第9話「Aランク試験。俺は荷物を持つだけでいい」
試験の前夜、五人で食堂にいた。
Aランク昇格試験は翌朝から始まる。内容は非公開だが、過去の試験を受けた冒険者の話では、実戦形式の依頼を複数こなし、判定員が全体のパフォーマンスを採点するらしい。体力、判断力、連携、対応力。その全てが見られる。
「緊張していますか」とクロエが俺に聞いた。
「していません。いつもと同じことをするだけなので」
「いつもと同じとは」
「荷物の管理と補給の計算、地形把握、装備の整備です。それ以外はみなさんがやることなので」
「……それで受かると思っていますか」
「今まで毎回それで終わっているので」
クロエが「そうですね」と言って眼鏡を磨いた。
リナが「私は緊張している」と言った。
「珍しいですね」
「珍しくない。緊張するときはする。ただ、緊張しながらでも動ける」
「そうですか。それなら問題ないです」
「問題ないって言えるのがすごいですよ、あなたは」
「リナさんが動けるということは分かっているので」
リナが少し止まった。
「……なんでそんなに確信しているんですか」
「三日目の依頼から、今日まで七日間見てきたので」
リナが俺を見た。少し長く見ていた。それから「分かりました」と言って、スープを飲んだ。
ミアが「私、明日、前に出てもいいですか」と言った。
「どうぞ」
「止められないですよね」
「止めません」
「怒らないですよね」
「守れたら怒りません。守れなくても、守ろうとした結果であれば怒りません」
「じゃあ——いきます」
ミアが盾を膝に置いた。小さな手が盾の縁を撫でていた。
フィンが「情報は全部取ってくる」と言った。「頼みます」と俺は答えた。フィンが「当然だ」と言った。それだけで話が終わった。フィンと話すのは、だいたいこういう長さになる。それが俺には合っていた。
「一つ確認です」
俺は五人を見た。
「明日の試験は俺たちとして初めての正式な場です。ただ、やることは変わりません。俺が後ろで補給と地形を管理します。フィンさんが情報を集めます。リナさんが前衛で動きます。クロエさんが魔法で支援します。ミアさんが後衛を守ります。それだけです」
「それだけで受かりますか」とミアが言った。
「今まで毎回それで終わっていたので」
「同じことを二回言いましたね」
「大事なことなので」
リナが「もう」と言って、でも少し笑った。クロエが「理論的には、今の構成は試験形式と相性がいいです」と言った。フィンが「俺は行かんとは言っていない」と言った。
「では、今日は早く寝ましょう。明日は朝から動きます」
全員が「はい」と言った。ばらばらに、でも同じタイミングで。
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試験は朝の六時から始まった。
試験場は王都から一時間の演習地だ。広い。森と草地と廃屋が混在していて、複数の状況に対応できるよう設計されている。
受験パーティは今日、三組いた。
全員Cランクだ。残り二組はそれぞれ四人と五人のベテランに見えた。装備が整っていて、動きに迷いがない。俺たちの構成を見て、少し不思議そうな顔をしていた。Fランクから一週間でCランクになったパーティが、Aランクを受けに来た。それが伝わっているらしかった。
試験官は二人いた。四十代と五十代の男性で、どちらも元Sランクだという話をギルドで聞いていた。俺たちを見て、年長の方が手帳に何かを書いた。
試験が始まった。
最初の課題は廃屋エリアの魔物清掃だ。
フィンが先行した。三分で廃屋の全フロアの魔物の配置を把握してきた。「一階に七体、二階に三体、屋根裏に二体。一階の四体は連携している。残り三体は孤立している」という報告だった。
他の二組が廃屋に入っていくのを横目に、俺は地図を広げた。フィンの情報をもとに動線を設計した。一階の孤立した三体をリナが最初に処理して、連携している四体をクロエが凍結する。二階はリナとミアで。屋根裏はフィンが単独で確認して、危険なら報告をもらう。
「行きます」とリナが言った。
「荷物の確認をして」と俺は言った。
リナが一度止まって、荷物の紐を確認した。直す必要はなかった。ただ、確認することで意識が整う。それだけのことだ。
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廃屋は二十分で終わった。
他の二組はまだ中にいた。一組は二階で足止めされている音が聞こえた。もう一組は一階を処理し終えたところらしかった。
試験官が俺たちの報告書を受け取った。年長の方が少し首を傾けた。
「終わったんですか」
「終わりました」
「中の魔物は全て」
「屋根裏に一体残っています。傷ついていて動けない状態です。清掃範囲の外なので、確認のみにしました。依頼書の内容を確認してください」
試験官が依頼書を見た。「清掃」の定義を確認しているらしかった。依頼書には「活動中の魔物の排除」とある。傷ついて動けない個体は「活動中」に含まれない可能性がある。
「正しい判断です」と試験官が言った。
「ありがとうございます」
「あなたが判断したんですか」
「フィンさんが情報を取って、依頼書を確認して、俺が判断しました」
試験官がフィンを見た。フィンが「そうだ」と言った。
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二つ目の課題は草地での強敵討伐だった。
Bランク相当の巨大魔蛇が一体。全長十メートルを超える。素早く、皮膚が硬い。弱点は顎の下の柔らかい部分だ。そこに攻撃を通すには、正面から引きつける必要がある。
他の二組が苦戦し始めた。一組は距離を取って攻撃しているが、硬い皮膚に弾かれている。もう一組は近接で挑もうとしているが、速度に対応できていない。
俺は地形を確認した。
草地の北側に水場がある。魔蛇は水気を嫌う。東側は岩場で、魔蛇の移動が制限される。俺はフィンに「北の水場の位置を確認してきてください」と頼んだ。フィンが一分で戻ってきた。「北に小川がある。深さは膝程度」
「リナさん、魔蛇を北に誘導できますか」
「やる。ただし、速い」
「クロエさん、北に誘導したところで脚を凍結できますか」
「六体分の脚がある。一度では難しいが、二回に分ければ」
「ミアさん、クロエさんの詠唱中、正面を守れますか」
ミアが盾を構えた。「行けます」と言った。昨日まで「行けます」ではなく「行けると思います」と言っていた。今日は「行けます」だった。
「フィンさん、誘導の合図を出してください。全員に伝わるように」
「了解だ」
段取りが決まった。
リナが動き始めた。
魔蛇がリナを向いた。速い。七メートル先から一瞬で距離を詰めた。リナが横に跳んだ。着地しながら踏み込んで、顎の近くを掠めた。挑発が成立した。魔蛇がリナを追い始めた。
北へ誘導された。
フィンが指で合図した。
クロエが詠唱を始めた。ミアが前に出た。魔蛇の頭がミアを向いた。一瞬だけリナへの追跡が止まった。その一瞬で、リナが距離を取った。
「——第一凍結」
魔蛇の前脚二本が凍った。速度が落ちた。
「第二凍結」
残り四本全部が凍った。
魔蛇が止まった。
リナが一直線に走った。顎の下、柔らかい部分に全力で踏み込んだ。剣が通った。
魔蛇が倒れた。
静かになった。
リナが息を整えながら戻ってきた。肩が上下していた。汗が出ていた。それでも、目が澄んでいた。
「通った」とリナが言った。
「通りました」と俺は言った。
リナが「……すごく動けた」と言った。クロエが「詠唱、二回連続で通りました」と言った。眼鏡の奥の目が、少し赤かった。ミアが「守れました」と言った。フィンが「合図は正確だった」と言った。誰に言ったわけでもない独り言だったが、全員に聞こえた。
試験官が俺たちのところへ来た。
「あなたが指示を出したんですか」
「状況の整理をしました。動いたのは全員です」
「あなた自身は何を」
俺は荷物袋を見た。
「荷物の重心を整えていました。詠唱の間にリナさんの荷物がずれそうだったので」
試験官が少し言葉に詰まった。
「……それだけですか」
「それだけです」
試験官が手帳に何かを書いた。かなりの量を書いていた。
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三つ目の課題が終わったとき、他の二組はどちらも途中離脱していた。
試験官が全員を集めた。
「今日の審査結果を告知します。パーティ『未命名』——Aランク昇格を認めます」
未命名というのは俺たちのことだ。パーティ名をまだ決めていないので、そう呼ばれていた。
「次の試験から、正式名称が必要です」
「承知しました」
「以上です」
試験官が向こうへ歩いていった。
五人が揃っていた。
「受かりました」と俺は言った。
「……Aランクですか」とミアが言った。
「そうです」
リナが「Fランクから、十日で」と言った。
「そうですね」
「普通じゃないですよ」
「そうかもしれません」
クロエが「理論的には、あり得ない数値です」と言った。
「そうですか」
「普通に受け止めすぎです」とリナが言った。
「そうかもしれません」
フィンが「パーティ名、誰か考えろ」と言った。
全員が顔を見合わせた。
「セルさんが決めてください」とミアが言った。
「俺が決めますか」
「リーダーだから」
「リーダーという認識はなかったですが」
「なくても、そうなっています」とクロエが言った。「理論的には、パーティの中で最も全体を把握しているのはセルさんです。それがリーダーの定義に最も近い」
俺は少し考えた。
「では——」
「では?」
「後方支援と補給を意味する名前にしたいんですが、何かいいですか」
リナが「あなたが決めてくださいよ」と言った。
「では『後方の人々』でどうですか」
しばらく沈黙があった。
リナが「……もっとかっこいいものにしてください」と言った。
クロエが「理論的には、機能を表す名称は認識しやすいですが、Aランクパーティとして相応しいかどうかは別の問題です」と言った。
「では後で考えます」
「今考えてください」とリナが言った。
「そうですね」
俺はしばらく考えた。
全員を見た。リナ、クロエ、ミア、フィン。それぞれが、少し前と違う顔をしていた。
「『縁の下』はどうですか」
「縁の下?」
「縁の下の力持ち、という言葉があります。目立たない場所から全体を支える、という意味です。俺がそういう仕事なので、それでいいかと思って」
リナが少し考えた。
「……悪くない」
クロエが「機能を表しつつ、謙虚さも含んでいる。理論的には合格です」と言った。
ミアが「好きです」と言った。
フィンが「俺は反対しない」と言った。
「では、パーティ名は『縁の下』にします」
全員が「はい」と言った。また、ばらばらに。でも同じタイミングで。
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王都に戻る道で、試験官の一人が俺に声をかけてきた。
年長の方だ。元Sランクの、目が鋭い男だ。
「少し聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「あなたのパーティの方々について、一つだけ」
「はい」
「今日の試験で、四人全員が過去の記録を大きく超える動きをしていました。フィン・グレイの情報収集は熟練の斥候以上。リナ・ブレイズの剣速はSランク水準。クロエ・セイランの詠唱精度は王都最高クラス。ミア・シールドの防御は、あの体格で信じられない安定性だった」
「そうですか」
「あなたは何をしましたか」
俺は少し考えた。
「荷物の管理と補給の計算、地形把握、装備の整備です」
「それだけで、四人があそこまで動いたと」
「俺には分かりませんが、そうかもしれません」
試験官が俺を見た。
「……一つだけ正直に教えてください」
「はい」
「あなたは、自分が何をしているか分かっていますか」
俺は少し止まった。
ナハトに聞かれた言葉と同じだ。何人目かに言われる言葉だ。
「荷物の管理と補給の計算をしています。それ以外のことは——」
「それ以外のことは」
「最近、少しずつ分かってきているかもしれません」
試験官が俺を見た。
「例えば」
「四人が動けるようになったとき、俺の仕事は変わっていません。ただ、四人が安心して動けている、という手応えは、最近感じています。それが何なのかは、まだ正確には言えませんが」
試験官が手帳を取り出した。
「記録させてもらいます」
「どうぞ」
「あなたは今後、必ず上に知られます。神域のスキルを持つ人間が、Aランクになった。今日の試験の記録は、評議会にも報告義務があります」
「知っています」
「対策はありますか」
「ナハトさんが考えてくれています」
「ナハトが」
試験官が少し目を細めた。
「……そうですか。なら、少し安心です。ナハトが動いているなら、あなたは守られます。あの人は、記録する価値があると判断した人間を、手放しません」
俺は試験官を見た。
「ナハトさんのことを知っているんですか」
「昔の同僚です。元Sランクというのは、俺もナハトも同じです」
試験官が手帳を閉じた。
「Aランクの先は、Sランクです。そのとき、また試験官として会うかもしれない」
「そうかもしれません」
「——そのとき、あなたは自分が何をしているか、もう少し分かっているといいですね」
試験官が歩いていった。
俺はその背中を見ながら、手帳を開いた。
「四人が安心して動けている、という手応えを感じている」
さっき試験官に言った言葉を書いた。
初めて書いた言葉だった。
荷物の管理をしているだけだ。それは変わらない。ただ、その荷物の管理が、誰かの「安心」になっているとしたら——
それは、測定できないが、あってもなくても同じではない、かもしれなかった。




