第4話「鑑定士が震えた——このスキルは記録にない」
翌朝、ナハトがギルドの裏口で待っていた。
時刻は日の出直後だ。ギルドが開く一時間前に来るよう昨日言われていた。他の冒険者がいない時間を選んだのだろうと思った。
「来ましたね」
「約束しましたので」
ナハトが俺の荷物に目をやった。
「それが昨日持っていたものですか」
「はい。中身は変えていません」
「少し見せてもらえますか」
「どうぞ」
ナハトに荷物袋を渡した。老人の手つきは丁寧だった。ベルトの長さ、紐の締め方、重さのバランスを確認している。それから中を開けた。補給食の配置、薬液の位置、包帯の向き。一つ一つを手に取って、確認した。
「これを毎日整えているんですか」
「はい。状況によって変えます」
「昨日は戦闘が多い依頼だったので、前寄りに重心を置いた」
「そうです」
「何年やっているんですか」
「冒険者として三年です。荷物の管理は子供のころから癖でやっていました」
ナハトが荷物を俺に返した。それから少し離れて、俺の全体を見た。
「セルさん」
「はい」
「あなたの荷物は、異常に正確です」
「どういう意味ですか」
「重心、配置、緊急時の取り出しやすさ。全部が最適解に近い。ここまで正確な荷物管理を、俺は見たことがない」
「誰でもやれることだと思いますが」
「やっていない人間の方が圧倒的に多い」
ナハトが手帳を取り出して何かを書いた。
「スキル鑑定の予約を入れてあります。十時にギルドの鑑定室へ来てください。腕のいい鑑定士を呼んでいます」
「ありがとうございます」
「もう一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「お連れの方——リナ・ブレイズさんは一緒に来ますか」
「本人がそう言っているので、たぶん来ます」
ナハトが「そうですか」と言って、頷いた。
「昨日のリナ・ブレイズの動きの報告書も読みました。三年前のBランク時代の記録と比べると、速度・精度ともに大幅に上がっています。三日間で」
「地形整理と荷物の重心調整をしました」
「それだけですか」
「それだけです」
ナハトがまた手帳に何かを書いた。俺はその様子を見ながら、荷物を背負い直した。
「では十時に」
「はい。あと」
「何でしょう」
「リナ・ブレイズさんに、今日は剣を持ってきてもらってください。鑑定士に見せたいものがあります」
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リナが宿の食堂で朝食を食べながら俺を待っていた。
昨日と同じ席で、昨日と同じように窓の外を見ていた。ただ、昨日より少し顔色が良かった。
「おはようございます」
「おはよう。ナハトさんは何か言っていましたか」
「荷物を確認されました。それと剣を持ってきてほしいとのことです」
「剣ならいつも持っています」
「分かりました、伝えます」
俺は朝食を頼んで席に座った。リナが俺の顔を少し見た。
「緊張していますか」
「していません。鑑定を受けるだけです」
「でも、何か出たら、どうしますか」
「何が出ても荷物の管理は変わらないので」
リナが「……そういう人ですよね」と言って、パンをちぎった。
「リナさんは何か出ると思いますか」
「出ると思います。絶対に何かしてます」
「根拠は」
「四回言った感覚です」
「感覚は根拠になりますか」
「なります。私は感覚で剣を振っているので」
俺は少し考えた。確かに剣士の判断の多くは感覚だ。数値で測れない部分が大きい。リナの感覚が正しい可能性はある。
「分かりました。十時に行きましょう」
「はい」
リナがパンを食べた。俺もスープを飲んだ。食堂に朝の光が入っていた。
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鑑定室はギルドの二階にあった。
木造の部屋で、中央に丸いテーブルがある。その上に、乳白色に曇った水晶が置いてあった。拳二つ分ほどの大きさだ。
鑑定士は四十代の女性だった。落ち着いた目つきで、俺とリナを交互に見た。
「どちらが先ですか」
「俺からでいいですか」
「どうぞ」
水晶の上に手のひらを置くよう言われた。置いた。温かみはなかった。少しだけ振動するような感覚があったが、気のせいかもしれない。
鑑定士が水晶の側面を覗き込んだ。一分ほど待った。
鑑定士が顔を上げた。
「もう一度、やっていいですか」
「はい」
また一分待った。
今度は鑑定士の手が止まった。水晶の表面に何かが浮かんでいるらしかった。鑑定士がそれを読んで、手帳に書き込んだ。書き込む手が、少し震えていた。
「……スキル名を読み上げます」
「お願いします」
「後方全域支援——神域」
部屋が静かになった。
リナが俺の方を見た。俺は水晶を見ていた。
「神域というのは、どういうランクですか」
俺が聞いた。
「スキルのランクは通常、初級・中級・上級・特級の四段階です。神域はその外側にあるランクです。理論上は存在するとされていますが、私が鑑定した三千件以上の中で、記録したことは一度もありません」
「初めてということですか」
「少なくとも、私の記録には存在しません。国全体の記録を含めても、私は知りません」
「効果はどう読み取れますか」
鑑定士が水晶をもう一度見た。
「半径五十メートル以内の、任意の対象者全員に対して——能力値、状態異常耐性、魔法精度、疲労回復速度を、無意識に最大限まで引き上げる効果です」
「発動条件は」
「発動条件……これは」鑑定士が顔を上げた。「記録されていないので、正確には読めませんが——この水晶の反応パターンから推測すると、常時発動型のようです。あなたが意識しなくても、常に働いている」
「つまり」
「今この瞬間も、この部屋にいる人間全員に影響しています」
リナが「……だから」と小さく言った。
鑑定士が俺を見た。
「これだけのスキルを持っているのに、知らなかったんですか」
「知りませんでした。荷物の管理をしているだけだと思っていました」
「荷物の管理は関係ないかもしれませんが」
「そうかもしれません。でも、荷物の管理は続けます」
鑑定士が少し目を丸くした。それから、また手帳に書き込んだ。
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リナの鑑定も受けた。
剣技強化のスキルを持っているとは聞いていたが、等級は上級だった。それ自体は珍しくない。ただ、鑑定士が一つ気になることを言った。
「このスキルは、精神状態に大きく影響を受けます。自信があるときと萎縮しているときで、発動率が三倍以上変わります」
「発動率が三倍」
「つまり、リナ・ブレイズさんのスキルは、本来の状態では現在の記録より大幅に高い性能が出るはずです。何か精神的に抑制されている要因がある場合、それが解消されると一気に上がる」
リナが黙っていた。俺はリナを見なかった。見ない方がいいと思った。
「解消された場合、どのくらい上がりますか」
「推測ですが——Sランク相当には届くと思います」
リナが、小さく息を吐いた。
俺は何も言わなかった。
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鑑定室を出ると、廊下にナハトが立っていた。
結果を待っていたらしかった。俺たちの顔を見て、何かを察したようだった。
「聞きましたか」
「はい」
「神域、という結果でしたか」
「そうです」
ナハトが短く息を吐いた。
「やはり、そうでしたか」
「予想していましたか」
「荷物を見たときに、ほぼ確信しました。あれだけ正確な管理をしている人間が、何のスキルも持っていないわけがない。ただ、神域とは思っていなかった」
ナハトが俺を見た。
「一つ、話があります。場所を変えていいですか」
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ナハトのギルドマスター室は、二階の奥にあった。
部屋の壁に記録書が並んでいる。この二十年のギルドの活動記録らしかった。窓からは王都の朝の景色が見えた。
「座ってください」
三人で椅子に座った。ナハトが手帳を開いた。
「今日の鑑定結果は、この部屋の中だけの話にしてもらいたい」
「なぜですか」
「あなたのスキルが外に知れれば、必ず人が動きます。あなたの力を使いたい者、研究したい者、あるいは囲い込もうとする者」
「俺の力を、ですか」
「半径五十メートル以内の全員を強化する常時発動型のスキルです。軍が聞けば喉から手が出る。政治家が聞けば利用しようとする。あなたを前線に置けば、部隊の強さが大幅に変わる」
俺は少し考えた。
「俺は荷物を管理したいだけです」
「分かっています。だから先に言っている」
「隠さなければならないほどですか」
「今すぐではない。ただ、知っておいた方がいい」
ナハトが俺を見た。
「もう一つ。銀の牙の件ですが」
「はい」
「あなたがいなくなってから三日が経ちます。この三日間で銀の牙は二つの依頼に失敗しました。Sランクパーティとしては異例の頻度です」
「たまたまだと思います」
「そう思いますか」
「思います。ただ、もしたまたまでないとしたら——俺のスキルが理由だとしたら——それは俺がいなくなったことで生じた問題であって、俺が戻れば解決するという話ではないですよね」
ナハトが少し止まった。
「なぜ戻らないと決めているんですか」
「戻る理由がないので。居場所はここにある気がしています」
ナハトが俺を見た。それからリナを見た。リナが少し顔を逸らした。
「分かりました。その件は以上です」
ナハトが手帳を閉じかけて、止まった。
「最後に一つだけ」
「はい」
「外で、あなたに話を聞きたい人間が来ています」
「俺に、ですか」
「今朝、ギルドの前にいました。何度かここに来ているらしいのですが、いつも入り口で止まって帰っていく。今日は入口のベンチに座ってずっと待っています」
「どんな人間ですか」
「若い女性です。魔法使いの服装をしています。目が赤い。泣いているのか、もともとそういう顔なのか、分からない」
俺はリナを見た。リナが俺を見た。
「会ってみますか」とナハトが言った。
「断る理由がないので」と俺は答えた。
ナハトが立ち上がった。
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ギルドの入口のベンチに、一人の女性が座っていた。
白に近い銀髪を長く伸ばして、三つ編みにしている。背が高い。眼鏡をかけている。魔法使いの外套を着ているが、刺繍が取れかけていて、しばらく手入れをしていない様子だった。
俺たちが近づくと、女性が顔を上げた。
目が合った。
女性がすぐに視線を外した。立ち上がって、荷物を抱え直した。
「あの、違います、私は——別に用があるわけじゃ——」
「座ってください」と俺は言った。
「え」
「話を聞きます」
女性がまた俺を見た。今度は少し長く。俺の顔を確認するような目だった。それから、ゆっくりと座り直した。
「……昨日、あなたが魔熊を退けたという話を聞きました」
「退けたわけではないですが、魔熊が退いたのは見ました」
「あなたが何かをしたから、ですよね」
「荷物の紐を掴みました」
女性が少し止まった。
「三日前から、あなたのことを見ていました」
「見ていた?」
「ギルドで。依頼を受けているところを。遠くから」
「何を確認したかったんですか」
「確認、というか——」
女性が眼鏡を少し押し上げた。
「私、詠唱が失敗します。正確には、最近失敗するようになりました。前は失敗しなかったのに。それが理由でパーティを出ることになって——」
「それは、どういう状況で失敗しますか」
「緊張しているとき。あとは、仲間が信用できないと感じているとき」
「仲間が信用できないと感じると、詠唱が失敗するんですか」
「魔法は精神と連動しています。詠唱の精度は、術者の精神状態に影響されます。理論的には、そうなっているはずなんですが——」
「理論的には、ということは」
「実際に失敗するとは思っていなかったので。プロとして、精神状態に関係なく詠唱できると思っていました。でも、できなかった」
女性が手を膝の上で組んだ。眼鏡の奥の目が、少し下を向いた。
「昨日、あなたが依頼から戻ってくるのを見ていました。リナさんが、三日前と全然違う顔をしていたので、気になって」
「どう違いましたか」
「軽そうでした。何か重いものを下ろしたみたいな顔」
リナが少し身じろぎした。俺は気づかないふりをした。
「それで、あなたに聞きたいことがあって来たんです。でも、何を聞けばいいか分からなくて、三日間入り口で止まっていました」
「何を聞きたかったんですか」
女性がまた俺を見た。
「あなたのそばにいると、詠唱が通る気がします」
「……気がする、ということですか」
「昨日、ここの入口で待っているときに、試してみました。小さい魔法です。何度か繰り返したら、全部通りました。ここ一ヶ月で一度も通らなかったのに」
「それは俺のせいだと思いますか」
「理論的には、あなたのスキルが関係していると考えるのが自然だと思います」
「今日スキル鑑定を受けました。確かに、周囲の魔法精度を上げる効果があるとのことでした」
女性が少し目を見開いた。
「……やっぱり」
「ただ」と俺は言った。「あなたが詠唱できるようになったのは、俺のスキルのせいだけじゃないかもしれません」
「どういう意味ですか」
「鑑定士が言っていたんですが——精神状態が安定しているとき、スキルの発動率が上がる場合があります。入口で待っているとき、あなたの精神状態はどうでしたか」
「……決意していました」
「決意?」
「今日こそ入る、と思っていました。三日間入れなかったけど、今日は入ると決めていました。だから——気持ちが整っていたのかもしれない」
「それが理由かもしれません」
「でも、あなたのスキルの影響もあったと思います」
「気のせいじゃないですか」
女性が俺を見た。
「それは、私を安心させようとして言っていますか。それとも本当にそう思っていますか」
「本当にそう思っています」
「なぜですか」
「俺は自分のスキルを今日初めて知りました。今日まで、自分が周囲に影響しているとは思っていませんでした。だから、あなたの詠唱が通った理由が、俺のスキルだけだとは言い切れない、と思っています」
女性がしばらく俺を見ていた。
「……正直な人ですね」
「嘘をついても計算が合わないので」
女性が少しだけ笑った。声には出なかったが、口元が動いた。
「名前を聞いてもいいですか」
「クロエ・セイランです」
「セル・ヴァーンです。こちらはリナ・ブレイズ」
リナが「……どうも」と言った。ぶっきらぼうだったが、声に棘はなかった。
「クロエさん」
「はい」
「一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「今日、依頼を受けますか」
クロエが少し止まった。
「……受けたいとは思っています。でも、また失敗したら」
「失敗するかどうかは、やってみないと分かりません。俺は地形の把握と荷物の管理しかできませんが、それはします」
「一緒に、ということですか」
「断る理由がないので」
クロエが俺を見た。それからリナを見た。リナが小さく「来れば」と言った。ぶっきらぼうだったが、それがリナの歓迎の仕方だと、俺にはもう分かっていた。
クロエが眼鏡を押し上げた。
「……理論的には、今日一緒に行くことは合理的だと思います」
「そうですか」
「はい。でも、もし詠唱が失敗したら」
「そのときはそのときで」
クロエがまた少し笑った。今度は声が出た。小さかったが、確かに笑いだった。
「そういう人なんですね」
「そうらしいです」
「分かりました。行きます」
三人でギルドの掲示板に向かった。
俺は手帳を開いた。
二人分だった計算が、三人分になった。
特に直す必要はなかった。増えた方が、荷物の管理はやりがいがある。




