【episode26】感情も込めて
韓国に来て二日目。
朝食を済ませた私は、練習着に着替えて寮を出た。昨日から始まった練習生生活。慣れない環境に戸惑うこともあるけれど、今はそれ以上に、ここで学べることが楽しみだった。
事務所の練習室に着くと、鏡の前で軽く体をほぐした。
ふと、文化祭のステージが頭をよぎる。
あの日、私のパフォーマンスを見てくれたR&M entertainmentの社長。スカウトのとき、社長は私の技術だけを評価したわけじゃなかった。
――技術だけじゃない。自分の気持ちを込めて、見ている人に伝えること。
あの言葉は、今もはっきり覚えている。
私はノートを開き、昨日書いた課題を確認した。ダンスも歌も、技術を磨くことは大切。でも、それだけで満足してはいけない。自分が何を伝えたいのか、どんな気持ちでステージに立つのか。そこまで考えてこそ、私のパフォーマンスになる。
「よし……!」
時間になり、ダンスの先生が入ってきた。
「今日は昨日の振り付けを確認してから、新しい課題に入ります。動きの正確さは当然として、音楽をどう表現するかも見ます。振り付けを覚えただけで満足しないこと」
「はい!」
まずは昨日の振り付けを踊ることになった。
私は音楽が流れると同時に体を動かした。動きの角度や重心を正確に保ちながら、音の強弱に合わせて表情や視線も変えていく。
ただ笑顔を作るのではなく、音楽から感じたものを表情に乗せる。文化祭のステージで感じた高揚感や、アイドルになりたいという気持ちを思い出しながら、一つひとつの動きに意味を持たせた。
踊り終えると、先生が口を開いた。
「音羽さん。今のパフォーマンス、自分ではどう思いますか?」
「動きは昨日より安定したと思います。でも、音楽の盛り上がりに合わせた表現は、まだ工夫できるところがあると思います」
「そうですか。では、もう一度。今度は自分で改善点を考えて踊ってください」
私はうなずいた。
二度目は、動きの強弱だけでなく、曲の流れを意識した。静かな部分では視線を丁寧に使い、音が強くなるところでは動きに勢いを持たせる。最後まで集中を切らさず、踊り切った。
「……はい。今のほうがいいですね」
先生は鏡越しに私を見た。
「動きが正確なだけでなく、音楽に合わせて表現を変えようとしているのが分かります。ただし、表現に気を取られて基礎が崩れたら意味がありません。両方を高いレベルで維持してください」
「はい!」
その後は新しい振り付けに入った。私は振りを覚えると、動きの正確さを確認しながら、どこで力を抜き、どこで視線を変えると曲の印象が伝わるのかを考えた。
先生の指示が入ると、その場ですぐに動きを修正する。前世から積み重ねてきた経験があるからこそ、指摘の意味を理解し、体の動きに反映させることができた。
ただし、先生の要求は簡単には終わらなかった。
「覚えるのは速いですね。でも、そこで満足しない。次は同じ振り付けを、最初から最後まで一つの作品として見せてください」
私はもう一度、音楽を待った。
技術を見せるだけじゃない。
この曲を通して、私は何を伝えたいのか。
その答えを探しながら、踊った。
午後はボーカルレッスンだった。
ボーカルの先生は、全員の顔を見渡してから課題を説明した。
「今日は歌唱の技術だけでなく、歌詞の解釈と表現も確認します。音程が合っていても、何も伝わらなければ歌としては不十分です。自分の歌を聴いている人がいることを忘れないでください」
私はその言葉に、自然と背筋が伸びた。
社長に言われたことと同じだった。
順番に練習生が歌っていき、私の番が来た。
歌う前に、私は一度だけ目を閉じた。
歌詞を頭の中で思い浮かべる。そこにある感情は何なのか。誰に向けた言葉なのか。そして、自分がその言葉を歌うなら、どんな気持ちを込めたいのか。
考えたうえで、私は歌い始めた。
音程や呼吸を意識するのは、もう当たり前のこと。今は、それらを土台にして、歌詞の気持ちが自然に声へ乗るように集中した。
歌い終えると、先生は少し考えてから言った。
「基礎は安定していますね。歌詞の意味を考えて歌っていることも伝わります」
「ありがとうございます」
「ただ、言葉によって感情の差が小さくなっている部分があります。全部を同じ強さで伝えようとしないこと。大切な言葉を際立たせるには、その前後をどう歌うかも考える必要があります」
「はい。もう一度、歌ってもいいですか?」
「どうぞ」
私は指摘された部分を頭の中で整理した。
強く歌えば気持ちが伝わるわけではない。大切な言葉の前で少し抑えることで、その言葉が持つ意味を際立たせることもできる。
私はもう一度歌った。
今度は、言葉ごとの感情の違いを意識した。歌詞の流れを崩さず、伝えたい言葉に自然と耳が向くように、声の強弱や息の使い方を調整する。
歌い終わると、先生がうなずいた。
「今のほうがいいですね。ただし、これは一度できれば終わりというものではありません。毎回同じように表現できるようにしてください」
「はい!」
レッスンが終わっても、私は先生の言葉を考えていた。
スカウトされたとき、社長は私の技術を認めてくれた。でも、それだけでは足りないとも教えてくれた。
あの言葉があったから、私は韓国に来てからの練習でも、ただ正確に踊ることや歌うことだけを目標にしなかった。
技術は、気持ちを届けるためのもの。
ならば、技術を磨くことと、自分の気持ちを込めることは、別々に考えるものではないのかもしれない。
寮に戻ると、ユナがリビングで声をかけてきた。
「モカ、おかえり! 今日もレッスン、大変だった?」
「うん。でも、昨日より意識できたことが増えたよ」
「何を?」
「歌もダンスも、ただ上手にやろうとするだけじゃなくて、自分が何を伝えたいのかを考えること」
ユナは少し考えてから、笑った。
「それって、難しそうだけど大切だね」
「うん。私も、もっと考えたい」
夕食を済ませ、私は机に向かった。ノートを開き、今日のレッスンで気づいたことを書いていく。
ダンス:動きの正確さと表現を両立する。曲の流れを考え、動きや視線に意味を持たせる。
ボーカル:歌詞の意味を理解し、伝えたい言葉を意識する。強く歌うだけでなく、前後の表現も工夫する。
そして、最後に一行。
私は、技術を見せたいんじゃない。私の気持ちを、私のパフォーマンスで伝えたい。
書き終えた私は、ペンを置いた。
いつか、大きなステージに立つ日が来たら。たくさんの人が私を見て、私の歌を聴いてくれる日が来たら。
そのとき、ただ「上手だった」で終わるのではなく、「もう一度見たい」「この人を応援したい」と思ってもらえるアイドルになりたい。
前世で夢を諦められなかった私が、もう一度この世界で夢を追いかけている。
だからこそ、今度は技術だけで終わらせない。
「絶対、デビューする」
私はノートを閉じ、明日の準備を始めた。
夢に近づくために、今日できることはやった。
明日は、今日よりもっといいパフォーマンスを目指そう。




