規格外の覚醒
神奈川県、箱根山中。
上空に開いた巨大な次元の亀裂から、おびただしい数のモンスターが地上へと雪崩れ込んでいた。
災害指定クラス『A級スタンピード』
空を埋め尽くすのは、鋼鉄の鱗を持つA級モンスター『飛竜』の群れ。地上を蹂躙するのは、口から紅蓮の炎を吐く『地獄頭の魔犬』たち。
通常であれば、防衛隊数千人と複数のA級ギルドが連携し、数日がかりでようやく鎮圧できるかどうかの絶望的な大群である。
だが、そのモンスターの大群を前にして、たった三人で立ち塞がる影があった。
国家最高戦力【冠位室】
リーダーの氷室玲奈は、上空を覆い尽くす飛竜の群れを見上げながら、ふっと退屈そうに息を吐いた。
「……遅いわね。動きが止まって見えるわ」
かつての彼女であれば、一切の油断なく魔力を練り上げ、死闘を覚悟したはずの戦力差である。 しかし現在の氷室の体内には、高坂の畑で採れた『世界樹のネギ』と『神々の黄金林檎』、そして『S級災鳥の肉』を煮込んだ【山の恵みコンソメスープ】の圧倒的なエネルギーが、太陽のように燃え盛っていた。
「さっさと片付けましょう。あまり時間をかけると、高坂さんのログハウスの床張りに遅れてしまうわ」
「御意。我らが高坂さんの『農園』に比べれば、A級モンスターの群れなど雑魚ですな」
背後に控える二人のS級攻略者も、獰猛な笑みを浮かべて武器を構えた。 氷室が一歩前に踏み出し、国宝級アーティファクト『絶対零度の魔剣』を鞘から抜く。
「凍てつけ。――『絶対零度・氷華乱舞』」
かつて高坂の畑を耕す(畝を作る)ために放ったその必殺技。 だが、今の威力はそれとは次元が違っていた。 剣を一閃した瞬間、大気を震わせることもなく、ただ『静寂』が広がった。
次の瞬間。箱根の山を覆い尽くしていた数千体のA級モンスターたちが、空を飛んだ姿勢のまま、炎を吐こうとした姿勢のまま、完全に『氷の彫像』へと変わっていた。
パキィィィィンッ……!!
氷室が剣を鞘に納めた澄んだ音を合図に、彫像と化した数千体のモンスターが、一斉に微細なダイヤモンドダストとなって空間に散華した。 血の一滴すら流れない、あまりにも美しく、あまりにも圧倒的な『蹂躙』。 戦闘時間、わずか三秒。
「……よし。箱根の制圧完了よ。急いで西多摩へ向かうわよ!今日は高坂さんが『おやつに焼き芋を焼く』って言っていたから、絶対に遅れるわけにはいかないわ!」
日本の危機を三秒で救った国家最高戦力たちは、焼き芋に遅刻しないよう、光の速さで西多摩のS級ダンジョンへと飛び去っていった。
◆ ◆ ◆
「…………見たか、今の映像を」
JSA本部の戦略指令室。 ドローンが捉えた箱根の戦闘映像(というより一方的な虐殺)を前に、防衛局長の葛城は、震える手でタバコに火をつけようとして、三回失敗した。
「ほ、報告します!氷室さんたちの魔力波長……計測器の限界値を完全に振り切りました!さらに、彼女の放ったスキルは、従来の対象範囲を超越し、とんでもなく広大な範囲に及んでおり、間違いなくスキルが進化していると推測されます!」
「覚醒後にスキルの性質そのものが進化したというのか……。三十年間のダンジョン観測史において、初の事象だぞ」
葛城は額の汗を拭った。 これまでは、一度発現したスキルは魔力量は基本的に変わること絶対にないとされていたのだ。
「……局長。もはや彼女たちを、既存の『S級』という枠組みで評価するのは不可能です。国際攻略者連盟に掛け合い、S級の上に『EX級(規格外)』という新たなランク制定を提案するべきかと……!」
オペレーターの進言に、葛城は深く頷いた。 もはや氷室たちは、人類の守護者というより、高坂という神の眷属に近い次元へと昇華してしまっている。
「局長!」 興奮した様子で、JSAの魔力研究開発部のトップが指令室に飛び込んできた。
「あの高坂という男の持つ『農作物』……あれは、人類を次のステージへ引き上げる鍵です!もしあの『ネギ』や『トマト』を我々JSAが独占し、自衛隊やA級攻略者たちに配給すれば、世界を制するほどの『EX級・S級攻略者の量産軍団』を創り出すことが可能です!」
研究部長の提案に、指令室の空気が色めき立った。 だが、葛城は冷ややかな目で首を横に振った。
「却下だ。それは不可能だ、博士」
「な、なぜですか!?現に氷室たちは覚醒し、F級だった埼玉の少女(神崎しずく)ですらS級へ至ったではありませんか!」
「お前はあの映像をどう見ていたんだ」
葛城はメインモニターに、S級ダンジョンの最深部で高坂が育てている『世界樹のネギ』の拡大映像を映し出した。
「あの野菜は、S級ダンジョン最深部の超高濃度瘴気と、伝説の霊薬を吸い上げて育った『純粋な魔力エネルギーの結晶』だ。氷室たちが耐えられたのは、彼女たちが元々強靭な『S級の器』を持っていたからに過ぎんだろう」
「で、では、F級だったあの少女は……?」
「あの少女のスキル【お片付け】の正体は、対象を空間ごと消滅させる超次元魔法だった。つまり、彼女の『器』そのものは最初から規格外のS級ポテンシャルを秘めていたが、それに注ぐ魔力が足りずにF級に留まっていただけの『イレギュラー』だったのではないか?」
葛城の言葉に、研究部長はハッと息を呑んだ。
「もし、器の小さな一般人や、並の攻略者が高坂の『野菜』をそのまま口にすればどうなるか……わかるな?」
「……急激な魔力の膨張に耐えきれず、細胞が内側から弾け飛び、肉体が文字通り『爆散』するリスクが否めません………」
「その通りだ。あんな得体の知れない劇薬を人体実験まがいに兵士たちへ口にさせるわけにはいかん」
葛城は深くため息をつき、指令室の全職員に向けて宣言した。
「いいか。高坂紬は、無自覚に劇薬となる果実をばら撒く歩く自然災害であり、神だ。我々が下手な欲を出して彼の『農園』に手を出せば、機嫌を損ねた彼が何を仕掛けてくるか分からん」
モニターの中では、ちょうど西多摩に帰還した氷室たちが、高坂の焼いた『焼き芋』をハフハフと頬張り、幸せそうに涙を流している姿が映し出されていた。
「我々の至上命題は、高坂を味方につけ、彼に『快適なスローライフ』を満喫してもらうことだ。極秘プロジェクト【#氷室農園】を次のフェーズへ移行する。これよりJSAは、高坂のDIYと家庭菜園を裏から全力でバックアップするぞ!」




