【episode12】韓国大手事務所の社長〈あなたの名前、覚えておきます
その日の放課後も、私はいつものようにPlymouthK-POP Studioへ向かった。最近は学校が終わると、そのままレッスンへ行くのがすっかり日課になっている。
今日もダンスと歌を頑張ろう。そんなことを考えながらスタジオの扉を開けた私は、入った瞬間、いつもとは少し違う空気を感じた。
いつもならレッスン前のスタジオは生徒たちの話し声で賑やかなのに、今日は妙に静かだった。受付の近くには見慣れないスーツ姿の大人が何人かいて、先生たちも普段より緊張した様子で話している。
「先生、今日どうしたんですか?」
荷物を置きながら尋ねると、先生がこちらを振り向いた。
「あ、音羽さん。実はね、今日はちょっと特別なの」
「特別?」
「韓国の芸能事務所の方が、スタジオの見学に来てるの。日本で活動している若い子たちの実力を見てみたいんだって。だから今日は、何人か実際に実力チェックをしてもらうことになってるの」
「どこの事務所なんですか?」
「R&M entertainment」
「……R&M?」
その名前を聞いた瞬間、胸が跳ねた。R&M entertainment。前世でも何度も名前を聞いたことがある韓国の芸能事務所だ。まさか、今の私が通っているスタジオに、その関係者が来るなんて思ってもいなかった。
「もしかして……社長さんも?」
「うん。来てるよ」
「えっ」
私は思わずスタジオの奥を見る。そこには、数人のスタッフに囲まれて立っている男性がいた。派手な雰囲気ではない。むしろ落ち着いていて、こちらから見ても何を考えているのか分からないくらい静かな表情をしている。もちろん、今日はスカウトをするために来たわけではないらしい。あくまでスタジオの見学と、今の日本の若いダンサーや歌い手がどのくらいの実力なのかを見るためのものだという。つまり、私だけが特別に見てもらえるわけではない。それなら、いつも通りにやればいい。そう思っていた。
「では、一人目の方。お願いします」
最初に呼ばれたのは、普段のレッスンでも何度か見たことがある女の子だった。ダンスも上手で、練習にも真面目に取り組んでいる。少なくとも、私から見ればかなり踊れる子だ。
「まず、ダンスから」
音楽が流れる。女の子はすぐに踊り始めた。振り付けもしっかり覚えているし、リズムも取れている。ところが、まだ十秒も経っていない。
「止めてください」
女の子が動きを止める。
「基礎はできています。ただ、動きが小さいですね。振り付けを間違えないことに意識が向きすぎています。ステージに立つなら、もっと身体を大きく使った方がいいです」
「……はい」
続いて歌。女の子は少し緊張しながら歌い始めた。声は綺麗で、音程も安定している。けれど、最初のフレーズが終わったところで、また止められた。
「音程は取れています。ただ、声に特徴がありません。歌が上手い人はたくさんいます。その中で、あなたの声をもう一度聴きたいと思わせるものが必要です」
そして最後はダンスと歌。曲が始まり、女の子は踊りながら歌う。しばらくすると歌に意識が寄ったのか、ダンスの動きが小さくなった。
「止めてください。ダンスと歌を同時にすると、歌に意識が寄っています。両方を同時にできるように練習してください」
「分かりました」
女の子が戻ってくる。
私はその子の評価を頭の中で整理した。ダンスは、振り付けを正確に踊れていても、それだけでは足りない。ステージなら、客席から見たときに大きく見える動きが必要。歌は、音程が合っていても、それだけでは足りない。上手な人がたくさんいる中で、「この人の声をもう一度聴きたい」と思わせる個性が必要。そしてダンスと歌を同時にしたときは、片方に意識が偏らないこと。
――なるほど。上手くやるだけじゃないんだ。
次の生徒が呼ばれた。今度は男の子だった。ダンスが始まると、さっきの女の子よりも身体の使い方が大きく、リズム感もある。今度は数秒では止められなかった。一曲の途中まで踊ったところで、社長が手を上げる。
「身体の使い方はいいです。リズム感もあります。ただ、動きが少し単調です。強くするところと抜くところをもっと作ってください」
「はい」
私はまた頭の中に書き足した。大きく踊る。それだけでも足りない。強弱をつける。見せる場所を作る。
続いて歌。男の子はマイクを持ち、安定した声で歌い始めた。けれど、高音に入ったところで少し力が入る。
「歌はダンスほど安定していません。特に高音で力みすぎています。今のままでは、踊りながら歌うとさらに崩れると思います」
「……分かりました」
そしてダンス+歌。最初は問題なく踊りながら歌っていたものの、しばらくすると歌声が少し揺れ始めた。
「止めてください」
男の子が動きを止める。
「やはり歌が崩れましたね。ダンスの能力はあります。歌を安定させれば、かなり変わると思います」
「はい」
男の子は悔しそうに頷いた。
私は二人の評価を聞き終えて、頭の中で整理した。大きく踊る。でも、ただ大きくするだけでは足りない。強弱をつけて、見せる場所を作る。歌は音程を合わせるだけじゃなく、自分の声を使って個性を出す。そして、ダンスと歌を同時にしても、どちらも崩さない。
――だったら、私ならできる。
私は自分の番を待ちながら、意識することを決めた。ダンスでは身体を大きく使って、強弱もつける。歌では、ただ正確に歌うのではなく、自分の声を前に出す。そしてダンスと歌を同時にするときは、どちらかを犠牲にしない。前世で十年間、私はそれを何度も繰り返してきた。今の身体でも、転生してから毎日のように練習している。なら、ここで出せない理由はない。
「次、音羽さん」
名前を呼ばれた。
「はい」
私は立ち上がった。
少しだけ緊張する。でも、不思議と怖くはなかった。むしろ、何を見せればいいのかがはっきりしている。
私はスタジオの中央へ歩いていった。
「まず、ダンスからお願いします」
「分かりました」
音楽が流れる。
私は最初の一音から、身体を大きく使った。けれど、全部を同じ大きさで踊るのではなく、音に合わせて強くするところと抜くところを作る。動きを止めるところはしっかり止め、次の動きへ一気につなげる。視線も落とさない。振り付けを正確に踊ることはもちろん、その上で、自分がステージに立っているつもりで踊った。曲が一区切りつくまで踊り切る。
音楽が止まった。
「ありがとうございました」
社長はすぐには何も言わなかった。数秒ほど私を見つめてから、ゆっくり口を開く。
「……すごいですね」
「え?」
「とても上手です。基礎がかなりできている。重心も安定しているし、リズムの取り方もいい。それに身体の使い方が大きい。強弱もしっかりついています」
私は黙って聞いていた。
「それだけじゃない。今まで見た子たちと比べても、動きの一つ一つに無駄がないですね。振り付けを覚えているというより、身体そのものが音楽に合わせて動いている感じがします」
「ありがとうございます」
「それに、さっき私が他の子に言ったことを意識して踊りましたね?」
「はい」
「なるほど……」
社長が少しだけ驚いたような顔をした。
「言われたことを理解して、すぐに自分のパフォーマンスへ反映できる。それはかなり大きな才能ですよ」
私は心の中で拳を握った。
よし。
さっきまでの評価を、全部活かせた。
「次、歌をお願いします」
私はマイクを受け取った。
今度は歌。音程を正確に取るのはもちろん、自分の声をしっかり出す。声の強さや息の使い方も変えながら、ただ上手く歌うのではなく、一つの歌として届ける。
曲が終わる。
社長は少し黙ったあと、今度ははっきりと頷いた。
「……歌もすごくいいです」
「ありがとうございます」
「音程はもちろん安定しています。それに、声にちゃんと個性がありますね。無理に作った声じゃない。あなた自身の声で歌えている」
私は少しだけ嬉しくなる。
「正直、ここまでできるとは思っていませんでした」
「……!」
「ダンスが得意な子はいても、歌までここまで安定している子はそう多くありません。しかも、さっき私が言った『個性を出す』という部分まで、すぐに反映できている」
社長は私を見る。
「かなり面白いですね、あなた」
そして最後。
「では、ダンスと歌を同時にお願いします」
私はマイクを持ち直した。
ここが最後だ。
さっきの二人は、ダンスと歌を同時にすると片方が崩れた。私は絶対に崩さない。ダンスは大きく、強弱をつける。歌は自分の声で。呼吸も安定させる。そして、ただ両方をこなすのではなく、ステージに立っているつもりで、自分自身を見せる。
「お願いします」
音楽が始まる。
私は踊りながら歌った。
激しい動きでも呼吸を崩さない。歌に意識が寄ってダンスが小さくなることもない。ダンスに集中して歌が乱れることもない。視線、表情、身体の角度、重心、呼吸、声。すべてを同時にコントロールする。
そして、最後まで一度も崩さずに踊り切った。
音楽が止まる。
静かだった。
私は息を整えながら、社長を見る。
社長はしばらく私を見つめていた。そして――。
「……すごい」
今度は、さっきよりもはっきりとした声だった。
「ダンスと歌、どちらもかなり高いレベルで安定しています。しかも、ただ安定しているだけじゃない。ステージに立ったときの見せ方まで考えている」
「ありがとうございます」
「正直に言います」
社長は少し前へ出た。
「今の年齢でここまでできるなら、デビューしてもおかしくありません」
私は思わず目を見開いた。
「ダンス、歌、表現力。どれも十分に武器になる。もちろん、実際のデビューには韓国語やステージ経験など、まだ必要なことはあります。でも、少なくとも『実力が足りないからデビューできない』というレベルではありません」
「……!」
胸が大きく跳ねた。
前世の私が、何年も何年も欲しかった言葉だった。
「むしろ、今後どう成長するのかが楽しみです。今の段階ですでにこのレベルなら、数年後にはかなり面白い存在になるでしょう」
社長は少しだけ考えたあと、続けた。
「あなたの名前は覚えておきます」
「……私の、名前を?」
「はい。音羽萌花さん。覚えました」
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
私は必死に表情を保ちながら、深く頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「これからも練習を続けてください。今日見た中では、間違いなく一番印象に残りました」
「はい!」
私はもう一度頭を下げた。
実力チェックが終わって、自分の荷物を取りに戻る。スカウトされたわけではない。契約の話をされたわけでもない。でも、そんなことはどうでもよかった。
『すごく上手です』
『デビューしてもおかしくありません』
『今後どう成長するのか楽しみです』
『あなたの名前は覚えておきます』
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
私はスマホを取り出し、今日のことをメモした。『他の人への評価を分析して、自分のパフォーマンスに反映する』『ダンス――大きく、強弱、表現』『歌――自分の声、個性』『ダンス+歌――どちらも崩さず、ステージとして見せる』。そして最後に、今日一番心に残った言葉を書き込んだ。
『デビューしてもおかしくない』
画面を見つめる。
前世の私は、何度も何度も努力した。それでも、「ビジュアルがダメ」と言われて終わった。
でも、今は違う。
ビジュアルもある。
ダンスもある。
歌もある。
そして、今日の実力チェックで、自分が積み重ねてきたものが間違っていなかったと分かった。
「……絶対、なれる」
私は小さく呟いた。
今度こそ。
今度こそ、K-POPアイドルになる。
そのためなら、もっと練習できる。もっと上手くなれる。まだ韓国語も、ステージ経験も、身につけなければならないことはたくさんある。でも、もう「自分には無理かもしれない」とは思わない。
だって――。
私はもう、夢への道の上に立っているのだから。




