『五年後の鉛筆』第37回 ✲ 通訳のいない法廷 ――その日、町は一人を裁こうとした。 けれど誰も、その男が何を言ったのか分からなかった。――
✦『五年後の鉛筆』第37回
✲ 通訳のいない法廷
――その日、
町は一人を裁こうとした。
けれど誰も、
その男が何を言ったのか
分からなかった。――
………
「おじいちゃん」
ゆづきが、
スマホから顔を上げた。
「この国ってさ。
人が足りないから、
外国の人に来てもらうんよね?」
「そう言われとるのう」
「でもさ。
来てもらう人数だけ決めて、
その人が困った時の先生とか、
病院とか、
裁判所の通訳とか、
誰が用意するん…?」
僕は、
湯呑みを持ったまま止まった。
答えは、
ニュースの見出しには
あまり出てこない。
《人手不足、外国人材を拡大》
その下に小さく、
《法廷通訳、学校支援員、住宅、
警察、退去手続きの人員は未定》
とは書いていない(哀)。
人間は、
入口のドアを開ける時は拍手する。
だが、
廊下の電球を替える人がいないと、
後から気づく。
………
★目次
■ 1章 六十万人の赤ちゃん
■ 2章 二十六万八千人の増加
■ 3章 十一万六千四百九十五通の退去命令
■ 4章 二万八千三百五十五人の帰国
■ 5章 海を渡る三万八千二十三人
■ 6章 ドイツの一千四百七万人
■ 7章 国境で八千七百二十五人
■ 8章 犯罪者優先、という言葉
■ 9章 六十一言語、三千二百四十四人
■ 10章 三十一言語の法廷
■ 11章 「疑わしきは罰せず」の値段
■ 12章 工場の夜勤と犯罪組織の求人
■ 13章 送還できない国
■ 14章 AI通訳は、嘘を訳せるか
■ 15章 町が耐えられる人数
………
■ 1章
六十万人の赤ちゃん
二〇三一年。
瀬戸内のある田舎の駅前に、
小さな法廷があった。
昔は銀行だった建物を改装し、
今は「地域司法支援センター」と
呼ばれている。
壁には、
古びた時計。
受付には、
AI翻訳端末。
そして、
入口の上には、
金箔のように光る文字があった。
《すべての人に、公正な言葉を》
僕は、
その文字を見るたびに思う。
言葉を配るだけでは、
公正にはならん。
数字も配らんといけん。
二〇二四年、
日本で生まれた子どもは、
およそ六十八万六千人だった。
ゆづきが言った。
「おじいちゃん。
この年に生まれた子が
二十歳になる頃、
日本はどうなっとるん?」
「二十歳が、
今よりずっと貴重になる!」
「人間が
レアカードになるん?」
「そうじゃ。
でも国は、
レアカードを大事に育てるより、
カードパックを海外から買う方を
先に覚えたんかもしれん」
ゆづきは、
少し笑った。
「課金国家じゃん」
笑い話ではなかった。
………
■ 2章
二十六万八千人の増加
二〇二五年十月末。
日本の外国人労働者は、
二百五十七万人あまり。
前年より、
二十六万八千人あまり増えた。
僕は、
センターの会議室で
その数字をスクリーンに映した。
町長。
工場長。
介護施設の代表。
小学校の校長。
警察署の人。
そして、
高校生代表のゆづき。
町長が言った。
「人手不足です。
外国人材がいなければ、
工場も介護も物流も止まります」
工場長がうなずいた。
「夜勤が埋まりません。
日本人を募集しても、
応募が来ないんです」
ゆづきが、
手を挙げた。
「じゃあ、
夜勤の給料を上げたら?」
会議室が静かになった。
工場長は、
困ったように笑った。
「それをやると、
商品が高くなります」
「でも人を海外から連れて来る時の
住む場所とか、
日本語の先生とか、
通訳とか、
事故が起きた時の裁判とか。
それも
高いんじゃないんですか…?」
誰もすぐには答えなかった。
人手不足は、
人がいないことではない。
安いままで働いてくれる人が
いないことを、
人手不足と呼んでいる場合もある。
………
■ 3章
十一万六千四百九十五通の退去命令
その夜、
僕は欧州の統計を見ていた。
二〇二五年。
EUではある四半期に、
退去命令を受けた非EU国籍者が
十一万六千人を超えた。
ニュースは、
こう言った。
《欧州は人道に甘すぎた》
だが、
数字は続いていた。
退去命令が出ても、
それだけで飛行機は飛ばない。
旅券がない。
本人確認ができない。
本国が受け入れない。
帰せば迫害や戦争に巻き込まれる。
家族がいる。
子どもが学校にいる。
裁判が終わらない。
人道の問題は、
優しさだけではない。
国家が間違って人を返したら、
その人は死ぬかもしれない。
でも、
返せない人が増え続ければ、
受け入れた町の学校、
病院、
住宅、
司法の席が詰まる。
右は言う。
「命令を出したなら、
実行しろ」
左は言う。
「命令の前に、
その人の命を見ろ」
どちらも、
半分は正しい。
半分だけ正しい言葉ほど、
人を割る。
………
■ 4章
二万八千三百五十五人の帰国
同じ時期。
EUで第三国へ実際に送還された人は、
二万八千人あまりだった。
十一万六千人に命令。
二万八千人が送還。
残りの人は、
どこへ行ったのか。
消えたわけではない。
町に残る。
働く人もいる。
家族を作る人もいる。
犯罪に巻き込まれる人もいる。
犯罪を犯す人もいる。
そして多くの人は、
ただ不安定なまま生きる。
その不安定さが、
犯罪組織の入口になる。
「合法の仕事は紹介料が高い。
偽造カードなら明日から働ける」
そう囁く人間が、
必ず出てくる。
国が曖昧にすれば、
闇は親切な顔をする。
………
■ 5章
海を渡る三万八千二十三人
英国では、
二〇二五年三月までの一年間に、
不規則入国が四万四千人を超えた。
その八六%。
三万八千人あまりが、
小型ボートで英仏海峡を渡った。
ゆづきが、
動画を見ながら言った。
「海を渡るって、
もうゲームの
クエストじゃないんよね」
「命が一個しかない
ハードモードじゃ」
「でも向こうに着いたら、
助けてもらえると思うから
渡るんじゃろ?」
「そうじゃろうな」
「じゃあ
助ける制度があるから悪い、
って言われたら?」
僕は、
すぐ答えられなかった。
助ける制度がなければ、
沈む人が増える。
助ける制度だけあれば、
密航業者が商売にする。
人道は、
密航業者の広告になってはいけない。
しかし、
国境管理は、
海に沈む人を見捨てる言い訳にも
なってはいけない。
正しい答えは、
どちらか一方の旗にはない。
………
■ 6章
ドイツの一千四百七万人
ドイツの外国籍人口は、
一千四百万人を超えている。
もちろん、
全員が難民ではない。
EU域内の移動もある。
医者もいる。
技術者もいる。
学生もいる。
家族もいる。
だが、
人数が増えれば、
町の負担も増える。
ドイツ語が
十分に分からない子に、
授業をどう届けるのか。
保護者への連絡を、
誰が訳すのか。
進路や職業訓練の説明を、
誰が伝えるのか。
教師一人に、
言葉と生活相談まで
全部を背負わせるのか。
住宅の不足。
医療通訳。
行政窓口。
地域のルール。
保育園。
そして、
裁判所の通訳。
数字が増えるほど、
町の仕事は細かくなる。
「外国人が増えたから悪い」
ではない。
僕はゆずきに言った
「増える速度に合わせて、
町の機能を増やさなかった。
そこが問題なんじゃ!」
ゆづきは、
スマホにメモをした。
《人を入れるなら、
椅子も入れる》
僕は言った。
「椅子だけじゃない。
机も、
先生も、
通訳も、
警察も、
裁判官の時間もじゃ」
………
■ 7章
国境で八千七百二十五人
アメリカでは、
二〇二五年五月。
南西国境での
不法越境者との遭遇が、
八千七百二十五人だった。
前年同月比で、
九三%減と発表された。
右派は言った。
「厳しくすれば減る。
国境は守れる」
これは、
数字としては重い。
取り締まり方針が変わり、
来ても捕まり、
働けず、
送還される可能性が高いと見えれば、
渡ろうとする人は減る。
抑止力は、
確かにある。
ただし、
国境で見つからなくなった人が
全員いなくなったとは限らない。
別のルートへ行く。
密航業者が料金を上げる。
より危険な砂漠へ回る。
より偽造の強い書類を使う。
数字が減った時こそ、
何が減り、
何が地下へ潜ったかを
見なければならない。
………
■ 8章
犯罪者優先、という言葉
米ICEの二〇二四年度報告では、
逮捕された人のうち
七割以上が、
犯罪歴があるか、
刑事事件が係属中の非市民だった。
右側の考えは、
分かりやすい。
「まず重大犯罪。
ギャング。
再犯。
偽造。
不法再入国から、
厳格に対応しろ!」
これは、
日本でも議論してよい。
犯罪組織に入った人。
偽造在留カードを扱った人。
暴力や性犯罪を繰り返した人。
人身取引をした人。
そういう人を、
「人道」だけで曖昧にしてはいけない。
被害者にも、
人道があるからじゃ。
だが、
ここで国が乱暴になると、
前科のない人。
長年働いてきた人。
子どもがいる人まで、
同じ網にかかる。
強い政策は、
雑な政策ではない。
一人ずつ違う事情を見ながら、
ルールは明確にする。
そこに国家の腕力がいる。
………
■ 9章
六十一言語、三千二百四十四人
日本の法廷通訳人候補は、
二〇二五年時点で、
六十一言語。
三千二百人あまりとされる。
数字だけ見ると、
多そうに見える。
でも、
全国に散らばっている。
大阪にはいても、
瀬戸内のある田舎にはいない。
英語ならいても、
少数言語の方言にはいない。
刑事事件の法廷通訳は、
ただ外国語が話せれば
いいわけではない。
「殴った」
「押した」
「脅した」
「怖かったからうなずいた」
この差で、
人生が変わる。
ある日、
センターに一件の事件が来た。
冷凍倉庫で起きた傷害事件。
被告は、
日本語がほとんど分からない。
その地方語を理解できる通訳は、
全国で二人。
一人は海外。
もう一人は、
遠い都市で別の裁判に入っていた。
裁判は、
延期になった。
被害者は怒った。
「なんで、
被害を受けた私が待つんですか」
被告の家族は泣いた。
「何を言われているか、
本人も分からない」
法廷は、
誰か一人のための部屋ではない。
被害者にも。
被告にも。
社会にも。
正確な言葉がいる。
………
■ 10章
三十一言語の法廷
二〇二二年の日本では、
被告人通訳付きの通常第一審が、
三千四百七十一人。
必要だった言語は、
三十一言語に及んだ。
ゆづきが言った。
「人手不足で外国の人を呼ぶなら。
裁判所の方も、
人手不足になるってことじゃん」
「そうじゃ」
「でもニュースって、
工場の求人だけ映すよね」
「裁判所の通訳待ちは、
絵になりにくいからじゃろう」
「でも、
待たされた人は
人生止まるじゃん」
その通りだった。
通訳が足りない。
弁護士が説明できない。
被告は
何を争っているのか分からない。
被害者は
何を聞かされているのか
分からない。
裁判官は、
通訳された言葉しか聞けない。
AIは音声を文字にする。
だが、
恐怖で黙る間まで、
文字にはできない。
………
■ 11章
「疑わしきは罰せず」の値段
事件の日。
被告は最初、
「知らない」と言った。
二週間後、
「見た」と言った。
裁判では、
「助けようとした」と言った。
町のSNSは荒れた。
《話が違う。即送還しろ》
《外国人だから甘い》
《また無罪になる》
被害者の弟は、
法廷の外で叫んだ。
「九十九%、
こいつがやったんだろ!」
裁判長は、
静かに言った。
「九十九%では、
人を有罪にできません」
会場がざわついた。
「おかしい!」
「被害者はどうなる!」
裁判長は続けた。
「疑わしきは罰せずは、
被告のためだけの
制度ではありません。
国家が間違って、
あなたの家族を罰しないための
最後の柵です」
僕は、
被害者の弟の顔を見た。
納得できない顔だった。
当たり前じゃ。
制度は、
悲しんでいる人の心を
すぐには救えない。
でも制度がなければ、
怒っている人の声だけで
誰かを壊せるようになる。
………
■ 12章
工場の夜勤と犯罪組織の求人
事件の被告は、
二十八歳だった。
昼は食品工場。
夜は冷凍倉庫。
会社寮に四人。
家賃は給料から引かれる。
日本語学校は高い。
相談する相手はいない。
スマホに、
一通の求人が届いた。
《即日現金》
《言葉不要》
《荷物を運ぶだけ》
犯罪組織は、
困っている人を探すのが上手い。
国籍ではない。
孤立を探している。
借金。
失踪。
低賃金。
家族への送金。
在留資格の不安。
そこへ、
「簡単な仕事です」と入ってくる。
人手不足を解決するために
人を呼び、
その人の孤立を放置すれば、
国は労働者を入れたのではない。
犯罪組織に
新しい市場を渡しただけになる。
………
■ 13章
送還できない国
被告は、
有罪になった。
執行猶予ではなかった。
刑期を終えた後、
退去の手続きに入った。
だが、
本国政府が言った。
「この人物の国籍を確認できない」
旅券がない。
出生記録がない。
村が焼けた。
家族も散った。
国は、
彼を送り返せなかった。
右派の議員が言った。
「だから最初から入れるな」
人道派の弁護士が言った。
「帰せば生きられない」
町の人が言った。
「じゃあ、
誰が責任を持つんですか」
答えは、
誰の机にもなかった。
ここが、
欧州が何度も踏んだ穴だった。
退去命令を出す。
でも送還できない。
残った人を、
受け入れる仕組みも、
管理する仕組みも弱い。
結果、
誰も安心できない。
人道も。
治安も。
被害者も。
働く外国人も。
………
■ 14章
AI通訳は、嘘を訳せるか
二〇三一年。
法廷には、
AI通訳が入っていた。
画面には、
日本語と被告の言語が
同時に表示された。
《私は彼を押していない》
AIは、
そう訳した。
だが、
年配の通訳人が止めた。
「待ってください」
法廷が静かになった。
「その言葉は、ただの
『押していない』
ではありません。
彼の地方語では、
“自分の手では触れていない”
という意味です」
裁判長が聞いた。
「違いは?」
通訳人は答えた。
「誰かに命令して、
他人に押させた可能性を
否定していません」
ゆづきが、
隣で息をのんだ。
AIは、
単語を訳せる。
しかし、
逃げ道の形までは
見抜けない。
人間の嘘は、
辞書の外に住んでいる。
だから最後は、
人を見る目がいる。
だが、
人を見る目は、
偏見とは違う。
肌の色で決めない。
国籍で決めない。
証拠と。
言葉と。
沈黙と。
行動を全部見る。
それができる人を、
社会は育てなければならない。
………
■ 15章
町が耐えられる人数
判決の後、
町では住民説明会が開かれた。
「外国人を減らせ!」
「人手が足りないから増やせ!」
「犯罪者はすぐ送還しろ!」
「人道を忘れるな!」
会場は、
右と左に割れていた。
僕は、
マイクを持った。
「人数の話をしましょう」
みんなが黙った。
「この町には、
小学校が三つあります。
日本語支援員は二人です。
法廷通訳は、この地域では
対応できる言語が限られます。
病院の医療通訳は、
月に数日です。
民間住宅は足りません。
警察の国際捜査担当も、
増えていません」
僕は、
ゆっくり言った。
「だから、
受け入れるか。
受け入れないか。
その二択ではありません。
この町が耐えられる人数を、
誰が、
どう決めるのか。
そこを先に決めるんです」
ゆづきが、
僕の横に立った。
「うちらの世代は、
外国の人がいる教室も。
AI通訳の病院も。
多言語の職場も。
たぶん普通になる。
でも、
普通になることと、
準備しなくていいことは
違うよね」
町長が、
小さくうなずいた。
「何人までなら、
学校も病院も裁判所も
守れるのか。
数字を出します」
工場長が言った。
「企業も、
住居と日本語教育の費用を
負担します」
警察署の人が言った。
「組織犯罪と偽造在留資格は、
厳格に対応します」
人道派の弁護士が言った。
「ただし、
通訳と弁護の質は下げません」
その時、
僕は思った。
右が必要な時がある。
国境を守る。
犯罪組織を断つ。
退去命令を執行する。
被害者を守る。
でも左も必要だ。
誤って人を壊さない。
帰せば死ぬ人を見捨てない。
子どもを一人で放り出さない。
人間を数字だけにしない。
右手で、
ルールを締める。
左手で、
人を支える。
両方なければ、
国は転ぶ。
………
❥Z世代のあなたへ
移民や難民の話は、
すぐに「賛成か反対か」にされる。
でも、
本当に見るべきなのは、
そこだけじゃない。
二〇二四年。
日本で生まれた子どもは、
六十八万六千人だった。
その翌年。
外国人労働者は、
一年で二十六万八千人増えた。
赤ちゃんと、
働く大人を、
同じ数字として
置き換えることはできない。
でも、
一年に生まれる
子どもの数に対して、
一年に増える
外国人労働者が、
四割近い規模になっている。
これは、
小さな変化じゃない。
五年後。
君たちが社会に出る頃。
工場。
介護施設。
物流センター。
ホテル。
外食。
建設現場。
そういう職場では、
隣で働く人が外国人。
班長が外国人。
友達が外国人。
店長が外国人。
そんな景色は、
もう珍しくないかもしれない。
問題は、
外国人がいることではない。
問題は、
その変化に合わせて、
学校。
病院。
住居。
警察。
通訳。
裁判所。
退去の仕組み。
犯罪組織への対策。
そこまで、
一緒に準備しているかどうかじゃ。
ヨーロッパは、
受け入れるか、
受け入れないかだけを
先に議論した。
だが後から、
学校が足りない。
住宅が足りない。
通訳が足りない。
送還できない。
犯罪組織が入り込む。
地域が割れる。
そんな問題が、
まとめて噴き出した。
人道を大事にしたことが、
間違いだったわけじゃない。
ただ、
人道だけを先に置いて、
町が耐えられる人数。
行政が支えられる人数。
裁判所が裁ける人数。
学校が教えられる人数を、
後回しにした。
そこが、
欧州の痛みだった。
日本は今。
まだ大きく壊れてはいない。
だからこそ危ない。
壊れてから考える国は、
いつも遅い。
「人手が足りないから、
入れよう」
その次に必要なのは、
「何人までなら、
この町は守れるのか」
という問いじゃ。
「その町に、
学校の席はあるのか」
「病院で言葉は通じるのか」
「犯罪組織に入る前に、
助けられるのか」
「犯罪を犯した時、
被害者を守れるのか」
「退去命令が出た時、
本当に実行できるのか」
「無実の人を、
間違えて罰しないための
通訳と裁判は足りているのか」
AIは、
人口の予測ができる。
防犯カメラも、
顔を見つけられる。
だが、
町が耐えられる人数。
社会が守れる約束。
被害者の怒りと、
被告の恐怖の間にある真実。
それは、
人間が決めるしかない。
ニュースの見出しに
怒るだけで終わらず、
数字を見て、
その数字の後ろにいる人間を見て、
五年後。
自分の隣で働く人と、
どういう町を作るのか。
そこを、
自分で考えてほしい。
………
★あとがき
ホームズ、ワトソン、やすきよ漫才
『五年後、隣の席は誰のもの?』
ホームズ
「ワトソン君。
今夜の事件は、
外国人問題ではない」
ワトソン
「ほな何の問題ですか」
ホームズ
「準備不足事件だ」
ワトソン
「また見えん犯人ですな」
ホームズ
「見えとる。
だが政治家も、
住民も、
見ないふりをしとる」
ワトソン
「何をです?」
ホームズ
「二〇二四年。
日本で生まれた子どもは、
六十八万六千人。
その翌年。
外国人労働者は、
一年で二十六万八千人増えた」
ワトソン
「赤ちゃんの数に対して、
外国人労働者の増え方が
四割近いんですか」
ホームズ
「そうじゃ。
赤ちゃんと働く大人は、
同じではない。
だが、
町の景色が変わる速さは、
数字に出とる」
ワトソン
「五年後、
わしらが社会に出る頃には?」
ホームズ
「工場。
介護施設。
物流センター。
ホテル。
外食。
建設現場。
その職場では、
隣の席が外国人。
班長が外国人。
友達が外国人。
店長が外国人。
それが普通になっているかもしれん」
ワトソン
「別に悪いことじゃないですよね」
ホームズ
「悪いことではない」
ワトソン
「じゃあ何が怖いんです?」
ホームズ
「町の準備が、
追いついていないことだ」
ワトソン
「準備?」
ホームズ
「企業は言う。
“人が足りないから、
来てもらいます”」
ワトソン
「はい」
ホームズ
「だが学校は言う。
“言葉が通じない子を、
誰が教えるんですか”」
ワトソン
「はい」
ホームズ
「病院は言う。
“症状を、
誰が正確に聞くんですか”」
ワトソン
「はい」
ホームズ
「警察は言う。
“被害届を、
誰が正確に取るんですか”」
ワトソン
「はい」
ホームズ
「裁判所は言う。
“被告と被害者の言葉を、
誰が間違えずに訳すんですか”」
ワトソン
「ほな、
受け入れる前に
先生も通訳も警察も
増やさんといけんじゃないですか」
ホームズ
「その通りじゃ」
ワトソン
「なんで増やさんのです?」
ホームズ
「入口を開ける方が、
ニュースになるからじゃ」
ワトソン
「出口と廊下の電球は?」
ホームズ
「暗いままじゃ」
ワトソン
「怖い国じゃなあ……」
ホームズ
「欧州では、
その暗い廊下を
長いこと放っておいた」
ワトソン
「それで?」
ホームズ
「住宅が足りん。
学校が足りん。
通訳が足りん。
退去命令を出しても、
送還できん。
地域は怒る。
移民も孤立する。
そこへ犯罪組織が近づく」
ワトソン
「人道を大事にしたのが
悪かったんですか?」
ホームズ
「違う。
人道だけで、
町の机と椅子は増えんかった。
そこが痛かったんじゃ」
ワトソン
「じゃあ右に振れば、
全部うまくいく?」
ホームズ
「それも違う」
ワトソン
「なんでです?」
ホームズ
「国境を強く締めすぎれば、
本当に逃げてきた人。
長く働いてきた人。
子どもまで、
まとめて壊れることがある」
ワトソン
「じゃあ、
右も左も半分ずつ?」
ホームズ
「半分ずつではない。
右手で、
ルールを締める。
左手で、
人を落とさない。
両方いるんじゃ」
ワトソン
「なんか、
自転車みたいですな」
ホームズ
「どういうことじゃ」
ワトソン
「右のブレーキだけ強く握ったら、
前につんのめる。
左のブレーキだけ握ったら、
曲がって転ぶ。
両方ちゃんと使わんと、
町ごとこける」
ホームズ
「うまいこと言うのう」
ワトソン
「でも、
5年後にほんまに
そんな世の中になるんですか」
ホームズ
「なる可能性は高い。
だから今、
決めないといけない」
ワトソン
「何を?」
ホームズ
「この町は、
何人まで受け入れられるのか。
学校の席は何席あるのか。
病院で何言語まで診られるのか。
通訳は何人いるのか。
犯罪組織を誰が止めるのか。
退去命令を、
誰が最後まで実行するのか」
ワトソン
「それを決めずに、
人だけ増やしたら?」
ホームズ
「企業は助かる。
だが町が苦しむ」
ワトソン
「町が苦しんだら?」
ホームズ
「最後に困るのは、
五年後に働き始める
君たちじゃ」
ワトソン
「わしらですか」
ホームズ
「そうじゃ。
君たちが働く職場。
君たちが子どもを通わせる学校。
君たちが病気になった時の病院。
君たちが被害者になった時の警察。
君たちが裁かれるかもしれん法廷。
全部、
君たちの番になる」
ワトソン
「ほな、
ニュース見て
“また揉めとるな”で
終わらせたらいけんですね」
ホームズ
「終わらせたらいけん」
ワトソン
「外国人を怖がるだけでも?」
ホームズ
「いけん」
ワトソン
「人道だけ叫ぶだけでも?」
ホームズ
「いけん」
ワトソン
「じゃあ何をしたらいいんです?」
ホームズ
「数字を見ることじゃ」
ワトソン
「数字?」
ホームズ
「人の数。
学校の席の数。
通訳の数。
住宅の数。
警察の数。
病院の時間の数。
そして、
責任を取る人間の数じゃ」
ワトソン
「最後だけ、
めちゃくちゃ少なそうですな」
ホームズ
「そこが一番の問題じゃ」
ワトソン
「ほな最後に、
若い人へ一言どうぞ」
ホームズ
「五年後。
君の隣で働く人は、
外国人かもしれん。
だが本当に問うべきは、
その人の国籍ではない。
その町が、
君もその人も守れるように
準備されているか。
そこじゃ」
ワトソン
「なるほど。
外国人問題じゃなくて、
町づくり問題なんですね」
ホームズ
「やっと分かったか」
ワトソン
「でもホームズさん」
ホームズ
「なんじゃ」
ワトソン
「会議だけは、
もう十分多いですよね」
ホームズ
「そこだけは、
世界一じゃ(笑)」
――AIは言葉を訳せる。
だが、町の覚悟までは訳せない。――




