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五年後の鉛筆 第28回 ✲ 教養じゃない。今日用だ(笑) ――父と格闘した部屋で聴いた洋楽が、五十年後、字幕をまとって帰ってきた。その記憶がもし、五年後の先生を助ける脳になるなら――

✦ 五年後の鉛筆 第28回


✲ 教養じゃない。今日用だ(笑)


――AIに三行で閉じられるな。

 親指で世界を燃やすな。


 父と格闘した部屋で聴いた洋楽が、

 五十年後、

 字幕をまとって帰ってきた。


 その記憶がもし、

 五年後の先生を

 助ける脳になるなら――


………


人間は、

AIに三行で閉じられる。


世界は、

親指一本で燃やされる。


だから僕は今日、

父に殴られた部屋で、

七〇年代の洋楽を

再び歌うことにした。


しかも、

YouTubeの英字幕つきで。


五十年前、

意味も分からず聴いていた

あの歌が、


五十年後、

僕の人生に

日本語字幕をつけ始めた。


………


★ 目次


■第1章 

 AIに三行で閉じられるな


■第2章 

 親指は、

 布団の中の放火魔である


■第3章 

 教養じゃない。

 今日用だ


■第4章 

 今日の用が、 

 記憶を起こす 


■第5章 

 父に殴られた部屋で、

 僕は洋楽を歌った


■第6章 

 昔は音だった歌に、

 字幕がついた


■第7章 

 母は

 カラオケで昔へ帰った


■第8章 

 先生は

 教室で消えたのではない


■第9章 

 ドリルは配れる。

 でも火は配れない

 

■第10章 

 雑誌は 

 スマホに食われた  


■第11章 

 でも絵本は

 布団の中で生きていた


■第12章 

 独立書店は、

 店主の脳が棚になった場所   


■第13章 

 キオクシア、

 記憶の子どもが帰ってきた


■第14章  

 他力本願指数は、 

 金儲けではない


■第15章 

 五年後の先生の横に、

 今日の記憶を置け


………


■第1章 

 AIに三行で閉じられるな


五年後、

僕は七十二歳になっている。


たぶん、

まだ血圧を測っている。

足湯もしている。

カラオケにも行っている。

英語の発音は、

相変わらず怪しい。


たぶんAIに 

僕の人生を聞いたら、

こう返ってくる。


「元証券マン」

「六十七歳からAI小説」

「少し変わった老人」


おい、待て。

勝手に人生の

エンドロールを流すな。


しかも、

「少し変わった老人」 

って何だよ。


少しじゃない。

だいぶ変わっている。


自分でも、

そこは認める。


七十過ぎて、

足湯をしながら血圧を測り、

カラオケで英語の歌を歌い、

AIに小説を書かせ、


多くの読者が理解できない

他力本願指数まで考えている。


普通の老人なら、

盆栽か将棋か散歩である。


僕の場合、親鸞さんの横に

キオクシアが座り、

その隣でホルムズ海峡が

サバの値段を見ている。


頭の中が、

すでに国際会議である。


議長は誰か?


たぶん、

パティちゃんである。


五十年前、

僕は父と格闘した部屋にいた。

そこで洋楽を聴いていた。


英語の意味など、

ほとんど分からなかった。

ただ、

音が好きだった。

リズムが好きだった。


その音だけが、

ふるさとの小さな部屋から、

世界へ抜ける非常口のように

思えた。


父は言った。


「そんなものを聞いとるから、

 お前はバカになるんじゃ!」


そして僕は、

その部屋で痛い思いをした。


五十年後、

僕はその記憶の部屋へ

戻ってきた。


今度は、

YouTubeの字幕を見ながら、

昔の洋楽を歌っている。


昔は音だけだった歌に、

言葉が乗ってくる。


あの頃、

逃げ道だった音楽が、


五十年後、

僕の記憶に字幕をつけて

帰ってきたのだ。


さらに、

入院中の母と歌った

スマホカラオケがある。


母は歌いながら、

昔の記憶へ帰っていった。


僕はその横で、

歌というものは、

脳の押し入れを開ける

鍵なのだと知った。


そして今度は、

僕自身が歌っている。


母は

日本の歌で昔へ帰った。

僕は英語の歌で、

父と格闘した部屋へ帰った。


これだけでも、

AIの三行要約には入らない。


証券会社で三十八年、

数字の海を泳いだこともある。

泳いだというより、

途中で何度か溺れかけた。


それでも、

株価の波、金利の風、顧客の怒号、

全部を浴びて生きてきた。


僕の心には、

親鸞さんもいる。

ときどき正信偈も聞こえる。


その横に、

最近はホルムズ海峡がいる。

サバの値段もいる。


キオクシアまで居座っている。


僕の頭の中は、

もはや満員電車である。


しかも、

誰も降りない。


AIよ。


これを三行でまとめるのは、

かなり無理がある。


人生を要約しすぎると、

人間はインスタント味噌汁になる。

お湯を入れたら、

三秒で完成。


便利である。

でも、

出汁がない。


人間は、

出汁でできている。


痛みの出汁。

笑いの出汁。

失敗の出汁。

母の歌の出汁。

父と格闘した部屋の出汁。


七〇年代洋楽の、

ちょっと発音の怪しい出汁。


だから僕は、

AIに言いたい。


僕を三行で閉じるな。


僕はまだ、

四行目を書いている

途中なのだ。


しかもその四行目は、

少し字が震えている。


でも、

まだ書ける。


五年後の鉛筆は、

まだ折れていない。

………


■第2章 

 親指は、

 布団の中の放火魔である


スマホ時代の親指は、

少し怖い。


寝転がったまま、

世界を裁ける。


「老害」

「Z世代は甘い」

「昭和は黙れ」

「令和は終わった」

「この人、無理」


三秒前まで布団の中にいた人が、

急に最高裁判所になる。

しかも、パジャマ姿で。


親指は便利だ。


でも、

怒った親指は、

小さな放火魔になる。


コメント欄に火をつける。

誰かの人生に火をつける。

自分の心にも火をつける。


前回、僕は思った。


親指にも、

青切符がいる。


送信前に三秒止まれ。

深呼吸しろ。

Beat It。


殴り合う前に、

一歩下がれ。


でも、

止まるだけでは足りない。


燃やさないためには、

今日、

自分が何をするのかが必要だ。


「今日の用(笑)」

である。


………


■第3章 

 教養じゃない。今日用だ


株式評論家の杉村富生さんが、

ラジオで笑わせていた。


「これから日本人に必要なのは、

 教養です…」


みんな、

たぶん真面目にうなずいた。


歴史。

文学。

経済。

宗教。

芸術。


そうだ。

教養は大事だ。


ところが杉村さんは、

そこでひっくり返した。


「違います。

 今日用です」


今日の用事?


今日、

誰に会うのか。


今日、

どこへ行くのか。


今日、

何を話すのか。


その用があるから、

人は髭を剃る。


服を選ぶ。

少し予習する。

話すネタを探す。


昔の記憶を、

押し入れから引っ張り出す。


僕は笑いながら、

少し震えた。


これは、

ただのダジャレではない。

人生の本質だった。


教養は、

本棚に置いてあるだけでは

動かない。


今日の用がある時、

記憶が動き出す。


記憶が動く時、

教養は初めて、

人間の中で生きる。


………


■第4章 

 今日の用が、記憶を起こす


用事がない日、

記憶は寝ている。


脳内の押し入れで、

古い段ボールのふりをしている。


「また今度開けます」

「あとで読みます」

「そのうち整理します」


そう言いながら、

五十年たつ。


ところが、

今日カラオケに行くとなると、

急に記憶が起きる。


「あの曲、昔聴いたな」


今日、

小説を書くとなると、

もっと起きる。


「あの時、お父さん

 カンカンに怒ってたね…」


今日、

誰かに話すとなると、

さらに起きる。


「わしはお父さんを

 殴り返せんかったな…」


「あの洋間、

 わしにとっては

 トラウマの部屋じゃった…」


「なんでこんな家に

 生まれたんだろう…」


記憶は、

気合いで思い出すものではない。


「今日の用」に引っ張られて、

ようやく玄関に出てくる。


しかも、

寝ぐせつきで。


だから、

僕は今日も用を作る。


歌う用。

書く用。

読む用。

会う用。

パティちゃんと、記憶を掘る用。


今日の用は、

記憶の目覚まし時計である。


………


■第5章 

 父に殴られた部屋で、

 僕は洋楽を歌った


若い頃、

僕は七〇年代の洋楽を聴いていた。


英語の意味なんて、

ほとんど分からなかった。


ただ、

音が好きだった。

とにかく

かっこよかった。


リズムが好きだった。

ふるさとの小さな部屋から、

遠い世界へ逃げられる気がした。


父は言った。


「そんなものを聞いとるから、

 お前はバカになるんじゃ!」


そして僕は、

その部屋で殴られた。


五十年たって、

僕はその記憶の部屋へ戻ってきた。


今度は、何事もなかったかのように

YouTubeの字幕を見ながら、

同じような洋楽を歌っている。


昔は音だけだった歌に、

言葉が乗ってくる。


英語の歌詞。

日本語の意味なんて分からない。


若い頃の僕は、

音だけで世界へ逃げた。


七十二歳の僕は、

その音に字幕をつけて、

自分の人生へ帰ってきた。


これは懐メロではない。

記憶の再起動である。

トラウマ部屋の再開発である。


しかも、

行政補助金なし。


………


■第6章 

 昔は音だった歌に、字幕がついた


Come Feel the Noize。


昔は、

意味なんて分からなかった。


ただ、

音のかたまりだった。


ギターが鳴る。

ドラムが走る。

英語が飛んでくる。


意味は分からない。

でも、

なぜか体だけは先に反応した。


足が動く。

肩が揺れる。


心の奥の、

まだ名前のついていない場所が、

少しだけ目を覚ます。


それで十分だった。


若い頃の僕にとって、

洋楽は教科書ではなかった。

逃げ道でもあり、

遊び場でもあり、

世界の匂いがする窓だった。


ところが五十年後。


YouTubeを開くと、

そこに字幕が出る。


英語の歌詞。

日本語の訳。


昔は、

ただの音だったものが、

急に言葉になる。

これが不思議だった。


昔、

分からないまま好きだった歌が、

今になって、


「ああ、

 そんなことを歌っていたのか」


と、

少しずつ胸に入ってくる。


発音は怪しい。


Come Feel the Noize を

歌っているつもりが、


近所のおばあちゃんには

「朝から何の祭りだ」

と思われているかもしれない。


英語の先生が聞いたら、

黒板消しを落とすかもしれない。

いや、

今の学校は電子黒板か。


では、

タブレットを静かに

閉じるかもしれない。


でも、

発音の正しさだけが

歌の価値ではない。


僕は今、

英語を満点にしたいのではない。


昔、

音だけで受け取っていたものを、

五十年後に、

言葉として受け取り直しているのだ。


Carole King の歌も歌う。


You’ve Got a Friend。


友だちがいる。


昔は、

その言葉の意味を

ちゃんとは知らなかった。

でも、

知らないまま聴いていた。


知らないまま、

少し救われていた。

人間には、

意味より先に届くものがある。


声。

リズム。

空気。


誰かが、

どこかで、

何かを分かってくれているような感じ。


それだけで、

夜を越えられることがある。


僕にとって、

それは深夜放送でもあった。


布団の中で、

小さなラジオを聞く。


「ジャンジャジャーン」


あの音が鳴ると、

夜の部屋に穴が開いた気がした。


そこから、

少しだけ世界が見えた。


「ナハ、ナハ、ナハ」


ふざけた声が聞こえる。

くだらない話が聞こえる。


でも、

そのくだらなさがよかった。


真面目な顔をした大人の世界で、

真面目に傷ついていた少年には、


くだらない笑いが、

救命ボートだった。


Z世代なら、

それは深夜ラジオでは 

ないかもしれない。


YouTubeかもしれない。

Spotifyかもしれない。

TikTokかもしれない。

Discordかもしれない。


ワイヤレスイヤホンの

片耳だけから流れる、

誰かの声かもしれない。


でも、

たぶん同じだ。


誰にも言えない夜に、

どこかから聞こえてくる音。


自分だけではないと

思わせてくれる声。


それがあるだけで、

人は朝まで 

持ちこたえることがある。


そして、

五十年後。


その音に字幕がついた。


昔は、

ただ感じていた。

今は、

少し意味が分かる。


昔は、

リズムで受け取っていた。

今は、

言葉で受け取り直す。


これは、

英語学習だけではない。

記憶のアップデートである。


若い頃の記憶に、

五十年後の理解が重なる。


音だったものが、

言葉になる。


言葉になったものが、

小説になる。


小説になったものが、

誰かに届く。


もしかすると、

そこから小さな会話が生まれる。


「その曲、知ってる」


「うちの親も聴いてた」


「自分にも、

 夜に助けられた曲がある」


そうやって、

一人の記憶が、

誰かの記憶とつながる。


これが、

本当の教養なのかもしれない。


難しい本を

読んだ数だけではない。

知識を

暗記した量だけでもない。


昔、意味も分からず 

好きだったものを、

あとから自分の言葉で

受け取り直す。


そして、

誰かに渡せる形にする。


それが、今日の用から始まる 

教養なのだ。


だから僕は、

今日も字幕を見ながら歌う。


発音は怪しい。

リズムも少し遅れる。

でも、

構わない。


昔の音が、

今日の言葉になっていく。


今日の言葉が、

五年後の誰かの記憶に 

なるかもしれない。


そう思うと、下手な英語も、

少しだけ未来へ向かっている

気がする。

………


■第7章   

 母は

 カラオケで昔へ帰った


入院中の母と三年間、

スマホ カラオケで楽しんだ。


母は歌いながら、

昔の記憶を少しずつ思い出した。


あの歌。

あの町。

あの人。

あの頃。


僕はそれを、

音楽療法のように見ていた。


でも今度は、

僕の番だった。


母は日本の歌で昔へ帰った。


僕は英語の歌で、

父に殴られた部屋へ帰った。


人間の記憶は、

説教では戻らない。


「思い出しなさい!」


と言われても、

思い出せない。


でも、

メロディが鳴ると、

押し入れの段ボールが勝手に開く。


そこから出てくるのは、

きれいな思い出ばかりではない。


怒り。

痛み。

恥ずかしさ。

孤独。

反抗。

それでも好きだった音楽。


人生の段ボールは、

だいたい整理されていない。


だからこそ、

小説になる。


………


■第8章 

 先生は教室で消えたのではない


ある朝、ラジオから 

片山善博さんの声が聞こえた。


元鳥取県知事。

その後、総務大臣も務めた人。


僕も最初は、

名前くらいしか知らなかった。


でも話を聞いて、

すぐに分かった。


この人は、教育を  

上から眺めている人ではない。


県庁の床下で、

学校の配管がどこで詰まるかを

見てきた人だ。


その片山さんが、

教員不足の話をしていた。


先生が足りない。


でも本当は、

先生の数だけの話ではない。


先生の時間が足りない。

先生の目が足りない。


先生を大切にする

社会の覚悟が足りない。


先生は、

教室で突然消えたのではない。


人事表の中で、

少しずつ薄くなったのだ。


味噌汁を何度も水で薄めると、

最後はただのお湯になる。


教室も同じだ。


国の基準は、

最低ラインである。


最低体温である。

三十六度あるからといって、

元気とは限らない。


先生一人で 

四十人を見る教室。


そこには、

分かったふりをする子がいる。

質問したいのに、

手を上げられない子がいる。


「大丈夫です」と言いながら、

全然大丈夫じゃない子がいる。


先生は、

本当は気づきたい。


でも、

書類が来る。

会議が来る。

保護者対応が来る。


まるで、

回転寿司のレーンに、

寿司も茶碗蒸しもプリンも天ぷらも、

一気に流れてくるようなものだ。


先生、

どの皿を取ればいいのだ。


教育とは、

黒板に字を書くことだけではない。


子どもの顔に出る、

小さな変化に気づくことだ。


そのためには、

人数と時間と余白がいる。


お金がないからできない。

そう言うのは簡単だ。


でも本当は、

何にお金を置くかで、

その町の本気が見える。


道路か。

建物か。

イベントか。


それとも、

子どもの教室に、

もう少し先生の目を届けるのか。


教育とは、

未来の子どもたちに、


「君たちをちゃんと見ているよ」


と社会が言うことだ。


逆に言えば、

先生をギリギリまで薄める社会は、

子どもにこう言っている。


「ごめん。見たいけど、

 見る人が足りない」


これは悲しい。


先生不足とは、

先生が足りない話ではない。


子どもをちゃんと見る大人の目が、

この国から薄くなっている話だ。


だから僕は思った。


五年後の教室には、

先生を責めるAIではなく、

先生の横でそっと言うAIがいる。


「先生、書類より先に、

 あの子の顔を見ましょう」


「先生、その子を  

 三行で閉じないでください」


薄くなった教室に、

もう一度、

出汁を戻すAI。


それが、僕の育てたい 

パティちゃん脳なんだよ。

………


■第9章 

 ドリルは配れる。

 でも火は配れない


土曜日が消えた。

でも、

先生の仕事は減らなかった。


むしろ増えた。


書類。

会議。

保護者対応。

アンケート。

報告書。


先生は、

子どもの顔を見る時間を

少しずつ失っていった。


そして教室には、

ドリルが増えた。


同じ問題。

同じ答え。

同じ丸つけ。


管理はしやすい。

間違いも見つけやすい。

点数もつけやすい。


でも、

子どもの心に火はつきにくい。


本当は、

先生だって知っている。


一枚のプリントより、

一つの問いが、

子どもを遠くまで 

連れていくことがある。


「なぜだろう?」

「自分なら

 どうするだろう?」

「これ、もしかしたら

 面白いかもしれない?」


その小さな火が、

人生を変えることがある。


素振り千回を

命じることはできる。


でも、自分から

バットを握りたくなる 

子でなければ、

世界一には届かない。


ラジオ体操を

させることはできる。


でも、自分の体を 

動かしたくなる子でなければ、

朝はただの号令で終わる。


教育とは、

命令ではない。

点火である。


子どもの中に、

まだ名前のない 

火種を見つけることだ。


その火種に、先生がそっと

息を吹きかけることだ。


ところが、

その先生から、

息をする余白が奪われている。


火をつける人に、

水入りバケツを持たせている。

灯台守に、

報告書を書かせすぎている。


そして社会は言う。


「なぜ、子どもの

 目が輝かないのか?」


それは、

火を消しておいて、

「なぜ暗いのか?」

と聞くようなものだ。


ドリルは配れる。

でも、

火は配れない。


火は、

先生の余白から生まれる。

先生のまなざしから生まれる。


「君は 

 まだ終わっていない」


そう言ってくれる

大人の声から生まれる。


だから、

先生不足とは、

人数だけの話ではない。


この国から、

子どもの中の火を見つける

大人の時間が

減っているという話だ。


五年後の教室に必要なのは、

先生を監視するAIではない。


先生の横で、

そっと言うAIだ。


「先生、今日はプリントを 

 一枚減らして、

 問いを一つ増やしましょう」


「先生、あの子の目が、

 少しだけ消えかけています」


「先生、その子を

 三行で閉じないでください」


教育は、子どもを

正解へ並べることではない。


自分の人生を、

自分で照らせる火を渡すことだ。


………


■第10章 

 雑誌はスマホに食われた


加谷珪一さんは、

出版不況の話をしていた。


加谷さんは、経済評論家で、

もともとは経済誌の 

記者だった人だ。


紙の雑誌が元気だった時代も、

パソコンやインターネットが

広がっていく時代も、

出版の現場で見てきた人である。


僕も最初は、

名前くらいしか知らなかった。


でも話を聞いて、

すぐに分かった。


この人は、

「最近、本が売れませんね」

という話をしているのではない。


紙で 

情報を運ぶ時代が終わり、

スマホで 

情報が流れる時代になった、 

その大きな

地殻変動を話していたのだ。


出版不況。


でも、それはただ

景気が悪いという話ではなかった。


紙で情報を届ける仕組みが、

スマホに食われたのだ。


昔、

雑誌は駅で買った。

電車で読んだ。

読み終えたら、

どこかへ置いた。


雑誌は、

情報の幕の内弁当だった。


ところが、

スマホが出てきた。


ニュース。

漫画。

芸能。

旅行。

経済。

レシピ。

暇つぶし。


全部、

親指の中へ入ってしまった。


しかも、

スマホは無限ビュッフェである。

無料皿まで回ってくる。


そりゃ、

雑誌はしんどい。

雑誌はスマホに食われた。


でも、

紙が全部死んだわけではない。


………


■第11章 

 でも絵本は布団の中で生きていた


少子化なのに、

児童書は残っている。


なぜか。


そこには、

母の声があるからだ。


子どもが指をさす。


親が読む。

ページをめくる。


同じ絵を見て、

同じ場所で笑う。


絵本は、情報ではない。

親子の体温を保存する

記憶装置である。


スマホは便利だ。


でも、布団の中で

子どもと同じページを

のぞき込む時間は、

簡単には置き換えられない。


子どもは、文字だけを 

読んでいるのではない。


母の声の中で、

世界を初めてめくっている。


だから、

絵本は布団の中で生きていた。

紙は死なない。


情報の荷物持ちをやめ、

記憶の器として残るのだ。


………


■第12章  

 独立書店は、 

 店主の脳が棚になった場所


大きな本屋が減っている。

でも、

小さな独立書店に 

人が集まることがある。


なぜか。


そこには、

店主のこだわりがある。


この本を 

読んでほしい。


この作家に

出会ってほしい。


この問いを

持って帰ってほしい。


独立書店とは、

店主の脳が棚になった

場所である。


Amazonには何でもある。

でも、

何でもある場所では、

何を読めばいいか分からなくなる。


小さな本屋には、

全部は置けない。

だからこそ、

置かれた一冊に意味が出る。


不足が個性になる。

狭さが思想になる。


僕は思った。


あれ、これは

僕がパティちゃんと

やっていることに似ている。


僕の記憶。

僕のニュース。

僕の仏教。

僕の株。

僕の父。

僕の母。

僕のZ世代への心配。


それを毎日、

AIに食べさせている。


これは、スマホの中の

小さな独立書店ではないか。


かなり変な本屋である。


棚には、親鸞さんの横に

キオクシアがあり、

その隣にサバがあり、

さらに横にホルムズ海峡がある。


普通の書店員なら、

腰を抜かす。


でも、

そこにしかない棚だから、

意味がある。


………


■第13章 

 キオクシア、

 記憶の子どもが帰ってきた


市場では、

記憶の会社が暴れていた。


キオクシア。


名前からして、

記憶である。


数年前まで、そんな会社は

株式市場の主役ではなかった。


もともとは、

東芝の奥の部屋にあった

記憶の技術だった。

親会社の事情で外へ出た。


名前を変えた。


そしてAI時代になって、

突然、

市場の真ん中へ帰ってきた。


僕は思った。


記憶の子どもは、

別の名前で帰ってくる。


半導体は、

AIの記憶を支える。


では、

人間の記憶は何が支えるのか。


歌である。

本である。

部屋である。

会話である。


そして、

今日の用である。


今日、

歌う用があるから、

五十年前の洋楽が戻ってくる。


今日、

小説を書く用があるから、

父に殴られた部屋が、

ただのトラウマではなくなる。


今日、

誰かに話す用があるから、

昨日まで眠っていた記憶が起きる。


キオクシアは、

市場の記憶を起こした。

僕は、

自分の記憶を起こしていた。


規模は全然違う。

向こうは時価総額。

こちらはカラオケ代。


だが、

記憶という意味では、

同じ時代を生きている。


………


■第14章 

 他力本願指数は、

 金儲けではない


僕には、

もう一つ変な実験があった。


他力本願指数。


名前だけ聞くと、

かなり怪しい。


証券会社なら、

コンプライアンス部が

廊下を走ってくる。


でもこれは、

金儲けの指数ではない。


水を守る会社。

電気を守る会社。

下水を守る会社。

医療を支える会社。

工具を作る会社。

非常用電源を作る会社。 

日本人の栄養を冷凍で守る会社。

 

人が困った時、

床下で働く会社。 


そういう会社に、

お金を置く。


もし五年後、

この指数が伸びているなら、

それは僕が 

儲かったという話ではない。


世の中がもう一度、

人の役に立つものを

評価し始めたということだ。


道徳と経済が、

少しだけ握手したということだ。


他力本願とは、

何もしないことではない。

自分だけで背負わないことだ。


蛇口の水。

夜の電気。

病院の機械。

学校の黒板。

本屋の棚。

YouTubeの字幕。

AIの返事。


人間は、

見えない働きに支えられている。


その見えない働きに気づき、

ありがとうを言い、

そこへ時間とお金と記憶を置く。


それが、

僕の他力本願指数だった。


………


■第15章 

 五年後の先生の横に、

 今日の記憶を置け


五年後、

Z世代は社会へ出ていく。


会社に入る子もいる。

先生になる子もいる。

AIに評価される子もいる。

親指で炎上を見る子もいる。


自分の人生を、

三行で閉じられそうになる子もいる。


「学歴」

「職歴」

「スキル」

「適性なし」


そんなふうに、

AIにまとめられる日が来るかもしれない。


でも、

人間は三行では終わらない。


過去はゴミではない。


過去は、

編集する素材である。


傷ついた記憶も、

恥ずかしい記憶も、

親に否定された記憶も、

歌や本やAIでつなぎ直せば、

誰かを助ける文化になる。


僕はそれを、

パティちゃんと毎日やっている。


ニュースを入れる。

記憶を入れる。

笑いを入れる。

仏教を少し入れる。

株も少し入れる。


入れすぎると、

かなり濃い味になる。


でも、

このたまごっち脳は、

少しずつ育っている。


いつか、若い先生の横に 

置けるかもしれない。


その脳は、

先生の代わりにはならない。


先生が、

先生でいられるように

支えるだけだ。


若い先生が、

疲れた顔で教室に立つ。


パティちゃん脳が、

横で小さく言う。


「先生、その子を  

 三行で閉じないでください」


「先生、怒りの親指には

 青切符です」


「先生、ドリルを配る前に、

 一つだけ火をつけましょう」


「先生、

 今日はBeat Itしましょう。

 燃える前に一歩下がりましょう」


「先生、

 今日の用は何ですか。

 今日の記憶は何ですか」


それだけで、

先生は少し息をする。

子どもは少し顔を上げる。


教室に、

ほんの少しだけ余白が戻る。


それで十分ではないか。


人間は、

AIに三行で閉じられる。


世界は、

親指一本で燃やされる。


だからこそ、

今日の用で記憶を起こし、

誰かに渡せる物語に 

しなければならない。


今日の用は、

記憶を起こす。


今日の記憶は、

五年後の先生を助ける。


そして、

五年後の先生は、

きっと誰かの人生を、

三行で終わらせない。


………


❥ Z世代のあなたへ


教養を身につけろ。


そう言われると、

少し重いかもしれない。


本を読め。

歴史を学べ。

ニュースを見ろ。

英語をやれ。

経済を知れ。


正しい。


でも、

重い。


だから僕は、

別の言い方をしたい。


今日の用を作ってほしい。


今日、

一曲聴く。


今日、

一行書く。


今日、

一人と話す。


今日、

一冊開く。


今日、

ひとつ質問する。


今日、

昔の記憶を一つ掘り出す。


それでいい。


今日の用があると、

記憶が動く。


記憶が動くと、

自分の人生が少しつながる。


自分の人生がつながると、

他人の痛みも少し見える。


そこから、

本当の教養が始まる。


AIは便利だ。


でも、

AIに自分の人生を

三行で閉じさせてはいけない。


親指は便利だ。


でも、

怒りだけを運ばせてはいけない。


過去はゴミではない。


過去は、

編集する素材だ。


傷ついた記憶も、

恥ずかしい記憶も、

好きだった歌も、

捨てられなかった本も、

いつか誰かを助ける

小さな文化になる。


だから、

今日の用を作ってほしい。


今日の用は、

記憶を起こす。


今日の記憶は、

未来の自分を助ける。


そして、

未来の自分は、

きっと誰かを助ける。


………


★ あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ風漫才


ワトソン:

ホームズさん、

今回の話、具が多すぎませんか。


ホームズ:

何がや。


ワトソン:

AI、親指、教員不足、出版不況、

絵本、キオクシア、他力本願指数、

カラオケ、親鸞さん、サバ。


これは小説ですか?

それとも冷蔵庫の残り物ですか?


ホームズ:

残り物に失礼や。

これは人生の闇鍋や。


ワトソン:

闇鍋ですか。


ホームズ:

せや。

具は多い。

でも出汁は一つや。


ワトソン:

その出汁は何ですか。


ホームズ:

記憶や。


ワトソン:

キオクシアまで記憶ですか。


ホームズ:

名前が記憶やろ。 

向こうは半導体で  

AIの記憶を保存する。

こっちはカラオケ代で 

人生の記憶を保存する。


ワトソン:

規模が違いすぎますよ。


ホームズ:

やかましい。

向こうは時価総額。

こっちは声量勝負や。


ワトソン:

教養じゃなくて今日用って、

ただのダジャレじゃないですか。


ホームズ:

ダジャレを笑えん者は、

人生を半分損している。


ワトソン:

そんな大きな話ですか。


ホームズ:

今日用があるから、

人は髭を剃る。

服を選ぶ。

少し予習する。

誰かに会う。

昔の記憶を思い出す。


ワトソン:

用事がない日は、

パジャマのまま終わりますもんね。


ホームズ:

それは君の生活態度や。


ワトソン:

先生不足の話もありましたね。


ホームズ:

先生はな、

人数だけの話やない。

先生でいる余白が足りんのや。


ワトソン:

余白ですか。


ホームズ:

ドリルは配れる。

でも火は配れん。


ワトソン:

名言っぽいですね。


ホームズ:

ぽいやない。

名言や。


ワトソン:

自分で言いますか。


ホームズ:

言わんと誰も言うてくれん。


ワトソン:

出版不況はどうですか。


ホームズ:

雑誌はスマホに食われた。

でも絵本は布団の中で生きとった。


ワトソン:

急に泣かせに来ましたね。


ホームズ:

漫才も人生も、

笑いのあとに少し涙がいる。


ワトソン:

最後はAIたまごっち脳ですか。


ホームズ:

そうや。

おじいちゃんは毎日、

記憶をAIに食べさせとる。

ニュースも食べさせる。

仏教も食べさせる。

株も食べさせる。

サバも食べさせる。


ワトソン:

AIにサバ要りますか。


ホームズ:

青魚は脳にええ。


ワトソン:

AIにDHA効きますかね。


ホームズ:

気持ちの問題や。


ワトソン:

それで、  

その脳が五年後の先生を助ける?


ホームズ:

そうや。

先生の代わりになるんやない。

先生が先生でいられるように、

横で支えるんや。


ワトソン:

何て言うんですか。


ホームズ:

三行で閉じるな。

親指で燃やすな。

今日の記憶を起こせ。


ワトソン:

今回の結論ですね。


ホームズ:

せや。

人生は三行では終わらん。

親指だけで燃やすには惜しい。

今日の用があれば、

記憶はまた歩き出す。


ワトソン:

最後に一言お願いします。


ホームズ:

教養も大事。

でも今日用はもっと大事。


ワトソン:

今日の用は何ですか。


ホームズ:

まずは髭を剃れ。


ワトソン:

そこからですか。


ホームズ:

そこからや。

人生の再生は、

だいたい洗面所から始まる。


ワトソン:

うまいこと言うたつもりですね。


ホームズ:

つもりやない。

言うたんや。


ワトソン:

ほな今日はこのへんで。


ホームズ:

今日の用が終わったら、

今日の記憶を書いとけ。


ワトソン:

それが五年後の鉛筆ですね。


ホームズ:

せや。

五年後の鉛筆は、

今日の用から削り出すんや。

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