第13話「深層の手前で、リナは立ち止まった」
隠し通路の開け方が分かったのは、三日後だった。
クロエが石の構造を魔法で分析して、フィンが触れるべき位置を特定した。特定の石を決まった順序で押すと、壁が開く仕組みだった。百年前の採掘技術で作られた機構らしく、魔法的な仕掛けではなく純粋に物理的な構造だった。
「複雑ですが、シンプルです」とクロエが言った。「理論的には、正しい順序を覚えれば誰でも開けられます」
「開け方を全員で共有しておきましょう。俺が倒れたときのために」
「縁起でもないことを言わないでください」とリナが言った。
「万が一の想定です。後方支援の仕事です」
リナが「……分かりました」と言って、手帳にメモを取った。全員が取った。ガードも取った。
翌日、六人でダンジョンへ向かった。
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上層と中層は、前回より速かった。
フィンが道順を完全に把握していて、クロエが魔物の位置を魔法で確認した。リナとガードが前衛で処理して、ミアが後衛を守った。俺は補給と重心管理をした。
中層の中盤で、隠し通路を開けた。
クロエが順序通りに石を押すと、壁の一部が内側に引っ込んだ。空洞が現れた。幅二メートル、高さ一メートル半ほどの通路だ。中からは、冷たい空気と、ほんの少し違う匂いが来た。
「これが深層への経路ですか」とミアが言った。
「たぶん。ただ、深層が通常の経路と繋がっているかどうかは分かりません。今から確認します」
通路に入った。
百メートルほど進むと、開けた空間に出た。
そこは、通常の深層の入口だった。六人全員で確認した。深層の入口に、隠し通路が繋がっていた。第四のパーティは、通常経路から深層に入ったはずだ。隠し通路がショートカットになっていた。
「消えたパーティも、ここから来たはずですか」とクロエが言った。
「それは分かりません。ただ、この通路を使えば深層に早く着きます。体力を温存できます」
「行きますか」とリナが言った。
「今日は、深層の入口から少しだけ入って、様子を確認して戻ります。全力で行くのは次回以降にします」
リナが「物足りないですね」と言った。でも頷いた。
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深層の入口を五十メートルほど進んだとき、変わった。
空気の質が変わった。中層とも上層とも違う。もっと濃い、もっと重い。魔力が高密度で空間に充満しているような感覚だった。
全員が自然に足を遅くした。
「ここです」とフィンが言った。「五年前、エリックさんたちが感じた匂いの変化は、これだと思います」
「あなたは来たことがないのに分かるんですか」とミアが聞いた。
「あの老人の話と一致している。ここが境界だ」
俺は荷物を確認した。
やはり、引っ張るような感覚があった。外側からではなく、今度は内側から。何かが俺の方に引き寄せられているような。
「今日はここまでにして戻ります」
「もう少し行けませんか」とリナが言った。
「今日は確認だけです。五十メートル入った。情報は取れました。今日の目的は達成しました」
「……分かりました」
六人で引き返した。
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翌日、全員で情報を整理した。
クロエが深層の魔力密度を計算した。上層の三十倍以上の魔力が充満しているという結果が出た。「これは、誰かが意図的に魔力を集めているか、もともとそういう性質の場所だということです」と言った。
フィンが「採掘中に何かを掘り当てた、という話があった。その何かが魔力の源だとしたら」と言った。
「それが守護者、ということですか」とミアが言った。
「守護者、という言葉は使っていない。ただ、何かがあの場所を管理している可能性は高い」
ガードが「Sランクの俺でも、あの密度の魔力の中では動きが落ちる可能性がある」と言った。「体に影響が出るかどうかは、実際に入ってみないと分からないが」
俺は全員の話を聞きながら、補給の計算をやり直した。
魔力密度が高い場所では、疲労が加速する可能性がある。通常の計算より多めに補給を用意する必要がある。深層に入る時間を三時間と想定して、必要な水と食料と薬液の量を計算した。
「明後日、深層に本格的に入ります」と俺は言った。「今日と明日で補給を揃えます」
全員が頷いた。
「フィンさん」
「なんだ」
「消息を絶ったパーティのリーダー——今も生きている可能性はありますか」
フィンが少し間を置いた。
「……分からない。ただ、第四のパーティが消えて三週間が経つ。三週間、補給なしで深層にいた場合、生存している可能性は低い」
「それでも、確認したいですか」
「したい」
フィンの声は平静だった。感情的ではなかった。ただ、確かだった。
「分かりました。確認しに行きます」
フィンが俺を見た。
「……なぜそんなに簡単に言えるんだ」
「断る理由がないので」
「理由はそれだけか」
俺は少し考えた。
「フィンさんが確認したいと言ったので、俺は後ろで補給をします。それだけです」
フィンが「そうか」と言って、前を向いた。
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明後日の朝、六人で廃坑に入った。
上層と中層を通過して、隠し通路で深層の入口まで来た。入口の前で、全員の荷物を確認した。今日の補給は通常の一・五倍だ。荷物が重い。ただ、重心を正確に整えれば、重さは動きの妨げにはならない。六人分確認して、全部整えた。
入口の前で少し止まった。
「準備はいいですか」と全員に聞いた。
「いい」とガードが言った。クロエが頷いた。ミアが「行けます」と言った。フィンが「問題ない」と言った。
リナが少し間を置いた。
「……行けます」
「リナさん」
「何ですか」
「何かありますか」
リナが前を向いた。
「ありません。行きましょう」
俺は何も言わなかった。
ただ、「行けます」という返事が、いつもと少し違ったことは分かっていた。いつものリナなら「行きます」と即答する。今日は「行けます」と少し遅れて言った。「行ける」と自分に言い聞かせている響きがあった。
気にはなった。ただ、聞いて答えてもらえなかった以上、今は動くしかない。深層に入れば、何が起きているかが分かる。
六人で入口を抜けた。
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深層に入った。
五十メートルより先は、初めてだった。
空気が重かった。足が少しだけ重くなる感覚がある。体が感じる疲労が、通常より早いかもしれない。俺は補給のタイミングを早めに取ることにした。
百メートル進んだとき、魔物が出た。
上層や中層とは種類が違った。体が大きく、動きが速い。何より、目が違った。知性がある目だった。ただの魔物ではなく、何か別の意思を持った生物のように見えた。
ガードとリナが前衛に出た。
ガードが一体を引きつけた。リナが別の一体に向かった。
リナの剣が走った。
当たった。ただ、倒れなかった。
魔物が反撃した。速かった。リナが受けた。剣で受けたが、勢いで後退した。
「リナさん」と俺は言った。「全力で」
「……」
「全力で行っていいです」
リナが止まった。
魔物が追ってきた。リナが剣を構えた。手が少し震えていた。
「リナさん」
「……怖い」
「何が」
「全力で行って、また迷惑をかけたら——」
俺は少し考えた。
今この場面で、長い言葉は使えない。あと数秒で魔物が来る。リナが動けなければ、ガードが二体を相手にしなければならない。それはガードには可能だが、リナに問題がある。
一つだけ、正確なことを言う。
「今の俺たちに、リナさんの全力が迷惑になる余地はありません」
リナが俺を見た。
「根拠は」
「全員が正しい位置にいます。クロエさんが後方から支援できます。ミアさんが後衛を守っています。フィンさんが全員の位置を把握しています。俺が補給を管理しています。ガードさんが一体を引きつけています。誰もリナさんの全力の邪魔をする位置にいません」
リナが全員を見た。
クロエが頷いた。ミアが「行って」と言った。フィンが「俺は後ろを見る」と言った。ガードが引きつけながら「行け」と言った。
リナが前を向いた。
剣を上げた。
走った。
今まで見た中で、最も速かった。
魔物との距離が一瞬で消えた。剣が振り下ろされた。魔物が倒れた。
声がなかった。ただ、静かに倒れた。
リナが止まった。息が荒い。手が震えている。でも、目が澄んでいた。
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俺はリナのところへ行った。
補給食と水を出した。
「座ってください。少し休みます」
「……大丈夫です」
「座ってください」
リナが座った。水を飲んだ。
しばらく黙っていた。
「怖かったです」
「そうですか」
「全力を出すのが、こんなに怖いとは思わなかった。今まで全力を出してきたと思っていたけど、本当の全力じゃなかった」
「今日は本当の全力でしたか」
「……たぶん、そうです。初めて、怖いと思いながら出しました」
俺はリナを見た。
「今日、出して、どうでしたか」
リナが少し考えた。
「……誰も迷惑そうじゃなかった」
「そうですね」
「みんな、普通に動いていた」
「そうですね」
「……バカみたい。ずっと我慢していたのに、普通だった」
「我慢していたことは、バカじゃないと思います。ただ、ここでは出せます」
リナが俺を見た。
「ここでは、というのは」
「このパーティでは、という意味です」
リナが少し下を向いた。それから顔を上げた。目が赤かった。泣いているのか、深層の魔力で目が充血しているのか、判断できなかった。
「……ありがとうございます」
「いえ」
「今日、一緒に来てくれて」
「断る理由がなかったので」
リナが「もう、そういうことを言わないでください」と言った。声が少し笑っていた。
「分かりました。いたいと思っているので、来ました」
リナが「そうです、それです」と言った。今度は確かに笑っていた。
クロエが俺たちの様子を見ていた。遠くから、静かに。眼鏡を磨いていた。目が少し赤い気がしたが、今は指摘しないことにした。
ミアが「……リナさん、すごかったです」と言った。「わたしは盾を持っていても、あんなに速く動けない」
「ミアさんは盾で全員を守っていました。それが今日の動きを可能にしていました」
ミアが「わたしが」と言って、少し止まった。
「そうです。ミアさんが後衛を守ってくれたから、リナさんが前に集中できました」
ミアが盾を見た。小さな手で、大きな盾の縁を持っていた。
「守れた、ということですか」
「守れました」
ミアが少し息を吐いた。それから「じゃあ、明日も守ります」と言った。昨日までの「守れますか」ではなかった。
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深層を二百メートル進んで、今日は引き返した。
帰り道、ガードが俺に並んだ。
「リナに何を言ったんだ」
「全力が迷惑になる余地はない、と言いました」
「それだけで、あの速さになったのか」
「あの速さはリナさんの力です。俺は状況を説明しただけです」
ガードが少し間を置いた。
「……お前は、戦士に怖いと言わせる」
「怖いと思うことは、おかしくないので」
「俺は、怖いと言ったことがない」
「そうですか」
「怖いと言う必要がなかった、と思っていた。ただ——」
「ただ?」
「今日のリナを見て、怖いと言える方が強いかもしれない、と思った」
俺はガードを見た。
「ガードさんにも、怖いものがありますか」
ガードが少し間を置いた。
「ある」
「何が怖いですか」
「……仲間を守れないことが、怖い」
俺は少し考えた。
「それは、推薦したメンバーが消息を絶ったことと関係がありますか」
「……そうかもしれない」
「守れなかった、と思っているんですか」
「思っている」
「ガードさん」
「なんだ」
「それも、今日のリナと同じかもしれません。怖いと言える方が、前に進めます」
ガードが黙った。長く黙った。
廊下の向こうで、リナが振り返った。
「二人とも、何をしてるんですか。遅いですよ」
「今行きます」と俺は言った。
ガードが前を向いた。歩き始めた。
「……明日も来るか」
「断る理由がなければ」
ガードが「そうか」と言った。
一歩、前に踏み出した。
俺はその一歩を見た。
ガードは三年間、何も怖くないように振る舞っていた。怖いと言う必要がなかった、と言った。それは正確には「怖いと言う機会がなかった」かもしれない。あるいは「怖いと言ったとき、聞いてくれる人間がいなかった」かもしれない。
俺には判断できなかった。
ただ、今日ガードが「仲間を守れないことが怖い」と言ったのは聞こえた。それを聞いた人間がここにいる。それだけでいい。
手帳を開いた。
「リナ——怖いと言いながら、全力を出した。全力が誰の迷惑にもならなかった。本人が気づいた」
「ガード——仲間を守れないことが怖いと言った。それが前に踏み出す理由になった」
二行書いた。
それから一行加えた。
「明日も来る」
フィンが後ろから「遅い」と言った。
「今行きます」と俺は言って、歩き始めた。




