【episode3】私の新しい朝
翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた。
ぼんやりと天井を見つめながら、私は昨日の出来事を思い返した。見覚えのない部屋、鏡に映った知らない女の子、そして、自分が十三歳の中学生として生まれ変わったという信じられない事実。昨日はあまりにも驚くことが多すぎて、正直、まだ夢だったのではないかという気持ちが少し残っていた。
けれど、ベッドから起き上がって机の上に置かれた学生証を手に取ると、そこには昨日と同じ名前が書かれている。
音羽萌花。
おとは、もか。
間違いない。私は、本当に生まれ変わったのだ。
「……よし!」
私は学生証を元の場所に戻すと、ベッドから立ち上がり、部屋の隅に置かれた姿見の前に向かった。昨日は自分の顔を確認するだけで精一杯だったけれど、今日はもう少し落ち着いて、今の自分を見てみようと思ったのだ。
鏡の前に立ち、まずは顔をじっくりと観察する。大きな瞳に、すっと通った鼻筋、整った輪郭。寝起きだからか、頬にはほんのりと赤みが残っていたけれど、それさえも健康的に見える。前世の私が何度も鏡を見ながら、どうすれば少しでも可愛く見えるのだろうと悩んでいたことを思い出すと、なんだか不思議な気持ちになった。
「……本当に、私なんだよね」
そう呟いてから、私は洗面所へ向かった。
顔を洗って、タオルで優しく水気を拭き取る。それから部屋に戻り、机の上に置かれたヘアブラシを手に取った。せっかくの新しい人生なのだから、身だしなみだって丁寧に整えてみたい。そう思ったのだ。
私は鏡の前に椅子を持ってきて、そこに腰を下ろした。そして、髪の毛先を片手でそっと押さえながら、もう片方の手でブラシを持ち、毛先からゆっくりととかし始めた。
まずは、絡まっているところを無理に引っ張らないように、毛先だけを少しずつ整えていく。引っかかりがなくなったら、今度は髪の中ほどから毛先へ向かって、ブラシを通していった。最後に頭の上の方から全体をとかし、左右に分けながら、後ろ髪まで丁寧に整えていく。
いつもなら、朝の身支度なんて時間との勝負だった。前世では、少しでも練習時間を確保したくて、髪を適当にまとめて家を飛び出す日だってあった。けれど、今日は違う。急ぐ必要もないし、鏡の中にいる自分を確かめながら、ゆっくりと髪をとかす時間が、なんだかとても特別に感じられた。
ブラシを通すたびに、髪がさらさらと指の間をすり抜けていく。毛先を整え、髪全体を後ろに流してみると、朝日を受けた髪が柔らかく光った。
「……え、すごい」
思わず声が漏れた。
もちろん、髪をとかしただけで何もかもが変わるわけではない。それでも、きちんと手入れをすると、こんなにも気持ちがいいものなのか。私はもう一度、今度は少しだけ角度を変えて髪をとかし、左右のバランスを確認した。前髪も指先で少しずつ整えて、顔にかかっていた毛束を横へ流してみる。
鏡の中の女の子は、さっきよりもずっとすっきりした印象になっていた。
私は思わず、鏡に顔を近づけた。
「……可愛い」
口に出した瞬間、少し恥ずかしくなって、慌てて周りを見回す。もちろん、部屋には誰もいない。私は小さく咳払いをして、もう一度鏡を見た。
前世では、自分の顔に自信を持つことなんてほとんどなかった。オーディション会場で厳しい言葉を浴びせられるたびに、どれだけ努力しても変えられないものがあるのだと、何度も思い知らされた。だからこそ、今こうして、自分の顔を嫌いにならずに鏡を見られることが、思っていた以上に嬉しかった。
ただ、いつまでも鏡を眺めているわけにはいかない。私はブラシを机に戻し、部屋に掛けられていた制服に着替えることにした。
白いブラウスに袖を通し、スカートの位置を整えて、襟元をきちんと直す。最後にもう一度、姿見の前に立って全体を確認した。制服を着た自分の姿は、昨日までの私が想像していたものとはまるで違っていた。どこにでもいる普通の中学生なのかもしれないけれど、少なくとも、今の私には新しい可能性がある。
そのとき、部屋の外から声が聞こえてきた。
「萌花ー! 朝ごはんできてるわよ!」
「はーい、今行く!」
返事をしてから、私は一瞬だけ動きを止めた。
……そういえば、家族のことをまだ何も知らない。
昨日は自分の状況を理解するだけで精一杯で、スマートフォンに届いていたメッセージもほとんど確認していなかった。これからこの家で暮らしていく以上、家族との関係も少しずつ理解していかなければならないだろう。
私はもう一度だけ髪の毛先を手で整えると、ブラシを所定の位置に戻し、部屋のドアを開けた。
廊下を歩いてリビングへ向かうと、テーブルの上には朝食が並んでいた。焼いたトーストに目玉焼き、サラダ、それから湯気の立つスープ。キッチンに立っていた女性が、私の姿を見るなり、にこりと笑った。
「おはよう、萌花。今日はいつもより身支度が丁寧だったのね」
「えっ、あ、うん。ちょっとね!」
どうやら、この体の持ち主は普段からこんなに丁寧に髪をとかしていたわけではないらしい。私は内心で少し焦りながらも、何事もなかったように席へ座った。
朝食を食べながら、学校の時間割や今日の予定について話を聞く。どうやら今日は普通に授業があるらしい。転生したからといって、学校に行かなくてもよくなるわけではないようだ。
それにしても、十三歳か。
前世で夢を追いかけていた頃は、もっと早く始めていればよかったと何度も後悔した。けれど今の私は、まだ十分に時間がある。歌もダンスも、韓国語も、そして自分自身を磨くことも、焦らずに積み重ねていけるはずだ。
朝食を終え、玄関で靴を履く前に、私はふと自分の髪に触れた。さっき丁寧にブラッシングした髪は、指を通してもほとんど引っかからない。ほんの少しのことなのに、なんだか自分を大切にできたような気がした。
「……よし、行ってきます!」
私は玄関のドアを開け、外へと踏み出した。
まだ知らないことばかりの、新しい人生。でも、今度はただ夢を追いかけるだけじゃない。自分に何が必要なのかを考えて、一つずつ準備していこう。
そして、いつか必ず、ステージの上に立つ。
朝の光を浴びながら、私はそんな決意を胸に、学校へ向かった。




