第54話「白銀の誘い、紅蓮の姫騎士、赤黄の天才(2)」
学食特有の、食器のぶつかる音や話し声が混じり合った喧騒が、ある一点を中心に変化した。
さざ波が引くように周囲の声が小さくなり、代わりに、透き通るような、しかし凛とした声音が空気を震わせて通った。
「ここは学食ですよね。後ろを通る方のことを考えずに椅子を引かれたら、他の方が通れなくなってしまいます。先輩でいらっしゃるのですから、それくらいのことはご自分で気づいていただかなければ困ります」
それは、媚びることも、あるいは不必要に攻撃することもない、真っ直ぐで揺るぎのない声色だった。
キオは思わず、その声の主へと視線を向けた。
配膳カウンターのすぐ近く。上級生と思しき男子生徒が二人、バツの悪そうな表情で立っていた。どちらも上級生らしい落ち着きに欠け、視線を泳がせている。
その彼らの前に立ちはだかっていたのは――。
鮮やかな紅蓮の髪を腰まで伸ばした、すらりと背の高い女子生徒だった。
制服の紋は一年生のものだ。自分たちと同い年のはずだが、その立ち姿には、余計なものを削ぎ落としたような凛烈な美しさがあった。彼女はほんの少しだけ首を傾けながら、まるで幼子を諭すような、静かだが拒絶を許さない口調で言葉を続けた。
「椅子を大きく引きっぱなしにしているせいで、あちらの下級生がひとり、盆を持ったまま通れずに立ち往生していました。あなたは、そのことに気づいていらっしゃいましたか?」
男子生徒のひとりが反論しようと口を開きかけたが、言葉が出てこない。
彼女の指摘は正確で、かつ感情的な棘が一切なかった。怒鳴るわけでも挑発するわけでもなく、ただ「そこにある事実」を提示しているだけだ。
だからこそ、相手は返す言葉を見つけられず、顔を赤くして沈黙するしかなかった。
「......直していただければ、それで十分です。ありがとうございます」
最後にごく短い一礼をして、紅蓮の髪の少女はくるりと向きを変えた。
彼女の後ろには、緑の髪をした穏やかそうな女子生徒と、青い髪をした冷静沈着そうな女子生徒が、一歩下がって控えていた。二人は主導した彼女に合わせるように、静かに頭を下げて彼女の後に続く。
三人連れの彼女たちが去っていくと、残された上級生の二人は、しばらくそこに呆然と突っ立っていたが、やがて気まずそうに周囲を見回すと、そっと椅子を引き直して自分の席に座り直した。
「......すごい子だね。あんなに堂々と上級生に注意できるなんて」
キオが思わず、感嘆を込めてぽつりと漏らした。
オーウェンは口元にわずかな笑みを浮かべ、スープを掬っていたスプーンを静かに置いた。
「知っているか、キオ。あの子はDクラスに所属している、フェリン・ロート・ロイマンダーというんだ」
「ロート一族......」
頭の中に従兄弟であるガロンの姿が思い浮かんだ。
「ロイマンダー家は、ロート一族の中でも特に武功の多い家柄でね。一族から騎士を多く輩出してきた名家だ。この国を守る盾、なんて呼ばれることもある」
ロート一族。騎士の家柄。
キオの頭の中で、その言葉がストンと腑に落ちた。あの紅蓮の髪。そして、一分の隙もない、剣のように真っ直ぐな立ち姿。彼女の持つ独特の空気は、その血筋と教育に裏打ちされたものなのだろう。
「ロイマンダー家の子女なら、本来は騎士育成学校に進むのが王道とされているらしい。だが、彼女はあえて自分の意志で魔法学校を選んだ。入学前から『紅蓮の姫騎士』なんて呼び名で話題になっていたと聞いているよ」
「魔法学校を選ぶのって、そんなに珍しいことなの?」
「家柄と進路のミスマッチという意味では、かなり異例だろうね。ただ――見た通りの子だ。周囲の期待よりも、自分の進むべき道を自分で決める強さがあるんだろう」
オーウェンの目が、尊敬とも興味とも取れる色を帯びて細くなる。
「体育祭でも、相当な活躍が期待されているらしい。運動神経は一年生の中でも飛び抜けているそうだし、精霊との契約は入学前からだそうだ。確か......彼女の精霊はドライアドだったかな?」
「ドライアド......植物の精霊? でも、ロート一族って火の属性が強いんじゃ――」
「そこが面白いところでね。お母上がグリューン一族の出身なんだそうだ。火と植物。一見すれば相反する組み合わせだが、それを高い次元で使いこなせることが彼女の最大の強さなんだろう。......あくまで、僕が小耳に挟んだ推測に過ぎないけれどね」
キオはもう一度、さりげなく彼女の方へ視線を向けた。
フェリンと呼ばれた少女は、すでに自分たちの席に落ち着き、食事を始めていた。先ほどまで上級生を圧倒していた毅然とした空気はなりを潜め、今は友人たちと穏やかに会話を交わしている。それはどこにでもいる、ごく普通の一年生の風景だった。
さっきの彼女の所作を思い返す。あれは決して、自分の正義感を誇示したかったわけでも、誰かを屈服させたかったわけでもないのだろう。ただ「あるべき形」を当然のこととして伝えた――そんな、自然体な立ち姿だった。
「ロート一族という言葉で、何か思うところがあったのか?」
オーウェンが静かに問いかけてきた。キオはわずかに目を丸くしてから、少し困ったように笑った。
「......うん、少しだけね。騎士を多く出す家って聞いたら、以前兄さんから聞いた一族の厳格な話を思い出しちゃって。彼女も、そういう厳しい世界で生きてきたのかな、って」
「そうか。ロート一族には確かに、そういう規律を重んじる気風がある。一族の誇りを背負って生きるのは、僕たちが想像する以上に大変なことなのかもしれないね」
キオがそれ以上何を考えたか、オーウェンは無理に踏み込もうとはしなかった。相手の領域を尊重するその距離感が、キオには何よりも心地よかった。
「そういえば」
オーウェンが少し声のトーンを変えた。話題を切り替え、学食の空気をリセットするための、小さな合図だ。
「Cクラスのほうに、気になる噂があってね」
「Cクラス? 他のクラスに、何か?」
「ルーズベルト・マンデリンという名前、聞いたことはあるか?」
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