第8話 三毛猫スズの目覚め
決行の夜、わたしはラギと一緒に、礼拝堂の地下へ潜り込んだ。ノワは一階の崩れた窓枠の上で、見張りをしてくれている。
「うう……ほんとにやるの? あ、うん、やるんだよね。はあ……僕は嫌々やらされてるだけだからね!」
「嫌々なのに、道具はちゃんと手入れしてきてくれたんだね」
「大切な商売道具なんだから当たり前じゃないか。まったくもう……」
ぶつぶつ不満を言いながらも、ラギの手際は見事だった。鉛と祠の隙間にタガネを当て、布を噛ませた木槌でこつ、こつ、と静かに叩いていく。
やがて、鉛の表面にひびが走った。
「よし、ここまできたら一気に剥がせそうだ。ミオちゃん、端から巻き取っていくからそっち持って」
ふたりがかりで鉛をめりめりと引き剥がす。ラギは簡単に言ってくれたが、重くて冷たい鉛を剥がすのはなかなかの重労働で、指先がすっかり痺れてしまった。
剥がした鉛の塊はひとまず祠の横の壁に立てかけておき、また別の鉛を剥がしていく。そうして少しずつ祠の扉の隙間を広げていき――すう、すう、という寝息が、次第にはっきりと聞こえるようになってきた。
「よし、もう少し……!」
ラギがもうひと踏ん張りと気合いを入れた、そのときだった。
一階で見張りをしていたノワが、鋭く「しっ」と鳴いた。
すぐに作業を中断し、崩れた天井の隙間から一階を覗いてみると……礼拝堂の入り口に、ふたつのランタンの灯りが揺れているのが見えた。
「おい。中に誰かいるのか?」
町で聞き込みをしていた、灰色のローブの――教会の人たちだった。
ラギの顔が真っ青になった。わたしたちは道具を抱え、祭壇の残骸の陰に慌てて身を隠した。
教会の人たちの階段を降りてくる足音が、ゆっくりと近づいてくる。
そして彼らは、この石室にやってくるなり、驚愕の声を上げた。
「見ろ、封印が……剥がされている!」
「なんだと!? 司祭さまに報告せねば……いや待て、下手人がまだ近くにいるかもしれんぞ」
ランタンの光が石室を舐めるように動き、わたしたちが隠れている祭壇の陰まで少しずつ、しかし確実に迫ってくる。
ラギが目をつぶって、蚊の鳴くような声でブツブツと商売の神様に祈り始めた。
――ダメだ見つかる……考えろわたし! 何か、何かないか……あっ。
ふと、町の門前で目にした貼り紙の内容が頭に浮かんだ。
『猫ノ噂、買イ上ゲマス。謝礼、銀貨十枚』。
……そうだ。教会の人たちが探しているのは、あくまで猫なんだ。
わたしは祭壇の陰からそっと天井を覗き見る。かろうじて、窓枠の上にいたノワの姿を捉えることができた。ノワからもわたしが見えていることを信じて、唇だけを大きく動かして伝言を送った。
(鳴いて。外で。西のほうで)
ノワは一瞬、耳を横に倒してため息をついたように見えたが、すぐに音もなく窓枠を蹴って夜の闇へと消えていった。
ひと呼吸おいて、礼拝堂の外、西の空き地のずっと向こうから――
「なあああぉん」
夜気を裂いて、高く澄んだ猫の鳴き声が響きわたった。
「な、なんだ今のは……はっ! ま、まさか、今のが猫!? 猫の声か!?」
「外だ! 西の方から聞こえた! 急ぐぞ!」
「わかってる!」
教会の人たちは階段を転がるようにして駆け上がっていった。足音が遠ざかっていき、完全に聞こえなくなったことを確認すると、ラギがへなへなと床に座り込んだ。
「ミオちゃん、さっきの声って……」
「うん、ノワの鳴き声。よかった、ちゃんと伝わってて」
「あの土壇場ですごいね君は。僕なんて怖くてそれどころじゃなかったよ……ああ、安心したら腰が抜けちゃったみたいだ」
「はは……わたしだって膝が笑ってるよ……」
それから程なくしてノワが戻ってきて、それはそれは不機嫌そうに毛づくろいを始めた。
「ノワ。さっきはありがとう。おかげで助かった」
「ふん、まさかこの吾輩をアゴで使うとは。この借りは高くつくからな」
「ふふ、わかってる。本当にありがとうね」
「……何度も言わんでよい」
ノワはぷいっと顔を逸らしたものの、その声色はどこかあたたかくて、ほんのちょっとだけ誇らしげに聞こえた。
◇◇◇
ラギと祠の鉛の残りを剥がしていくと、その下から見慣れた丸い扉が現れた。
チリン。
改めて鈴を鳴らしてみると、今度は音が途切れることなく、扉の中へすうっと吸い込まれるように優しく鳴り響いた。
直後、歯車と月の紋がほんのりと光を放った。
「えっと、スズ、だっけ。スズ、起きて。お願い……」
……返事の代わりに、すぴぃ、と気の抜けた寝息がひとつだけ聞こえてきた。
「……起きないんだけど」
「であろうな」
ノワは達観した口ぶりで言った。
「言ったであろう。呑気で寝汚い、と。スズは大喪失の前から猫界一の寝坊助であった」
「猫界一……」
それから三十分くらい、わたしとラギはあの手この手を尽くした。何度も鈴を鳴らしたり名前を呼んだり、さらには干し魚を祠の前に置いて匂いを扉の向こうに送ってみたり……したんだけど。
すぴぃ。すぴぃ。
……まったく効果なし。
「あの、ノワ……全然ダメなんだけど」
「やれやれ……仕方あるまい」
ノワは無様に立ち尽くすわたしとラギを素通りすると、扉の前にちょこんと座った。そして、すうっと息を吸って――喉の奥を低く、深く、ごろごろと鳴らし始めた。
ノワと契約を交わした夜を思い出す。あのときも、ノワはこんな音を鳴らしていたっけ。
耳が心地よい。心なしか、石室の空気があたたかくなってきた気がする。
「――起きよ、スズ。王の呼び声に応えよ」
ピタリと、寝息が止まった。
そして、扉の奥から声が漏れ出てきた。
「…………そのお声は……」
直後、丸い扉が音もなく開かれる。
中から現れたのは、白と黒と茶のまだら模様の、ふわふわした毛の猫だった。
その猫は、寝ぼけまなこを前足でこすり、大きな大きなあくびをした。
二匹目の猫だ。本当に……他にも猫がいたんだ。感動のあまり、言葉が出てこない。
「ふぁ……おはようございます、王さま。あら、あらあら」
三色の毛に包まれたその猫は、かわいらしい声でしゃべりながらわたしとラギを順番に見て、それから王さまに視線を戻して首をかしげた。
「人間の子がふたりと、王さま……変な組み合わせですわね。わたくし、まだ夢の中にいるのかしら」
「夢ではない。三毛猫姫のスズよ、お前は相変わらず寝起きが悪いな」
「まあ。王さまだって、大概でしょうに」
……「みけ」猫ってなんだろう? みけ……み毛……三色……毛……ああ! 三毛猫かぁ!
などとわたしがひとりで盛り上がっているのをよそに、スズはふわぁ、ともう一度あくびをすると、ノワの鼻先に自分の鼻をちょんとつけた。
「またこうして、無事にお会いできてなによりですわ、王さま」
「うむ」
それから、ノワの月色の瞳がふっと細くなった。
「あら……王さま。左のお耳、まだそのままですのね」
「――放っておけ」
ノワがぷいと顔を背けた、そのときだった。
壁に立てかけていた鉛の板が、ゆっくりと傾いて――ガラン! と音を立てて倒れた。その音は石室だけにとどまらず、夜の礼拝堂全体にまで、びっくりするくらい大きく響いた。
そして、夜の静寂を破る足音と怒声を伴って――「彼ら」が戻ってきた。
「――今の音はなんだ! 礼拝堂の中か!?」




