第7話 鉛の向こうで眠る猫
その夜は部屋の灯りを消し、息を潜めて過ごした。
灰色ローブの人たちは、宿の中まで聞き込みに来ることはなかった。それでも廊下に足音がするたび、心臓がびくんとした。
「……ねえ、ノワ。教会の人たち、どうして猫を捜してるのかな? 猫のことを呪いだと思ってるみたいだし、ひょっとして、その……殺そうとしてる、とか?」
「さてな。この三百年で人間の腹の内がどう変化したかなど、吾輩にわかるはずもあるまい」
ノワは目を閉じて毛布の上で丸くなりながらとぼけたように言う。
「――だが、このやり口には覚えがあるな。鉛で祠を封じる、か。まったく、ご丁寧なことだ」
王さまはやっぱり、素直に教えてくれるつもりはないようだった。
◇◇◇
翌朝、朝食の給仕をするおかみさんにさりげなく聞いてみた。
「そういえば、その……封じられた祠って、どのへんにあるんですか? ほら、間違って迷い込んだら大変ですし」
「町外れの古い礼拝堂さ。北の水車小屋の先にある……ふわぁ」
おかみさんは欠伸まじりに答えてから、じろりとわたしを見た。
「くれぐれも近寄るんじゃないよ。教会に見つかったらこってりお説教されるんだから」
「も、もちろんです! そうならないように聞いただけですって!」
早口になってしまっているのが自分でもよくわかった。わたしは嘘をつくとき、早口になってしまうと、昔おばあちゃんに指摘されたっけ。こんなことなら嘘の練習でもしておけばよかった……。
◇◇◇
夜を待って、わたしとノワは北へ向かった。
古い礼拝堂とやらは、月明かりの下で静かに朽ちていた。屋根は半分落ち、扉は蝶番ごと外れている。中は埃とカビの匂いが充満しており、鼻と口を手で覆いつつ奥に進んでみると、地下に下りる階段があった。
「……ここだ」
階段の先にあったのは、狭い石室だった。天井の半分が崩れ落ち、上階の壊れた窓から差し込んでいる月明かりがここまで届いている。崩れたときに上から落ちてきたらしい祭壇の残骸が、隅に積み重なっていた。
石室の中央には、トト村のものとよく似た祠が設置されていた。膝くらいの高さの丸い扉のついた古い祠で、扉にはやはり歯車と月を組み合わせたような不思議な紋が彫られている。
ただし、その扉は――鈍色の鉛でべったりと塗り固められていた。
鉛の表面には、灰色の輪の紋章が刻まれている。見ているだけで胸の奥が重くなってくる気がした。
「ひどい……」
「静かに。娘、鈴を鳴らしてみろ」
言われるがままに鈴を鳴らす。
チリン。
澄んだ音が石室に響いたものの――まるで何者かに押さえつけられたかのように、途中でぷつっと途切れてしまった。
トト村の祠のときは、祠自身が音をありのまま受け入れてくれているような心地よさがあった。でも今回は、鉛の分厚い壁に音が弾かれているように感じられる。
「届かん、か」
ノワのしっぽが苛立たしげに床を叩いた。
「見てのとおり、鉛は《福》の流れを遮ってしまうのだ。当然、こちらからの音も届かん。まったく、小癪な真似をしおって」
わたしは祠に近づき、そっと耳を当てた。
最初は冷たい鉛越しに何も聞こえなかった。でも、じっと、さらにじっと耳を澄ませていると――。
すう……すう……。
「っ、ノワ……!」
「うむ」
寝息だ。ちいさな、ちいさな寝息が、確かに聞こえた。この鉛の下で、今も猫が生きていて、静かに眠っているのだ。
目頭が熱くなってきた。三百年ものあいだ、こんな冷たい石の下で、ずっとひとりだったんだね……。
トト村のノワには、扉越しに話しかけてくれるおばあちゃんとわたしがいた。でも、この子には誰もいなかった。挙げ句の果てに鉛の蓋までされて、わずかな声すら届かなくなった。
「この気配……ふん、間違いない。この祠に眠っているのは、スズである」
「知ってる猫なの?」
「昔なじみである。呑気で、寝汚くて、あくびばかりしておる三毛の姫君だ」
ノワの声がほんの少しだけやわらかい。スズという猫に対する愛しみの心が、こっちにも伝わってくる。
「絶対、起こしてあげようね。でも……この鉛、素手じゃ剥がせないよね」
「ちゃんとした道具が必要だな。あとは、それを扱えるだけの腕力が……」
ノワがわたしの体つきを見て、溜息をついた。貧相な身体でごめんなさい……。
でもそうなると、他の誰かに頼むしかないのだけど、今までトト村から出たことのなかったわたしに頼れる人なんて……。
いや――ひとりだけ、心当たりがあった。
◇◇◇
「はあ!? 祠の鉛を剥がす!?」
三日月亭の裏、荷馬車の陰で、ラギは声を裏返した。
「しーっ! 声が大きい!」
「大きくもなるよ! 君ねえ、教会を敵に回したら、この町で商売できなくなるんだよ!? 事の重大さがわかってる!?」
「でも、ラギも言ってたでしょ。祠を封じたせいで、町のみんなの不眠がかえってひどくなったって。あの鉛を剥がせば、みんな元通りぐっすり眠れるようになるの」
「断言したね……なんで君にそんなことがわかるのさ」
説明に困っていると、荷馬車の上からガサリと音がした。
見ればノワが荷箱を勝手に開け、中の干し魚をくわえていた。
「わっ、こら! うちの商品! って、く、黒い……犬? にしては小さ……」
ラギの目がまん丸になった。ノワは悪びれもせず月明かりの下でひげを揺らし、短く鳴いた。わたしの耳には、それが言葉になって聞こえる。
「良い魚である。買おう」
「えっと……『良い魚だから買う』だって」
「へ? ま、まいどあり……って、き、君、こいつの言ってることがわかるの?」
「はい。なんか、そういう能力らしくって」
わたしは観念し、腰を抜かしたラギに頭を下げた。
「……というわけなの。この子は猫。あの祠の下には、この子と同じ猫がもう一匹眠ってる。お願い、ラギ。力を貸してください」
ラギはしばらく口をぱくぱくさせていた。それから、震える指でノワを差した。
「ね、猫って……確か教会が、噂だけでも銀貨十枚出すっていう……」
「や、やめて! わたしたちのこと、売らないで!」
「だ、大丈夫、売らないよ。今はとりあえず……状況を整理させてほしい」
頭を抱えてうんうん唸ったあと、ラギは顔を上げた。すると、その目はすでに商人の目になっていた。
「……そういや、猫は《福》を運ぶって、婆ちゃんがよく歌ってたな。あれが本当なら――銀貨十枚どころの話じゃない」
「じゃあ!」
「わかった、力を貸すよ。ただし!」
ラギはびしりと指を立てた。
「もし教会にバレたら、僕は嫌々手伝わされただけってことにするからね!」
欠けた礼拝堂の屋根の上に、月が昇っていた。
決行は明日の夜。
もうすぐこの町で、もう一匹の猫が目を覚ますのかと思うと、胸が高鳴った。




