『五年後の鉛筆』第33回 ✲ 包丁を使わない二十一歳に、七十二歳の僕が負けた日(笑 ) ――炊飯器、コインランドリー、AI。 家に何もない孫が、いちばん大事な物を持っていた――
✦『五年後の鉛筆』第33回
✲ 包丁を使わない二十一歳に、
七十二歳の僕が負けた日(笑)
――炊飯器、コインランドリー、AI。
家に何もない孫が、
いちばん大事な物を持っていた――
………
五年後。
僕は七十二歳になっていた。
孫のゆづきは、
社会人一年目。
その日。
ゆづきは、
大きな毛布を抱えていた。
「どこ行くんじゃ?」
「コインランドリー」
「家に洗濯機はあるじゃろ」
「あるよ」
「家に乾燥機はないんか?」
ゆづきは、
少し笑った。
「おじいちゃん。
私ら、
物を持たないんじゃない。
能力を、
必要な時だけ借りるんよ」
僕は、
毛布より重い顔をした。
何を言っとるのか、
最初は分からなかった。
若い者は、
車も買わん。
家も買わん。
料理も手を抜く。
スマホばかり見て
何を考えとるんじゃ。
正直、
僕は、そんな目で見ていた。
でもその日。
コインランドリーの
ぐるぐる回る乾燥機を見ながら、
僕の方が、
何も見えていなかったのかもしれんと
思い始めた。
………
★目次
■第1章
布団を抱えた二十一歳
■第2章
昭和は、家に物を増やした
■第3章
蒸気機関は筋肉を外へ出した
■第4章
大量生産は冷蔵庫を家へ入れた
■第5章
インターネットは
世界をポケットへ入れた
■第6章
生成AIは段取りを外へ出した
■第7章
家賃が先に給料を食べる
■第8章
ゆづきは、
買う前に出口を決める
■第9章
通知を切るゆづき
■第10章
冷蔵庫の奥にいる前世
■第11章
コインランドリーは街の乾燥機
■第12章
車は買わず、必要な日に呼ぶ
■第13章
ゆづきは、
先に楽しみを予約する
■第14章
仙人の目を潰す大人たち
■第15章
街そのものが、
ゆづきの家だった
………
■第1章
布団を抱えた二十一歳
「おぉ〜、重いのう」
僕は、
毛布を少し持ち上げて言った。
「毛布と布団カバー」
ゆづきは言った。
「春の終わりに洗っとくんよ。
花粉もあるし、
梅雨に入ったら乾かんし」
「家で洗えばええ」
「洗うのは家でもできる。
でも、乾かんのよ」
「昔は庭に干したもんじゃ」
「昔は、黄砂も花粉も
こんなに騒がれとらんかったじゃろ」
それを言われると、
僕は弱い。
ゆづきはスマホを見た。
「近くの店、
大型乾燥機が一台空いとる」
「そんなことまで分かるんか?」
「アプリ」
「わしらの時代はな。
空いとるかどうかは、
行ってみるまで分からんかった」
「空いてなかったら?」
「腹が立った」
「人生、
損しとるなあ(笑)」
「余計なお世話じゃ!」
………
■第2章
昭和は、家に物を増やした
コインランドリーへ向かう車の中で、
僕は昔のことを話した。
「わしらの若い頃はな。
冷蔵庫。
洗濯機。
テレビ。
車。
エアコン。
家に物が増えるほど、
豊かになったと実感した」
ゆづきは言った。
「それは分かるよ」
「分かるか?」
「おじいちゃんの家、
ガラクタがいっぱいあるもんね」
「うるさい!」
「でもさ。
私らは逆なんよ」
「逆?」
「物を増やすほど、
家賃より物が住み始める」
「物が住む?」
「乾燥機を買えば、
置く場所がいる。
車を買えば、
駐車場がいる。
大きい冷蔵庫を買えば、
食材が増えて、
最後は腐る。
物って、
買った後にも
お金を食べるじゃろ」
僕は少し黙った。
昔は、
買えることが夢だった。
今は、
買った後の維持費が
夢を食べるらしい。
………
■第3章
蒸気機関は筋肉を外へ出した
「でもな」
僕は言った。
「昔から人間は、
面倒なことを
外へ出してきたんじゃ」
「どういうこと?」
「最初の産業革命じゃ。
昔は、
糸を紡ぐのも、
布を織るのも、
みんな人の手じゃった」
「うん」
「そこへ蒸気機関が出た。
人間の腕の代わりに、
大きな機械が回り始めた」
「筋肉を外注したんじゃね」
「そうじゃ」
僕は少しうれしくなった。
「でもな。
機械が便利になりすぎると、
人間の方が機械に
急かされることもある」
「チャップリンみたいに?」
「知っとるんか?」
「動画で見た」
「『モダン・タイムス』じゃ。
工場の速さについていけん男が、
外へ出ても
人の服のボタンまで
締めようとする」
「怖っ(笑)」
「笑えるじゃろ。
でもあれは、
速さと効率ばかり追いかけたら
人の心まで機械みたいになる、
いう話なんじゃ」
ゆづきは少し黙った。
「じゃあAIも、
便利だからって全部任せたら、
自分で考えんように
なるかもしれんね」
「そうじゃ。
AIが怖いんじゃない。
AIに合わせて、
人間が自分を急がせすぎるのが怖い」
「でも、
炊飯器に鮭と野菜を入れるのは?」
「それはええ(笑)」
「なんで?」
「機械の部品になるんじゃない。
機械を使って、
人間の時間を
取り戻しとるからじゃ」
ゆづきは言った。
「鮭を焼いたら、
フライパンがいる。
野菜を切ったら、
包丁とまな板がいる。
食べ終わったら、
洗い物も増える」
「いる、いるって。
お前の台所、
必要なもんが多すぎて
人員募集しとるんか(笑)」
「平日の夜はね。
洗い物一個でも、
人生を増やすんよ」
ゆづきは炊飯器を指さした。
「米。
鮭。
冷凍野菜。
きのこ。
少しの、だし。
入れて、
スイッチ押すだけ」
「味は?」
「八十点」
「百点じゃないんか」
「八十点でええんよ。
百点の晩ごはん作って、
洗い物で疲れて、
寝るのが遅くなったら、
人生が赤字じゃろ」
「赤字?」
「時間も。
お金も。
体力も」
僕は少し黙った。
「私らは、
料理をサボっとるんじゃない。
ご飯を食べて、
ちゃんと寝て、
明日も会社に行けるように。
生活を研究しとるんよ」
その言葉が、
胸に残った。
………
■第4章
大量生産は冷蔵庫を家へ入れた
「次が第二次産業革命じゃ」
僕は言った。
「電気。
鉄。
石油。
大量生産」
洗濯機が来た。
テレビが来た。
車が来た。
冷蔵庫が来た。
一つ増えるたびに、
生活は少し楽になった。
「ゆづきの曾祖父ちゃんの世代はな。
住宅ローンの金利が
年六%、七%でも、
家を買っとった」
「そんな金利で?」
「でもあの頃は、
給料も上がった。
土地も上がった。
物価も上がった。
同じ返済額でも、
毎年少しずつ
払いやすくなった」
「じゃあ昔の人が
すごかっただけじゃなくて。
坂道も後ろから
押してくれたんじゃね」
僕は少し驚いた。
「まあ、
そういう面もある」
「昭和の親父が。
家を買え。
車を買え。
借金してでも頑張れ。
って言っても、
今の人が同じことしたら、
坂道がない場所で
重い荷物を背負うだけじゃろ」
本当だった。
今は。
家賃。
税金。
保険料。
電気代。
食費。
上がるものは多い。
でも、
給料が同じように上がる
保証はない。
だから、
昭和の大人が
令和の若者に向かって。
「家くらい買え」
「車くらい持て」
「料理くらいちゃんとしろ」
と威張ってはいけない。
その言葉の後ろには、
自分では見えなかった
時代の追い風が
吹いていたかもしれんからじゃ。
………
■第5章
インターネットは
世界をポケットへ入れた
「次が第三次産業革命じゃ」
「パソコンとインターネット?」
「そう」
本屋へ行かんでも調べられる。
銀行へ行かんでも振り込める。
店へ行かんでも物が届く。
人に会わんでも仕事ができる。
「世界が、
ポケットに入ったんじゃ」
僕は言った。
ゆづきは首をかしげた。
「じゃあ、
便利になっただけ?」
「いや。
便利な物が出ると、
だいたいその後に
便利そうな嘘も出てくる」
「バブル紳士?」
「そうじゃ」
ITバブルの頃。
インターネットが世界を変える。
ネットとかドットコムとか
名前に付いとったら、
何でも儲かる。
そんな空気があった。
「今のAI株みたいじゃね」
「技術は本物でも。
その会社が本当に儲かるかは、
別の話じゃ」
僕は、
新しい話を聞いた時の
三つの質問を教えた。
「一つ。
何で儲かるんか。
二つ。
その儲けは、
どこから出てくるんか。
三つ。
小学生に説明できるか」
「説明できなかったら?」
「分からんまま買わん。
分からんまま預けん。
分からんまま拡散せん」
スマホの画面は明るい。
でも、
本物の未来も、
きれいに化粧した嘘も、
同じ顔をして並んでいる。
だから僕らは、
ポケットの中の世界を見ながら、
自分の頭だけは
ポケットの外へ
出しておかねばならない。
………
■第6章
生成AIは段取りを外へ出した
「第四次産業革命」
僕は言った。
「AI。
ロボット。
センサー。
クラウド。
いろんな物がつながって、
人間の生活そのものに
入り込む」
「AIって、
仕事を奪うやつ?」
「それだけじゃない」
昔は、
筋肉を機械に任せた。
次に、
工場で物を作らせた。
ネットで、
情報を探せるようになった。
今度はAIで、
段取りを外へ出し始めた。
「献立。
家計。
洗濯。
メール。
面接。
旅行。
何から先にやるか。
そういう段取りじゃ」
「それなら、
私もう毎日使っとる」
「AIは先生じゃない」
ゆづきが言った。
「横におる、
ちょっと口うるさい先輩」
「たまに間違えるけどな」
「たまに、
田んぼへ連れていくカーナビ」
「それじゃて(笑)」
………
■第7章
家賃が先に給料を食べる
「でもね」
ゆづきが言った。
「私らが工夫する理由は、
AIがあるからだけじゃないんよ」
「何じゃ?」
「お金」
それは、
一番静かで、
一番重い答えだった。
「給料が入っても。
家賃。
保険。
年金。
税金。
通信費。
電気代。
先にみんな持っていく」
「給料日に?」
「給料日に」
「怖いのう」
「給料明細って、
ホラー映画じゃけえ」
ゆづきは笑った。
でも、
目は笑っていなかった。
「だから、
私らは手抜きしとるんじゃない。
生活を研究しとるんよ」
………
■第8章
ゆづきは、
買う前に出口を決める
ランドリーの乾燥機が回り始めた。
ゆづきは、
スマホを取り出した。
「何しとるんじゃ?」
「服、売る」
画面には、
去年買ったジャケットが映っていた。
「まだ着られるじゃろ」
「着られるよ」
「じゃあなんで売るんじゃ?」
「次の会社の研修で、
黒いジャケットがいる」
「新しいの買えばええ」
「買う前に、
古いのを流すんよ」
僕は言った。
「昔はな。
服は大事に、
長く着るもんじゃった」
「私も大事に着たよ」
「じゃあ、持っとけよ」
ゆづきは笑った。
「大事に着ることと。
押し入れで寝かせることは、
別じゃろ」
確かに、家の奥には。
痩せたら着る服。
高かったから捨てられない服。
誰の物か分からない服。
服だけでなく、
昔の決心まで眠っている。
「私らはね。
買う時に、
もう次の人のことも考えるんよ」
「次の人?」
「半年後に売れるかな。
誰か欲しいと思うかな。
そう思って買う」
「服を株みたいに言うのう」
「似たようなもんじゃろ。
誰も欲しがらなくなったら、
含み損じゃ」
「お前、
証券会社の孫じゃのう」
「遺伝じゃろ(笑)」
若者は、
物を捨てているのではない。
物の中に残った価値を、
もう一度取り出している。
………
■第9章
通知を切るゆづき
夜。
ゆづきのスマホが、
机の上で光った。
ピコン。
ピコン。
ピコン。
会社の連絡。
友達のグループLINE。
通販のセール。
動画アプリ。
知らない店のクーポン。
「忙しいのう。
若い人は、
ずっと誰かに呼ばれとるんじゃな」
ゆづきは、
スマホを裏返した。
「呼ばれとるんじゃないよ。
通知が勝手に
家へ上がり込んできとるんよ」
昔の電話は、
居間にあった。
今の電話は、
布団の中にいる。
「何しとるんじゃ?」
「通知を消しとる」
「全部?」
「会社。
家族。
本当に急ぐ友達。
それだけ残す」
「ほかは?」
「あとで見る」
「見逃したらどうする?」
ゆづきは笑った。
「世の中の九割は、
今すぐ知らんでも死なんよ」
「九割?」
「セール。
炎上。
誰かの旅行。
誰かの成功。
知らん人の怒り。
今すぐ私が受け取らんでも、
地球は回る」
「達観しとるのう」
「達観じゃない。
心の電気代を
節約しとるんよ」
昔は、
働きすぎて疲れた。
今の若い人は、
情報を浴びすぎて疲れる。
でも。
ゆづきらは、
通知を切っていた。
機械を捨てるためではない。
機械の中に、
自分の時間を
食べさせないために。
………
■第10章
冷蔵庫の奥にいる前世
ゆづきの冷蔵庫は、
思ったより小さかった。
「これで足りるんか?」
「足りる」
上の段には。
卵。
豆腐。
ヨーグルト。
少しだけ牛乳。
下の段には。
納豆。
キムチ。
チーズ。
野菜室には。
玉ねぎ二個。
しめじ一袋。
「野菜が少ないのう」
「野菜は冷凍庫」
引き出しの中には。
冷凍ブロッコリー。
冷凍ほうれん草。
冷凍きのこ。
冷凍うどん。
冷凍ご飯。
鮭。
鶏肉。
「ここが主力」
「主力?」
「冷蔵庫は、
二日以内に食べる物。
冷凍庫は、
いつでも呼び出せる物。
常温棚は、
最後の保険」
「最後の保険?」
「サバ缶。
ツナ缶。
パックご飯。
乾麺。
レトルトカレー」
「避難所みたいじゃな」
「月末対策」
ゆづきは笑った。
「キャベツ一玉を買って、
半分腐らせるより。
冷凍野菜を、
必要な分だけ使う方が、
結局安いんよ」
「でも冷凍は、
手抜きじゃろ」
「違う」
ゆづきは、
冷凍ほうれん草を持ち上げた。
「冷凍は、
未来の自分に
野菜を残す技術」
僕は少し黙った。
疲れて帰った日、
野菜を切る元気がなくても
冷凍庫を開ければ、
昨日の自分が助けてくれる。
我が家の冷蔵庫にも、
いつ買ったか分からない
ドレッシング。
食べるつもりだった漬物。
開けたままの瓶詰め。
みんな、
静かに前世になっていた。
「前世とは、
無理に起こさん方がええな」
「それは正解(笑)」
………
■第11章
コインランドリーは街の乾燥機
翌週。
ゆづきは、
毛布と布団カバーを抱えていた。
「そんなもん、
家で洗えばええじゃろ」
「洗うのはできるよ。
でも、
乾かすのが大変なんよ」
「ベランダに干せばええ」
「花粉。
黄砂。
急な雨。
それに、
干す場所がない」
「乾燥機を買えばええ」
「年に一回か二回しか使わん物を、
置き場所と電気代つきで
家に住まわせるん?」
「家に住まわせる?」
「乾燥機って、
買った日から家賃がいる」
場所。
電気。
掃除。
修理。
毎日使うならいい。
でも。
毛布と布団のためだけなら、
街に借りに行った方が早い。
「それに。
クリーニング店に出したら、
何日も待つじゃろ。
ランドリーなら、
今日洗って、
今日の夜に使える」
「急いどるんか?」
「急いどるんじゃない。
家を一日で
リセットしたいんよ」
季節の終わりに。
花粉の季節に。
引っ越しの前に。
誰かが泊まりに来る前に。
コインランドリーは、
自分の部屋を
もう一度始める場所だった。
「街の共同乾燥機か」
「そう。
でも、
ちょっとだけ人生も
乾かしてくれる場所(笑)」
………
■第12章
車は買わず、必要な日に呼ぶ
毛布を積むため、
ゆづきはカーシェアを予約した。
「車、買わんのか?」
「買わん」
「便利じゃぞ」
「便利だよ」
「じゃあ、なんで買わん」
ゆづきは指を折った。
「駐車場。
保険。
車検。
税金。
ガソリン。
タイヤ。
オイル。
修理」
「まあ、いるな」
「車ってね。
乗らん日にも、
ずっとお金を食べるじゃろ」
「私ら、
車が嫌いなんじゃない」
ゆづきは言った。
「海へ行くなら乗りたい。
友達と遠出もしたい。
大きい荷物を運ぶなら、
めちゃくちゃ欲しい」
「じゃあ買えばええ」
「それができんから、
借りるんよ」
テレビでは時々、
若者は車に興味がない。
車よりスマホが好き。
そんなふうに言う。
でも
車に乗りたいかどうかと、
車を買って
十年払えるかどうかは、
別の話だった。
「若者は車を欲しがらん、
って
評論家は簡単に言うじゃろ…」
ゆづきが言った。
「でも。
毎月の請求書が怖いことまで、
分かっとるんかな」
僕は黙った。
車は自由の翼ではなく、
毎月口座から、
羽をむしっていく鳥にもなる。
「車を持たずに。
車のいいところだけ使うんよ」
その言葉が、
妙に新しかった。
「持った車のために働いて、
乗る時間がなくなる方が
私は寂しい」
若者は、
豊かさを捨てているのではない。
大人が決めた豊かさの形を。
自分の給料と、
自分の時間に合わせて、
作り直している。
………
■第13章
ゆづきは、
先に楽しみを予約する
夜。
ゆづきは、
カレンダーに丸をつけていた。
六月二十一日。
土曜日。
「何の日じゃ?」
「ライブ」
「また金を使うんか」
「使うよ」
「若い人は、
推し活ばっかりじゃな」
「違う」
ゆづきは言った。
「推し活があるから、
ほかをちゃんとするんよ」
「ほかを?」
「外食を減らす。
コンビニで無駄に買わん。
冷凍庫の物を使う。
タクシーは雨の日だけ。
服は増やさん」
「なんでそこまで?」
ゆづきは、
カレンダーの丸を見た。
「その日に、
ちゃんと笑うため」
昔の大人は、
遊びは余った金でするものだと
思っていた。
働く。
貯める。
余ったら遊ぶ。
でも、
ゆづきらは少し違う。
先に、
自分の楽しみを予定表に置く。
そして、その日までの出費を
自分で整えていく。
「何のために節約するか
決まっとらんかったら。
お金って、
コンビニとか通販とかで
いつの間にか消えるんよ」
僕は少し笑った。
「節約しとるんか。
贅沢しとるんか。
どっちなんじゃ」
「両方」
「両方?」
「どうでもいい物には、
お金を使わん。
でも。
自分の人生が
少し前に進む物には使う」
その小さな丸があるから、
ゆづきの一か月は、
ただの節約ではなくなっていた。
………
■第14章
仙人の目を潰す大人たち
夜。
ゆづきは、
仕事で疲れて帰ってきた。
玄関で靴を脱いだまま、
しばらく動かなかった。
「大丈夫か?」
「うん。
今日はちょっと、
会社で怒られた」
「何をしたんじゃ?」
「仕事が遅いって」
僕は、
つい言いそうになった。
若い者は根性がない。
昔はもっと厳しかった。
そんな言葉が、
喉まで出てきた。
でも。
そこで思い出した。
百喩経にある、
仙人の話を。
宝を見つける目を持った
仙人がいた。
王様は、
仙人にずっと国にいてほしかった。
ほかの国へ行かれたら困る。
もっと宝を掘り出してほしい。
そこで大臣は考えた。
「目を潰してしまえば、
どこへも行けません」
仙人は、
国には残った。
でも。
宝を見つける目は、
もうなくなった。
「目だけあって、
どうするんじゃ」
その話を思い出すと、
僕は
自分の言葉が怖くなった。
大人は時々、
若者に向かって…
車を買え。
家を買え。
結婚しろ。
子どもを作れ。
もっと残業しろ。
根性を出せ。
ワシみたいにやれ。
そう言う。
でも、
その言葉で
若者が持っている
宝を見つける目まで
潰していないだろうか。
ゆづきは。
冷凍庫に、
明日の自分を助ける野菜を残す。
通知を切って、
心の電気代を守る。
必要な日にだけ車を借りる。
一人で潰れそうな夜には、
友達と作業通話をつなぐ。
僕らには、
手抜きに見えた。
でも違った。
あれは、
苦しい時代を生きるために、
自分の宝を掘り出す目だった。
「おじいちゃん」
ゆづきが言った。
「何じゃ」
「私ら。
別に昔の人を
馬鹿にしとるわけじゃないよ」
「うん」
「昔の人が作った物で、
私らは助かっとる」
冷蔵庫。
洗濯機。
道路。
電気。
インターネット。
「でも。
昔の正解を、
今の私らにそのまま着せたら。
ちょっと苦しいんよ」
僕は何も言えなかった。
昔の服が、
今の若者に合わないことはある。
昔の靴が、
今の坂道を歩けないこともある。
「だから」
ゆづきは言った。
「応援してほしい」
「応援?」
「正解を決めんでいい。
ただ。
私らが、
自分で考えてることだけは
信じてほしい」
その言葉に…
僕は少し、
泣きそうになった。
………
■第15章
街そのものが、
ゆづきの家だった
その夜。
僕は気づいた。
ゆづきの部屋には、
乾燥機がない。
でも、
街にある。
車がない。
でも、
必要な日に呼べる。
大きな冷蔵庫がない。
でも、
冷凍庫の中には、
疲れた日の自分を助ける
野菜と魚がある。
高い料理道具もない。
でも、
炊飯器の中には、
米と鮭と野菜が炊ける。
何でも相談できる先生も、
家にはいない。
でも、
AIに聞けば。
献立。
家計。
メール。
洗濯。
旅行。
仕事の段取りまで、
とりあえず下書きは作ってくれる。
一人で耐える力も、
昔の大人ほどは
持っていないかもしれない。
でも…
画面の向こうには、
靴下を畳む友達がいる。
「明日も生き延びよ…」
と言って、
通話を切ってくれる人がいる。
僕は思った。
ゆづきは、
何も持っていないように見えた。
乾燥機もない。
車もない。
大きな家もない。
たくさんの服もない。
でも、
何もないのではなかった。
必要な日に、
必要な物へつながる道を
知っていた。
困った時に、
街の力を借りる方法を
知っていた。
疲れた時に、
未来の自分を助ける物を
冷凍庫へ残していた。
しんどい時に、
一人で潰れないための
小さなつながりを持っていた。
昭和は、
家に物を増やした。
それは間違いではなかった。
冷蔵庫は、
食べ物を守った。
洗濯機は、
母親の手を助けた。
車は、
家族を遠くへ連れて行った。
でも…
令和後半の若者は、
違う豊かさを作り始めていた。
家に全部を置かない。
一人で全部を抱えない。
毎月払えない物は、
必要な日にだけ借りる。
どうでもいい物には、
お金を使わない。
でも、
自分の人生が
少し前に進む時間には、
ちゃんと使う。
好きな歌手のライブ。
友達との旅行。
誰かと笑える日。
明日も会社へ行こうと
思える小さな予定。
ゆづきらは。
節約しているだけではなかった。
生活を小さくして、
人生を小さくしないように
していた。
僕は七十二歳になって。
二十一歳の孫に負けた。
料理の腕で負けたんじゃない。
洗濯の知識で負けたんでもない。
物を持たないのに、
街とAIと人の力をつないで…
自分の生活を、
壊れない大きさにしていた。
そこに負けた。
「おじいちゃん」
ゆづきが言った。
「何じゃ」
「私ら。
別に賢いわけじゃないよ」
「そうか?」
「お金もない。
時間もない。
失敗したら、
すぐ赤字になる。
だから、
工夫するしかないんよ」
僕は、
何も言えなかった。
若者は、
楽をしているのではない。
自分の給料の中で。
自分の時間の中で。
自分の体力の中で。
明日まで壊れずに行く方法を。
毎日、
体で研究していた。
街そのものが、
ゆづきの家だった。
コインランドリーは、
大きな乾燥機。
カーシェアは、
必要な日の車庫。
冷凍庫は、
未来の自分への手紙。
AIは、
少し口うるさい先輩。
スマホの向こうの友達は、
一人で潰れないための
小さな居間。
そして。
ゆづきの部屋の外には…
彼女が必要な時だけ使える
大きな家が広がっていた。
昔の革命は、
工場を大きくした。
今の革命は、
若者の台所を小さくした。
でも本当は…
若者の人生を、
少しだけ壊れにくく
しているのかもしれなかった。
包丁を使わない二十一歳に、
七十二歳の僕は負けた。
でも、
負けて少し安心した。
この子らは…
ちゃんと生き延びる知恵を
持っている。
僕ら大人が思うより、
ずっと。
静かに。
賢く。
笑いながら。
………
❥ Z世代のあなたへ
大人は時々。
「最近の若者は」
と言う。
でも、
その言葉を聞いたら、
少し笑ってええ。
「最近の若者は」
ではない。
あなたたちは。
次の時代を生きる人だ。
車を買わないんじゃない。
毎月の請求書に、
人生のハンドルを
渡したくないだけだ。
料理をしないんじゃない。
百点の料理を作って、
疲れて倒れるより。
七十点でも
ご飯を食べて。
ちゃんと眠って。
明日も会社へ行きたいだけだ。
SNSに
依存しているんじゃない。
一人で潰れないために、
小さくつながっているだけだ。
推し活に金を使うんじゃない。
未来の自分が笑える日を、
先に予約しているだけだ。
大人は…
自分の時代の物差しで、
あなたたちを測りたくなる。
でも…
昔の物差しで、
今のあなたたちを裁いたら、
宝を見つける仙人の目を、
潰すことになるかもしれない。
あなたたちは
苦しい時代に生まれた。
家賃は高い。
物価は上がる。
給料は簡単に増えない。
でも、
だからこそ、
生活を研究している。
百点を目指して、
今日を壊すんじゃない。
七十点でもご飯を食べた。
洗濯をした。
少し笑った。
眠れた。
明日も行ける。
それで黒字だと知っている。
それは、
だらしなさではない。
逃げでもない。
新しい強さだ。
だから、
乾燥機は借りてええ。
車も借りてええ。
AIに下書きを頼んでええ。
友達に助けてもらってええ。
でも…
何を持ち、
何を借り、
どこで休み、
どこで頑張るか?
最後に決めるのは、
あなた自身だ。
あなたたちが、
自分の宝を見つける目を
守っている限り。
明日の日本は、
まだ大丈夫だ。
………
★あとがき
ホームズとワトソン、
仙人の目を守る(笑)
ホームズが言った。
「ワトソン君。大事件だ」
ワトソンが聞いた。
「殺人ですか?」
「いや。
二十一歳の女性が、
鮭を炊飯器に入れた」
「料理です」
「フライパンを使わずに」
「洗い物を減らしたんですね」
「包丁も使わずに」
「冷凍野菜でしょう」
「しかも。
百点を目指していない」
ワトソンは少し黙った。
「ホームズ。
それは事件ではありません」
「何だね?」
「平日の生存戦略です」
ホームズは虫眼鏡を置いた。
「では次の事件だ。
彼女は車を買わず、
必要な日にだけ借りている」
「駐車場。
保険。
車検。
税金。
固定費連続殺人事件ですね」
「ワトソン君。言い方が物騒だ」
「でもホームズ。
毎月口座から
羽をむしる鳥より、
必要な日にだけ飛ぶ車の方が、
若者には優しい」
ホームズはうなずいた。
「では最後の事件だ。
年寄りたちが、
若者に向かって
車を買え!
家を買え!
根性を出せ!
ワシみたいにしろ!
と言っている」
ワトソンが首をかしげた。
「それは、
ただの説教では?」
「百喩経の話を知っているかね」
「仙人の目を潰す話ですか」
「そうだよ。
宝を見つける力を
持っている仙人を、
国に閉じ込めたいからと
目を潰してしまった」
「目を潰したら。
宝を見つけられません」
「その通り。
若者を応援するふりをして。
昔の正解だけを押しつけたら。
彼らが自分で宝を掘る目まで、
潰してしまうかもしれない」
ワトソンは少し黙った。
「ホームズ。
若者は弱くなったんじゃ
ありませんね」
「そうだよ、ワトソン君」
ホームズは、
炊き上がった鮭ごはんを見た。
「昔の大人は。
物を持って強くなった。
今の若者は。
物を持ちすぎずに、
強くなろうとしている」
「では我々は?」
「食べよう」
「推理は?」
「炊飯器が、
もう答えを出している」
「何の答えです?」
ホームズは笑った。
「百点で疲れて倒れるより、
八十点で笑って寝る方が。
たぶん人生は、
長持ちするという答えだよ」
ワトソンは箸を持った。
「ホームズ」
「何だね」
「これ、うまいですね」
「事件解決だ(笑)」
………
――明日も。
七十点でいい。
ご飯を食べて。
少し笑って。
眠れたら。
人生は黒字じゃ。




