第66話 結構、と司祭は言った
ついに、〈雨の御礼式〉の日がやってきた。
雨が戻ったことをお祝いする式典なのに、あいにく今朝はよく晴れていた。まあ、教会がお祝いしたいのは雨そのものではないのだろうから、晴れでも構わないのかもしれないけれど。
朝起きて早々に湖へ顔を出してみると、雨の神さまがのんびり毛づくろいをしていた。
「雨の神さまは、式典を見に行かないの?」
「あら。わたしが行ってどうするのよ?」
雨の神さまは前足をなめてから、得意そうにヒゲを動かした。
「わたしたちにとっての本当のお祭りは、また別にあるでしょう。まあ、あなたはとりあえず、〈雨の御礼式〉とやらをよく見ておくといいかもね。そのほうが本当のお祭りを目にしたとき、きっと驚きもより大きくなるはずよ」
「お祭りって、そんなに違うものなの?」
「ふふ。見てのお楽しみよ」
◇◇◇
すでに教会堂前の水路には、飾り舟が何隻も並んでいた。
白い布や灰色の飾りで彩られた舟たちを背景に、教会堂前の船着き場では修道士たちが飴を配る準備をしている。
確かに、立派な式典のようだった。
ただ――肝心の鈴は、もうそこにはない。
祭壇の脇に木箱が積まれているが、本来そこに収まっているはずの鈴たちは、すでに持ち主の家に戻っている。
……だというのに。
ヴァルド司祭は、いつもと変わらず微笑んでいた。
「皆さま。お預かりしていた鈴は、すべてお手元へお返しいたしました」
よく通る声が、広場に響いた。
「皆さまのご希望にお応えできたことを、大変うれしく思います。この町には雨が戻り、そして鈴の音も帰ってきました。今日は、その喜びを皆さまと分かち合いたいのです」
町に雨が降ったのも、鈴の音があちこちで鳴るようになったのも、どちらも事実ではある。
けれど、やはりヴァルドの話を聞いていると、すべてが教会のおかげであるかのように思えてくる。
わたしは今すぐ舟を降りて異議を唱えたい衝動を、なんとか抑え込んだ。
ヴァルドへの拍手は控えめだったけれど、文句を言う人もいなかった。
町の人たちは静かに話を最後まで聞き、そのあとは配られた飴を受け取ると、長居せずに帰り始めた。
「うちの鈴は、もう一昨日から鳴ってるんだけどねえ」
「まあ、飴はありがたくもらっておこうか」
そんな小声もちらほら聞こえてきたけど、特に大きな騒ぎになることもなく――式典は淡々と進んでいく。
子供たちはすでに式典への興味が失せてしまったようで、教会でもらった白い四角い飴と、出店で買った雨粒飴をそれぞれ持って、橋の上で食べ比べている。
「教会の飴のほうが甘い!」
「でも、あたしは雨粒飴のほうが好き!」
そんなやり取りを聞いて、リコが得意そうに笑っていた。
◇◇◇
わたしたちは朝からずっと、広場から少し離れた場所に舟を停めて、式典の様子を眺めていた。
積み荷の陰からヴァルドのいる祭壇を観察していたノワが、ひとつあくびをして言った。
「……妙な男である。あれほど式典の日に鈴を返すことにこだわっておったのに、結局式典の前に鈴を全部あっさり返してしまった――そのくせ式典自体は、何事もなかったようにこうして執り行われておる」
「……確かに」
「娘よ。あの男は、とうとう鈴を返したことさえ教会のおかげであるかのように話しおった。何をしてくるかますます読めなくなっておるゆえ――今まで以上に気を付けるのである」
ノワに忠告されて、わたしはもう一度広場のほうを見た。
今のところ、教会の思いどおりに事は運んでいないはずなのに……なぜか当の教会は、何も困っていないように見える。
なんともスッキリしない状況だけれど……ひとつだけ、わかったこともある。
今朝、雨の神さまが言っていた、お祭りの違いのことについてだ。
――今日の式典では、鈴の音が一切なかった。
町では今もあちこちの家で鈴が鳴っているはずなのに、この広場に限っては、ヴァルドの声と彼への拍手ばかりが聞こえていた。
これから開かれるという「本当のお祭り」では、みんなで鈴を鳴らして……雨の神さまにも、そして湖の底に沈む鐘にも、町の人たちの音を聞いてもらいたいと、強く思った。
◇◇◇
その日の午後、リコの家の船着き場をのぞいてみると、鐘を引き上げる準備が着々と進められていた。
「式典が終わり、湖の入口の杭も片づいた。そして、嬢ちゃんの話じゃ、雨の神が〈深流域〉の流れを弱めてくださるそうじゃないか。ここまでくりゃ、いよいよ鐘を引き上げるときじゃな」
リコのおじいさんの前に積まれた浮き樽や太い綱を見渡しながら、ラギが帳面を開く。
「樽が四十、滑車が六つ。足りない綱は船頭さんたちから借りることになってる。三日あれば揃えられるよ」
「舟も二十隻は集められそう! あたいも手伝うし、子供たちだって協力してくれるよ!」
リコが胸を張って言った。
ノワは積まれた樽のひとつに飛び乗り、前足で軽く叩いた。
「うむ。頑丈な樽のようである」
「クロちゃんが乗ったくらいじゃ、わかんないってば!」
そう言って笑うリコに構わず、ノワは隣の樽まで確かめていた。
「よし。明日から本格的に準備を始めよう」
リコのおじいさんがそう言うと、船着き場に歓声が上がった。
ようやく、〈深流域〉に鐘を迎えに行く準備が始まる。
みんなが道具の相談を始めたところで、おじいさんがわたしにそっと声をかけてきた。
「嬢ちゃん、例の古い杭のことじゃがな」
「何かわかったんですか?」
「いや。町の年寄り共にも聞いてみたが、誰も知らんそうでな。じゃから、もう少し調べてみるつもりじゃ」
湖の入口に、ずっと昔から打たれていたと思われる杭。
気にはなったけれど、その正体がわかるのは、まだ当分先のようだった。
◇◇◇
夕方になり、わたしとリコは、教会堂の裏手を通る水路からリコの家へと戻った。
式典の片づけが続いていて、裏門から見える庭にも修道士たちが行き来している。
その隅に――ギドがいた。
彼は空の木箱をひとつ開けて中に残った藁を払い、蓋を揃えて脇に重ね、そしてまた次の箱に手を伸ばす……という作業をひとりで延々とこなしていた。
鈴を全部返し終わっても、彼はいつもと変わらず丁寧に仕事をしている。
そこへ――白い外套を着た、ヴァルドが近づいてきた。
ギドが手を止め、ヴァルドに深く頭を下げる。
ヴァルドは穏やかに微笑みながら、ギドに声をかけた。
「結構。……鈴の音は、ちゃんと覚えられましたか?」




