不可侵領域
「JSAの葛城は腰抜けだ!たかがジャージの一般人一人にビビり上がり、我が国の貴重なS級資源を指を咥えて見ているなど、万死に値する!」
日本政府の内部には、JSA(日本探索者協会)の弱腰な対応に不満を抱く強硬派が存在した。 内閣府直属の特務防衛部隊、通称『黒の剣』。
リーダーの獅子王は、冷酷無比な作戦遂行能力を持つA級攻略者であり、国家の利益のためなら手段を選ばない男だった。
「これより、我々『黒の剣』が西多摩のS級ダンジョンを武力制圧する。ターゲットは高坂紬。奴を拘束し、霊薬と神話級の農作物をすべて国庫に没収する!」
獅子王の号令のもと、最新鋭の魔力装甲車と数十名の完全武装したA級攻略者たちが、JSAの静止を強行突破し、西多摩の山林へと雪崩れ込んだ。
◆ ◆ ◆
その頃、高坂紬は完成したログハウスの前の庭で、百均で買ったホースを水道(※世界樹の霊薬の泉に直結)に繋ぎ、新しく植えた大根の種に水やりをしていた。
『いやー、視聴者さん。この山、本当に土がいいんですよね。昨日植えた大根が、もう芽を出してるんですよ。ほら、可愛いでしょ?』
高坂がスマホのカメラに小さな双葉を映して笑っていた、その時である。
ガガガガガガッ!!
静かな森の木々を乱暴になぎ倒し、三台の巨大な魔力装甲車がログハウスの前に乱入してきた。 装甲車から飛び出してきた黒ずくめの部隊が、高坂を半円状に包囲し、一斉に魔力銃の銃口を向ける。
「動くな、高坂紬!!我々は内閣府直属『黒の剣』だ!この土地およびダンジョン内のすべての資源は、今この瞬間をもって国家の管理下に置かれた!」
獅子王が傲慢な態度で進み出た。 だが、高坂は銃口を向けられていることなど全く気にしていない様子で、ただ一点、獅子王の『足元』をじっと見つめていた。
「おい、聞いているのか!さっさとそのスマホを捨てて両手を……」
『……おい』
高坂の口から、今まで配信で見せたことのない、地を這うような低い声が漏れた。
その瞬間、周囲の空間がビリッと震え、カメラの向こうの視聴者たちすら息を呑むほどの異常なプレッシャーが辺りを支配した。
『お前ら……他人の私有地に土足でズカズカ入り込んできた上に……俺の大根の芽を、踏み潰したな?』
獅子王が足元を見ると、彼の分厚いコンバットブーツの下で、高坂が愛情を込めて育てていた大根の双葉(※神話級の霊草の幼生)が無惨に潰れていた。
「……はあ?大根?こんな雑草がなんだと言うのだ。貴様、自分がどういう状況に置かれているか分かって……」
『ふざけるなッ!!』
高坂が、本気で怒鳴った。 それは、S級ダンジョンやモンスターに対する畏怖でも、国家権力に対する反発でもない。純粋な『畑を踏み荒らされた地主のガチギレ』だった。
【地主】スキルの『不法侵入者への絶対的制裁』権限が、かつてない規模で発動した。
『他人の丹精込めた畑を荒らすような奴は、泥棒よりタチが悪いんだよ!!頭冷やせ!!』
高坂は手に持っていた百均のホースのノズルを『ストレート』に切り替え、獅子王たちに向けて思い切り霊薬(水)をぶちまけた。
――ズドォォォォォォォォンッ!!!!!
ホースの先から放たれたのは、ただの水鉄砲ではない。空間そのものを浄化し、あらゆる敵意と武装を強制解除させる『絶対浄化の激流』だった。
「な、なんだこの水圧はァァァァッ!?」
「あ、熱い!?いや、冷たい!?魔力障壁が、一瞬で溶かされていく……ッ!」
A級攻略者たちの誇る魔力装甲も、最新鋭の装甲車も、ホースから放たれた水流に触れた瞬間、まるで綿あめのようにシュワシュワと泡を立てて消滅していった。
わずか十秒後。 そこには、武器も防具もすべて消し飛ばされ、ずぶ濡れの下着一丁になってガタガタと震えながら土下座する、獅子王と数十名の精鋭たちの姿があった。
『……次やったら、警察呼ぶからな』
高坂がホースを巻き取りながら冷たく言い放つと、獅子王たちは「ヒィィッ!」と悲鳴を上げ、這うようにして山を逃げ下りていった。
【ツムギニキ、ガチギレで草】
【大根>>>>国家権力】
【百均のホースで特務部隊が全滅したんだがww】 【これが農家の怒りだ、思い知ったか】
◆ ◆ ◆
数時間後。
「こ、この度は我が国の愚か者どもが、誠に申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!!!」
JSA防衛局長の葛城は、高坂のログハウスの土下座し、額から血が出るほどの勢いで地面に頭を擦りつけていた。
強硬派の暴走を知り、日本が消滅するのではないかと肝を冷やした葛城は、直通のヘリで文字通り飛んできたのだ。
『いや、葛城さん。俺も少しムキになって水かけちゃいましたけど、いきなり車で乗り込んで畑を荒らすのはルール違反でしょ』
高坂は縁側に座り、お茶をすすりながらため息をついた。
「おっしゃる通りです!すべては我々の管理不足!つきましては高坂様、このような不測の事態を防ぐためにも、貴方様を公式な『EX級攻略者』として国に登録させていただけないでしょうか!?」
葛城は必死だった。高坂を国境を超えた絶対的な戦力として公式に認定すれば、政府内の強硬派も他国も、うかつには手を出せなくなるからだ。
「貴方様が攻略者として登録していただければ、このS級ダンジョンは正式にJSAの管理下となり、法的な保護と多額の支援金をお約束します!どうか、どうかライセンスの受け取りを……!」
葛城が恭しく差し出した黄金のカード(EX級ライセンス)。 しかし高坂は、それを受け取ろうともせず、怪訝な顔で首を傾げた。
『攻略者?S級ダンジョン?……葛城さん、何言ってるんですか?俺はそんな危険な仕事、する気ありませんよ』
「え……?」
『俺はただ、退職金でこの山を買って、まったりキャンプと農業を楽しみたいだけなんです。ダンジョンとかモンスターとか、そんなファンタジーなVRゲームみたいな設定、俺にはよくわかりませんけど』
高坂はそう言うと、ジャージのポケットから一枚の紙切れを取り出し、葛城の目の前に広げた。
『ほら、これ。市役所でハンコもらった、この山の【不動産登記簿謄本】です。名義は間違いなく俺、高坂紬になってるでしょ?』
「と、謄本……?」
『つまり、ここは俺の私有地なんです。S級だかなんだか知りませんけど、国が勝手に人の土地をどうこう言う権利はないはずですよね?固定資産税ならちゃんと払いますから』
葛城は、目の前に突きつけられた『ペラペラの紙切れ(登記簿)』と、背後に広がる『絶望のS級ダンジョン』を交互に見比べた。
話が、完全に噛み合っていない。 この男は、自分が人類の存亡を握る神話級の空間を支配していることに全く気づいておらず、本気で「ちょっと不便だけど自然豊かなマイホーム」程度にしか思っていないのだ。
「し、しかし高坂様!ここは致死量の瘴気が渦巻き、S級モンスターが跋扈する人類の脅威……ッ!現に貴方の背後にいるその黒い熊も、空を飛ぶその鳥も、世界を滅ぼす災厄の……!」
『ポチとピーちゃんですか?ただの大人しいペットですよ。ほら、お手』 『ワンッ!(意訳:ハハッ!)』 『ピョエ!(意訳:御意!)』
葛城の目の前で、S級モンスターたちが満面の笑みで高坂に「お手」をした。
(……ダメだ。この男の認識の中では、国家の危機管理など『市役所の書類』以下の価値しかないのだ……)
葛城は深い絶望と、ある種の諦めを抱いた。 高坂を国家の枠組み(攻略者)に当てはめることは不可能だ。彼にとって、この山はダンジョンではなく「自宅の庭」なのだから。
「……分かりました。高坂様のご意志を尊重いたします。攻略者の登録は白紙に戻しましょう」
葛城は深く息を吐き、スーツの乱れを直して立ち上がった。
「その代わり、日本政府およびJSAの総意として、この西多摩の第4区画一帯を、国際法に基づく『完全不可侵領域』として制定いたします。今後、政府の人間であろうと軍隊であろうと、貴方の許可なくこの土地に立ち入ることは一切禁止します」
『不可侵領域?なんか大げさですけど、要するに「勝手に入ってきて畑を荒らさない」ってことですよね。それなら助かります!』
高坂はパッと顔を輝かせ、葛城と固い握手を交わした。 こうして、世界の軍事バランスを揺るがす未曾有のS級ダンジョンは、国連でもJSAでもなく、「不動産登記簿謄本」の法的な効力によって、一人のキャンパーの『完全なる私有地』として守られることとなったのである。




