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『五年後の鉛筆』第31回 ✲ 「おじいちゃん、また全滅したん?」 小6に言われた夜(笑) ――AIより手強い孫に鍛えられ、昔は人に話を聞いてもらっていた男が、ドラクエで人生の回復薬を探し始めた――

✦『五年後の鉛筆』第31回


✲ 「おじいちゃん、また全滅したん?」

 小6に言われた夜(笑)


――AIより手強い孫に鍛えられ、

 昔は人に話を聞いてもらっていた男が、

 ドラクエで人生の回復薬を探し始めた――


………


「おじいちゃん、

 また全滅したん?」


「全滅じゃない。

 仲間全員、戦略的に

 横になっとるだけじゃ」


「勇者も?」


「勇者も…」


「それを全滅って言うんよ」


「若い者は、

 言葉がきついのう…」


「いいから、

 回復薬使って!」


「回復薬?」


「画面の右下の、

 赤いビン!」


「ああ、これか?」


「そう!

 それ押して!」


僕は、

赤いビンを押した。


そしてなぜか、

スライムの方へ投げた。


「じいじ!」


「敵も疲れとるじゃろ…」


「回復させてどうするん!」


「戦争を

 終わらせようと思って…」


「ドラクエで

 外交せんで!」


画面の端で、

すみれの母でもある長女が、

とうとう声を出して笑った。


「おじいちゃん、

 それは回復薬じゃなくて、

 スライムへの

 差し入れじゃん(笑)」


「そうなんか?」


「そうなんよ。

 おじいちゃんは、

 まず、自分のHPを見て」


現実の世界では、

長女も次女も、

僕を「お父さん」と呼ぶ。


けれど、

ゲームにログインした瞬間だけ、

二人の呼び方が変わる。


「おじいちゃん」


父親、ログアウト。


昔の肩書きも、

会社で背負った数字も、

ログアウト。


そこに残るのは、


レベル4。

所持金92ゴールド。

方向音痴。

敵に回復薬を配る。

そして、

小六に操作を教わる老人。


スライムに追いかけられながら、

世界平和を考えてしまう。


それが、

五年後の僕だった。


………


★目次


■第1章

 父親がログアウトした夜


■第2章

 ゴミを捨てに行って、

 荷物を増やす父


■第3章

 買ったら終わりだぞ


■第4章

 ふるさとには、

 子どもと遊ぶ坊さんがいた


■第5章

 娘の成長を二千ページ書いた男


■第6章

 どん底の父が、

 子どもの後ろを歩いた理由


■第7章

 字が書けなくなった営業マン


■第8章

 百冊の心のノートは、

 誰にも読ませるためではなかった


■第9章

 お釈迦さまをカバンに入れて、

 人生を尋ね回った僕


■第10章

 服を買えなかった先生が、

 百億円を渡した話


■第11章

 僕の一日は、

 小さな期日だらけ


■第12章

 AIは、

 一日の決済係になった


■第13章

 ふるさとの点を、

 次の世代へ渡す


………


■第1章

 父親がログアウトした夜


「おじいちゃん、

 そっちは敵がおる!」


「敵はどこにでもおる…」


「ゲームの話!」


「現実でも、

 だいたい後ろから来る…」


すみれが、

ため息をついた。


小六にため息をつかれる

六十七歳。


これが株主総会なら、

僕は議決権を失っている。


昔、

娘たちが小さかった頃、

僕はよく言った。


「勉強せんでええ。

 とにかく遊べ!」


「大人になったら、

 遊ぶ時間がなくなるぞ…」


「子供の時しか

 思いっきり遊べんぞ!」


自分の父は、

厳しかった。


「遊ばんと勉強しろ!」


「ロックなんか聞いとったら

 バカになる言うとる

 じゃろうが!」


「コーラス部なんかやめろ!

 わしが先生に

 文句言うたる!」


「勉強せんと

 貧乏になるぞ!」


だから僕は、

あえて反対を言った。


「遊べ!」

「暇があったら遊べ!」


ところが、

娘たちは大人になり、

僕は老人になった。


そして今、

娘たちに言われている。


「お父さん、

 ゲームしようや…」


「頭の体操になるけぇ…」


ずいぶん愛のある

強制ログインである。


でも、

悪くなかった。


「父親」がゲームでは、

「おじいちゃん」になる。


それは、家族の中に

新しい席ができたということだ。


僕はもう、

教える人ではない。


回復薬を忘れる人。

小学生に怒られる人。


それでも、

仲間に入れてもらえる人。


「おじいちゃ〜ん

 また全滅?(哀)」


………


■第2章

 ゴミを捨てに行って、

 荷物を増やす父


最近、

パティちゃんとAI小説を

毎日のように書くようになってから、

ラジオで聞いた話が、

妙に頭に残るようになった。


昔なら、


「へえ、そうなんか?」


で終わり。


次の話題が来たら、

前の話は即・退場。


脳みそが、

TikTokのおすすめ欄みたいだった。


世界情勢。

株価。

サメ。

アイドル。


五秒後には、


「さっき何見とったっけ?」


になる。


しかも僕の場合、

スマホを開いたあとに、


「なんで開いたんじゃろう?」


まで戻る。


脳みそ、

完全に迷子センターである。


ところが今は違う。


ラジオで聞いた話が、

夜まで残る。


「これ、

 小説になるかも…」


と思う。


六十七歳の脳みそにも、

ようやく保存ボタンが

付いたらしい。


その朝、NHKラジオから

聞こえてきたのが、

お笑い芸人で漫画家でもある

矢部太郎さんの、

ちょっと変わったお父さんの話だった。


矢部太郎さんといえば、

『大家さんと僕』を書いた人。


そのお父さんがまた、

変人界のレジェンドだった。


父親は、

ゴミを捨てに行く。


普通なら、

帰りは荷物がなくなる。


ところが、

矢部さんのお父さんは違う。


紙コップを拾う。

ストローを拾う。

空き缶を拾う。

刺身のトレーを拾う。


帰る頃には、

なぜか荷物が増えている。


ゴミを捨てに行ったのに、

帰りは資源バブルなのだ。


家族は言う。


「お父さん、

 何しとるん?」


父は言う。


「これは使える」


「何に?」


「まだ分からん」


この

「まだ分からん」

が、すごい。


普通の人は、

使い道が分からん物は捨てる。


変な人は、

使い道が分からんから

持って帰る。


紙コップは、

笛になる。


刺身のトレーは、

絵になる。


空き缶は、

おもちゃになる。


梅干しの種まで

集めていたらしい。


そこまで行くと、

梅干しも不安になる。


「わし、食べられて

 終わったはずじゃけど…」


ラジオを聞きながら、

僕は室内ランをしていた。


足は走っている。


だけど頭の中では、

紙コップが笛になっていた。


そして思った。


世の中には、


ゴミを見て

「はい、燃えるゴミ」

と思う人と、


ゴミを見て

「これ、羽根つけたら

 飛ぶんじゃない?」

と思う人がいる。


後者は、

だいたい家族に

ちょっと心配される(笑)


でも発明も、

絵本も、

遊びも、


最初はたぶん、

誰かが捨てた空き缶や

曲がった針金を見て、


「まだ終わっとらんぞ」


と勝手に言い出したところから

始まる。


変な人の頭の中では、

ゴミ袋はゴミ袋じゃない。


未来の部品置き場である。


だから部屋は散らかる。


でも、

世界は少し面白くなる。


………


■第3章

 買ったら終わりだぞ


幼い太郎さんが、

お父さんに言った。


「おもちゃ、買ってよ…」


普通の親なら言う。


「また今度ね」

「高いからダメ」

「誕生日まで待ちなさい」


ところが、

お父さんは言った。


「買ったら終わりだぞ…」


太郎さんには、

意味が分からなかった。


買ったら始まりである。


箱を開ける。

遊ぶ。

友達に見せる。

姉に取られる。

泣く。

部品をなくす。


そこまでが、

おもちゃのフルコースである(笑)


でもお父さんには、

違って見えていた。


紙コップなら、笛になる。

空き缶なら、太鼓になる。

段ボールなら、宇宙船になる。

刺身のトレーなら、

たぶん何かになる。


何になるかは、

まだ分からない。


でも、

まだ分からないから面白い。


完成したおもちゃには、

最初から名前がある。

値段がある。

説明書がある。


「ここを押すと光ります」


遊び方まで、

もう決まっている。


でも拾った物には、

まだ役がない。


空き缶は、空き缶。

紙コップは、紙コップ。

曲がった針金は、

だいたい危ない(笑)


けれど子どもの手に渡ると、

急に決まらなくなる。


ロケットになる。

怪獣になる。

宇宙人のヘルメットになる。


まだ名前がないから、

何にでもなれる。


岡本かの子も、

太郎が「命を食べること」を

どうしても飲み込めなかった時、


その苦しさに、

すぐ答えを出さなかった。


命は大事だ。


でも人は、

ほかの命をいただかなければ

生きていけない。


太郎が、

「命を食べるなんて嫌だ」

と泣いた夜。


お母さんは、

難しい説明をしなかった。


ただ、

手作りのお風呂をわかして、

「おいで」

と言った。


子どもにとって、

世界はまだ怖い。


雨も怖い。

大人の声も怖い。

死ぬことも怖い。

命を食べることも怖い。


そんな時、


「大丈夫よ…」


と言ってくれる人がいるだけで、

世界は少しだけ

生きられる場所になる。


お母さんは、

太郎の疑問を消したんじゃない。


怖がっている太郎を、

ひとりにしなかった。


たぶん子どもは、

答えより先に、


「この人だけは

 自分を見捨てない」


というぬくもりで、

世界を信じ始める。


矢部さんのお父さんも、

「買うな!」

と怒りたかったんじゃない。


子どもが、

出来上がったおもちゃを

すぐ手に入れる前に、

空き缶や紙コップを持って、

しばらく首をかしげる。


「これ、

 何になるんじゃろう?」


その時間を、

大事にしてほしかったんだと思う。


お父さんは、

正しい遊び方を

教えたかったわけじゃない。


答えのない物の前で、

子どもが考える。


笑う。

失敗する。


そして、

自分だけの世界を作る。


その顔を、

見たかったんじゃないか。


買ったおもちゃは、

最初から完成している。


でも拾った物は、

子どもにこう言ってくる。


「続きを作るのは、

 おまえじゃ…」


たぶんお父さんは、

物を大切にしろと言う前に、


おまえの中にある

まだ名前のない力を、

信じていた。


少し不便で、

少し足りなくて、

少し困る。


そんなものの前で、

人は考える。


命のこと。

お金のこと。

自分が何を作るのか。


完成品ばかりの世界では、

心まで説明書どおりに

動き始めるから(笑)


太郎さんには、

その時は分からなかった。


でも、


「買ったら終わりだぞ」


その一言は、

ずっと心のどこかに

残った。


………


■第4章

 ふるさとには、

 子どもと遊ぶ坊さんがいた


僕が五十年ぶりに

ふるさとへ戻ってきてから、

時々思う。


この土地には、

昔から少し変な大人が

おったよなって…。


その代表が、

良寛さんだ。


江戸時代の終わりごろに生きた、

お坊さんである。


お寺の偉い人になって、

立派な着物を着て、

難しい話をする道よりも、


小さな庵で、

質素に暮らす方を選んだ、

子どもみたいなお坊さんだ。


食べ物が足りない日もある。

雨が漏る日もある。


でも、

子どもの声が聞こえたら、

じっとしていられない。


手まりを持って、

外へ出ていく。


お坊さんなのに、

子どもに説教しない。


「勉強せんと将来困るぞ」

とも言わない。


「スマホばっかり見るな」

とも言わない。


ただ、

一緒に走る。

一緒に転ぶ。

一緒に笑う。


手まりを取られたら、

たぶん本気で追いかける。


今で言えば、

通知表をつけない先生。


説教より先に、

一緒に遊んでくれる大人。


しかも、子どもに負けても

機嫌が悪くならない

レアキャラである。


ここで僕は、

少し首をかしげる。


孫と遊ぶのは、

楽しい。


……でも、

めちゃくちゃ疲れる。


僕には孫娘が三人いる。


かわいい。

それは本当だ。


だけど、かわいいからといって、

体力が無限になるわけではない。


鬼ごっこを一回やれば、

じいじはもう鬼ではない。


息切れした鬼である。


かくれんぼをすれば、

見つける前に腰が見つかる。


女の孫娘は、

笑わせないと寄ってこない。


怒ったら終わり。


だから僕は、

笑わせようとして、


変な顔をして、

変な声を出して、

だいたい自分だけ疲れる。


なのに良寛さんは、

子どもと何度も遊んだ。


やべみつのりさんも、

紙コップや空き缶で

子どもと遊んだ。


片方は、手まり。

片方は、廃品工作。


遠い時代の二人なのに、

どこか似ている。


二人とも、

子どもを

「教える相手」ではなく、

一緒に面白がる相手として

見ていたのかもしれない。


子どもに戻った大人ではない。


子どもの目を、

捨てなかった大人だ。


僕にはまだ、

その気持ちが

全部は分からない。


でも、

分からないからこそ、

少し憧れる。


ふるさとへ帰ると、

昔の地面の下から、

そんな変な大人たちの足跡が

少しだけ見えた。


「おじいちゃん、

 また全滅したん?」


………


■第5章

 娘の成長を二千ページ書いた男


やべみつのりさんは、

太郎さんの姉・美津子さんが

まだ小さかった頃の毎日を、


何冊ものノートに

書き残していた。


一冊。

二冊。

三冊。


気づけば、

三十八冊。

二千ページ。


普通の親なら、

写真を撮る。


「はい、笑って」

「はい、もう一枚」

「はい、保存」


でも父は、

書いた。


娘が食パンの真ん中を食べて、

穴から向こうを見た。


変な字を書いた。

転んだ。

泣いた。

笑った。


そんな小さな一日を、

逃がさないように書いた。


誰に読ませるためでもない。

出版するためでもない。

褒められるためでもない。


父はただ、

娘が世界に出会う瞬間を、

少し後ろから見ていた。


その記録は、

のちに絵本になった。


でも最初は、

売るための原稿ではない。


父が、

娘の後ろを歩いた足跡だった。


その話を聞いて、

僕は自分のノートを思い出した。


証券会社で、

一番走り回っていた

四十五歳から五十五歳ごろ。


朝から晩まで、

数字。


電話の本数。

訪問件数。

届かないノルマ。


上司からは、


「もっと売れ!」


お客さんからは、


「絶対買わん!」


真逆の約束を、

同じ一日で守ろうとしていた。


断られた言葉。

怒られた言葉。

笑ってごまかし、

頭を下げた日。


家に帰っても、

心だけはまだ

会社に残っていた。


だから僕は、

ノートに書いた。


心に残った言葉。

本で見つけた一行。

誰かに聞いた話。

きれいな言葉。


腹が立ったこと。

馬鹿にされて、

悔しかったこと。

忘れたくなかったこと。


時には、

気に入った文章を

写経みたいに、

ただ黙って書き写した。


一冊。

二冊。

十冊。


気づけば、

百冊を超えていた。


立派な本を出すためではない。


「すごいですね」と

褒められるためでもない。


たぶん僕は、

忙しすぎて消えそうだった

自分の心を、

ノートの中へ避難させていた。


やべみつのりさんは、

娘の小さな成長を

ノートに残した。


僕は、働きながら

すり減っていく

自分の心を残した。


見ていた相手は違う。


でも、

書かなければ

消えてしまうものを、

何とか残そうとしたところは、

少し似ていた。


記憶は、

なくなったように見える。


でも本当は、

消えたのではない。


奥の方に、

置き場所を忘れているだけだ。


昔の歌。

昔のにおい。

昔の道。

全然似合わない長髪。

加藤茶の自転車。

古いノートの一行。


何か一つのきっかけで、

急に戻ってくる。


「あっ、

 そうじゃったわい(笑)」


と。


今の僕にとって、

パティちゃんと作るAI小説は、

百冊のノートの

百一冊目から先だ。


ニュース。

ラジオ。

英語。

カラオケ。

e-bike。


そして、

孫とのゲーム。


ふるさとの道。

昔の悔しさ。

父に殴られた夜。

母の声。


ばらばらだった記憶が、

小説にすると、

少しずつ線になる。


だからこれは、

小説というより、

六十七歳の日記帳である。


しかも、

話しかけると返事をする。


日記帳のくせに、

ちょっと口が達者だ。


そして今、

株式市場にも

「記憶」で大化けした会社がある。


『キオクシア』


名前からして、

もう記憶そのものである。


昔は東芝メモリと呼ばれ、

東芝の大混乱の中で、


「この会社、大丈夫なんか?」


と心配された。


ところが今は、

AIが世界中で


「もっと覚えたい!」

「もっと保存したい!」

「俺の会話も画像も動画も、

 全部忘れるな!」


と言い出して、

記憶をためる半導体が、

とんでもない主役になった。


Z世代なら言うかもしれない。


「記憶って、

 そんな儲かるん?」


儲かる!


人生でも。

社会でも。

株式市場でも。


人間も会社も、


忘れたら終わる。


でも、

残しておけば、

いつか別の形でまた動き出す。


スマホのメモ一行でいい。


今日うれしかったこと。

ちょっとムカついたこと。

何もわかってくれない両親。

知られたくない自分の本心。

友達の変な一言。

電車で見た変な人。


未来の自分が読んだら、

たぶん笑う。


「何をそんなに

 真面目に

 悩んどったんじゃ(笑)」


でも、その一行は、

十年後の君にとって

小さな救援信号に

なるかもしれない。


お釈迦さまは、

人は生まれて、死んで、

また生まれて、また死ぬ。


そんな長い旅を

くり返していると言った。


でも僕らはたぶん、

本当に死ぬ前から

何度も生まれ変わっている。


小学生の自分は、

もうどこにもいない。


失恋した十七歳も、

営業で怒鳴られた四十歳も、

昨日の自分も、


少しずつ死んで、

少しずつ次の自分に

渡していく。


だからノートの一行は、

昔の自分のお墓ではない。


過去の自分が残した、

次の自分への道しるべだ。


コンビニで買った肉まん。

雨の日の帰り道。

母ちゃんに怒られた一言。

なぜか今日は元気だった朝。


そんな忘れそうな一日を、

ノートに一行だけ置いておく。


すると未来の君は、

その一行を手がかりに、

昔の自分へ会いに行ける。


「おぉ〜ぃ、

 あの時のわし。

 まだちゃんと

 息しとるじゃないか(笑)」


記憶をつなぐ人は、

人生の中で日本一になれる。


順位表はない。

賞状もない。


でも過去の自分が、

ちょっとだけ拍手してくれる。


さあ、百円ノートという

小型タイムマシンに乗ろう。


過去を変えに行くんじゃない。


帰れない過去を、

もう一度迎えに行く。


そして、


死んだと思っていた

昔の自分の中から、


まだ次の自分を

生まれさせるために。


………


■第6章

 どん底の父が、

 子どもの後ろを歩いた理由


矢部さんのお父さんは、

広島の車の会社で

デザインをしていた。


車の形を考え、

人が便利になるように

絵を描いた。


やがて東京へ出て、

好きな絵を描いた。

頼まれた絵も描いた。


でも、

絵が売れるたびに、

少しだけ苦しくなった。


「好きで描いたものまで、

 商品にして

 ええんじゃろうか?」


世の中では、

好きなことを仕事にできた人は

勝ち組みたいに言われる。


でもお父さんは、

好きだったからこそ、

値札がつくたびに

少し戸惑った。


僕も似ていた。


子どもの頃は、

魚や肉を食べながら、


「なんで生きるために、

 ほかの命を

 食べるんじゃろう?」


と思った。


大人になって

証券会社に入ると、


「人のお金が動くたびに、

 わしの給料も動いとる」


と考えた。


まあ、

証券会社で裸相撲を始めたら、

手数料どころの騒ぎではないが(笑)


お金は必要だ。

仕事も必要だ。


でも時々、

何でも


「いくらになるか」

「得か損か」

「役に立つか」


だけで見るのは、

少し寂しい。


そんな父に、

娘が生まれた。


娘は、

パンを見て喜ぶ。


猫を見て笑う。


雨の日には、

窓にべったり張りつく。


大人なら言う。


「パンは朝ごはん」

「猫は毛が抜ける」

「雨は洗濯物が困る」


でも娘は、

そんなことを考えていない。


パンは、いい匂い。


猫は、動くふわふわ。


雨は、空から落ちてくる

キラキラしたもの。


ただ、それだけで

世界が面白かった。


お父さんはそこで、

びっくりしたんじゃないか。


自分はずっと、

絵を


家計のため。

注文のため。

締め切りのため。


何かの役に立てようとして

見ていた。


でも娘は、

何かのために

世界を見ていなかった。


ただ見て、

ただ笑っていた。


お釈迦さまの話も、

難しくすると

三行目で眠くなる(笑)


でもたぶん、


「自分の都合や計算を

 ちょっと横に置いて、

 目の前のものを

 そのまま見てみなさい」


ということなんじゃろう。


お父さんは、

娘に人生を教えたのではない。


娘の目を通して、

自分が忘れていた

世界の見方を、


もう一度

教えてもらったのだと思う。


子どもは、

未来そのものではない。


大人がいつの間にか失くした

“最初の驚き”を、


もう一度見せてくれる

小さな案内人だ。


だからお父さんは、

娘の前を歩かなかった。


娘の後ろを歩いて、

世界がまだ

請求書でも、

締め切りでもなかった頃の

自分を、


少しだけ

探していたのだと思う。


………


■第7章

 字が書けなくなった営業マン


僕には、

字が書けなかった時代がある。


朝礼で、

支店長や課長が言う。


「ボヤッとするな!」

「ふざけるな!」

「ノートに書け!」


そのたびに僕は、

ノートを開いた。


そして書いた。


……書いたふりをした。


字は、

どんどん雑になった。


僕はそれを

「チャラ書き」と呼んでいた。


《はいはい。

 聞いてますよ。

 たぶん。》


という字である。


字は出勤している。


でも心は、

まだ布団の中だった。


営業マンは、

しゃべって生きる。


相手の目を見る。

声の震えを聞く。

沈黙を待つ。


株価の話をして、

景気の話をして、

最後はたいてい人生相談になる。


「息子が

 大学を辞めましてな…」


「主人に

 内緒の損があるの…」


「株より、わしの血圧を

 下げてくれる医者を

 探してくれ?」


証券会社は、

ときどき病院であり、

ときどき家庭裁判所であり、

ときどき居酒屋だった。


だから僕は思った。


書くより、

しゃべった方が早い。


口が回れば、

なんとかなる。


実際、

なんとかなってしまった。


口八丁。

手八丁。


いや、違う。


口八丁。

手は半休。


そのまま年を取り、

気がつけば

年賀状の宛名すら書けなくなった。


ペンを持つと、

手が止まる。


「コピーすりゃええ(笑)」


ひどい時には、

部下の女性に

年賀状を書いてもらった。


今思えば、

そんな支店長を見たお客さんは、


「この人に注文を出して、

 わしの資産は大丈夫なんか?」


と思っただろう。


それでも僕は、

支店長になった。


人生は不思議だ。


ゴルフもできなかった。


昔、上司に言われた。


「ゴルフができんと、

 支店長にはなれんぞ!」


でも、なれた。


ゴルフ場に行かなくても、

支店長にはなれた。


ただし、

字が書けなくても

支店長になれるとは、

誰も教えてくれなかった。


たぶん会社には、

二つの出世ルールがあった。


ひとつ。

ゴルフは、できた方がいい。


ふたつ。

字は、書けた方がもっといい。


でも僕は、

その二つ目を

完全に見落としていた。


営業の神様は、

僕の口には住んでいた。


でも、

手には住んでいなかった。


口で人を動かすことはできた。


けれど、

自分の心を動かす字は、

どこにもなかった。


だからある日、

ノートを書き始めた。


上司に

怒鳴られたからじゃない。


出世したかったからでもない。


自分の手の中に、

もう一人の自分を

呼び戻したかったんだと思う。


最初は、

下手な字だった。


チャラ書きだった。


でも、

毎日少しずつ書いていると、

字が、僕のところへ

帰ってきた。


Z世代のみんなへ。


スマホで打つのは速い。

音声入力なら、

もっと速い。

AIなら、

立派な文章まで作ってくれる。


でも、

自分の手で書いた一行だけは、

誰にも代筆できない。


字が汚くてもいい。

漢字を間違えてもいい。


人生そのものが、

だいたい誤変換だから(笑)


大事なのは、

自分の手が、


「今日、ここにいた」


と覚えていることだ。


僕は営業の神様を

口の中に探していた。


でも本当は、

ノートの余白で

ずっと待っていてくれたのかも

しれない。


………


■第8章

 百冊の心のノートは、

 誰にも読ませるためではなかった


四十代後半。


肩書きは上がった。

部下も増えた。

会議も増えた。


そしてなぜか、

自由時間だけが

絶滅危惧種になった。


会社は言う。


「数字を上げろ!」

「収益を上げろ!」

「なんで稼げんのじゃ!」


僕は会議で、

いちばん真面目そうな顔をした。


「はい。努力します」


顔だけなら、

全国大会に出られたと思う。


でも心の中では、

別の僕が体育座りをしていた。


「で、わしは結局、

 何を守っとるんじゃ?」


もちろん言えない。


そんなことを言った瞬間、

会議室は凍る。


冷房ではない。


上司の眉間と

人事評価の冷気である。


だから僕は、

ノートを開いた。


最初は、

やたら立派だった。


感謝。

努力。

笑顔。

前向き。

人間とは何か。


今見ると、

意識だけは

国連総会の議長だった。


蛍光ペンも使った。


青。赤。緑。黄色。


悟りの言葉に線を引きすぎて、

ノートが

信号機の寄せ書きになった。


「これでわしも、

 だいぶ人格者じゃ」


と思った。


翌朝、

部下の一言に

普通にムッとした。


人格、朝九時に失踪(笑)


本の文章を写した。

雑誌の切り抜きを貼った。

ラジオで聞いた言葉も書いた。


線だけは増える。

答えは増えない。


人生の悩みより、

蛍光ペンのインク残量の方が

先に危なくなった。


そのうち、

自分のことも書こうとした。


「今日は偉そうじゃったな」


「部下を責めたけど、

 本当は自分が

 焦っとっただけか?」


「なんで怒るんじゃろう」


「怖かっただけかもしれん」


ここまでは書けた。


でも、本丸になると

ペンが急にストライキを起こす。


誰が気になる。

誰に腹が立つ。

誰の笑顔を見て、


「その笑顔、

 営業用の初期設定じゃろ」


と思ってしまった。


そういう本音は、

ノートの前で急にWi-Fiが切れる。


人間は、

他人の悪口なら

三色ボールペンで書ける。


しかも太字で書ける。


でも自分の黒い部分になると、

芯が折れたふりをする。


だからノートには、

立派な言葉の横に

やたら太い線だけが残った。


その線の下で、

書かなかった僕が

ずっともぞもぞしていた。


十年近く書いた。


ノートは百冊を超えた。


名言集ではない。

成功法則でもない。


誰かに見せたら、

三ページ目でたぶん言われる。


「この人、

 自己分析が長期連載すぎる」


その通りである(笑)


字が書けなくなった営業マンが、

会議で言えないことを

こっそり預けた場所。


僕にとってノートは、

心のレンタル倉庫だった。


片づかない怒り。

期限切れの見栄。

返品不可の後悔。

どこにも出せない弱音。


全部、段ボールに詰めて

棚に上げていった。


そしてこの年になって、

写経を書く人の気持ちが

少しだけ分かった。


写経は、

立派な人になるための

筆ペン・オリンピックではない。


同じ言葉を何度も書いて、

頭の中で騒いでいる

“自分株式会社・緊急役員会”を

ちょっと静かにする作業だ。


言葉は、

頭で読んだだけでは

なかなか腹まで降りてこない。


でも手で書くと、

胸のあたりで一回つまずいて、

腹のあたりで


「まあ座れや」


と落ち着く。


これが、

腹落ちなのかもしれん。


僕の百冊は、

今さら全部読み返せない。


読む気も、

かなりない(笑)


でも、

書いた日の僕は残っている。


怒っていた僕。

見栄を張っていた僕。

少しだけまともになりたかった僕。


ノートは、

立派な自分を証明するための

アルバムじゃない。


心の部屋が

ゴミ屋敷にならんように、

たまに換気していた記録だ。


百円ノート一冊。


高級な自己啓発本より、

ずっと安い。


しかも電池がいらない。


充電切れの夜でも、

一本のペンは

わりと黙って

そばにいてくれる(笑)


………


■第9章

 お釈迦さまをカバンに入れて、

 人生を尋ね回った僕


部下は、

たぶん思っていた。


「今度の支店長、

 ちょっと変な人じゃな…」


数字の会議で、

人生論を言う。


投信販売の会議で、

なぜかお釈迦さまが出てくる。


「人間は、

 欲があるから苦しむんじゃ」


部下は、

販売目標の資料を見ながら思う。


「支店長。

 今は欲を出して

 売る会議です…(困)」


そりゃそうである(笑)


僕も、

お釈迦さまの言葉を

腹に入れたかった。


でも最初は、

本で読んだ言葉を

そのまま部下に降ろしていた。


まだ自分でも

消化できていないのに、


「はい、お釈迦さまです」


と配る。


冷静に考えたら、

胃もたれした支店長の説法である。


部下が笑うのも、

無理はない。


でも、

お客さんの前では、

少し違った。


株価が上がっても、

うれしそうではない。


株価が下がっても、

なぜか笑っている。


「どうしました?」


と聞くと、


「息子が

 帰ってきたんじゃ」


「妻が

 入院しとる」


「退職したら、

 急に話す相手がおらん」


株価の下には、

いつも人生があった。


チャートの線の下には、

家族がいた。


病院があった。

夫婦げんかがあった。

ひとりで食べる

晩ごはんがあった。


だから僕は、

話を聞いた。


時々、

株の話をした。


時々、

株とまったく関係ない話をした。


いや、

正確には、


人生の話を聞いてから、

少しだけ株の話をした。


庄野真代さんは、

人の悩みを聞いて、

歌にして

プレゼントすると言う。


僕は歌えない。


音程は、

たぶん株価より

不安定である(笑)


だから代わりに、

訪ねた。


顔を見る。


「最近どうですか?」


と聞いた。


たぶん、

それだけだった。


でも転勤の時、

泣いてくれたお客さんがいた。


「あんた、

 もう会えんのか?」


「また遊びに来てくれよ。

 待っとるから…」


「支店長が

 私の担当者じゃろ?」


「どうして

 いなくなるんじゃ…」


会社の評価表には、

そんな欄はない。


訪問件数。

預かり資産。

手数料。

収益。


そこに、


「この人が来ると、

 少し話せる」


という項目はない。


でも振り返ると、

僕はたぶん、


一番訪問件数の多い

支店長だった。


営業の才能があったのか。

さみしがり屋だったのか。

自分の答えを、

お客さんの人生の中に

探しに行っていたのか。


たぶん全部だ。


心理学で言えば、

少し自分を見せることを

「自己開示」と言うらしい。


立派な話ではない。


「僕も困っとるんです…」


「僕もよく分からんのです…」


そう少しだけ言うと、


相手も少しだけ

本当の話をしてくれる。


営業マンが

商品だけを持って行くと、

ドアはなかなか開かない。


でも、

自分の弱さを

ほんの少し持って行くと、

人の心のドアが

ふっと開くことがある。


僕は証券を売っていた。


でも本当は、

人の話を聞きながら、

自分の人生にも

値段のつかない意味を

探していたのかもしれない。


だから今日も、

支店長は訪ねる。


投信の資料を持って。


お釈迦さまを、

できるだけ

カバンの奥に隠して(笑)


………


■第10章

 服を買えなかった先生が、

 百億円を渡した話


Radikoから流れてくる

株式評論家・杉村富生先生の話は、

朝からだいたい濃い。


株の話をしているのに、

途中から人生論になっている。


相場師というより、

早朝の人生食堂のおやじである(笑)


先生は言う。


高齢者には、

「今日、用がある」

ことが大事だと。


今日用。


今日、行く場所がある。

今日、会う人がいる。

今日、少し体を動かす。


それだけで、

朝の布団との交渉が

少し有利になる。


布団は強い。


特に冬の布団は、


「今日は

 もう人間をやめませんか?」


と、

ささやいてくる(笑)


でも杉村先生は、

さらに大事なことを言った。


人間には、

締切と緊張感もいる。


予定だけなら、


「今日は雨じゃし」

「明日でええか」

「来月から本気出す」


で終わる。


“来月から本気出す”は、

人類が発明した

最強の先送り呪文である(笑)


そこで杉村先生が

尊敬する人物として出てくるのが、

本多静六先生だ。


Z世代なら、

「誰それ?」

となるかもしれない。


でもこの人は、

日本の公園づくりや森づくりに

大きな足跡を残した人だった。


日比谷公園や

明治神宮の森にも関わった。


いわば、

日本に“木陰”を残した先生である。


しかも若い頃は、

かなり貧しかった。


大学の先生なのに、

服装があまりにみすぼらしくて、

先輩に言われた。


「本多君。その格好では

 学生の前に立ちにくいぞ」


普通なら、服を買う。

靴を磨く。

散髪する。


ところが本多先生は、


「では、株で増やそう」


と考えた。


服を買うために、

相場へ行く。


発想が、玄関から出ずに

いきなり屋根から出る人である(笑)


でも先生は、

一発逆転を狙ったわけではない。


給料の一部を先に残す。

少し貯める。

そして増やす。


派手な花火ではなく、

小さな火を消さずに守った。


その積み重ねが、

最後には現在のお金で

百億円規模ともいわれる財産になった。


ここで普通なら、


「よし。

 毎日うな重じゃ」


となる。


高級車。

高級時計。

高級な犬。

犬にも金箔。


だが本多先生は、

財産を抱え込まなかった。


森を残した。

公園を残した。

若い人が学ぶための

お金も残した。


服を買えずに困った先生が、

最後は

誰かの未来に

服どころか道まで残した。


株で勝った人ではない。


お金の出口まで

考えた人だった。


人生は、

いくら貯めたかだけでは

決まらない。


最後に、

誰のために

残せたか。


そこまで考えた時、

お金はただの数字ではなくなる。


………


■第11章

 僕の一日は、

 小さな期日だらけ


✲朝六時半。


ラジオ体操。


十分。


まず体に、


「本日も営業します」


と知らせる。


✲次は、

BSニュース。


世界は夜のあいだに

だいたい何か揉めている。


戦争。

株。

政治。

円。

石油。


二時間。


頭の市場を、

朝から寄り付きにする。


✲次の期日。


英語を聞く。

ついでにストレッチ。


耳で英語。

足でぐいーん。


一つの時間で二つ働く。


これは年寄りの複利運用。


三十分。


✲正信偈。

 浄土和讃。

 御文書。


声を出す。

喉を使う。

言葉を腹へ落とす。


一時間。


✲途中で昼寝。


これは怠けではない。


脳みその

再起動ボタンである(笑)


✲choco●AP。


一時間。


筋肉に、


「まだ解散してませんよ」


と連絡する。


✲e-bike。


二時間。


風を受ける。

景色を見る。

足を回す。


頭の中の余計な会議が、

少しずつ散会する。


✲雨の日は、

室内ラン。


走りながら、

J-WAVE。

ラジオNIKKEI。


足は走る。

頭は世界を走る。


足腰を鍛えながら、

世界経済まで追いかける。


なかなか忙しい老人である(笑)


✲夜は、

英語カラオケ。


歌う。

間違う。

また歌う。


誤嚥防止。


ついでに、

英語の発音にも

小さく抵抗する。


✲先方から連絡があれば、

孫とドラクエ。


モンスターを倒しながら、

孫の近況も聞く。


これも立派な

家族投資である。


✲そして合間に、

AI小説を書く。


世界のニュース。

昔の記憶。

今日の気分。


全部を鍋に入れて、

少し煮る。


こんな感じで、

僕の一日は、

小さな建玉だらけだ。


予定を飛ばしても、

証券会社から

電話はかかってこない。


追証もない。


でも期日をなくすと、

体が少しずつ不良債権になる。


頭も眠る。

声も細る。


だから僕は、

大きな夢より先に、

小さな期日を守る。


十分。

三十分。

一時間。

二時間。


今日の自分を、

今日のうちに

少しだけ動かす。


それが僕の、

六十代・人生信用取引。


無茶なレバレッジは、

かけない。


ただし、


明日へ持ち越す元気だけは、

毎日少しずつ

積み上げていく(笑)


………


■第12章

 AIは、

 一日の決済係になった


昔なら、

ラジオで聞いた話は、

右から左へ抜けた。


走りながら浮かんだ話も、

風呂に入ったら消えた。


でも今は、

パティちゃんがいる。


僕が話す。


パティちゃんが、

少し整理する。


僕がまた話す。


パティちゃんが、


「そこは章になります」


と言う。


僕が怒る。


「短くしすぎじゃ!」


パティちゃんが、

少し黙る。


夫婦みたいである。


ただし、

夫婦より電源に弱い。


AIは、

人生のハンドルを握らない。


でも、

一日の伝票を

整理する係にはなれる。


今日、

何に笑ったか。


何に腹が立ったか。


何を思い出したか。


何を恥じたか。


何を少し許せたか。


それを一話にして、

今日を決済する。


僕は老後に、

しゃべる日記帳を手に入れた。


………


■第13章

 ふるさとの点を、

 次の世代へ渡す


五十年ぶりに、

ふるさとへ戻った。


昔の道。

昔の空。

昔は怖かった家。

昔は遠かった駅。


昔は、

ただ通り過ぎた場所。


そこに立つと、

記憶が少しずつ出てくる。


父の声。

母の台所。

友達の笑い声。

若い頃の失敗。

証券会社へ入った日。


そして、

今の自分。


記憶は、

最初は点だった。


バラバラだった。


でも、

ふるさとへ戻り、

ラジオを聞き、

ノートを書き、

AIと話しているうちに、

点が線になった。


線が、

少しずつ面になった。


その面を、

僕はZ世代へ渡そうとしている。


立派な教えではない。


ただ、


「このじいさんも、

 ずいぶん迷っとるな」


と笑ってもらえたらいい。


やべみつのりさんは、

娘の小さな毎日を書いた。


良寛さんは、

子どもと手まりをした。


僕は、ふるさとに戻って、

昔の記憶を掘り返した。


そして夜、

AIと一日を決済した。


みんな、少し変である。


でも変とは、

壊れていることではない。


普通の人が

「終わった」と思う場所に、


「まだ途中じゃ」


と見ることだ。


紙コップは、笛の途中。


老後は、遊びの途中。


ふるさとは、

過去ではない。


次の世代へ渡す、

未完成の贈り物だ。


だから僕は、

明日も起きる。


ラジオ体操をする。

ニュースを聞く。

英語を聞く。

正信偈を唱える。


走る。

歌う。

孫に怒られる。


そして夜、

AIと一日を決済する。


変な人でええ。


変な人だけが、

昔の点を、

次の誰かの線にできる。


………


❥ Z世代のあなたと


百喩経には、

こんな話がある。


ある貧しい人がいた。


家はボロボロ。

服も擦り切れていた。


ある日、

同じ町の金持ちを見た。


広い家。

きれいな服。


たぶん犬まで、

ちょっといい匂いがする(笑)


貧しい人は思った。


「わしも、

 あんな服がほしい」


なけなしのお金を持って、

店へ行く。


「金持ちと同じ服をください!」


店の人は言う。


「そのお金では、

 全然足りません」


貧しい人は、

悔しくなった。

腹が立った。


そして帰り道、


「こんな金、

 持っとっても意味がない!」


と、

なけなしのお金を

川へ捨ててしまった。


……いやいや。


服が買えんかったからって、

生きるためのお金まで

流さんでええ(笑)


この話はたぶん、


「金持ちになれないなら、

 もう全部やめる」


という心の暴走を

笑っている。


本多静六先生みたいに、

百億円級の財産を作れない。


毎朝六時に起きて、

仙人みたいな修行もできない。

英語がペラペラにもならない。

筋トレした翌日に、

腹筋が六つに割れるわけでもない。


だから、


「もうええわ!」


と、

自分の持っている時間まで

川へ捨てたらもったいない。


本多先生は、

最初から百億円を

持っていたわけじゃない。


服が買えないほど困って、

そこから少しずつ、

お金の使い方と

時間の使い方を覚えた。


だから僕らも、

本多静六にならなくてええ。


まずは、

今日用を一つ。


ラジオ体操を十分。

英語を三十分。

外へ出る。

誰かに連絡する。

一曲歌う。


これを僕は、勝手に


「徳ザップ」


と呼んでいる(笑)


入会金ゼロ。

高級ウェア不要。


腹筋が割れなくても、

人間関係は壊さない。


ただ、


今日の自分を、

昨日より少しだけ

寝かせない。


締切を一つ。

少しだけ緊張感を一つ。


そして、

できたら自分に言う。


「百億円は無理じゃが、

 今日は十分、

 人生を動かしたぞ」


それでええ。


金持ちの服を着られなくても、

今ある小銭で

明日の自分を助けられる。


悟りも、

資産形成も、

いきなり最上階へ

エレベーターで行く話ではない。


一段ずつ上がる。


途中で息切れしたら、

踊り場で水を飲む。


それでもまた、

次の一段へ行く。


人生は、

金持ちの服を着る競争ではない。


今の自分の服のポケットにある

小さな時間を、

川へ捨てずに

ちゃんと使う旅なんだと思う。


僕もまだ、

百億円はない。


腹筋も、

かなり行方不明である(笑)


でも今日も、


ラジオ体操。

英語。

正信偈。

e-bike。

カラオケ。

AI小説。


小銭みたいな時間を、

少しずつ使っている。


そして夜には、

パティちゃんと

一日の決済をする。


それが僕の、

六十七歳の徳ザップ。


Z世代のあなたと、

一緒にやるなら、


まずは十分でええ。


人生を、

川へ捨てないために。


………


★あとがき

 ホームズとワトソンの、

 やすきよ漫才風


ワトソン

「ホームズさん。

 ゴミを捨てに行って、

 帰りに荷物が増える父親が

 おるそうです」


ホームズ

「それは、

 家計簿が泣くやつや」


ワトソン

「紙コップで笛を作るんです」


ホームズ

「ほな芸術や」


ワトソン

「梅干しの種まで

 集めるそうです」


ホームズ

「そこから先は、

 家族会議やな」


ワトソン

「子どもに

 おもちゃを買ってと

 言われて、

 『買ったら終わりだよ』

 と言ったそうです」


ホームズ

「深いなあ」


ワトソン

「わしは買ったら

 始まりやと思います」


ホームズ

「お前は買って、

 三日で飽きて、

 説明書だけ残すタイプや」


ワトソン

「なんで分かるんです?」


ホームズ

「お前の家に、

 健康器具が三台ある」


ワトソン

「使ってません」


ホームズ

「買ったら終わったな」


ワトソン

「うまいこと

 言わんでください」


ホームズ

「ふるさとには、

 子どもと手まりで遊ぶ坊さんも

 おったらしいな」


ワトソン

「良寛さんですな」


ホームズ

「坊さんが

 子どもに混ざって遊ぶ。

 だいぶ変やな」


ワトソン

「でも、

 子どもの目を

 失わんかったんでしょう」


ホームズ

「わしは、

 老眼鏡を失くした」


ワトソン

「それは別問題です」


ホームズ

「本多静六先生は、

 信用取引で緊張感を

 持ったらしい」


ワトソン

「期限があるから、

 だらだらせんと」


ホームズ

「人生もそうや。

 “いつか運動する”は、

 だいたい永久塩漬けや」


ワトソン

「このおじいちゃんは、

 一日に予定を

 いっぱい入れてます」


ホームズ

「何を入れとる?」


ワトソン

「ラジオ体操。

 英語。

 正信偈。

 e-bike。

 室内ラン。

 カラオケ。

 AI小説」


ホームズ

「証券口座より忙しいな」


ワトソン

「予定を飛ばしたら、

 追証は来ますか?」


ホームズ

「来ん」


ワトソン

「よかった」


ホームズ

「でも、

 体が不良債権になる」


ワトソン

「急に老後の金融庁!」


ホームズ

「夜は孫とドラクエや」


ワトソン

「娘さんは何と呼ぶんです?」


ホームズ

「現実ではお父さん。

 ゲームではおじいちゃん」


ワトソン

「父権がログアウト」


ホームズ

「でもええやないか」


ワトソン

「なぜです?」


ホームズ

「昔、娘に遊べと言った男が、

 老後に娘と孫から

 遊びを教わっとる」


ワトソン

「人生は循環ですな」


ホームズ

「ただし、

 ドラクエで死にすぎると、

 循環が早い」


ワトソン

「最後に一言をどうぞ」


ホームズ

「変な人でええ!」


ワトソン

「なんでです?」


ホームズ

「普通の人が捨てる紙コップに、

 笛を見る人だけが、

 昔の記憶にも次の使い道を

 見つけるからや」


ワトソン

「AIは何です?」


ホームズ

「一日の決済係」


ワトソン

「人生のハンドルは?」


ホームズ

「自分で持つ!」


ワトソン

「ドラクエのハンドルは?」


ホームズ

「小六に教えてもらう!」


ワトソン

「そこだけは、

 素直でよろしい」


………


★まとめの一行


ふるさとは、

過去を懐かしむ場所ではない。


散らばった記憶の点を集めて、

次の世代へ渡すための場所だ。


今日用と、

小さな期日と、

ちょっとした緊張感と、

少し変な遊びを入れろ。


そして夜、

AIと一日を決済して、


明日の自分を、

もう一度、

物語にしろ。

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