第8話「銀の牙が今、連敗している理由」
ナハトから「王国冒険者評議会が動き始めている」と聞いた翌日、俺は普通に依頼に出た。
今日は薬草採取だ。Cランクになって受けられる依頼の幅が広がったが、今日は落ち着いた依頼を選んだ。フィンが先行して採取場所の安全確認をして、クロエが地図を整理して、リナが外周を警戒して、ミアが荷物の積み込みを手伝った。俺は全体の補給と重量管理をした。
特に問題はなかった。
ただ、帰り道にリナが言った。
「評議会のこと、みんなに話しましたか」
「まだです」
「話した方がいいと思います」
「そうですね。今夜話します」
「みんな、知る権利があります」
「そうです」
リナが少し間を置いた。
「……私は、どこにも行かせません」
「どこにも、というのは」
「あなたを、です。評議会がどうとか、王国がどうとか、知ったことじゃないです。あなたはここにいてください」
俺はリナを見た。
真剣な目だった。怒っているのか、決意しているのか、それとも別の感情なのか。全部が混ざっていた。
「断る理由がないので、ここにいます」
「それだけですか」
「ここにいたいと思っているので、ここにいます」
リナが少し止まった。
「……今、少し違うことを言いましたね」
「そうですか」
「断る理由がないので、じゃなくて、いたいと思っているので、と言いました」
「そうですね」
「……そうですか」
リナが前を向いた。歩き出した。歩幅がいつもより少し速かった気がしたが、俺は確認しなかった。
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夜、食堂で評議会の件を話した。
五人が揃っていた。
「王国冒険者評議会が俺のスキルの件で動き始めているそうです。最悪の場合、所属の変更を求められる可能性があります」
ミアが「え」と言った。クロエが眼鏡を磨いた。フィンが視線を出口に向けた。リナはすでに知っていたので、何も言わなかった。
「ナハトさんがギルドとして対応を考えてくれているそうです。今すぐどうなるということではないですが、知っておいてほしかったので」
「……そうなった場合、どうするんですか」
ミアが聞いた。
「断ります」
「断れるんですか」
「断る方法があるかどうかは、まだ分かりません。ただ、断るつもりでいます」
「理由は」
「ここが俺の居場所なので」
ミアが少し目を丸くした。それから、小さく頷いた。
フィンが「俺は逃げる方法を知っている」と言った。
全員がフィンを見た。
「評議会の手が及ばない場所がある。必要なら案内できる」
「どこですか」
「今は言わない。必要になったら言う」
俺はフィンを見た。
「なぜそれを言ってくれるんですか」
フィンが少し間を置いた。
「……ここの飯が旨いから」
クロエが「理由はそれですか」と言った。フィンが「それ以上は言わない」と言った。
リナが少し笑った。
ミアが「私も行きます。どこでも」と言った。小さな声だったが、はっきりしていた。
「どこでも、というのは」
「セルさんが行くところなら、どこでも行きます。私、また一人になるのは嫌なので」
「一人にはなりません」
「でも、評議会が来たら」
「来たら断ります。断れない場合は、フィンさんの案を使います」
「……そうですか」
「そうです。ただ、今すぐそうなるわけではないので、今夜は飯を食いましょう」
ミアが「は、はい」と言って、スープを飲んだ。それ以上は何も言わなかったが、さっきより顔色が良くなっていた。
フィンが「俺の情報が役に立つ日が来るかもしれないな」と言った。誰かに言ったわけではなかった。ただ、少しだけ口元が動いていた。
俺は手帳を開いた。
「今日の話は以上です。明日の依頼を確認しましょう」
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* * *
同じ夜、銀の牙のガードは一人で自室にいた。
机の上に、依頼書の束が積んである。過去一週間分だ。全部、失敗か不完全な結果だった。
ガードは冒険者になって十年になる。Sランクになってから三年だ。その間、依頼の失敗は数えるほどしかなかった。それが一週間で五件になった。
数字だ。測定できる。ガードは数字で物事を判断する。数字はこう言っている——何かが変わった、と。
何が変わったか。
答えは分かっていた。分かっていたから、認めたくなかった。
セルがいなくなった。
たったそれだけのことだ。荷物持ちが一人いなくなっただけだ。Sランクパーティに荷物持ちが必要だということが、あってはいけないことだとガードは思っていた。強ければ、荷物の重心がどこにあろうと動ける。補給が少々遅れても踏ん張れる。地形の把握が不完全でも、突破できる。
そう思っていた。
一週間前まで。
ガードは机の上の依頼書を一枚取り出した。三日前の依頼だ。山岳地帯での魔物討伐。撤退した。撤退した理由は、補給が尽きたからだ。三人で動くのに必要な水と食料の計算が、甘かった。
それを計算していたのは誰だったか。
セルだ。
毎回、出発前に全員分の補給を計算して、荷物に入れていた。多すぎず、少なすぎず、毎回正確だった。ガードはそれを当たり前だと思っていた。あって当たり前のものは、なくなるまで気づかない。
別の依頼書を取った。一昨日のものだ。ダンジョンの中層で道を誤って時間を使いすぎた。ダンジョンの地図を事前に把握していなかった。
それを把握していたのも、セルだった。
毎回、出発前に地形を確認して、移動経路を計算して、最短ルートを手帳に書いていた。ガードは「手帳を見ていいか」と聞いたことすらなかった。セルが全部やってくれると思っていたから。
ガードは依頼書を机に置いた。
三年間、セルは何をしていたのか。
荷物の管理と補給の計算。地形把握と装備の整備。
それは確かにそうだ。ただ、それが三年間ずっと、毎回、正確に実行されていた。それが当たり前の状態として機能し続けていた。ガードはSランクになれた。強くなったと思っていた。自分たちが成長したと思っていた。
違った。
正確には、自分たちは成長したが、その成長を最大化していたのはセルの仕事だった。
数字に出ない。測定できない。あってもなくても同じ。
そう言ったのは自分だ。
今、その言葉を噛み締めている。あってもなくても同じものが、なくなったら——これだけのことが起きた。
ガードは窓の外を見た。王都の夜は静かだ。
昨日、廃村の依頼で、セルたちが三十七体を先に片付けていた。Fランクが五人で。自分たちSランク三人より、先に、少ない傷で終わらせていた。
あのFランクの五人を、ガードは昨日から何度も頭の中で振り返った。
剣士のリナ。動きが速すぎる。Bランクの記録があったはずだが、今日の動きはSランクに届いていた。魔法使いのクロエ。詠唱が安定していた。あれだけの全体魔法を十二秒で通せる魔法使いは、王都でも数えるほどしかいない。盾役のミア。小柄なのに、動かなかった。ガードが見た中で最も重心の低い盾の構えをしていた。斥候のフィン。巣の配置を全部事前に把握していた。それをセルが地図に落として、全員を最短ルートで動かした。
全員が、前のランクより上の動きをしていた。
それはなぜか。
セルがいるから。
セルに補給食をもらった。「腹が減った人間がいたので」と言われた。解雇した人間に、補給食をもらった。
ガードは手を机の上に置いた。怒りはなかった。怒る相手は自分しかいなかったから。
ただ、一つだけ、はっきりと分かったことがあった。
セルは強い。
戦えるからではない。剣が使えるからではない。スキルが神域だからでもない。腹が減った相手に補給食を渡せる人間は、強い。恨んでいる相手でも、渡せる。それだけのことが、三年間一緒にいたガードには、できなかったかもしれない。
そういう強さを、数字で測れないと言って、無視していた。
数字で測れないものは、あってもなくても同じだ、と言った。
今なら分かる。
測れないものが、全部だった。
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翌日、ガードがギルドに来た。
俺たちが依頼を選んでいるとき、後ろから来た。昨日のような挑発的な雰囲気はなかった。
「セル」
「はい」
「一つ、聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は三年間、毎回出発前に補給の計算をしていたか」
「していました」
「地形の確認も」
「していました」
「それを、俺たちは一度も確認しなかったと思う」
「そうですね」
「……なぜ言わなかった」
「聞かれなかったので」
ガードが少し間を置いた。
「俺は、聞くべきだったか」
「そうかもしれませんが、俺がやることでしたし、問題なく終わっていたので、特に言う必要はないと思っていました」
「問題なく終わっていたのは、お前がやっていたからだ」
「そうだったかもしれません」
ガードがまた黙った。銀の牙の二人が後ろで聞いていた。
「……謝る」
ガードが言った。
「あってもなくても同じ、と言った。それは間違いだった」
俺はガードを見た。
ガードは真っ直ぐ立っていた。プライドが折れた人間の顔ではなかった。間違いを認めた人間の顔だった。その二つは違う。
「分かりました」
「受け取ってもらえるか」
「受け取ります」
「……戻ってくる気はないか」
「ありません」
「そうか」
「ただ」
「何だ」
「銀の牙が次の依頼で詰まったとき、補給食が必要なら出します。断る理由がないので」
ガードが俺を見た。
「なぜだ」
「そういう人間なので」
ガードが少し止まった。それから「……そうか」と言った。
「もう一つ聞いていいですか」
「何だ」
「評議会が俺のスキルを調査しているそうですが、銀の牙側にも調査が来ていますか」
ガードが少し固まった。
「……来ている」
「どういう内容ですか」
「お前を解雇した判断の経緯について、説明を求められた。なぜ神域スキルの持ち主を手放したのか、と」
「それは困りましたね」
「俺の方こそだ」ガードが短く言った。「……お前のスキルを知っていれば、手放さなかった。知らなかったから手放した。それが今、問題になっている」
「評議会に、俺のスキルを渡す意図がありますか」
「ない。俺の判断ミスで手放した人間を、評議会に差し出す気にはなれない」
「ありがとうございます」
ガードが「礼はいい」と言って、歩き始めた。
「ガードさん」
「何だ」
「Aランク推薦試験、俺たちも受けます。そのとき、また会うかもしれません」
ガードが止まった。
振り返った。
「Fランクが一週間でAランクを受けると言っているのか」
「Cランクです。今日の依頼次第で、ナハトさんが推薦してくれると言っています」
ガードが俺を見た。それから俺の後ろを見た。リナが腕を組んでいた。クロエが眼鏡を磨いていた。ミアが盾を持って立っていた。フィンが壁際で周囲を確認していた。
ガードが何も言わなかった。ただ、一度だけ頷いた。
それから歩いていった。
リナが「Aランク試験を受けると、今言いましたか」と俺に言った。
「そのつもりでいます」
「いつ決めたんですか」
「今です」
「……今ですか」
「断る理由がないので」
クロエが「理論的には、今の五人の構成でAランク試験を受けることは可能です」と言った。
「そうですか。では受けましょう」
ミアが「え、本当に」と言った。フィンが「俺は止めない」と言った。
リナが「もう」と言ったが、笑っていた。
俺は掲示板を見た。Aランク推薦試験の告示が出ていた。次の開催は十日後だ。
十日あれば、準備できる。
ナハトに話をしに行こうと思った。
廊下を歩きながら、手帳に今日あったことを書いた。
ガードが謝罪に来た。受け取った。評議会の調査が銀の牙にも及んでいると分かった。Aランク試験を受けると決めた。
それから一行書き加えた。
「今日、初めて断る理由がないのではなくいたいと思っているので、と言った」
リナに言った言葉だ。
三年間、ガードのパーティにいたとき、そういうことを考えたことはなかった。断る理由がなかったからいた。居場所がそこしかなかったからいた。それが正確だった。
今は違う。
ここにいたい、と思っている。その違いが何を意味するのか、俺にはまだ正確には言えなかった。ただ、確かに違う何かがある。
ナハトの部屋のドアを叩いた。
「Aランク試験の推薦状をお願いしたいのですが」
中から「入りなさい」と声がした。
「……来ましたね」とナハトが言った。「昨日から来るかと思っていました」
「そうですか」
「ガードさんと話しましたか」
「しました」
「どうでしたか」
「謝罪を受け取りました」
ナハトが手帳を開いた。
「推薦状を書きます。ただし条件があります」
「何ですか」
「試験の結果に関係なく、Aランク取得後もこのギルドに籍を置いてください。他のギルドや組織への移籍は、俺に一言相談してから」
「断る理由がないので」
「それだけですか」
「ここにいたいので、という理由も加えます」
ナハトが少し止まった。
「……少し変わりましたね」
「そうですか」
「最初来たときより、言葉が増えた気がします」
俺は少し考えた。
「一週間で五人増えたので、言葉の使い方が増えたかもしれません」
ナハトが「そうですね」と言って、推薦状を書き始めた。




