【閑話】その後の瑠夏達と萌花
文化祭の騒動からしばらくが経ち、私の渡韓の準備は着々と進んでいた。
事務所との契約も済み、いよいよ日本を離れる数日前、私は学校の昇降口で足を止められた。
「音羽さん、ちょっといい?」
声をかけてきたのは、またしても澪音だった。その背後には麗奈、そして奥の影にはいら立ちを隠しきれない様子の瑠夏が立っている。
「……また校舎裏?」
私が呆れたように聞くと、澪音は不敵な笑みを浮かべた。
「いいから、来てよ。今日は私たちだけじゃないんだから」
嫌な予感がしつつも、私は三人の後をついて人気のない校舎裏へと向かった。
冷たいコンクリートの壁に囲まれたその場所には、すでにピリついた空気が漂っていた。しかし、待っていたのは三人だけではなく、校内で少し名前を知られた不良グループの先輩男子たちが、腕を組んでニヤニヤと笑いながら立っていた。
「待たせたな、瑠夏」
先輩の一人が瑠夏の肩に軽く触れる。瑠夏は急に心強くなったのか、さっきまでの焦りを消し去り、ふんっと鼻を鳴らした。
「そうなんです、先輩! こいつ、ただの練習生のくせに調子に乗りすぎてて、まじでむかつくんですよ!」
瑠夏が私を睨みつけながら、叫ぶように吐き捨てる。
「そうそう、先輩たちからも一言言ってやってくださいよ。自分たちの立場が分かってないんで、痛い目見ないと分からないみたいですし」
澪音と麗奈も、後ろ盾ができたことで嬉しそうに調子を合わせていた。
先輩男子の一人が、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら私に一歩近づいてくる。
「おい、新人のくせに生意気な真似してると、この学校にいられなくしてやるよ? 韓国に行く前に、先輩の言うことしっかり聞いとけって」
威圧的な巨体が目の前に迫り、周囲の空気が重く淀んだ。
しかし、私は少しも動じなかった。
「……先輩たちが、そんなところで後輩のいじめに加担してるほうが、よっぽどみっともないと思いますけど?」
「はぁ……? てめえ、誰に向かって口きいてんだよ!」
先輩男子が顔を真っ赤にして怒声を上げ、勢いよく右ストレートを放ってきた。
――が、私は一歩も引かず、その拳をひょいと最小限の動きでかわした。
「……は?」
空を切った拳を見て、先輩が間抜けな声を漏らす。私は涼しい顔でため息をついた。
「いやー、毎日ハードなダンスの練習してるおかげで、動体視力と瞬発力がめちゃくちゃついたもので。そんな大振りのパンチ、当たらないですよ」
「なっ……調子に乗るなよ!」
今度は怒りに任せて、全体重を乗せた強烈な回し蹴りが飛んできた。
しかし、私は身体を綺麗に半身にひねり、その蹴りをギリギリで見逃す。
「だから、遅いです。韓国の激しい振り付けのテンポに比べたら、スローモーションに見えますよ」
「てめえ、ふざけんな……っ!」
先輩男子は顔を真っ赤にし、息を荒げながら何度も連続で殴りかかってきた。
けれど、私はまるでステップを踏むように、一つひとつの攻撃をひらり、ひらりと華麗にかわし続ける。ダンスで鍛え抜かれた体幹と俊敏性は、ただの不良の喧嘩など軽く凌駕していた。
十数発すべてを綺麗にかわされ、すっかり息を切らした先輩は、その場でバランスを崩してよろめいた。
「はぁ、はぁ……なんなんだよ、お前……」
呆然と立ち尽くす先輩を一瞥し、私は冷ややかに言い放った。
「暴力でしか威張れないなんて、先輩としてのプライドはないんですか? そんなんだから、いつまで経ってもその程度なんですよ」
後ろに控えていた他の先輩たちも、化け物を見るような目で私を見つめ、一歩、また一歩と後じさりを始めた。
そして、その光景を目の当たりにした瑠夏たちの顔からは、血の気が完全に引いていた。
「うそ……嘘でしょ……?」
瑠夏がガタガタと震え出す。支えだと思っていた先輩たちが一瞬で無力化され、自分たちに残された拠り所が音を立てて崩れていく。
「何よそれ……! そんなの反則じゃない!」
瑠夏は現実を受け入れられないのか、声を荒げて私に詰め寄ってきた。
「ちょっとダンス習ってるからって、いい気になるなよ! あんたなんか、所詮は急にまぐれでスカウトされただけの田舎娘のくせに!」
「まぐれ?」
私は冷めた笑みを浮かべ、瑠夏をまっすぐに見据えた。
「私がどれだけ練習してきたか、あなたに何が分かるの? 毎日、学校が終わったらすぐにスタジオに通って、鏡が曇るまで汗を流して、自分の足りないところと向き合い続けた。あなたたちがスマホをいじって誰かさんの陰口を叩いてる間も、私はずっと夢のために時間を使ってきたの」
「っ……!」
瑠夏は言葉を詰まらせた。
「それに、勘違いしないで。私が韓国に行くのは、誰かに選ばれたからだけじゃない。私が、自分の足でその切符を掴み取ったからだよ。あなたたちみたいに、他人の足を引っ張ることでしか自分の価値を確認できない人間とは、最初から見てる世界が違うの」
「ちょっと、言い過ぎじゃない……?」
澪音と麗奈が震えながら口を挟む。
「言い過ぎ? 今まで私にやってきたことのほうが、よっぽど度を超えてるでしょ。机の落書きも、体操服の件も、全部知ってるんだからね」
二人はギクリと肩を震わせ、もう何も言い返せなくなった。
瑠夏は悔しさと怒りと絶望で、目に涙をいっぱいに溜めながら私を睨みつけた。
「……ふん、どうせ向こうに行ったら、もっとすごい奴らにボコボコにされて、泣きながら逃げ帰ってくるに決まってるわよ!」
「そうだね、向こうには私以上の努力家がたくさんいると思う。だからこそ、私ももっと成長できる。楽しみで仕方ないよ。」
私は清々しい笑顔で言い放った。
「あなたたちは、ここで一生、私の背中を指さして負け惜しみを言い続けていればいいよ。じゃあね、二度と会うことはないだろうけど、せいぜい頑張れ〜。」
私は呆然とする不良たちと、崩れ落ちそうになる三人の間をすり抜け、堂々とその場を後にした。
もう、彼女たちの顔色を窺う必要なんて一切ない。
私はまっすぐに前を向き、いよいよ始まる新しい世界へと、胸を張って歩き出した。




