第81話 いちばん雨の当たる場所
教会からの手紙にどう答えるべきかについては、次の日になってもまだ決まっていなかった。
朝の船着き場の寄り合いは、「受ければ祭りを乗っ取られる」「断ればこれまでの恩を仇で返すことになる」で割れたまま、一向にまとまる気配がなかった。
わたしはその光景を見かねて、そっと湖へ向かうことにした。
◇◇◇
雨を呼ぶ鐘の台座のそばで、アオは湖の上に座っていた。
少し離れた舟の上では、ノワが古い麻布に半分くるまって目を閉じている。寝ているように見えて、耳だけはこちらを向いていた。
「――というわけで、どう返事をしたらいいか、まだ決め切れないみたいで……」
わたしが寄り合いの様子を話し終えると、アオは前足をなめながら、のんびりと言った。
「だから言ったじゃない。司祭さんの真上に雨を降らせてあげるって」
「え、あれ、冗談じゃなかったの?」
「半分はね」
アオはヒゲを揺らして笑う。
「そんなに雨の恵みへの感謝を述べたいのなら、好きなだけ話させてあげればいいのよ。――いちばん雨のよく当たる場所で、ね」
「いちばん雨の当たる場所……」
わたしの中でパッと思い浮かんだのは、広場のど真ん中だった。あそこなら雨を遮るものはなにもなく、見上げれば本当に空しか見えない。
そんな光景をぽかんと思い描いていると、舟の上からノワの声がした。
「ならばいっそ、その感謝を述べる機会とやらを無くしてしまえばよいのである。〈雨迎え〉は式典ではなく祭り。誰かが皆の前で挨拶や感謝を読み上げる必要などなく、来る者は皆等しく祭りを楽しむ客であって、序列など存在せぬ。皆で祭りを楽しむ姿を雨の神に見せる――それがこの祭りの趣旨なのだと、先に宣言してしまうのである」
「でも、人手も薪も飴も、教会に頼らないとみんな大変になるし、申し出を断るのはやっぱ難しいんじゃないかな……?」
「その認識がそもそも間違いなのである。皆等しく客であり、序列などない、と言ったであろう。こちらが教会に頼るのではなく――町の者と教会が、祭りに必要なものをともに持ち寄るだけ。良い物を持ってきた者が敬われ、大した物を用意できなかった者がへりくだる――そんな序列をつけること自体が、祭りの趣旨から外れておるのである」
ノワは片目だけ開けて、ゆっくりと続けた。
「あの男の狙いが教会をこの町の象徴にすることである以上、祭りの趣旨を台無しにしてまで無理は通せまいよ。通せば、祭りはもちろん、雨の神にまで唾を吐くことになるのだからな」
わたしの中でようやく、アオとノワの言っていることがひとつにつながった気がした。
つまり、教会の申し出は断らない。ただし、教会も祭りに参加する一員として認める、というだけだ。町の人たちも教会も、いちばん雨のよく当たる広場で、みんな一緒に祭りを楽しむ――それだけのこと。
「それと、もうひとつ」
ノワが麻布から顔を出した。
「鈴である。教会の者たちにも、雨乞いの鈴をひとつずつ贈るのである」
「え……鈴を? だって教会って、鈴を取り上げた人たちだよ?」
「だからこそ、である。鈴を取り上げた者が、今度は鈴を贈られる。これ以上ない意趣返しであろう? それにな、娘よ。鈴は鳴らされねばただの鈴に戻ると、姫――アオも言っておったであろう。それを知った上で、あの者らが鈴を戸口に下げて鳴らすか、再び暗い場所に仕舞い込むか――それ次第で、あの男の腹の底が少しは読めるやもしれぬぞ」
「あら。王さまにしては気が利いてるじゃない」
「王さまにしては、とは何だ」
「ふふ、褒めてるのよ」
アオが尾の先で水面をぱしゃんと叩き、ノワが麻布の中へ引っ込む。
そのやり取りに、わたしはなんだか笑ってしまった。三百年ぶりに顔を合わせた二匹は相変わらずこんな調子だけれど、こうして一緒に知恵を貸してくれている。
こんなに心強い味方がいるということを、きっと町の人たちも、そして教会もまだ知らないだろう。
◇◇◇
船着き場へ戻ってみんなに二匹の猫の案を伝えると、寄り合いの空気が一変した。
「式典じゃなくて祭りだし、誰が上とか関係なくみんなで役に立つものを持ち寄って、一緒に祭りを楽しむだけ……か。なるほどねえ、確かにこの町の祭りってのは、そういうもんだったね」
そう言って、〈雨やどり〉のおかみさんは腕を組んでうなずいている。
ラギも帳面を開きながら、感心した顔でうなっていた。
「え、教会の人に鈴をあげちゃうの!?」
リコだけが目を丸くしていたけれど、少し考えてから、パッと顔を上げた。
「……でも、そっか。あたいたちも教会の人らも、一緒に祭りを盛り上げるっていうなら、あっちにもちゃんと鈴を鳴らしてもらわないとだね」
「鈴なら〈湖畔市〉に鈴屋さんの屋台が出てたから、僕が話をつけてくるよ」
「いいね、まとまってきたじゃないか。教会への返事はあたしが書くよ。……よし、あんた、こんな感じで構わないかい?」
おかみさんはその場で紙を広げると、わたしに見えるようにしながら筆を走らせた。
――〈雨迎え〉は式典ではなくお祭りです。参加する皆が一緒にお祭りを楽しみ、その姿を雨の神さまに見ていただくのが目的ですから、誰が偉いということもなく、誰かが皆を代表して挨拶や感謝を述べることもいたしません。挨拶も感謝も、誰でも、どこでも、いつでも自由です。ですから教会の皆さまも、どうぞいちばん雨のよく当たる場所で、思いのたけを雨の神さまにお伝えください。人手や薪や飴は、私たちと一緒に持ち寄っていただければ幸いです。私たちからは新しい雨乞いの鈴を持ち寄りますので、よろしければ皆さまもご一緒に鳴らしてください――。
リコのおじいさんは、それを読んで静かにうなずいた。
「よかろう。鐘楼のほうは、わしと船大工で足場と吊り具を見てきた。吊り具は新しくせねばならんが、梁は三百年ちゃんと持ちこたえておった。鐘は問題なく戻せそうじゃ。そっちはわしらで進めておく」
なんだかあっという間に話がまとまった気がする。
ノワとアオに相談して、本当に良かった。
◇◇◇
教会に返事を届けに行ったのは、おかみさんとリコのおじいさん、それにリコの三人だった。
わたしは教会の人たちと顔を合わせないほうがいいので、船着き場で待った。
待っているあいだ、鈴屋さんから届いた小さな鈴の包みを、ラギと一緒に数えて箱に収めた。ちゃんと教会の人たちの数だけ、白い布でひとつずつ丁寧に包んである。
三人が教会堂から帰ってきたのは、昼を少し過ぎたころだった。
「どうだった?」
「あのギドって人が取り次いでくれたおかげで、すんなりいったよ」
リコが舟から飛び降りて、身振りをつけながら話し始める。
「おかみさんが手紙を読み上げたら、ギドがそれを奥へ持っていっちゃってさ。すぐ戻ってきたと思ったら、なんとヴァルド司祭が一緒で。そして手紙をその場でもう一回ゆっくり読んでから、こう言ったんだ」
リコは背筋を伸ばし、少し低い声を作った。
「――結構。では、皆さまとご一緒させていただきますね……だってさ」
……本当になんとかなったんだ。
「それで、鈴も渡したの?」
「渡した。ヴァルドが早速包みをほどいてさ、鈴をしばらく見てから……袖の中にそっと仕舞ってた。それでさ、なんと――『大事に、いたします』って、言ったんだよ」
わたしの隣で、ノワが小さく鼻を鳴らした。
「そうか、袖に仕舞ったか」
「……どういうこと?」
「鈴は鳴らさなければ、いずれただの鈴に戻る。それを知っての行動なのだとしたら――そういうことなのであろうな」
ノワはそれだけ言って、また麻布の中へ戻っていった。
わたしは、リコが真似たヴァルドの言葉を、頭の中でもう一度繰り返す。
大事に、いたします。
……その言い回しを、わたしは知っている。
――鈴は、大事になさい。
それはかつて司祭が、立ち去ろうとするわたしの背中に向かって言った言葉だった。




