第50話「嵐が過ぎ去った後の静けさ(3)」
日が傾き、夕闇の帳が下り始めた頃。
パラッツォは、どこともしれぬ暗闇の中に佇んでいた。
そこは、現実から切り離された舞台のような空間。
足元だけがスポットライトのようにぼんやりと照らされ、周囲は底なしの漆黒に沈んでいる。観客席があるのか、壁があるのかさえ分からない。
パラッツォは一人、闇の中で笑みを浮かべていた。
――いや、一人ではなかった。
背後の濃密な闇から、何者かが音もなく姿を現す。
その姿は影に溶け込むように曖昧で、輪郭さえおぼつかない。ただ、そこに『何か』がいることだけは確かだった。
その者は、パラッツォの前で深く頭を垂れた。
「おやおや、お疲れ様でしたねぇ」
パラッツォは振り返り、パチ、パチ、と乾いた拍手を送った。その音が、暗い虚空に吸い込まれていく。
「創世祭の件、よく頑張りましたよ。おかげで、なかなか面白い舞台になりました」
その者は頭を垂れたまま、微かに身じろぎした。まるで主人に褒められた犬が、控えめに尾を振るような仕草。
「キオ君と、あの『スバル』......いや、『シュバルツ』と呼ぶべきですかねぇ。ふふ、二人とも大した役者だ」
パラッツォの口から、スバルの真名が滑り落ちる。
「まあ、あのモノが何を名乗ろうと、私には関係のないことですがねぇ」
パラッツォは一歩、その者に近づいた。
「あなたもよく働きました。魔法陣への細工、見事なものでしたよ。おかげで儀式は予想以上の盛り上がりを見せた」
その者の肩が、わずかに上がる。敬愛する主からの賛辞に、歓喜を滲ませているようだ。
「でもね」
不意に、パラッツォの声色が変わった。
甘い毒が、冷徹な刃へと変貌する。
「――殺そうとしては、ダメでしょう?」
パラッツォの手が、その者の頭をガシリと鷲掴みにした。
「あなたが仕込んだ『純白の石』。あれは、本来なら暴走を誘発するだけのはずだった。でも、あなたは勝手に威力を上げていましたねぇ? あのまま放置していたら、儀式の中心にいた三人は――確実に死んでいた」
その者は動かない。ただ、頭を垂れたままされるがままだ。
「それでは、意味がないのですよ」
パラッツォの声が、地を這うように低く響く。
「キオ君を今殺してしまっては、私の『舞台』が台無しになってしまう。あの子には、もっともっと幸せになってもらわなければ。そして、そのあとに......もっともっと苦しんでもらわなければ。幸せがあるから絶望が輝くのです。わかっていますか?」
鷲掴みにされたまま、その者の拳が微かに震えた。
しかしそれは恐怖ではない。悔しさだ。
――あと少しで、殺せたのに。
「ふふ、でも」
パラッツォは突然、パッと手を離した。
そして、にっこりと――あまりにも美しく、あまりにも冷酷な笑みを浮かべた。
「許しましょう」
その者の肩が、驚きにピクリと跳ねる。
「あなたがキオ君のことを心の底から嫌っているのは、知っていましたから」
パラッツォは顔を覗き込むように身を屈めた。
「ふふふ、そんなに彼が憎いですか?」
その問いかけに、影に包まれた者がゆっくりと顔を上げた。
――その瞳。
暗闇の中でも、はっきりと見えた。
そこには黒い炎が、どろりと燃え盛っていた。
嫉妬。怨嗟。そして、底知れぬ憎悪。それらが凝縮された、暗黒の業火。
「ああ、その目」
パラッツォは恍惚とした吐息を漏らした。
「あなたのそんなところが、私は好きですよ」
パラッツォは立ち上がり、今度は優しく、まるで愛玩動物を撫でるようにその者の頭に触れた。
「でもね、間違えてはいけませんよ」
声が、再び絶対零度の冷たさを帯びる。
「あなたはあくまで――『舞台装置』なのですから」
その者は深く頭を垂れた。悔しさを滲ませながらも、パラッツォの言葉を絶対の命令として受け入れる。
「主役は、私とキオ君なのです。あなたは、その舞台を彩るための駒に過ぎない」
パラッツォはその様子を見て、満足げに微笑んだ。
「さあ、次の幕の準備をしましょう。体育祭――楽しみですねぇ」
暗い舞台に、パラッツォの高笑いが響く。
残されたその者は、しばらく動かなかった。握り締めた拳の震えは止まらない。
その瞳に宿る黒い炎は、消えるどころか、酸素を得たようにますます燃え盛っていた。
煮えたぎる憎悪と執着。
やがて、舞台の灯りが落ちるように、すべてが暗闇に呑み込まれていった。
―――
夜空には、無数の星々が瞬いていた。
寮の部屋。窓辺に立つキオは、その光を静かに見上げている。
「今日も、いい一日だったね」
「ああ。あの子らと過ごす時間は、やはりいいものだ」
シュバルツの声が穏やかに響く。
「シュバルツ」
「何だ?」
「......儀式の時のあの魔力の暴発。あれが何が原因で起こったのか、僕にはまだ分からないんだ。誰が......何をしたのか」
「......」
シュバルツの黒くて長いしっぽが、ゆらりと静かに揺れる。彼は何かを知っているようだが、今は語らない。
「でも、シュバルツのお陰で誰も傷つかずに済んだ」
キオは振り返り、シュバルツに優しく微笑んだ。
「僕たちは最高の相棒だね」
「世界一の相棒だと思うぞ」
シュバルツは事も無げに言ったが、そのしっぽがパタパタと嬉しそうに揺れているのを、キオは見逃さなかった。
窓の外では、冬の名残と春の予感を孕んだ風が、木々を揺らしている。
遠くの空が、深い闇に沈んでいく。
キオもシュバルツも知らない。
あの闇の奥で、何が蠢いているのかを。
彼らが知らない場所で、彼らを取り巻く運命の歯車は、静かに、しかし確実に回り始めていた。
――嵐が過ぎ去った後の静けさ。それはとても心をザワつかせる。
キオは窓を閉め、部屋の奥へと戻っていった。
明日もまた、穏やかな一日が待っている。そう信じて。
第三章 完
次話より第四章『芽吹きの春と燃えるような夏』開始
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