第1話 不許可通知は十一枚
"短編『魔法の使用には神様の許可が必要です』の連載版です。
魔法を使うにも、神様への申請書が要る世界。修繕屋の少年レトと、書類で神様と渡り合う人たちの話です。
(短編を読んでくださった方へ:序章の七話は短編とほぼ同じです。新しいお話は、序章のあとの閑話1からです)"
「魔法の使用には、神様の許可が必要です」
受付の神官は、もう何百回も言ってきたような平らな声でそう言って、レトの申請書を受け取った。
振興会館の一階、コクドの小神殿の受付だった。
コクドは、土と石と、その上に建つ物を受け持つ神だ。レトがこの決まり文句を聞くのは、今日で十二回目になる。
神官は申請書を台に置き、欄が埋まっているかだけを指でなぞって確かめた。中身には何も言わない。前に一度、どこが悪いのか聞いたら、「申請の内容についてはお答えできません」と同じ声で返された。
「申請者ご本人で、お間違いありませんか」
「わ、私が……いや、俺が本人です」
「受付いたしました。念のため、印鑑を」
「なんで印鑑がいるんだよ」
神官はわずかに目を伏せた。
「……慣習です」
レトは工具帯の脇から木の印鑑を出して、言われた所に押した。
受付を出ると、吹き抜けの広間はいつもどおりがらんとしていた。高い天井に、立派な石の階段。階段の下にはロープが一本渡してあり、その先の二階の窓口は、どれも板が打ちつけてある。色あせた案内板には、もう誰もいない店の名前が並んでいる。広間の窓の向こう、中庭をはさんだ別館も、窓という窓に板が打ちつけてあった。トワルの町じゅうの神殿と店をここに集めるつもりで建てたらしいが、レトが物心ついたときには、二階も別館も、もう閉めきりだった。
広間の奥、コクドの受付の前に、遠くから来たらしい年寄りが立っていた。埃で白くなった靴のまま、両手を合わせかける。神官は同じ平らな声で、活版刷りの様式を一枚、台に置いた。
「ご用件は、様式でどうぞ」
年寄りは手をほどいて、ペンを取った。
レトは申請書の控えを鞄に押しこもうとして、指から取り落とした。紙は床をすべって、廊下の向かいへ流れていった。
その先の扉が開いた。
「落としましたよ」
拾ったのは、レトと同じくらいの年の女だった。紺の長衣に白い襟、丸い眼鏡。手には色つきの付箋の束を持っている。開いた扉の札には「トセラ行政術士事務所」とあった。
女は控えに目を落として、ほんの少し眉を寄せた。
「失礼ですが、ハイネさん。その書式では受理されません」
「もう出したって。受付はしてくれたじゃん」
「受付と受理は別です。……拝見しても?」
返事をする間もなく、女はもう控えを読みはじめていた。眼鏡の奥の目が、一行ずつ下りていく。三行目の、欄からあふれた書き足しのところで、その目が止まった。
「それ、一生通らないわよ」
「は?」
「一生。百回出しても通らない。あんた、これ何回目?」
「……なんで分かるんだよ」
「読めば分かるでしょ、こんなの」
レトは鞄の口を開けて、薄い封筒の束をつかみ出した。意地だった。
「十二回目。前の十一回分が、これ」
女は封筒の束を受け取り、手のひらで一度弾ませてから、扉を大きく開けた。
「入りなさい」
事務所は狭かった。机が一つと、書類の棚が三つ。棚には色つきの付箋がびっしり貼られていて、どの段にも綴じた書類の背が隙間なく詰まっている。
女は机の上を片手で空けると、十一枚の不許可通知を一枚ずつ並べはじめた。どの通知の頭にも、天上府の丸い印が押してある。十一枚目を置き終えたとき、机の端から端まで埋まった。
女は眼鏡を押し上げて、しばらくそれを見下ろしていた。
「……全部違う理由で落ちるなんて、一種の才能でしょ」
「感心すんなよ」
「してない。呆れてるの」
指が三枚目をたたいた。
「『どの状態へ』の欄は、どこまで戻せば直ったことになるかを書く所。そこに『元どおり』って書いたでしょ。その『元』がいつの時点か、書いていない」
「元どおりは元どおりだろ」
「いつの元? 積んだ日? 去年の秋? 百年前? 書いてなきゃ、神様だって決めようがないじゃないの」
ミレアは四枚目をめくった。
「『いい感じに』は審査の基準にならない。……これ、本当に書いたの?」
「書いた。いい感じにするんだから」
「そのつもりなのは分かったから」
八枚目。
「所管がまたがる。『水路』って書いたでしょ。水まで入るから、コクド様だけじゃ決められない」
「水路は水路じゃん。水の流れてない水路なんか、ただの溝だろ」
「だから落ちたんでしょ」
それから十枚目。
「使うマナの上限がない。どれだけ使うつもりか書かないと、どれだけでも使う人だと思われるでしょ」
「必要なぶんだけだって」
「その『必要なぶん』を数字で書きなさい」
残りの七枚には、ざっと目を通しただけだった。
「それで、十二回目は、十一回分を全部反省して書き足したってわけ」
女は控えを机の上で広げた。欄の中は、レトの書き足しで埋まっていた。元どおりの『元』は、親父が前に積み直したときの状態。いい感じに、とは書かず、水は含まない、石だけ。マナは必要なだけ、ただし多すぎない量。はみ出した字が、余白をまわって裏までつづいていた。
「何を許可してほしいのか、読んでも分からない」
「全部書いてあるだろ」
「全部書いてあるから分からないの」
レトは口を開けたまま、言い返す言葉を探した。見つからなかった。
「……じゃあ、何て書けばいいんだよ」
「で、何を直したい?」
「水路の石」
「どこの、どの石」
「旧市街の、うちの工房の前の水路。北側の石積みの、上から三段目。冬に凍みて、そこだけ外にふくらんでる。叩くと音が濁るんだ。中で、石の裏に詰めた土が流れてる。手で抜いたら崩れる。だから、そこだけ魔法で戻したい」
話しているうちに、手が勝手に、机の角の継ぎ目をなぞっていた。
女は、少しのあいだ何も言わずにレトを見ていた。
それから、机のペン立てのペンを一本抜いて、控えの上にかがみこんだ。欄の外にあふれた書き足しに、一本ずつ線を引いていく。ペン先が紙をこする音だけが、狭い事務所に続いた。
「おい、何すんだよ」
線を引き終えると、女は控えを二つに折って、レトに差し出した。
「今の、そのまま書けばよかったの。……出したあとの控えに引いても、遅いけど」
レトは折られた控えを受け取り、女の胸元を見た。小さな資格章に、ミレア・トセラと名前が彫ってある。
「……あんた、神官?」
「行政術士です」
「役人?」
「行政術士です」
ミレアは付箋を一枚はがして、通知の束に貼りつけた。
「申請の書類を作る仕事。……魔物が出たら、所管確認も」
「所管確認?」
「どの神様の管轄か、見極めるの。当たれば、その神様が魔物を引き取ってくださる。外したら、不受理。……相談料は、今日はなし」
「取る気だったのかよ」
「次からは取るから」
折られた控えをズボンのポケットに突っこみ、十一枚の通知を鞄に戻して、レトは事務所を出た。
帰りの廊下の壁に、大きな絵が一枚、貼ったままになっている。毎回前を通っているはずなのに、ちゃんと見たのは初めてだった。
日に焼けて色の抜けた、何かの計画の絵だった。地面の下から太い矢印が何本も伸び、その先に建物や工房や笑っている人の顔が描いてある。矢印の上に、大きな字で「龍脈の恵みを地域の活力に!」。右上の隅には、小さな四角い囲みがあって、細かい字が詰まっていた。
その絵の前に、男が一人立ち止まっていた。
小柄で、少し猫背だった。着ている上着は、仕立てがいいのがレトにも分かる。そのくせ、袖口も肘もすり切れていた。男は片手を上げて、右上の小さな囲みを指でなぞった。それから両手を後ろに組んで、絵を見上げたまま動かなくなった。
レトは横を通りすぎた。玄関の扉に手をかけたところで、なんとなく振り返った。
男は、まだ絵を見ていた。組んでいた手をほどいて、もう一度、右上の囲みを指でなぞった。
天井の灯りが、一度だけ揺らいだ。
レトには、ただの日に焼けた絵にしか見えなかった。




