第2話「ギルドの底辺で、もう一度やり直す」
翌朝、リナは宿の食堂にいた。
先に降りていて、テーブルの端に座って窓の外を見ていた。
俺が来ると気づいて、少し身体を強ばらせた。
「おはようございます」
「……おはよう」
「昨夜は休めましたか」
「普通に寝た」
「それは良かったです。朝食を頼んでもいいですか。出発前に食べていきましょう」
リナが「一晩だけって言った」と言いかけて、止まった。
「……昨日、一緒にギルドへ行くって言ったのはあなたじゃないですか」
「そうですね。言いました」
「じゃあ、行く」
それだけ言って、リナはまた窓の外を見た。俺は席を取って、朝食を二人分頼んだ。
届いたパンとスープを食べながら、俺は今日の段取りを手帳に書いた。リナは黙って食べていた。
「昨日のパーティを抜けた理由を、もう少し聞いてもいいですか」
リナが少し止まった。
「……今聞く必要があるんですか」
「依頼中に知っておいた方が、動きを組みやすいので。嫌なら聞きません」
リナがしばらくパンを見ていた。それから言った。
「強くなるたびに、邪魔だって言われた。前に出るなって言われた。でも、前に出ないと仲間が危ない場面があって、出たら怒られた。ずっとそれの繰り返しだった」
「それで抜けた、ということですか」
「抜けさせられた。最終的には『あなたの剣は制御できない』って言われた。制御してたんですけどね」
リナがスープを一口飲んだ。俺は何も言わなかった。何か言う必要があるかどうか考えたが、たぶん今は必要ないと判断した。
「……なんで何も言わないんですか」
「話してくれたのでメモしました。今日の依頼で参考にします」
リナが俺を見た。
「それだけですか」
「あとは、制御できないと言った人間の方が間違っていたと思いますが、俺の意見を言っても仕方ないので」
「……なんで仕方ないんですか」
「本人が納得できるかどうかは、依頼の結果が決めると思うので」
リナがまた少し黙った。
「変な人」と言って、スープを飲み干した。今日で二度目だった。
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王都のギルドは、朝から混んでいた。
受付に並んで、手続きをした。解雇証明書と身分証を出して、名前と年齢と前のランクを告げる。受付の女性がそれを聞いて、少し目を細めた。
「前のランクがSで、再登録ですか」
「はい」
「……Fランクからの再スタートになりますが、よろしいですか」
「問題ありません」
「スキルの再鑑定はされますか」
「後日にします。今日は依頼を受けたいので」
受付の女性が少し驚いた顔をした。Sランクだった人間が解雇された翌日にFランクの依頼を受けに来る、というのは珍しいのかもしれない。
隣でリナが再登録の手続きをしていた。前のランクを言うとき、少し声が小さくなった。Bランクだったらしい。受付がまた少し目を細めた。
二人の登録が終わって、掲示板の前に移動した。
Fランクの依頼は右端の一画に固まっている。スライム討伐、薬草採取、荷物運び、道案内。報酬は低く、危険度も低い。
「これでいいですか」とリナが言った。
スライム討伐の依頼票を指していた。声のトーンが平坦だった。Bランクだった人間が今日からFランクの仕事をする、という状況を整理している途中なのだと思った。
「いいと思います。まず動きを確認したいので」
「私の動きを確認するんですか」
「お互いの、です」
リナが少し間を置いた。
「……パーティを組むつもり?」
「今日だけでもいいです。お互いに確認できればいいので」
「一晩だけって言ったのに、今日だけって言い方に変わってる」
「そのときはそのときで、と昨日言いました」
リナが俺を見た。何か言いたそうだったが、結局「行こう」と言って依頼票を抜いた。
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王都から半時間歩いた森の外れが、今日の依頼場所だった。
途中、俺は地図を確認しながら歩いた。
「何をしているんですか」
リナが隣から覗いてきた。
「討伐エリアの地形確認です。スライムは湿地を好むので、湿地帯に面した場所に集まっているはずです。どこに固まっているかを先に予測しておけば、無駄な動きが減ります」
「Fランクのスライム討伐でそこまでやるんですか」
「癖なので」
「荷物持ちの癖がそれ?」
「地形把握は後方支援の基本です。仲間が戦いやすい場所を先に決めておくために必要なので」
リナが少し黙った。
「銀の牙でも同じことをしていたんですか」
「していました」
「それで、あってもなくても同じって言われたんですか」
「数字に出ないので、そういう判断をされたんだと思います」
リナが「理不尽ですね」と言った。俺は「そうかもしれません」と答えた。しばらく二人で黙って歩いた。
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依頼場所に着いたのは昼前だった。
湿地帯の手前に、スライムが十二体ほど固まっていた。大きさは中型で、一人で相手にするには少し多い。
俺は荷物袋を下ろして、中身を並べた。
薬液が二本、包帯が一巻き、予備の水筒、地形メモを挟んだ手帳。全部の重さと位置を確認して、戦闘後にすぐ取り出せる順番に詰め直した。
「何をしているんですか」
「最終確認です。戦闘中に荷物の重心がずれると、動きの邪魔になります」
リナが黙って見ていた。しばらくして、「私の荷物も確認しますか」と言った。
「させてもらえますか」
リナが荷物袋を差し出した。中を見ると、剣の予備の油布が一番底に入っていて重心が後ろに偏っていた。紐の締め方も少し緩かった。直して、渡した。
「……これだけで何が変わるんですか」
「走ったときに揺れが減ります。剣を抜くときに背中への引きがなくなります」
「本当に?」
「やってみれば分かります」
リナが荷物を背負って、少し歩いた。立ち止まって、また歩いた。小走りにした。
「……違う」
「そうですか」
「動きが軽い。こんなに変わるんですか」
「重心の位置と紐の締め方だけです」
「三年間、誰もそれをしてくれなかった」
リナの声が少し変わった。怒っているのか呆れているのか、何か別の感情なのか。俺には測れなかった。
「どこから行きますか」とリナが聞いた。
剣の柄に手をかけている。身体が前傾している。先ほどより重心が安定していた。
「少し待ってください」
俺は薬液の瓶を取り出した。
「西から回ります。湿地に近い側は足場が悪いので避けて、乾いた地面の多い東側へ誘導します。俺が匂いで引きつけて、リナさんが一気に動いてください」
「……私が、動く?」
「一番速く動けるのがリナさんだと思うので」
リナが少し止まった。
「前のパーティでは、全力を出すと邪魔だと言われたと昨日聞きました。ここには俺しかいないので、邪魔になる人間はいません」
リナが俺を見た。
「……全力で、いいの?」
「どうぞ」
何かが、リナの顔から落ちた。
強ばっていた何かが、すっと消えた。剣を抜いて、軽く素振りをした。その動きが、さっきまでと別人のようだった。重心が下がって、踏み込みが深くなって、刃の軌道が鋭くなった。
「行きます」
「どうぞ」
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三分で終わった。
正確には、俺が薬液で西側のスライムを引きつけて東側に隙間を作り、リナが東から一直線に駆け抜けた。十二体のうち九体はリナが倒した。残り三体は湿地の方へ逃げた。
俺は後始末をした。薬液の空き瓶を回収して、地面に残ったスライムの残滓を確認して、依頼書に結果を書き込んだ。
リナが剣を鞘に戻して、こちらへ来た。
「……早く終わった」
「効率が良かったです」
「なんか、すごく動けた。前のパーティのときと、動き方が全然違う」
「地形を整理したので、動きやすかったんじゃないですか」
「それだけ?」
「あとは薬液で誘導したので、リナさんが集中できる状況にはなっていたと思います。それと、荷物の重心を直したので、走りやすくなったかもしれません」
「……それだけで、こんなに動けるの?」
「俺には分かりませんが、リナさんの感覚の方が正確だと思います」
リナが少し黙った。それから、俺をじっと見た。
「あなた、絶対に何かしてる」
「荷物と地形の管理をしていました」
「それ以外に、何か」
「特には」
「……本当に気づいてないんだ」
リナが小さく呟いた。俺には聞こえたが、答える言葉が思いつかなかった。
リナが剣を鞘に戻して、しばらく自分の手を見ていた。
「さっき、すごく動けた。あんなに動けたの、久しぶりだった」
「そうですか」
「Bランクのときでも、ああは動けなかった気がする。なんで?」
「荷物の重心と、地形の整理と、薬液の誘導だと思います」
「全部あなたがやったことじゃないですか」
「俺は支援しただけです。動いたのはリナさんです」
「……そういう言い方、初めてされた」
リナが少しだけ笑った。声には出なかったが、口元が動いた。俺は確認しなかった。確認すると消えそうな気がしたので。
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ギルドへ戻って、依頼の完了報告をした。
受付の女性が結果を確認して、少し目を見開いた。
「スライム十二体のうち九体討伐、三体追い払い……Fランク二人で、三分ですか」
「だいたいそのくらいです」
「……お疲れさまでした」
受付の女性が何か言いたそうな顔をしたが、結局それだけで報酬を出した。
ギルドを出たところで、リナが言った。
「次の依頼も受けますか」
「受けてもいいですか」
「私が聞いてるんですけど」
「断る理由がないので、受けます」
リナが「そうですか」と言って、少し前を向いた。口元が、わずかに緩んだ気がした。
夕方になっていた。
宿に戻る途中、ギルドの前の掲示板の横に告知が張り出されていた。各パーティの週次活動状況の更新だ。俺は通り過ぎようとして、一枚の紙が目に入った。
立ち止まった。
Sランクパーティの記録だ。
銀の牙の欄に、赤い文字が入っていた。
『今週の依頼結果:失敗(撤退)』
俺が銀の牙を出たのは、昨日だ。昨日出て、今日もう失敗している。
「どうしたんですか」
リナが隣に来て、同じ紙を見た。
「……これ、あなたがいたパーティ?」
「そうです」
「昨日やめて、今日もう……」
「たまたまだと思います」
「たまたまにしては早すぎる」
リナが俺を見た。何かを言いたそうで、言葉を選んでいる顔だった。
「ねえ、セルさん」
初めて名前を呼ばれた。気づいていたかどうか、本人には分からないだろう。
「はい」
「あなたって、本当に自分が何をしているか分かってないんですか」
俺は少し考えた。
「荷物の管理と補給の計算をしています。地形把握と装備の整備も」
「それだけ?」
「それだけです」
リナが俺をじっと見た。呆れているのか、確信しているのか、怒っているのか。複数の感情が混ざっていて、どれが一番強いのか分からなかった。
「明日も依頼、一緒に受けますよ」
「断る理由がないので」
「今度は私が依頼を決める。いいですか」
「どうぞ」
「絶対に何かしてるから、もっとよく見ておく」
そう言って、リナは歩き始めた。
俺はその後ろをついていきながら、手帳を開いた。今日の収支と、明日の依頼候補をメモした。また二人分の計算が、自然に手を動かしていた。今日も直さないことにした。
宿まで残り半分の道を、二人で歩いた。リナはもう何も言わなかった。俺も言わなかった。ただ、昨日と同じように、リナが歩幅を合わせてきた。
気づいているのかどうか、分からなかった。
ふと思い出して、掲示板の前で立ち止まった。銀の牙の失敗報告をもう一度見た。今日、一日分しか経っていない。それでもう失敗している。
「やっぱり、たまたまじゃないと思う」
リナが隣で言った。
「そうかもしれません」
「あなたがいなくなったせいだと思う」
「三日後にはまた勝つかもしれません」
「……なんでそんなに向こうの肩を持つんですか」
「事実が分かる前に判断しない方がいいので」
リナが「……はあ」と言った。それから少し歩いて、また止まった。
「ねえ、セルさん」
「はい」
「明日の依頼、私が選んでいいって言いましたよね」
「言いました」
「Bランク相当の依頼にします。Fランクの指定で」
「それは問題なく受けられますか」
「あなたがいれば、たぶん受けられる。それを確認したい」
「根拠は」
「今日の感覚です」
俺は少し考えた。Bランク相当の依頼をFランク二人で受けることの危険度を計算した。地形、魔物の種類、補給の余裕。問題ない、とは言えないが、不可能でもない。
「分かりました。依頼の内容を見てから決めましょう」
リナが「決まりです」と言って、また歩き始めた。
さっきより少し足が速い。
明日が楽しみなのか、それとも何か別の感情なのか。リナの背中を見ながら、俺には測れなかった。
ただ、二人分の計算書のページが、昨日よりかなり細かくなっていた。




