第6話 マフラーと化した猫の王さま
――この町には、猫を捜している誰かがいる。
ノワの忠告を胸に、わたしはフードを深くかぶり、ハルガの門をくぐった。
心臓がバクバク鳴ってるし、歩き方もなんだかぎこちなくなってる気がする。今声をかけられたらマズいかも……。
「ようこそハルガへ。夜は冷えるから気をつけてね、旅の人」
門番のおじさんは、あくび交じりにそれだけ言ったきり、こちらを見向きもしなかった。
……思わず気が抜けてしまう。
考えてみれば、この町の人は誰も猫のことを知らないのだ。わたしなんてただの田舎娘にしか見えないだろうし、外套の下に猫がいるなんて思いもしないだろう。
「おい娘、肘が当たっておるぞ」
「ちょっ、静かにして! 聞かれたらどうするの!」
「前にも言ったであろう。吾輩の声が言葉として聞こえるのはお前だけである。他の者にはただのかわいい鳴き声にしか――」
「余計怪しまれるでしょ! いいからおとなしくしてて。今からノワはわたしのマフラー、わかった?」
外套の中でノワがもぞもぞと抗議する。門番が変なものでも見るような目をこっちへ向けていたので、愛想笑いしながら速やかにその場を離れた。危ない危ない。
◇◇◇
初めての町は想像していたよりずっと騒がしくて、そして……なんだかくたびれて見えた。
石畳の通りに飛び交う市場の呼び声。食欲を刺激する焼いた腸詰めの匂い。そんな賑わいに荷馬車の軋む音まで重なり、もはや何に目を向けていいのかわからなくなる。わたしはそんな光景を前にして、おのぼりさん丸出しできょろきょろするしかなかった。
一見すると、この町が活気に満ちていることは間違いない……のだが。
よく見てみると、なんだか違和感があった。
果物屋のおじさんは、量り売りの途中で三回もあくびをしていた。
すれ違うおばさんたちの目の下には、揃って青い隈があった。
そして、通りの角ではふたりの男の人が、些細なことで怒鳴り合いに発展していた。
「……なんだかみんな、疲れてるというか、気が立ってるというか……なんか変じゃない?」
「うむ」
外套の内側で、ノワが低い声で言った。
「――この町の者は皆、眠りが浅いようだ」
その意味を尋ねる間もなく、目当ての看板が――三日月とお玉が並んで描かれた看板が見えてきた。門で見た掲示板の案内によると、この宿屋兼食堂「三日月亭」が町でいちばん安く素泊まりできるらしい。
早速お邪魔しようとしたところ――宿の前で、荷馬車の車輪を溝にはめて立ち往生している若い男の人が目に入った。
「ちょっ、この馬! 押すんじゃなくて引いて! いややっぱ押して……ってああもう、どっちだ!?」
「……あのぅ、手伝いましょうか?」
「えっ、誰?! あ、いや、今はそれどころじゃないか。助かるよ、君は恩人だ!」
言うが早いか、すぐにふたりがかりで荷馬車を押してみると、車輪はあっさり溝から抜けた。男の人はすぐさま大げさに握手を求めてきた。
「僕はラギ。しがない行商人さ。助けてくれたお礼に、どの商品も二割引で売ってあげるよ」
「わたしはミオって言います。って、タダになるわけじゃないんですね……」
「もちろん。僕はあくまで商人だしね。よろしく、ミオちゃん」
少しも悪びれずに笑顔で言われて、なんだか憎めない感じだった。
「見ない顔だね。巡礼? 行商見習い?」
「え、えっと……人――を捜して旅をしているというか、そんな感じで」
「ふうん。ま、ハルガは人の出入りが多いからね。人捜しにはうってつけかもね」
探しているのは人じゃなくて猫なんですけどね、とはもちろん言えなかった。
◇◇◇
三日月亭のおかみさんは、声が大きくて気風のいい人だった。ただ、その目の下にもやっぱり濃い隈があった。
「素泊まり銅貨四枚! 夕飯つけるなら六枚だよ!」
「ゆ、夕飯つきで……あの、お魚ってありますか?」
「川魚の焼いたのならね。なんだい、見た目によらず食いしん坊さんなのかい」
外套の中でノワが「魚」と聞いてうずうずしているのが伝わってきた。
夕飯の席はラギと相席になった。焼いた川魚をこっそり袋に忍ばせつつ、それとなく町の話を聞く。
「この町の人たち、目に隈ができてる人が多いみたいですけど、みんな眠れてないんですかね」
「そうなんだよねえ」
そう答えたのは、皿を運んできたおかみさんだった。
「ここひと月ばかり、みんな眠りが浅くてね。あたしなんか夜中に三度も目が覚めちゃってるのよ。子供たちは夜泣きするわ、亭主どもは苛々して喧嘩っ早くなってるわで、いやになるよ」
「お医者さんには診てもらったんですか?」
「診せたけど匙を投げられたよ。だから教会を頼ったのさ。ほら、町外れの古い礼拝堂の地下に祠があったろ。あれが呪いの巣だってんで、教会が鉛で封じてくださったんだ」
思わずスプーンを落としそうになった。
祠を……封じた?
外套の中で、ノワがピキッと固まったのがわかった。
「……それで、何か効果が?」
「それがねえ」
おかみさんは首をひねった。
「かえってひどくなった気がするんだよ。罰当たりなことを言うようだけどさ」
「僕は最初から信じてないけどね、呪いなんて」
ラギが魚の骨を器用に外しながら、肩をすくめた。
「でも教会に逆らうと、この町じゃ商売がしにくくなるからね。だから僕は特に文句を言うつもりはないよ」
◇◇◇
夕食後、割り当てられた部屋に入って、わたしはようやくフードを脱いだ。
ノワは窓辺に跳び乗って、押し殺した声で言った。
「娘。聞いての通りである。この町の祠は――封じられてしまった」
「祠ってことは……中に猫がいるんだよね?」
「十中八九な……《白蝕》に蝕まれた土地では、人の眠りが浅くなるのだ。大地が飢えて不安定になると、その影響は人の夢にまで及ぶ。この町の者が皆不眠なのは、その前触れよ」
「えっと、祠が封じられたのは関係ないの?」
ノワのしっぽが窓枠を一度だけぺしっと叩いた。
「関係あるとも。猫が眠る場所には《福》が薄く滲み出ているのだ。《白蝕》の勢いを完全に殺すことはできないが、侵攻を和らげるくらいの力はある。町の連中は三百年、知らずその恩恵に守られてきた。それを、鉛で堰き止めなどしたせいで、そのわずかな力すら絶ってしまった。不眠が悪化するのも当然である」
「じゃあ、鉛をなんとかすれば、またみんな眠れるようになる?」
「それだけではもはや足りん。猫を起こして、契約する……つまり、お前の出番である」
契約って、ノワのときみたいに? と聞きかけたときだった。
窓の下の通りに、ちらりと動く灰色の人影が見えた。
息を止めて、窓枠の陰から覗く。
灰色のローブに身を包んだ大人がふたり。宿の主人らしき人を捕まえて、何やら聞き込みをしている。
夜風に乗って、声が途切れ途切れに届いてきた。
「――猫を連れた旅人を――見かけたら教会へ――」
背中がひやりとした。
ノワが窓辺から音もなく降りて、低くつぶやいた。
「……もう嗅ぎつけられたか。存外鼻が利く連中だな」




