。どうしたんですか、そんな深刻な顔をして』
「いえ、その……誠に言いにくいのですが、高坂様に『郵便物』が届きまして。我々JSAの検問で止めるわけにもいかない公的な書類でしたので、私がお持ちしました」
『郵便?ああ、Amazonでポチった新しい長靴かな?』
「……いえ。西多摩市役所の、税務課からです」
ピタッ。 高坂の手の中で、湯呑みが止まった。
『ぜいむか……?』
元・ブラック企業の社畜として、社会の荒波に揉まれてきた高坂の背筋に、得体の知れない冷たい汗がツーッと流れた。
彼は震える手で茶封筒を受け取り、ペーパーナイフで慎重に封を開ける。中に入っていたのは、役所特有の無機質なフォントで印字された『固定資産税および都市計画税の納税通知書』だった。
『……あ、ああ。固定資産税か。そういえば、この山を買ってから初めての春だもんな。家も建てたし、税金は国民の義務だからちゃんと払わないと……』
高坂は「まあ、山林の固定資産税なんて数万円くらいだろう」とタカを括りながら、同封されていた振込用紙の『合計請求額』の欄に目を落とした。
一、十、百、千、万、十万、百万、千万、億、十億――。
『…………え?』
高坂紬は、限界まで目を見開き、三度瞬きをした。 そして、白目を剥いて、その場にガクンと膝から崩れ落ちた。
「ぼ、ボス・ツムギィィィィッ!?」
「高坂さん!?どうしたんですか、突然倒れて!!」
縁側でくつろいでいたアーサーと氷室玲奈が、弾かれたように飛び出してきた。
これまで、S級モンスターの咆哮を浴びても、世界を滅ぼす災害を前にしても、決して表情一つ変えなかった(※気づいていなかった)無敵の男が、たった一枚の紙切れを見て、文字通りの『致命傷』を負って泡を吹いているのだ。
「オーマイガー……!ボスの生命力ガ、急速ニ失ワレテイマス!何トイウ恐ロシイ呪縛魔法デス力!!」
「葛城局長!あなた、高坂さんに何を渡したの!?まさかJSAが裏切って毒を……!?」
氷室が『絶対零度の魔剣』を抜き放ち、葛城の首元に切っ先を突きつける。
葛城は両手を上げて冷や汗を流しながら、必死に弁明した。
「ち、違う!落ち着け氷室!それはただの税金の請求書だ!!」
「税金……?ゼイキンとは、魂を削り取る死の呪いですか!?」
「違う! ただの納税の義務だ!!」
『じゅ、じゅうごおく……』
地面に突っ伏した高坂の口から、掠れた声が漏れた。
『じゅうごおく、ごせんまん、えん……』
請求額――【15億5,000万円】。 高坂は、かつてない絶望の淵に立たされていた。
『か、葛城さん……これ、何かの間違いですよね……? 俺、ただの安い山林を買って、DIYで小屋を建てただけですよ……?』
「……誠に、申し訳ございません」
葛城は深く頭を下げた。
「以前、この土地を政府の強硬派から守るために『完全不可侵の私有地』として法的に保護した件は覚えていますね?あの際、土地と建物の登記を厳密に行う必要があったのですが……」
葛城の口から語られた真実は、あまりにも残酷だった。
ログハウスの建材として使われた『千年の呪樹』。温泉として湧き出た『地竜の血脈』。陸が錬成した『神話級のコテージ』。 JSAはそれらを政府に「正式な財産」として申告してしまった。
その結果、役所の自動査定システムが、それらを『世界最高峰の希少資源』として時価計算し、法外な固定資産税を弾き出してしまったのである。
『じゅうごおく……そんなお金、あるわけないじゃないですか……。俺の全財産、無人販売所で稼いだ小銭を入れた貯金箱の、三万二千円しかないのに……』
高坂の目から、初めて本気の涙がこぼれ落ちた。
これまで無自覚なチートで全てを解決してきた高坂だったが、【地主】スキルは「社会のシステム(法律と税金)」に対しては全くの無力だった。
なぜなら、彼が「ここは俺の土地だ!」と強く認識できるのは、彼が法的に正しい地主であるという『前提』があるからだ。
もし税金を滞納し、役所に土地を差し押さえられてしまえば、彼は精神的にも法規的にも「地主」ではなくなってしまう。それはすなわち、彼のスキルが『消失』することを意味していた。
(このままじゃ、山を没収されて……またブラック企業で働く日々に逆戻りだ……っ!)
「ボス・ツムギ! 泣カナイデクダサイ!」
アーサーが悲痛な顔で高坂の肩を抱いた。
「『ゼイムショ』トイウ闇ギルドノ仕業デスネ? ワタシガ今夜、ヤツラノ拠点(市役所)ニ潜入シ、元締メヲ暗殺シテキマス!」
『やめて!!国家権力に逆らったら俺が刑務所行きになるから!!』
「なら、私が払いますよ、高坂さん」
氷室が事もなげに、財布から漆黒のブラックカードを取り出した。
「私やアーサーのギルド口座には、国家予算並みの預金があります。15億なんて、端数のようなものです。すぐに立替えますよ」
『…………!』
その言葉に、高坂の顔がパッと明るくなりかけた。
だが、元社畜としてのちっぽけなプライドと、小市民としての倫理観が、彼に首を横に振らせた。
『……だ、ダメだ。氷室さんたちのお金に頼ったら、俺はただの「ヒモ」になっちゃう。ここは俺の土地で、俺はここの地主なんだ。自分の土地の税金は、自分で稼いで払うのが大人の責任だ!』
「ツムギさん……!なんて気高く、素晴らしいお考え……!」
氷室たちは、高坂の(無駄な)プライドに感極まって目を潤ませた。
葛城も「高坂様、もしよろしければJSAの機密費から……」と提案したが、高坂は「それじゃ俺、公務員(国の犬)になるってことですよね? 嫌です!」と断固拒否した。
『納付期限は……来月の末。あと四十日ちょっとか』
高坂はフラフラと立ち上がり、両頬をパンッと叩いて気合を入れた。
彼の目に、これまでの「まったりスローライフ」を謳歌していた呑気な光はない。生き残りをかけた、ギリギリの経営者の目になっていた。
『みんな、聞いてくれ。今までみたいな、100円の無人販売所みたいな「お遊び」は終わりだ』
高坂のシリアスな声色に、アーサー、氷室、しずく、陸、そして葛城が息を呑む。
まさか高坂が、本気で『力』を使って世界から富を奪う気になったのかと、その場に緊張が走った。
『俺たちは、このツムギ村を……正式な【観光農園リゾート】として事業化し、本気でビジネス(集客)を始める!!』
「「「「……ビジネス?」」」」
『そうだ! こんな立派な温泉と、美味しい野菜と、自然豊かなコテージがあるんだ!ネットで宣伝して、お客さんを呼んで、正当なサービスを提供して、ガッツリ稼ぐんだよ!目標額は四十日で十五億円!!』
高坂紬の口から飛び出したのは、世界征服でも略奪でもなく、まさかの『起業宣言』だった。
葛城はポカンと口を開けた。 「か、観光農園……?この、人類未踏のS級ダンジョン最深部を……一般人に開放するおつもりですか!?」
『一般人じゃ危ないなら、葛城さんのところの探索者さんたちを社員旅行とかで斡旋してくれませんか? 一泊三食温泉付きで、一人百万円くらいでどうです?』
「ひゃ、百万円!?」
葛城は驚愕したが、少し計算して背筋が凍った。
強力な力を手にする『神話の野菜フルコース』と、あらゆる傷と魔力回路を修復する『地竜の血脈の温泉』。
それがたったの百万円?
世界中のギルドが一億円でも先を争って買いたがる超絶パッケージである。
「(……マズい。もしこれが世界に知れ渡れば、今度こそ西多摩に世界中の軍隊が『客』として押し寄せてくるぞ……!)」
しかし、葛城には高坂を止める権利も力もなかった。
何しろ、これは『合法的な納税』のための、真っ当な経済活動なのだから。
『よし!そうと決まれば大忙しだ!アーサーさん、氷室さん!まずは温泉の脱衣所と、宴会場の設営を手伝ってくれ!しずくちゃんは客室の掃除、陸くんはパンフレット用の看板作りだ!』
「「「「イエッサー!!」」」」




