元上司
「おいおいおい!あいつ、俺が売りつけたゴミ山で何勝手なことしてやがる!」
東京都内の高級タワーマンションの一室。 悪徳不動産会社の部長である鮫島は、スマートフォンの画面を血走った目で見つめながら、下品な笑い声を上げていた。
画面に映っているのは、先日まで自社で奴隷のようにこき使っていた元部下、高坂紬の姿である。 『まったり山林開拓日記』と題されたその配信は、今や同時接続者数三十万人を超えるバズりを記録していた。画面には滝のようなコメントと共に、数万円単位の赤いスーパーチャットが雨あられと降り注いでいる。
「スパチャだけで数百万……いや、数千万はいってるぞ!?ふざけやがって、あいつは俺の会社の備品みたいなもんだろうが!あの山林だって、元々は俺が売りつけてやったんだ。つまり、あの収益の九割は俺の物だ!!」
強欲な鮫島は、すぐさま高級外車に乗り込み、西多摩の山林へとアクセルを踏み込んだ。 道中、自衛隊とJSAによる物々しい封鎖線が敷かれていたが、鮫島が窓を開けて「あー、俺、中で配信やってる高坂の元上司なんだけど」と適当な嘘をついた瞬間。
「も、元上司様!?あ、あの高坂神の……!?ははぁっ!ど、どうぞお通りくださいませぇぇぇっ!!」
JSAの精鋭部隊は、顔面を蒼白にして道を開けた。 『あの規格外の化け物(高坂)を部下として従えていた男』――そんな恐ろしい存在がこの世にいるのかと勘違いしたJSAは、鮫島を謎の超次元の魔王か何かだと思い込み、最敬礼で絶対防衛線を通過させてしまったのである。
◆ ◆ ◆
『よし、これで壁の基礎は完成ですね!手伝ってくれてありがとうございます、玲奈さん!』
「もったいないお言葉です、高坂さん。この程度の木材(※世界中のギルドが血眼で探すS級素材)、いくらでも加工いたしますので」
S級ダンジョンの最深部では、高坂と氷室玲奈たちによるログハウス作りが順調に進んでいた。
氷室は『絶対零度の魔剣』をノコギリ代わりに使いこなし、高坂の「主」呼び禁止令に従って、敬意を滲ませながらも「高坂さん」と呼ぶようになっている。
『さて、次は屋根のトタンを……』
高坂が作業を続けようとした、その時だった。
「おーい!高坂ぁ!!お前、俺に無断でこんな目立つことして、タダで済むと思ってんのか!」
静寂の森に、下品で甲高い怒声が響き渡った。 カメラのフレーム外からズカズカと足音を立てて現れたのは、高級スーツを着崩した鮫島だった。 彼は入り口に張られた百均のトラロープ(絶対不可侵の境界線)を、一切の魔力を持たないが故の無知と傲慢さで、乱暴に跨いで侵入してきたのだ。
『えっ?部長?なんでこんな所に……俺、もう会社辞めましたよね?』
高坂はきょとんとした顔で、かつてのブラック上司を見つめた。
「辞めたから関係ねえだと!?ふざけんな!お前が今配信してるこの山、俺が恩情で売ってやった土地だろうが!そこで稼いだスパチャの収益、契約上は全部ウチの会社に入る仕組みになってるんだよ!」
もちろんそんな契約など存在しない、完全な言いがかりである。 鮫島は高坂の胸ぐらを掴もうと、大股で距離を詰めようとした。
「そのスマホ寄こせ!今日からこのチャンネルは俺が管理して……」
――ピタッ。
鮫島の足が、不自然に止まった。 高坂と鮫島の間に、いつの間にか黒いモフモフの塊――愛犬の『ポチ』が立ち塞がっていたのだ。
『グルルルルルル……ッ』
ポチは、喉の奥で低く唸った。 主である高坂に害をなそうとするこの羽虫に対し、星喰いの大羆としての防衛本能が働いたのだ。 本来なら世界を滅ぼすほどの魔力を放つS級魔獣だが、高坂の配信に迷惑をかけないよう、ほんのわずか――0.0001%だけ、その『本性の覇気』を鮫島に向けて解放した。
「あ……?なんだこの薄汚い犬っころ……は……?」
鮫島の視界が、一瞬にして暗転した。 彼の脳裏にフラッシュバックしたのは、自分という存在が宇宙の塵よりも小さく、漆黒の巨大な顎に頭から噛み砕かれ、魂の底まで咀嚼されるという絶対的な『死の幻覚』だった。
「ア……ガ……ァァァァァァァァァァァァァッ!!?」
鮫島は白目を剥き、口から盛大に泡を吹きながら、糸の切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちた。 完全に失禁し、全身をガクガクと痙攣させている。
『うわっ!?部長!?急に倒れてどうしたんですか!?熱中症ですか!?』
高坂が慌てて駆け寄る中、配信のコメント欄はかつてないほどの盛り上がりを見せていた。
【今のオッサン誰www】
【急に乱入してきて勝手に倒れたぞww】
【ブラック企業の上司役の役者さんか!演技うますぎだろ!】
【犬に吠えられて泡吹いて気絶するヒール役、最高すぎんか?】
【寸劇のクオリティ高すぎ!ザマァ展開たすかる!50000円!】
視聴者たちは鮫島を『配信を盛り上げるために雇われた悪役俳優』だと完全に勘違いし、その見事なやられっぷりに対してさらに大量の赤スパチャを投げ始めたのである。
「高坂さん、この汚物はどうしましょうか。よろしければ、私が粉微塵に消し飛ばしますが」
氷室が虫ケラを見るような冷たい目で鮫島を見下ろしながら、魔剣の柄に手をかけた。
『いやいやいや!粉微塵って、物騒な冗談はやめてくださいよ!とりあえず、邪魔にならないようにそこの木陰に寝かせておきましょう』
◆ ◆ ◆
高坂が泡を吹いた鮫島を木陰に引きずって放置した直後。 氷室の腰のポーチで、JSAから支給されている緊急通信用の特殊端末がけたたましく鳴り響いた。
「……はい、氷室です。……ええ、はい。……何ですって?」
通信を聞く氷室の表情が、スッと真剣なものに変わる。 通話を終えた氷室は、申し訳なさそうに高坂に向き直った。
「高坂さん……大変申し訳ありません。国から、緊急の帰還命令が出てしまいました。どうしても外せない任務があり、本日はここまででお暇しなければなりません」
JSAとしては、これ以上S級攻略者たちを高坂の『農業・土木アシスタント』として拘束させておくわけにはいかず、何とか口実を作って本部へ呼び戻したのである。
『あ、そうなんですか?皆さんのコスプレイベント、急に呼び出しとかあるんですね。せっかく屋根のトタン張り、手伝ってもらおうと思ったんですけど』
「っ……!この命に代えても屋根を完成させたかったのですが……!無念です……!」
氷室は本気で悔しそうに唇を噛み締め、両手をついて土下座しそうな勢いで謝罪した。
『いやいや、気にしないでください!残りは俺一人でやりますから。あ、そうだ。これ、お土産に持っていってください』
高坂はそう言って、先ほど畑で収穫したばかりの『世界樹のネギ』と『神々の黄金林檎』を、百均のスーパーの袋に無造作に詰め込んで氷室に手渡した。
「こ、こんな秘宝を……私たちに……!?」
『ただの自家栽培の野菜ですよ。遠慮しないでください。皆さんのイベント、応援してますからね!』
高坂の屈託のない笑顔に、氷室たち三人のS級攻略者は感動のあまり号泣し、深く深く一礼をした。
「高坂さんの御恩、一生忘れません……!我々冠位室は、いつでも高坂さんの剣となり盾となることを誓います!」
『あはは、大げさだなぁ。じゃあ気をつけて帰ってくださいねー』




