世界樹(キノコ)
アメリカ合衆国、ネバダ州。
荒涼とした赤茶けた岩山をくり抜くように建設された、アメリカ軍および超巨大攻略者ギルド『タイタン』の合同最前線基地。
そこに鎮座するのは、北米大陸最大の災厄と恐れられるS級ダンジョン『ノース・キャニオン』の巨大な侵入口である。
「状況はどうだ!深層からの魔力波長に変化はないか!?」
防護スーツに身を包んだ司令官が、無骨な計器がずらりと並ぶモニター室で怒鳴り声を上げた。
この『ノース・キャニオン』の最奥には、かつて数多のS級攻略者を呑み込んだ【虚無の底】と呼ばれる超深層が存在する。そこから漏れ出る瘴気だけでも、鋼鉄のゲートがボロボロに腐食するほどの危険地帯だ。
「報告します!深層第七区画より、未知のエネルギー反応が急激に接近中!この波長……従来のモンスターの魔力とは全く異なります!」
「なんだと!?スタンピードの前兆か!?全自動迎撃タレット起動!重装歩兵小隊を第一ゲートへ急行させろ!」
けたたましいサイレンが砂漠の基地に鳴り響く。
分厚い対魔力チタンゲートの前に、完全武装の攻略者たちが銃と魔力バズーカを構えて一斉に整列した。緊迫した空気の中、重々しい金属の軋み音を立てて、地獄の底へと続くゲートがゆっくりと開く。
そこから這い出してきたのは、獰猛な爪牙を持つモンスターの群れ――ではなかった。
「……な、なんだあれは……?」
最前線の兵士が、銃口を向けたまま呆然と呟いた。
ゲートの敷居、ひび割れた岩盤の隙間から、まるで早送りの植物のようにモコモコと膨れ上がってきたのは、黒褐色のフサフサとした傘を持つ――紛れもない『キノコ』だった。
ニョキッ。 ニョキニョキニョキッ!!
一本や二本ではない。 コンマ数秒の間に、直径一メートルを超える肉厚な巨大シイタケが、数千、数万という単位で爆発的に増殖し始めたのだ。
それらのキノコは、ただの菌類ではなかった。
傘の表面には神聖な黄金のルーン文字が浮かび上がり、周囲の致死性の瘴気を「ズゴゴゴゴ」と凄まじい勢いで吸い込みながら、代わりに極上の【澄み切った森のマイナスイオン】を大量の胞子と共にプシューッと噴射しているのである。
「ゲホッ……う、うまい!?なんだこの胞子、吸い込んだだけで全身の魔力回路の疲労が完全に回復したぞ!?」
「バカ言え!ゲート全体がシイタケで埋め尽くされていく!タレットがキノコで挟まって動かん!!」
「報告!ダンジョン内の瘴気濃度がゼロに低下! 生息していたA級モンスターたちが、巨大シイタケの傘の下で雨宿りしながらスヤスヤ眠り始めました!!」
「な……なにが起きているんだぁぁぁぁっ!?」
同じ現象は、ネバダの砂漠だけにとどまらなかった。 フランスの地下迷宮、中国の崑崙山脈ダンジョン、果ては南極の氷底魔境に至るまで――世界中に存在するS級ダンジョンの深層から、突如として『未知のシイタケ』が逆流するように大繁殖し、各国の防衛ラインを文字通り「キノコ尽くし」にしてしまったのである。
◆ ◆ ◆
世界中の軍事機関と攻略者ギルドが「未曾有のバイオハザード(※ただし空気は綺麗になり、モンスターはおとなしくなる)」にパニックを起こしていた頃。
すべての元凶である西多摩・ツムギ村では。
『いやー、湿気がちょうどいいと、菌の回りも早いねぇ!』
高坂紬は、裏山の大穴(世界中のダンジョンと繋がる大空洞)の入り口で、満足そうに腕を組んでいた。
彼の目の前には、S級素材である『千年の呪樹』を陸の【工作】スキルで等身大の丸太に切り揃えた「シイタケの原木」が、何十本も綺麗に立てかけられている。
高坂が先ほど、ホームセンターで買った百円のシイタケ菌カプセルをドリルで打ち込み、仕上げに【世界樹の霊薬(水道水)】をジョウロでたっぷりとかけた代物だ。
【地主】スキルによって『所有地内の農作物』として認定されたシイタケ菌は、高坂の「世界中にトンネルが続いてるなら、奥の方までびっしり生えてほしいな」という何気ない願望を忠実に反映。
ダンジョンの深層に張り巡らされた『世界樹ネットワーク』の空間構造をそのまま栄養の培地(菌床)として認識し、地下トンネルを通じて世界中のダンジョンへとその菌糸を光速で伸ばしていったのである。
『しずくちゃん、陸くん。見てごらん、もうこんなに肉厚なのが生えてきたよ!』
「わあ……!すごい、傘の裏側までピカピカ光ってます!」
「ツムギさん、これ、木工用ボンドみたいにすごく良い香りがします!」
高坂が原木からポンッともぎ取ったのは、大人の顔ほどもある巨大なシイタケだった。
表面には高坂の【地主】スキルのバフと、世界樹の霊薬、そして世界中のダンジョンから吸い上げた高純度魔力が結晶化し、黄金色の光を放っている。
「……ボス・ツムギ」
背後で立ち尽くしていたアメリカ最強の暗殺者・アーサーが、プルプルと震えながらそのキノコを見つめた。
「ソレハ……何トイウ、新種ノ神造兵装デスカ……?」
『何言ってんのアーサーさん。シイタケだよ、シ・イ・タ・ケ。七輪で焼いて、醤油をちょっと垂らして食べると最高なんだから』
「シイタケ……」
アーサーは息を呑んだ。
彼が持つS級の魔力感知器官は、そのシイタケが放つ異常な波動を明確に捉えていた。
一口かじれば、全身の肉体が神鋼並みの硬度に変化し、あらゆる精神干渉を弾き飛ばすであろう『超絶防護アイテム』。
しかも、裏山の大穴の奥を覗き見れば、その規格外のキノコが地下トンネルの壁面を伝って、地平線の彼方までビッシリと増殖しているのが見える。
(ボ、ボスは……世界中のダンジョンの瘴気を吸い尽くして無力化し、代わりに自らの支配領域(キノコ畑)を地球全土へ押し広げている……!? コレハ、侵略ナンカジャナイ。『地球規模ノ環境テラフォーミング』ダ……!!)
かつて裏社会で暗躍した男の想像を、高坂の家庭菜園は軽々と超越していた。
『あ、トカゲくん!ちょうどいいところに火があるじゃないか』
高坂が裏山を振り返ると、そこには先ほど竹ほうきで説教され、すっかり大人しくなった【終焉の古竜】が、丸太の横で行儀よくお座りをしていた。
『トカゲくん、ちょっと息から小さな火を出せる? この七輪の炭に火をつけたいんだけど』
「キュ……キュゥゥン!(意訳:滅相もございません! 我が神聖なる劫火、直ちに炭熾しにお使いください!)」
世界を焼き尽くすはずの【終焉の劫火】が、高坂の持つ小さな七輪の豆炭に向けて、ライターの種火のように「チョロチョロ……」と慎ましく吐き出された。
パチパチと炭が赤く熾きる。
高坂はその網の上に、もぎたての巨大シイタケを並べた。
『キノコはね、ヒダの方を上にして、傘の裏から水分がジワッと汗をかいてくるまでじっくり待つのがコツなんだよ』
ジワァァァァ……。
網の上で炙られたシイタケから、滴るような露が湧き出てくる。
それは、世界中の瘴気を浄化して濃縮された、一滴で死者を蘇生できそうな【生命の雫】そのものだった。
高坂はそこに、スーパーで買った普通のキッコーマンの醤油を「タラッ」と垂らした。
ジュワアァァァァァァッ!!
香ばしい醤油の焦げる匂いと、嗅いだ者すべての魔力を強制的に限界突破させる超次元の香気が、ツムギ村の青空の下にブワッと広がった。
『よし、焼けた! 氷室さん、みんな! 熱いうちに食べよう!』
高坂の呼びかけに、ログハウスから駆け出してきた氷室玲奈、しずく、陸、そしてアーサーが七輪を囲む。
全員の目が、黄金色に輝くシイタケに釘付けになっていた。
「い、いただきます……っ!」
氷室が震える箸でシイタケを口に運ぶ。 ハフッ、と一口噛み締めた瞬間――。
カアァァァァァァァッ!!
氷室の背後に、巨大な『氷の翼』のような神々しいオーラが具現化した。
肉厚な傘から溢れ出すジューシーな旨味と、醤油の塩気。それが口内で爆発した瞬間、彼女がすでに到達していた【EX級】のさらに上――人類が誰も足を踏み入れたことのない【神域】の魔力回路が、パキパキと音を立てて強制開通したのだ。
「お、美味しい……!旨味が凄すぎて、脳が溶けそう……!それに、なんだか体が……どんな大陸間弾道ミサイルが直撃してもビクともしないような気がするわ……!」
「うまいっ!ツムギさん、これお肉よりジューシーだよ!」
「オーマイガー……!コレハ、天国ノ味デス……!」
陸もアーサーも、ハフハフと熱々のシイタケを頬張り、涙を流して感動に打ち震えている。
七輪の横では、愛犬(星喰いの大羆)のポチと不死鳥のピーちゃん、そして終焉の古竜までもが、高坂から分けてもらった焼きシイタケを嬉しそうにハフハフと咀嚼していた。
【シイタケ美味そうすぎワロタ】
【醤油垂らした瞬間のジュワッて音、飯テロだろ】 【※なお、各地のダンジョンはシイタケで機能停止している模様】
【古竜が七輪の炭火係やってて草】
【世界最強の防衛拠点でやるBBQ、最高だな】
コメント欄が平和な飯テロに悶絶する中。
◆ ◆ ◆
JSA本部の戦略指令室。
点滴を引っこ抜いて現場に復帰したばかりの葛城局長は、世界各国から届く緊急ホットラインの嵐の前に、受話器を耳に当てたまま固まっていた。
『ミスター葛城!我が国のグランドキャニオンに、貴国の西多摩から伸びてきたと思われる謎の巨大キノコが大量発生した!モンスターが全滅し、我が国の調査隊が全員キノコを食って超人に覚醒している!これは日本の侵略行為か!?』
『こちら中国!崑崙山脈のダンジョンから採れたキノコを食べた重病の高官が、全員フルマラソンを走り始めました!あのキノコの苗木を我が国にも分けてください!!』
『フランスです!地下迷宮のキノコをソテーにしたら星付きレストランのシェフが全員気絶しました!もっと寄こしなさい!』
「……キノコ……?」
葛城は呆然と呟き、メインモニターに目を向けた。
そこには、裏山の大穴から世界中にキノコを侵食させた張本人が、七輪の前で「やっぱり焼きシイタケには醤油だよねぇ」と、のんきにビールを開けている姿が映し出されていた。
「……あいつは……あの男は……」
葛城の目から、ツゥーと一筋の涙が頬を伝った。
「家庭菜園の次は……キノコ栽培で世界を支配する気かぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
山林を買っただけの元社畜・高坂紬。




