【episode22】文化祭当日
文化祭当日。体育館には、普段の学校生活では見たことがないほど大勢の人が集まっていた。ステージの前には生徒たちだけでなく、保護者や他学年の生徒まで詰めかけていて、あちこちから期待に満ちた声が聞こえてくる。
「次の発表は、三年生の音羽萌花さんによる、K-POPのソロパフォーマンスです!」
司会の声が響くと、体育館の照明が少し落ちた。ステージの中央に立った私は、ゆっくりと息を吸い込む。目の前には大勢の観客。緊張がないわけじゃない。でも、それ以上に、今まで積み重ねてきた練習を全部出し切りたいという気持ちが強かった。
「それでは、聴いてください!」
最初の曲は『BLACK VENOM』。イントロが流れた瞬間、私は表情を切り替えた。鋭い視線、力強い動き、音を正確に捉えるダンス。かわいらしさなんて一切意識せず、ステージを支配するつもりで踊る。曲が終わる頃には、体育館から大きな歓声が上がっていた。
「え、すごくない!?」
「ダンス、キレッキレなんだけど!」
「普段の音羽さんと全然違う……!」
その声を聞きながらも、私は次の曲に意識を切り替えた。二曲目は『Cherry♡Magic』。今度は一転して、明るくて甘い雰囲気。指先まで丁寧に動かし、客席に笑顔を向ける。さっきまでの鋭い表情とは違う、自然で親しみやすいかわいらしさを見せた。
「待って、かわいい!」
「さっきと同じ人!?」
「表情の作り方が上手すぎる!」
三曲目の『STARLIGHT』では、伸びやかな歌声と軽やかなダンスで、会場全体を包み込むようなパフォーマンスを意識した。歌詞に込められた希望を伝えるように、ひとつひとつの言葉を丁寧に歌う。観客の中には、手拍子をしながらリズムに乗ってくれる人もいた。
そして、最後の曲は『NO LIMIT』。ここまでの三曲で見せてきた魅力をすべてぶつけるつもりで、私はステージの中央に立った。イントロが鳴った瞬間、迷いは消えた。力強いダンスも、細かな表情の変化も、視線の向け方も、全部この一曲に詰め込んでいく。
最後の音が響き、私は決めポーズのまま静止した。
一瞬の静寂。
次の瞬間、体育館が大きな拍手と歓声に包まれた。
「すごーい!!」
「もう一回見たい!」
「音羽さん、めっちゃかっこよかった!」
拍手が鳴りやまない。私はゆっくりと顔を上げ、客席を見渡した。笑顔で手を振ってくれる人、驚いた顔のまま拍手している人、友達と興奮した様子で話している人。さっきまで自分が踊っていたステージが、急に夢みたいに感じられた。
――終わったんだ。
四曲全部、最後まで踊り切った。何度も繰り返した練習も、思うようにいかなくて悔しかった日も、もっと上手くなりたいと必死になった時間も、全部この瞬間につながっていた。
胸の奥から、じわじわとうれしさが込み上げてくる。私は観客に向かって深くお辞儀をした。
「ありがとうございました!」
再び、大きな拍手が起こった。
そのときだった。
「音羽萌花さん。少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
聞き覚えのある男性の声が、体育館に響いた。
私は顔を上げた。ステージの下から、一人の男性がこちらへ歩いてくる。落ち着いたスーツ姿に、周囲の人とは明らかに違う雰囲気。
――え? うそでしょ。
見覚えがある。というか、忘れるわけがない。
以前、プリマスK-POP Studioに来ていた、韓国の芸能事務所の社長だ。
男性は先生と短く言葉を交わしたあと、ステージに上がってきた。体育館のあちこちから「誰?」「先生の知り合い?」という声が聞こえる。私は驚きを隠せないまま、彼を見つめた。
男性はマイクを受け取り、観客に向かって口を開いた。
「突然失礼いたします。私は、韓国の芸能事務所、R&M entertainmentの代表を務めております」
その瞬間、体育館がざわついた。
「えっ、韓国の芸能事務所!?」
「芸能人が来てるってこと!?」
「待って、何が始まるの?」
私は思わず息をのんだ。R&M entertainment。確かに、以前スタジオで会ったあの社長だ。けれど、どうしてここに? まさか、文化祭を見に来たの?
社長は私に視線を向け、穏やかに微笑んだ。
「音羽萌花さん。先日は、プリマスK-POP Studioでお会いしましたね」
「は、はい。お久しぶりです」
まさか、学校の文化祭で再会するなんて思ってもいなかった。しかも、こんな大勢の人がいる目の前で。
「先日のスタジオでの様子も印象に残っていましたが、今日のパフォーマンスを拝見して、あなたの実力を改めて確信しました。四曲それぞれで表情も雰囲気も変え、ダンスだけでなく、歌やステージ全体の見せ方まで考えられていた。特に、観客の反応を見ながら自然に表情を変えていた点が素晴らしかったです」
「……ありがとうございます」
褒められている。しかも、ただ上手だったというだけじゃない。自分が意識していた部分まで見てくれていた。そのことが、何よりうれしかった。
けれど、社長はそこで話を終えなかった。
「そこで、本日はあなたにお伝えしたいことがあり、こちらに伺いました」
体育館が静まり返る。
社長は、はっきりと私を見つめた。
「音羽萌花さん。あなたを、R&M entertainmentの練習生として正式に迎えたいと考えています」
「…………え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
練習生として?
正式に?
つまり、それって――。
「今回の件は、単なるオーディションへの案内ではありません。私たちは、あなたの実力と将来性を評価したうえで、スカウトとしてお声がけしています。正式な合格です」
頭の中が真っ白になった。
ずっと目指してきた場所。前世では、どれだけ努力しても届かなかった夢。今度こそ絶対に諦めたくないと思って、毎日練習を続けてきた。
その夢が、今、目の前にある。
「……私、が?」
思わず声が震えた。
「はい。あなたです、音羽さん」
社長は迷いなく頷いた。
「もちろん、韓国での活動や練習生生活については、ご家族にも詳しく説明する必要があります。今後の手続きについても、保護者の方と相談しながら進めていきましょう。しかし、弊社としてあなたを練習生に迎えたいという意思は、すでに固まっています」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
うれしい。信じられないくらいうれしい。
でも、ここで泣くのはまだ早い。これは夢の終わりじゃない。ようやく、夢に向かうための扉が開いたんだ。
私は社長の目をまっすぐに見て、深く頭を下げた。
「ありがとうございます! 私、絶対にもっと上手くなります。いつか、世界中の人に認めてもらえるアイドルになります!」
言い終わった瞬間、体育館から割れんばかりの拍手が起こった。
「えええ!? 正式合格!?」
「文化祭でスカウト!? そんなことある!?」
「音羽さん、本当に韓国の事務所に入るの!?」
会場中が大騒ぎになっていた。
けれど、その中で。
「…………は?」
明らかに違う反応をしている三人がいた。
瑠夏、澪音、麗奈。
三人とも、ステージを見つめたまま固まっていた。
「……え、ちょっと待って」
最初に口を開いたのは澪音だった。いつもの余裕たっぷりな笑顔は、どこにもない。
「今、正式合格って言った? オーディション受けなくても?」
「は? いやいや、そんなのあり得なくない?」
麗奈が早口で言い返す。しかし、その声にはいつもの冷たさよりも、明らかな動揺が混じっていた。
瑠夏は何も言わず、社長と私を交互に見ていた。
――なんで?
その疑問が、頭の中をぐるぐる回る。
だって、文化祭で歌って踊るだけのはずだった。みんなの前で失敗させて、調子に乗っていたことを思い知らせてやる。そうすれば、今まで自分たちに向けられていた注目も、また戻ってくるはずだった。
それなのに。
どうして、韓国の芸能事務所の社長が出てくるの?
どうして、萌花が正式に合格しているの?
どうして、自分たちが見下していた相手が、こんな大勢の前で認められているの?
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
瑠夏がようやく声を出した。
「だって、あの子、ただダンスが好きなだけでしょ? 学校でちょっと目立ってただけじゃん……」
自分に言い聞かせるような言い方だった。
澪音も慌てて頷く。
「そうだよ。だって、練習生って簡単になれるものじゃないでしょ? いくら文化祭で上手くいったからって、そんな、いきなり……」
「でも、社長本人が正式合格って言ったじゃん!」
麗奈の言葉に、二人は口をつぐんだ。
そう。聞き間違いじゃない。
しかも、スカウトだ。
自分たちが何を言おうと、社長が萌花の実力を認めたという事実は変わらない。
瑠夏の指先が、ぎゅっと握りしめられた。
「……なんで、萌花なの?」
その声は、さっきまでの強気なものとは違っていた。悔しさと焦りが、隠しきれずに滲んでいる。
「私だって、みんなからかわいいって言われてるし……。澪音も麗奈も、私のほうが目立ってるって言ってたじゃん」
「瑠夏……」
「なのに、なんであの子ばっかり……!」
最後の言葉は、ほとんど声になっていなかった。
澪音は周囲を気にして、慌てて瑠夏の腕を引いた。
「ちょっと、声大きいって! みんなこっち見てる!」
実際、近くにいた生徒たちが三人の様子に気づき始めていた。
「え、あの三人、音羽さんと仲いいんじゃなかったの?」
「なんか、すごい顔してない?」
「さっきまで普通に見てたのに……」
「っ……!」
瑠夏は慌てて表情を取り繕った。しかし、笑顔を作ろうとしても、頬が引きつるばかりだった。
麗奈が小声で言う。
「……これ、どうするの?」
「どうするって、何が?」
「何がって……! あの子、本当に韓国の事務所に行くかもしれないんだよ? このまま有名になったら、私たちが今まで何してたかだって……」
「やめて!」
瑠夏が鋭く遮った。
その声に、二人がびくっと肩を揺らす。
「今、それ言わないで……!」
瑠夏自身、何をどうすればいいのかわからなかった。
これまでは、萌花が少し注目されても、陰で悪く言えばいいと思っていた。自分たちが笑っていれば、周りも一緒になって笑ってくれる。そうやって、萌花の立場を少しずつ悪くしていけばいいと考えていた。
でも、今は違う。
目の前にいるのは、ただクラスで目立っているだけの女の子じゃない。
大勢の観客を魅了し、韓国の芸能事務所の社長に実力を認められ、正式に練習生として迎えられることになった女の子だ。
もし本当にデビューしたら?
もし、テレビやSNSで何万人、何十万人もの人に知られるようになったら?
もし、今日のことが広まって、学校中が萌花の味方になったら?
考えれば考えるほど、胸の中がざわついていく。
「……こんなの、納得できない」
瑠夏は唇を噛んだ。
「絶対、何かの間違いだよ。だって、私たちのほうが……」
そこまで言って、言葉が止まった。
自分たちのほうが、何なのだろう。
かわいい? 人気がある? クラスで目立っている?
でも、さっきのステージで、観客の目を奪っていたのは萌花だった。社長が声をかけたのも萌花だった。そして、正式合格を告げられたのも――。
「……っ、もういい!」
瑠夏は顔を背けた。
「帰ろ。こんなの、見てらんない」
「でも、まだ文化祭……」
「いいから!」
澪音と麗奈は、慌てて瑠夏の後を追った。しかし、三人ともさっきまでの余裕はすっかり消えていた。
ステージの上では、社長が先生と今後の手続きについて話していた。私はまだ夢の中にいるような気分で、その光景を見つめていた。
まさか、今日、こんなことになるなんて。
もちろん、練習生になれたからといって、すべてがうまくいくわけじゃない。韓国での生活も、厳しい練習も、これから乗り越えなければいけないことはたくさんあるはずだ。
でも、それでいい。
私はもう一度、ステージの上から客席を見渡した。
前世では、どれだけ努力しても、夢を叶えることはできなかった。だからこそ、今度は違う。今度こそ、自分の力で夢を掴んでみせる。
「音羽さん」
社長が私に向き直った。
「これから、一緒に頑張っていきましょう」
「はい!」
私は、今度こそ迷いなく返事をした。
体育館には、まだ拍手と歓声が響いていた。
そして私は、心の中で静かに誓った。
――ここからが、本当のスタートだ。




