第15話「封印の扉は、荷物を置いた瞬間に開いた」
昨日の空間の先に、通路があった。
フィンが言っていた通りだった。昨日の広い空間を抜けて、百メートルほど進むと、廊下が大きく変わった。石の質が変わった。採掘された壁ではなく、もともとそこにある岩だ。自然の洞窟に近い。ただし、中央に人工的なものがあった。
扉だ。
石でできた巨大な扉だ。高さは三メートル以上ある。幅も二メートルを超えている。表面に魔法陣が刻まれていて、うっすら光っていた。緑と青の中間のような色の光だ。
「これが、封印の扉ですか」とクロエが言った。
「たぶん」とフィンが言った。「ただし、扉という概念で合っているかどうか分からない。開けるためのものではなく、封じるためのものかもしれない」
ガードが扉に近づいた。手で触れようとした。
「待ってください」と俺は言った。
「なぜだ」
「触れる前に、少し確認させてください」
俺は扉の周囲を見た。
地面に何かの痕跡がある。以前ここに来た人間が、扉の前で何かをしようとした跡だ。魔法の焦げ跡、力で押した跡、切り込みを入れようとした跡。全部、扉には影響していない。
「第四のパーティがここで何かを試した跡があります」
「開けようとして、開かなかった、ということですか」とリナが言った。
「そう見えます」
「その先に進んだということは、別の方法で開いたか——あるいは」
「別の方法で開いたなら、その跡が残っているはずです。ここにはない。つまり——」
「開かなかった、ということですか」とミアが言った。
「開かなかったか、あるいはまだここにいるか、です」
全員が扉を見た。
扉の向こうに、何かいる可能性がある。
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「開ける方法を調べます」とクロエが言った。「魔法陣を分析します。少し時間がかかります」
「どのくらいですか」
「三十分ほど」
「分かりました。その間、俺は補給の確認をします。フィンさん、周囲の警戒をお願いできますか」
「問題ない」
クロエが扉の魔法陣に向き合った。眼鏡を磨いてから、外した。集中するときは外す癖がある。
俺は全員の補給袋を確認した。
今日は特に丁寧に確認した。深層の中でこれだけ動いてきた。水の残量、食料の状態、薬液の量。全員分を一つずつ確認して、必要な分を渡した。
それから自分の荷物を確認した。
今日の荷物は一番重い。全員分の予備補給を含めているからだ。六人分、往復分を計算して積んでいる。重心を整えた。背負い直した。
それから、少し気になった。
自分の荷物が、重い。
扉の前に来てから、いつもと違う引っ張られる感覚がある。12話で初めて感じた、荷物が外から引っ張られるような感覚が、ここでは強くなっている。
方向は——扉の方向だ。
「クロエさん」
「少し待ってください。今、分析中です」
「急ぎません。ただ、一つだけ確認していいですか」
「何ですか」
「俺の荷物が、扉の方向に引っ張られているように感じます。これは魔法的に考えて、何が起きているんですか」
クロエが少し止まった。
「スキルが反応しているんですか」
「分かりません。感覚の話なので」
クロエが扉を見た。俺の荷物を見た。また扉を見た。
「……この魔法陣は、封印型です。何かを封じるために作られている。ただし、封印の解除条件が分からない。通常の力で押しても効果がないように設計されています。解除には、封印に対応した何らかの力が必要なはずです」
「対応した力、というのは」
「封印した者が持っていた力、あるいは——封印が想定していた何か、です」
「俺のスキルが、その何かに当たる可能性がありますか」
クロエが少し考えた。
「後方全域支援・神域。半径五十メートル以内の全員に影響する、常時発動型のスキルです。封印の設計者が何を想定していたかは分かりません。ただ——」
クロエが扉の魔法陣を見た。
「理論的には、あなたのスキルは魔力を集める性質ではなく、魔力を整える性質があると思っています。周囲の魔力状態を最適化する。それが封印型の魔法陣と相性がいい可能性があります」
「整える、ということは、封印を解除する方向にも働くということですか」
「可能性があります。ただし——」
「ただし?」
「意図的に発動できないので、確認のしようがありません」
俺は少し考えた。
「荷物を扉の前に置いてみてもいいですか」
「え」とクロエが言った。
「引っ張られているなら、近づけてみれば何か分かるかもしれない。荷物を置くだけです。触れません」
クロエが「……理論的には、試してみる価値はあります」と言った。
「やってみます」
俺は荷物袋を下ろした。
扉の前に置いた。
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扉が、開いた。
音はなかった。
ただ、石でできた扉が、内側に向かってゆっくりと動いた。魔法陣の光が一瞬強くなって、それから消えた。扉の隙間から、冷たい空気が流れてきた。
五秒もかからなかった。
全員が動きを止めた。
クロエが手帳を持ったまま固まっていた。ガードが剣に手をかけたまま動かなかった。リナが「……え?」と言った。ミアが「え、ええ?」と言った。フィンが「……」と言った——正確には何も言わなかった。
俺は扉を見た。開いていた。
荷物袋を拾い上げた。
「開きましたね」
「開きましたね、じゃないです」とリナが言った。
「他に何か言いますか」
「なんで開いたんですか」
「荷物を置いたら開きました」
「それは見れば分かります。なぜ荷物を置いたら開くんですか」
「分かりません」
ガードが「……お前は本当に」と言って止まった。続きが出てこなかったらしかった。
クロエが「記録します」と言って、手帳に書き込み始めた。手が少し震えていた。
「クロエさん、大丈夫ですか」
「大丈夫です。驚いているだけです」
「驚くのは理解できます。俺も少し驚いています」
「少し、ですか」
「荷物を置いたら魔熊が退いたこともあったので、似たようなものかと思いました」
クロエが「……全然違います」と言った。「Sランクモンスターと封印の扉を同じものとして扱わないでください」
「そうですか」
「そうです。ただ——」クロエが手帳を見た。「記録しました。後方全域支援・神域が封印型魔法陣と干渉した結果、封印の解除が起きた。これは前例のない事例です」
「そうですか」
「そうです」
ガードが膝をついた。
全員がガードを見た。
Sランクの剣士が、廊下の石畳に膝をついていた。戦闘中でも、疲弊したときでも、ガードが膝をつく場面を俺は三年間見たことがなかった。
「……ガードさん?」と俺は言った。
ガードが顔を上げた。目が少し見開かれていた。
「三年間、俺はお前を測定できないと言った。あってもなくても同じだと言った。それで荷物を一つ置いただけで、封印の扉が開いた」
「そうですね」
「魔法陣が刻まれた、高さ三メートルの封印の扉が。荷物袋を置いたら。開いた」
「そうですね」
「お前は本当に、なんなんだ」
「荷物持ちです」
ガードが少し目を閉じた。それから開いた。
「俺は本当に、三年間、何を見ていたんだ」
「ガードさんが見ていたものは正確だったと思います。俺が何をしているかは、俺にも分かりません。ただ、やっていることは荷物の管理だけです」
「荷物の管理が封印の扉を開ける」
「今日はそうでした」
「今日だけじゃないだろう」
俺は少し考えた。
「分かりません。ただ、明日も荷物の管理はします」
ガードが「そうか」と言って立ち上がった。膝の土を払った。
リナが「ガードさんが膝をつくのを初めて見ました」と言った。
「そうか」とガードが言った。「お前たちの前では、そういうことがある」
「そういうことがある、というのは」とリナが言った。
「膝をつきたくなることが、ある」
ガードが前を向いた。
それ以上は言わなかった。でも、それだけで十分だと思った。
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扉の向こうを確認した。
廊下が続いていた。扉の直前とは空気が違う。魔力密度が、さらに高い。ただ、危険な気配というより——静かな気配だった。何かがいるというより、何かが待っている感じだ。
「進みますか」とリナが言った。
「今日は扉を確認するのが目的でした。開いたので、次回に進みます」
「今日進まないんですか」
「今日の補給の計算は、扉の前まで来ることを想定していました。扉の先の魔力密度は未知数です。補給が計算通りでない状態で進むのは、リスクが大きい」
「……そうですね」とリナが言った。納得している顔だった。
「次回は、扉の先の魔力密度を想定した補給を用意します。それから進みます」
「いつ来られますか」
「明日です」
「準備が一日でできますか」
「今日の帰りに資材を確認して、夜に計算します。明日の朝には整えられます」
リナが「そういうことは、あっさり言いますね」と言った。
「準備することなので」
クロエが「これだから、この人は」と言った。ガードが少し息を吐いた。ミアが小さく笑った。フィンが「俺も戻る前に一つ確認がある」と言った。
「何ですか」
「扉の向こうから、匂いがする。昨日と同じ、生き物の匂いじゃない匂いだ。ただ——一つだけ、違う匂いが混じっている」
「どんな匂いですか」
「人間の匂いだ」
全員が静かになった。
「第四のパーティの誰かが、扉の向こうにいる可能性がある、ということですか」
「可能性がある」
「生きていますか」
「匂いは、生きている人間のものだ」
誰も何も言わなかった。
扉の向こうから、静かな空気が流れてきていた。
俺は荷物を確認した。
扉の前に置いたとき、荷物の引っ張られる感覚が消えていた。封印が解けたからか、あるいは別の理由か、俺には分からなかった。
「今日は戻ります。明日、準備を整えて来ます」
「……フィンさんの元リーダーが、向こうにいるかもしれない」とリナが言った。
「そうかもしれません」
「急ぎますか」
俺はフィンを見た。
フィンが「急がない」と言った。
「なぜですか」とミアが聞いた。
「三週間持ちこたえたとしたら、あと一日は持つ。それより、俺たちが準備なしで突っ込んで全滅する方が意味がない」
「……そうですね」
フィンが扉を見た。扉は開いたままだった。閉まる気配がない。
「明日来る。それでいい」
フィンが歩き始めた。全員がついていった。
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出口まで戻って、夕方の光の中に出た。
六人が並んでいた。
「今日、すごいことが起きましたね」とミアが言った。
「そうですね」と俺は言った。
「扉が開いた。セルさんが荷物を置いただけで」
「そうですね」
「……本当に、何なんですか、あなたは」
「荷物持ちです」
ミアが「もう」と言って笑った。リナが「毎回それしか言わない」と言った。クロエが「でも、毎回それが正確なので、否定できない」と言った。ガードが「……そうだな」と言った。
フィンが「明日の補給、俺の分は多めに頼む」と言った。
「そうします」
「向こうに誰かがいるとしたら、その分も必要かもしれない」
「計算に入れます」
フィンが「頼む」と言って、歩き始めた。
俺は手帳を開いた。
「封印の扉、開いた。荷物を置いただけ」
「フィン——扉の向こうに人間の匂い」
「明日、六人分プラス一人分の補給を用意する」
書いた。
「プラス一人分」の文字を見た。
誰かが向こうにいる。三週間、あの場所にいた。生きているとすれば——どういう状態で、どういう気持ちで、あの扉の向こうにいるのか。
俺には分からなかった。
ただ、補給食は用意できる。
三週間、補給なしでいた人間に何が必要かは、俺には計算できる。水が最優先だ。次に固形物より吸収しやすい流動食。それから体力を回復させる成分を含む薬草を混ぜた湯。
計算しながら歩いた。
フィンが横に来た。
「何を書いている」
「明日の補給の計算です」
「俺の元リーダーの分も計算しているのか」
「しています」
フィンが少し間を置いた。
「……あの人間が向こうにいるとして、三週間、何を食べていたと思うか」
「分かりません。ただ、食べられていなかったとすれば、一度に多量の食物を与えると体に負担がかかります。少量ずつ、何度かに分けて補給した方がいいです」
「そこまで考えているのか」
「補給の計算は、状態に合わせます」
フィンが俺を見た。
「……あの人間が、俺を売った人間であっても、補給食を出すのか」
「腹が減った人間がいれば出します」
フィンが少し沈黙した。
「……そうか」
「フィンさんは、あの人間に何か言いたいことがありますか」
「ある」
「今の段階では言わなくていいです。会ってから決めてください」
フィンが「そうだな」と言って、また前を向いた。
俺は手帳の補給計算を続けた。
それが俺の仕事だ。




