58話 現代の英雄
「アオォオォン!」
勝鬨を上げる様に凶狼は吠える。
『くっ、こうもあっさり術を抜けられれば自信を無くすでありんす』
凶狼は二頭の獣を一度睨み、視線を外す。
『エレナちゃん・・・?』
今までと違う知性を感じる行動に、ギレーヌは元のエレナに戻ってのかと錯覚する。
自我は未だ戻らず。
だが、本能は思考した。
己が今、突き動いた理由を。
人間だ。
『っ、待ってエレナちゃん!』
凶狼は天井を突き破り、空へ駆け出した。
─あの時もそうだ
本能は思考する。
─油断した
己を今も戒める呪いを、本能は思い出す。
─人間にやられた
本能は元凶を狼の血に刻む。
─次の人間もまた嫌な物を持って現れた
本能は恐怖をも記憶する。
─人間は危険だ
人間への恐怖と殺意が凶狼を突き動かす。
─人間は殺す
空を駆ける凶狼の行く先は、人間の匂いが濃い場所だ。
「ねぇ、おじちゃん!」
騎士の姿をした男が出店の手伝いをしている所へ、娘は声を掛ける。
「なんだ娘よ。ついでに我はまだおじちゃんという年齢ではない。ぴちぴち三十代ぞ」
「空におっきなわんちゃん!綺麗ー!」
娘は騎士の言葉を無視して目を輝かせて言う。
「どれどれ、そんな立派な雲であれば・・・」
娘が見た空を、騎士の姿をした男は見る。
「何も無いまま終わるわけには行かぬか」
氷の足跡を空に残しながら駆ける狼の眼に、理性は無い。
その眼に宿るのは、明確な殺意のみ。
「─此れは、我が英罰──」
護るべく者達を護れなかった騎士は、今度こそ約束を違えない。
騎士は、己が罪を謳る。
皆無事だと良いが。
防衛地から離れ、我は荘厳且つ優美に空を駆け、帝国へ向かう途中なのだ。
皆を信じておらぬ訳では無い。
が、相手は人間。
油断はできぬ。
先の狂った竜騎士の様に、人間には圧倒的に周りを抜いた個が存在するのだ。
それに、宝具。
何が起きてもおかしくはないじゃろう。
考えれば考えるほど嫌な予感がする。
少し優美さが欠けるが、急ぐのじゃ。
我は自らの身体能力を十全に活かし、空を駆け、帝国を目指す。
─あれは、エレナか?
内なる力を体に纏わせ、帝都の空に佇む巨狼。
見違えぬ、我が眷属のエレナじゃ!
「アオォオォン!!!」
何をしておる!?
エレナが帝都へ我の様な技を使いおった!!
や、やめよ!!!
「ヒュゥイ!」
ぬぅ!
まだ遠く、我では間に合わぬ!!
我は人間に恨みを買いすぎるつもりは無いのだ!!!
誰か、彼奴を!!
「─永劫回帰の王盾」
ッなんじゃ!?
なんと、なんと荘厳且つ雄大な盾よ。
我は思わずエレナから意識を逸らし、帝都全土を覆う大きな盾を見た。
あれならば、我が技でも数度なら耐えれるであろう。
凄まじい防御の技よ。
現代の英雄か。
見たい、見たいのじゃ。
じゃが、まずはエレナだ。
我はエレナの元へ駆け寄る。
エレナの眼には理性を感じぬ。
恐らく、宝具を使われたのであろう。
ならば、
「グルルル」
『エレナよ、鎮まれ』
我は声と共に[王権]を発動させ、エレナに纏わり付く妙な力を剥がす。
エレナはそれを嫌がる様に涎を撒き散らしながら頭を振る。
が、次第に落ち着きを取り戻していく。
『落ち着くのじゃ、エレナ』
「グルルゥ・・・」
『我が、主人、私は、』
『良い、今は休め』
『──』
我は暴れ果て眠り着くエレナを氷の台座に乗せ、ギレーヌを探す。
『主ちゃん!来てくれたのね!!』
『うむ、どうも嫌な予感がしてな。急いで正解であった様じゃな』
『そうね、助かったわ。アタシが付いていながらなんて情けない』
『良い、見ればお主も傷だらけではないか。孔雀に診てもらえ。あと、エレナも頼んだぞ』
『了解、主人ちゃんは?』
『我は少し、気になる人間がいる』
『・・・大丈夫?正直エレナちゃんの事で、もう人間とはあんまり・・・』
『少しじゃ。案ずるでないギレーヌ。お主はまず自分を癒すのじゃ』
『・・・わかったわ。気を付けてね』
『うむ、行くが良い』
さて、先の英雄は何処ぞ。
なんだ、あれは。
「おじちゃん、あの鹿さん?綺麗だけど、少し怖い」
「─そうか、其方にはあれが怖いと見えるか。それが正しいぞ娘。その感覚を覚えておけ」
確かにとても美しい。
あの様な美を感じる獣には出会った事は無い。
過去、一度も。
その存在は巨象と幾らかやりとりした後、こちらにゆっくり向かって来る。
下品さは一つもなく、上品に、圧倒する空気を自らの周りにのみ纏わせ、ゆっくりと余の元へ。
美しい氷の結晶を侍らせ、空中に留まる。
『お主が先の我が眷族の技を防いだ者か?』
「ッ娘よ、離れていろ」
「う、うん」
娘は余を離れて囲む群衆の中へ身を隠す。
そして、目線を交わす。
敵意はなく、知性を感じる眼。
突然脳に語りかけた声の主は、この獣以外に考えられない。
「先の技ならば、我だ」
余は臆する態度を見せず、堂々と語りかける。
『見事な技だ。お陰で、不必要な恨みを買わずに済んだ。礼を言おう』
「・・・この国の城を壊滅させておいて、良く言うものだ」
『必要な事はせねばならぬ。でなければ、この様な事が他の場所でも起こりえたのだ。お主にも、分かるであろう?』
「──」
『その顔を見るに、何か事情がある様だが、我の知るところでは無い。詮索はせぬ。此度、我がお主の元に寄ったのは礼をしに来たのみ。英雄よ、名を申せ』
「─我は騎士、ヴァンディッシュだ」
『騎士ヴァンディッシュ、礼だ。これをくれてやろう』
獣は侍らせていた氷の結晶を余の手元へ置く。
『では、さらばだ』
そして去る姿ももまた、美しかった。




