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第68話 鐘の沈む場所

 次の日の午前中は、ずっと鐘を引き上げる綱の準備にかかりきりだった。


 太い綱の先に大きな輪を作り、鉄のフックにはリコのおじいさんが古い布を何重にも巻いていく。


 その様子を、リコが不思議そうにのぞき込んでいた。


「なんでフックに布なんか巻くの? 使いにくくならない?」


「鐘に傷をつけんようにするためじゃ」


「おー、なるほど」


「三百年も待たせてようやく引き上げようっていうんじゃ。丁重にお迎えしてやらんとな」


 リコはおじいさんに尊敬の眼差しを送ってから、自分が使う道具にも同じように布を巻き始めた。


 その布は朝から町の人たちが持ってきてくれたもので、使い古した前掛けや肩掛け、赤ん坊用のおくるみまで、いろんな布が集まっていた。


「鐘のためになるなら、うちの布も是非使ってくれって言って、みんなどんどんくれるんだよ」


 届けてくれた子供がそう教えてくれた。


 いろいろな家の布が、鐘を守るために使われる。


 わたしたちだけじゃなく、町のみんなで鐘を迎えに行くんだ――そう考えると、胸が熱くなった。


◇◇◇


 午後からは、わたしの番だった。


 雨を呼ぶ鐘が沈んでいる位置を、より正確に確かめておきたい。


 流れが弱まったら、〈浮き台〉から綱とフックをまっすぐ下ろさなければならない。雨の神さまがどれくらい長く〈深流域〉の流れを弱められるかわからない以上、「大体この辺」では困るのだ。


 リコの舟が、〈深流域〉から十分に離れたところで止まる。


 わたしは舟の上で胸元の鈴を鳴らし、渦の外側を流れる水に音を乗せて、水底の鐘へと呼びかけた。


 チリン。


 しばらくして、遠くから反応が返ってくる感触。


 ――ゴォン。


 実際に耳で聞こえた音ではない。《猫語り》の力を通してわたしの中に直接響く、低く大きな音だった。


 三百年間、湖の底に沈められていても、鐘はこうしてちゃんと応えてくれた。それも、前に聞いたときの眠そうな音より、ずっとはっきりした音で。


 ――もう少しだけ、いい子で待っていてちょうだい。


 雨の神さまに頼まれていた伝言を、鈴の音に添えて送る。届いたかどうかはわからないけれど、返ってきた音は、ほんの少しやわらかくなった気がした。


 ただ、一回目はうまく鐘の位置をつかめなかった。


 反応は確かにあるのに、湖の深いところで気配が拡散してしまい、どの方向からのものなのかわかりにくいのだ。


「慌てなくていい。場所を変えてみるのはどうじゃ?」


 おじいさんに言われ、リコに舟を移動してもらってから、もう一度鈴を鳴らした。


 鈴を鳴らすこと、二回……三回……。


 ――そして四回目になって、ようやく手がかりをつかむことができた。


「……あっち、かな」


 わたしは水面の向こうを指した。


「鐘楼の左側と、水門の二本目の柱が重なる方向……そこからの反応が、わずかに強い……と思う」


 おじいさんが岸を振り返り、子供たちへ旗で合図を送った。すると、土手の上で白い旗を持った子が走り出す。


「よし、嬢ちゃん。また場所を変えて、もう一回じゃ」


「え、もう一回ですか?」


「違う場所からまた強い反応が返ってくる方向を探して、二つの方向が交わったところが、つまり鐘の真上ってことじゃ。旗の子は、その二本目の目印役じゃよ」


 わたしは紙の上で二本の線が交差するところを思い浮かべて、なるほど、とつい感心してしまった。


 舟は〈深流域〉を大きく回り込み、今度は水門に近い側で止まった。


 そしてもう一度、鈴を鳴らす。


 チリン。


 ――ゴォン。


「もう少し右! 旗を持ってる子、右へ!」


「そこから少し戻って! ……そこ!」


 土手の上を左右に動き回っていた旗が、わたしの声を合図にピタッと止まった。


 最初に確認した方向と、今の方向。その二本が交わる場所を、おじいさんが足元の板に描いた湖の絵へ、木炭でぐりぐりと書き込んだ。


「ここだな」


 印は、渦の中心から少しずれた位置についていた。以前鐘の気配を確認したときは、渦の中心の真下に感触があると思っていたけれど、正確にはほんの少しだけ水門寄りだったようだ。


 あの印が示す場所の真下に――雨を呼ぶ鐘が、沈んでいる。


 リコが舟をその場に留めているあいだ、ノワは舟の先で古い麻布に包まり、耳だけを外へ向けていた。


「娘よ。どうやら水の流れが少々変わったようだぞ」


「え、わかるの?」


「うむ。西から風が吹いたとき、渦の音が少し低くなったのである」


 そのことをおじいさんに伝えると、すぐに真剣な顔でうなずいた。


「なら、子供らには風向きも見張らせよう。少しでも変わったらすぐ知らせてもらうようにする。……ありがたいことじゃ、猫さま」


「うむ。耳ならいくらでも貸してやるぞ。その代わり、〈深流域〉へ出る〈浮き台〉には絶対に吾輩を乗せぬように」


 ……いろいろ台無しになりそうなので、最後の言葉だけは伝えないでおいた。


◇◇◇


 鐘の位置が特定できたところで日が暮れてきたので、今日の作業は一旦終了となった。


 帰りの舟で、リコがふと聞いてくる。


「ねえ、ミオ。雨を呼ぶ鐘から反応って、どんな感じなの?」


「んー……遠くで鳴ってる雷を、厚い毛布越しに聞く、みたいな感じかな」


「ふうん……いいなあ、あたいも聞いてみたい」


「鐘を引き上げて鐘楼に戻したら、本物の音が聞けるじゃない」


 リコは「それもそうか」と嬉しそうに笑い、舟をこぐ手を少し速めた。


◇◇◇


 夜、湖へ寄って、雨の神さまに鐘の位置が特定できたことを伝えた。


 それから、明日は実際に〈深流域〉の流れを弱めてもらい、どれくらいのあいだなら作業できるのか時間を測ってみたい、とお願いもしてみたのだけれど――。


 なぜか、雨の神さまは少し考え込んでしまった。


 しばらくして、隣で寝たふりをしていたノワへ目を向けて言った。


「その時間の計測とやらは、王さまも見に来るの?」


「…………当然である。正確な状況の把握は王の務めであるからな」


「あら、そう。それじゃあ、舟の上からゆっくりご覧あれ」


 どうやら、ノワが〈浮き台〉からなるべく遠ざかろうとしているのを見抜かれているらしい。


 雨の神さまはそんなノワを見てくすくすと笑うと、今度はわたしのほうを見て言った。


「ねえ、声結びさん。一つだけ先に教えておいてあげる。〈深流域〉の流れを弱めるというのはね――別にわたしが無理やり流れを止めるってことではないのよ」


「……え? それってどういう――」


 思わず聞き返したけれど、雨の神さまはそれ以上答えず、前足の毛づくろいを始めてしまった。

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