『五年後の鉛筆』第4回 ✲愛嬌という老後資産 ――正解はAIに任せて、僕は下手な歌でもう一度、人間になる――
✦『五年後の鉛筆』第4回
✲ 愛嬌という老後資産
――正解はAIに任せて、
僕は下手な歌で
もう一度、人間になる――
………
正しい答えは、
AIがくれる時代になった。
薬の飲み方も。
英語の発音も。
株価の理由も。
仏教の意味も。
人生相談さえも。
スマホに聞けば、
きれいな文章で返ってくる。
それなら、
六十七歳の僕は、
もう何を話せばいいのだろう。
昔の肩書きか。
証券会社で働いた自慢か。
相場の武勇伝か。
若い人への説教か。
どれも、
五年後にはたぶん重くなる。
正しい老人は、
AIに負ける。
でも、
笑える老人は、
まだ人間にしかなれない。
僕はそう思った。
歯は、
人生の信用ログだった。
歯間は、
人生の磨き残しだった。
口臭は、
心と体の黄色信号だった。
では、
舌は何だったのか。
それは、
僕の言葉が帰る場所だった。
若い頃に飲み込んだ言葉。
父親に言えなかった本音。
会社で黙った怒り。
家族にぶつけずに
腹の底へ沈めた感情。
六十七歳になってから、
「今さら」
と笑われて
引っ込めた挑戦。
それらは全部、
僕の口の底に沈んでいた。
でも、
舌には帰る場所があるという。
上の前歯の少し後ろ。
ザラザラした小さな場所。
そこに舌先を置く。
ただそれだけで、
僕は少しだけ、
自分の声を取り戻す気がした。
これは、
歯を磨く話ではない。
これは、
閉じていた口が、
もう一度世界へ向かって
開き始める話である。
………
★目次
■第一章
舌には帰る場所がある
■第二章
AIが正解を話す時代
■第三章
カラオケは、
老化した舌の反乱だった
■第四章
七十年代の洋楽は、
僕のOS更新だった
■第五章
愛嬌という老後資産
■第六章
因縁果の編集画面
■第七章
六十七歳の僕は、まだ笑える
❥Z世代のあなたへ
★あとがき
ホームズとワトソンの
やすきよ漫才風
………
★本文
■第一章
舌には帰る場所がある
歯科医の先生は、
舌の話もしていた。
舌先は、
上の前歯の少し後ろ。
ザラザラした場所に、
軽く置く。
僕は鏡の前で、
舌の位置を確かめた。
情けないことに、
僕の舌は下に落ちていた。
重たい老人のように、
口の底で休んでいた。
舌にも、
帰る場所がある。
その言葉が、
妙に胸に残った。
歯には、
歯ぐきがある。
歯ブラシには、
洗面台がある。
鉛筆には、
紙がある。
では、
舌にはどこがあるのか。
舌先を、
上あごの小さなザラザラに
そっと置く。
力を入れるのではない。
押しつけるのでもない。
ただ、
帰る。
僕はそれをやってみた。
すると、
不思議なことに、
少しだけ姿勢が変わった。
口が閉じる。
鼻で息をする。
あごの力が抜ける。
肩の力も、
ほんの少しだけ抜ける。
舌の位置だけで、
人間の感じ方は
こんなに変わるのか。
僕は驚いた。
でも考えてみれば、
それは当たり前だった。
舌は、
ただ味を感じるための
ものではない。
話すため。
飲み込むため。
歌うため。
息を整えるため。
口の形を保つため。
舌は、
口の中の小さな操縦士だった。
その操縦士が、
長い間、
口の底に落ちていたのだ。
僕にも、
帰る場所があったのかも
しれない。
証券会社でもない。
若い頃の栄光でもない。
父親への反発でもない。
定年後のあきらめでもない。
僕の舌が、
上あごのスポットに戻るように、
僕の魂も、
ようやく戻る場所を探していた。
それが、
小説だった。
AIだった。
カラオケだった。
そして、
若い世代に向けて、
まだ伝えられる言葉だった。
■第二章
AIが正解を話す時代
五年後、
僕は七十二歳になる。
その頃には、
AIはもっと賢くなっているだろう。
薬の説明もしてくれる。
介護の相談にも乗ってくれる。
英語の発音も直してくれる。
ニュースの解説もしてくれる。
仏教の言葉も、
小学生に分かるように
説明してくれる。
株価が下がった理由も、
上がった理由も、
きれいに整理してくれる。
昔なら、
物知りな老人は
尊敬された。
「さすがですね」
「経験がありますね」
「勉強になります」
そう言われた。
でも、
AIが正しい答えを
すぐに出す時代には、
ただ物知りなだけの老人は、
少しずつ重くなる。
知識だけなら、
AIでいい。
説教なら、
聞かなくていい。
昔話なら、
短くしてほしい。
自慢話なら、
ミュートしたい。
若い人は、
きっとそう思う。
僕は少し怖くなった。
元証券会社勤務。
三十八年働いた。
相場も見た。
客の欲も見た。
会社の理不尽も見た。
家族も養った。
それでも、
五年後の若い人にとって、
そんな肩書きは
どれほど意味があるのだろう。
昔の名刺は、
五年後のドアを
開けてくれない。
過去の実績は、
今日の会話を
温めてはくれない。
七十二歳の僕を救うのは、
元証券マンという
肩書きではなく、
今日、
機嫌よく話を聞けるか。
今日、
ありがとうと言えるか。
今日、
若い人に教わっても
腹を立てないか。
今日、
間違えた時に
笑えるか。
そこなのかもしれない。
AIが正解を話す時代に、
人間のおじいちゃんが
持てる価値は、
正しさではなくなる。
では何か。
愛嬌だ。
失敗談だ。
照れ笑いだ。
不完全だけど、
なんだか近くにいてもいいと
思える人間味だ。
正しい答えは、
AIがくれる。
でも、
一緒に間違えて
笑ってくれるのは、
人間のおじいちゃんだった。
僕は、
そういう老人になりたいと
思った。
■第三章
カラオケは、
老化した舌の反乱だった
カラオケを、
ただの遊びだと思っていた。
酒を飲んだ大人が騒ぐ
場所。
歌のうまい人が自慢する
場所。
少し不良っぽい
遊び。
そんなイメージがあった。
でも六十七歳になって、
僕は気づいた。
カラオケは、
口の筋トレである。
舌が動く。
唇が動く。
喉が動く。
呼吸が深くなる。
表情が戻る。
声が出ると、
脳が少し目を覚ます。
歌詞を追うと、
記憶が動く。
高い声を出そうとすると、
腹が動く。
そして何より、
舌が眠らない。
僕は思った。
チョコ●ップが
足腰のジムなら、
カラオケは
口の中のジムだ。
歯磨きが清掃なら、
カラオケは舌の体操だ。
老人になるとは、
何かが一気に
止まることではない。
動かさない場所から、
順番に老いていくことなのだ。
足を動かさなければ、
足が弱る。
声を出さなければ、
声が弱る。
人と話さなければ、
言葉が弱る。
笑わなければ、
笑顔が弱る。
歌わなければ、
舌が眠る。
僕はそれが怖くなった。
だから歌うことにした。
うまく歌うためではない。
若く見せるためでもない。
誰かに
褒められるためでもない。
僕の舌に、
「まだ仕事があるぞ」
と教えるためだった。
声を出さなければ、
声は細る。
歌わなければ、
舌は眠る。
笑わなければ、
笑顔は錆びる。
六十七歳の僕は、
錆びかけた声を持って、
カラオケのマイクの前に立った。
まるで、
古い発電機のスイッチを
もう一度入れるように。
ブーン。
小さな音がした気がした。
それは、
誰にも聞こえない。
でも、
僕には分かった。
僕の中の発電機は、
まだ完全には止まっていない。
■第四章
七十年代の洋楽は、
僕のOS更新だった
気がつけば今週から、
僕は七十年代の洋楽を、
英語で歌う練習をしていた。
発音はたどたどしい。
早すぎてついていけない。
高い声は出ない。
歌詞の意味も、
全部分かっているわけではない。
それでも、
口は動いていた。
舌は動いていた。
喉は震えていた。
六十七歳の僕が、
英語で歌おうとしている。
誰に
頼まれたわけでもない。
誰かに
褒められる保証もない。
英語が
仕事で必要なわけでもない。
外国人と話す予定が
あるわけでもない。
それでも、
僕は歌っていた。
昔なら、
きっとこう言われただろう。
「今さら英語?」
「田舎に戻ったんでしょ?」
「何の役に立つの?」
でも、
役に立つかどうかだけで
人生を決めていたら、
僕はもう、
何も始められない。
役に立つから歌うのではない。
歌うから、
役に立たなかった
人生の部分まで
少しずつ動き始めるのだ。
英語の歌詞を
追う。
分からない単語を
調べる。
AIに意味を
聞く。
口の形をまねる。
舌を動かす。
喉を震わせる。
すると、
ただのカラオケが、
いつの間にか
英語の勉強になり、
脳の体操になり、
口の筋トレになり、
人生の再起動になっていく。
僕は鏡の中の自分を見た。
六十七歳の男が、
七十年代の洋楽を、
下手な英語で歌おうとしている。
少し笑えた。
でも、
少しだけ、
素敵だとも思った。
若い頃に閉じられた口が、
六十七歳になって、
ようやく開き始めていた。
人間は、
役に立つことだけで
生きているのではない。
意味が分からないまま
始めたことが、
あとになって意味を
持つことがある。
鉛筆もそうだった。
短くなっても、
まだ書ける。
歯ブラシもそうだった。
すり減っても、
まだ磨ける。
舌もそうだった。
年を取っても、
まだ歌える。
僕はマイクを持った。
そのマイクは、
若返りの道具ではなかった。
六十七歳の僕が、
六十七歳のまま、
もう一度世界に声を出すための
小さな杖だった。
七十年代の洋楽は、
僕の懐メロではなかった。
それは、
六十七歳のOSを
もう一度更新するための
古くて新しいプログラムだった。
■第五章
愛嬌という老後資産
五年後、評価社会は
もっと進んでいるかもしれない。
誰が感じのいい人か。
誰が約束を守る人か。
誰が怒鳴らない人か。
誰が若い人を否定しない人か。
誰が話を聞ける人か。
誰が失敗しても笑える人か。
そういうことが、
少しずつ見える社会になる。
怖い。
とても怖い。
でも、
逃げるだけではもっと怖い。
なぜなら、
何も残さない人は、
見つけてもらえないからだ。
昔は、
黙って善い人でいることが
美しかった。
それは今でも美しい。
でも、
評価経済では、
見えない善意は
誰にも届かないことがある。
逆に、
少し偽善でも、
見える形で善いことをする人は
評価される。
ありがとうと
言う。
学んだことを
書く。
若い人を
応援する。
間違えたら
謝る。
教えてもらったら
笑う。
失敗談を
隠さない。
これは、
媚びることではない。
自分を社会の中で
見える形に整えることだ。
僕は昔、
威厳のある老人に
なりたいと思っていたかも
しれない。
黙っていても尊敬される老人。
一言言えば、
みんなが聞く老人。
経験だけで
場が締まる老人。
でも、
そんな老人になれる人は
少ない。
そして五年後、
そういう老人の価値は
少し下がるかもしれない。
AIが正解をくれるからだ。
僕が目指すべきなのは、
威厳ではなかった。
愛嬌だった。
オーバークックで、
ゴミ箱とまな板を間違える。
Y字フロスが怖い。
英語の歌で舌がもつれる。
AIに同じことを何度も聞く。
それでも、
怒らず、すねず、
笑ってもう一回やる。
それが、
五年後の老後資産になる。
七十二歳の僕に必要なのは、
威厳ではなかった。
愛嬌だった。
正しい老人は
AIに負ける。
でも、
なんだか憎めない老人は、
まだ人間にしかなれない。
五年後の社会では、
嫌われる老人は
怒鳴られないかもしれない。
ただ、
静かにミュートされる。
説教はブロックされる。
愚痴は既読スルーされる。
昔の自慢は、
AIのノイズ除去に
吸い込まれていく。
誰も正面から喧嘩しない。
ただ、
誘われなくなる。
名前を呼ばれなくなる。
通知が来なくなる。
それが、
一番怖い。
老後の本当の貧しさは、
財布の薄さではない。
誰からも
「最近どう?」
と言われないことだ。
だから僕は、
今日から少し練習する。
偉そうにしない。
分からないことは聞く。
若い人を笑わない。
ありがとうを早めに言う。
失敗談を隠さない。
歯ブラシと同じように、
毎日、
愛嬌を少し磨く。
七十二歳の僕を救うのは、
元証券マンという
肩書きではない。
今日のラジオ体操と、
今日のありがとうと、
今日の一曲と、
今日の歯磨きかもしれない。
■第六章
因縁果の編集画面
仏教には、
因縁果という見方がある。
原因があり、
条件が重なり、
結果が出る。
口臭も同じだ。
食べかすという因。
磨き残しという縁。
臭いという果。
歯周病も同じだ。
菌という因。
歯石という縁。
出血や骨の減少という果。
人生も同じだ。
諦めという因。
先送りという縁。
後悔という果。
でも、因縁果は
怖がるためのものではない。
原因を変えれば、
結果も変わる。
今日
フロスを一本入れる。
今日
小説を一段落書く。
今日
一曲歌う。
今日
英語を一単語覚える。
今日
AIに質問する。
今日
ありがとうと言う。
今日
若い人の話を遮らずに聞く。
小さな因を変えると、
未来の果が変わる。
六十七歳でも、
それは間に合う。
なぜなら、
今日もまだ、
口の中には朝が来るからだ。
僕はよく、
人生はもう決まってしまったと
思い込んでいた。
若い頃にできなかったことは、
もうできない。
言えなかったことは、
もう言えない。
失った時間は、
もう戻らない。
確かに、
戻らない時間はある。
会えなくなった人もいる。
謝れなかった言葉もある。
やり直せない場面もある。
でも、
全部が終わったわけではない。
因は、
今日も作れる。
縁は、
今日も変えられる。
果は、
まだ先にある。
因縁果とは、
人生の判決文ではない。
人生の編集画面である。
僕はそう思った。
今日、
少しだけ因を変える。
今日、
少しだけ縁を変える。
そうすれば、
未来の果は、
ほんの少し変わるかも
しれない。
小さすぎる変化かも
しれない。
誰にも気づかれないかも
しれない。
でも、
歯磨きもそうだ。
一回磨いただけで、
人生が変わるわけでは
ない。
一回フロスを入れただけで、
歯周病が消えるわけでは
ない。
一曲歌っただけで、
英語が話せるわけでは
ない。
一段落書いただけで、
作家になれるわけでは
ない。
それでも、
やる。
なぜなら、
やったことだけが、
次の因になるからだ。
僕は歯ブラシを見た。
これは、
因を作る道具だった。
鉛筆も同じだ。
これは、
因を残す道具だった。
AIも同じだ。
これは、
縁を広げる道具だった。
カラオケも同じだ。
これは、
声を戻す道具だった。
僕は、
ようやく分かった。
六十七歳からの人生は、
奇跡を待つ時間ではない。
小さな因を、
毎日置いていく時間なのだ。
■第七章
六十七歳の僕は、まだ笑える
夜、
僕は洗面台の前に立った。
歯ブラシ。
Y字フロス。
小さなワンタフトブラシ。
フッ素入り歯磨き粉。
それらは、
ただの日用品ではなかった。
僕の人生を、
もう一度磨くための道具だった。
若い頃、
僕は「まだ早い」と言われた。
六十七歳になって、
僕は「もう遅い」と言われた。
でも今なら分かる。
早いか遅いかではない。
残っている場所に、
今日、
毛先を届かせるかどうかだ。
僕はフロスを手に取った。
まだ怖い。
奥歯の間に入れるのは、
やっぱり怖い。
痛そうだし、
血が出そうだし、
何かを壊しそうな気がする。
でも、
怖いところにこそ、
残っているものがある。
人生も同じだ。
僕は鏡の中の老人に言った。
「まだ磨ける」
老人は、
少し笑った。
その歯は、
六十七年間、
一本も抜けずに残っていた。
金持ちではなかった。
偉人でもなかった。
有名人でもなかった。
でも、
食べられた。
しゃべれた。
歌えた。
笑えた。
誰かに、
大丈夫かと声をかけられた。
それだけで、
僕の人生は、
十分に幸せだったのかもしれない。
そして、
その幸せは、
まだ終わっていなかった。
僕は歯を磨いた。
明日の朝、
もう一度、
世界に向かって笑うために。
それから、
短くなった鉛筆を持った。
書くことは、
僕にとって、
もう一つの歯磨きだった。
心の表面をなぞるだけではなく、
奥歯の裏のような
場所へ、
歯間のような
場所へ、
誰にも見せてこなかった
隙間へ、
少しずつ言葉を入れていく。
そこには、
まだ汚れがあった。
でも、
そこには同時に、
まだ光もあった。
六十七歳の僕は、
まだ笑える。
まだ歌える。
まだ書ける。
まだ誰かに、
届くかもしれない。
なら、
もう少しだけ続けてみよう。
人生は、
年齢で終わるんじゃない。
自分の声が、
もう誰にも届かないと
決めつけた時に終わる。
僕は鏡の中の自分に、
もう一度笑った。
その笑顔は、
若くはなかった。
でも、
ちゃんと僕のものだった。
そして僕は思った。
若返らなくていい。
六十七歳の笑顔でいい。
ただ、
その笑顔を
誰にも届かないと
決めつけてはいけない。
その夜、
七十年代の洋楽をかけた。
英語の歌詞は、
まだうまく追えなかった。
音程も少し外れた。
舌も何度かもつれた。
でも、
僕は歌った。
下手でもいい。
震えてもいい。
意味が分からなくてもいい。
声を出した人間だけが、
次の言葉に出会える。
僕は、
六十七歳のまま、
もう一度世界へ声を出した。
………
❥Z世代のあなたへ
君は今、
何かを始める理由を
探しているかもしれない。
何の役に立つのか。
誰が見てくれるのか。
それで食えるのか。
才能があるのか。
もう遅いのではないか。
まだ早いのではないか。
そう考えているうちに、
日が暮れる。
僕もそうだった。
若い頃は、
まだ早いと言われた。
年を取ると、
もう遅いと言われた。
その間で、
始めていい時間を
探しているうちに、
六十七歳になっていた。
だから君には、
同じ罠にかかってほしくない。
始める理由は、
あとから来ることがある。
最初は、
意味がなくてもいい。
英語の歌を一曲歌う。
AIに一つ質問する。
歯を丁寧に磨く。
一行だけ書く。
知らない言葉を調べる。
誰かに、
ありがとうと言う。
それだけでいい。
小さな因を置け。
小さな縁を作れ。
未来の果は、
そこからしか生まれない。
君の舌にも、
帰る場所がある。
君の声にも、
届く相手がいる。
君の鉛筆にも、
まだ書ける余白がある。
人生は、
大きな夢で変わるとは
限らない。
口の中の小さなスポットに、
舌を戻すような、
そんな小さな動きから
変わることもある。
だから、
君の声を捨てないで
ほしい。
君の歯を大事にして
ほしい。
君の言葉を磨いて
ほしい。
そして、
笑われても、
一曲だけ歌ってほしい。
下手でもいい。
震えてもいい。
意味が分からなくてもいい。
AIが
正解をくれる時代だからこそ、
人間の声には
価値がある。
きれいな声でなくていい。
正しい声でなくていい。
君自身の声でいい。
声を出した人間だけが、
次の言葉に出会える。
………
★あとがき
ホームズとワトソンの
やすきよ漫才風
ホームズ:
ワトソン君、
今回の事件は、
ついに舌まで来た。
ワトソン:
歯から歯間、
歯磨き粉、
避難所まで行って、
今度は舌ですか。
口の中、大冒険ですな。
ホームズ:
舌には帰る場所がある。
ワトソン:
ええ言葉ですな。
家出した息子みたいに
言わんといてください。
ホームズ:
人間も同じだ。
帰る場所を失うと、
言葉が下に落ちる。
ワトソン:
なんか急に哲学やな。
ホームズ:
そしてカラオケは、
老化した舌の反乱である。
ワトソン:
反乱?
おじいちゃんが
七十年代洋楽歌うだけで、
革命起きるんですか。
ホームズ:
起きる。
口の中で起きる。
ワトソン:
スケール小さいなあ。
ホームズ:
甘い。
口の中の革命は、
人生の革命につながる。
ワトソン:
また大きく出ましたな。
ホームズ:
声を出さなければ、
声は弱る。
歌わなければ、
舌は眠る。
笑わなければ、
笑顔は錆びる。
ワトソン:
たしかに。
使わん機能から古びますわ。
ホームズ:
だから主人公は歌う。
うまく歌うためではない。
舌に、
まだ仕事があると
教えるためだ。
ワトソン:
それ、
ちょっと泣けますやん。
ホームズ:
しかも五年後は、
AIが正解をしゃべる時代だ。
ワトソン:
じゃあ、
人間のおじいちゃんは
何をしゃべればええんです?
ホームズ:
失敗談だ。
ありがとうだ。
下手な歌だ。
若い人への応援だ。
ワトソン:
正解ではなく、
人間味ですな。
ホームズ:
その通り。
正しい老人はAIに負ける。
だが、
愛嬌のある老人は、
まだ人間にしかなれない。
ワトソン:
ええ言葉やなあ。
ホームズ:
さらに仏教で言えば、
因縁果だ。
ワトソン:
出ましたな。
歯磨きから仏教。
ホームズ:
食べかすという因。
磨き残しという縁。
口臭という果。
ワトソン:
分かりやすすぎる因縁果やな。
ホームズ:
諦めという因。
先送りという縁。
後悔という果。
ワトソン:
急に胸に刺すのやめてください。
ホームズ:
でも今日、
一つ因を変えれば、
未来の果は変わる。
ワトソン:
歯を磨く。
一行書く。
一曲歌う。
AIに聞く。
ありがとうと言う。
それでええんですな。
ホームズ:
その通り。
ワトソン:
で、
主人公は
結局どうなったんです?
ホームズ:
六十七歳のまま、
少し笑えるようになった。
ワトソン:
若返ったわけではない?
ホームズ:
若返らなくていい。
六十七歳の笑顔でいい。
ワトソン:
それがええですな。
ホームズ:
人生は、
年齢で終わるのではない。
自分の声が
もう誰にも届かないと
決めつけた時に終わる。
ワトソン:
また泣かせに来た。
ホームズ:
ただし、
歌う前には歯を磨け。
ワトソン:
最後それかい!
でも大事!
口臭つきの熱唱は、
観客が避難しますからな。
ホームズ:
事件解決だ。
ワトソン:
いや、
まだ続くでしょう?
ホームズ:
もちろんだ。
鉛筆は、
まだ少し残っている。
ワトソン:
ほな皆さん、
歯を磨いて、
舌を戻して、
一曲歌ってから寝ましょう!




