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第65話 次は、あなたを迎えに行くよ

 白い布の包みが、リコの両手に渡された。


 リコは包みを受け取るなり、その場で布をほどいた。


 中から出てきたのは、少しくすんだ銀色の鈴だった。紐は長く使い込まれて茶色くなっていて、鈴の表面には細いヒビが一本入っている。


「恐れ入りますが、この場で一度、鳴らしていただけますか?」


 これまでの持ち主のときと同じように、ギドが声をかける。


 リコはうなずき、鈴をそっと振った。


 チリン。


 ヒビがあるせいか、少し割れたような音だった。


 リコは何か言いかけて口を閉じ、もう一度鈴を鳴らして音にじっと耳を傾け――音が止むと同時に、袖で顔をこすった。


 わたしは板壁の隙間から目を離し、今の光景は見なかったことにした。足元にいたノワも、何も言わずに目を閉じている。


「……ばあちゃんのだ」


「よかった。この鈴で問題なかったようですね」


 ギドは帳面に印をつけると、深く頭を下げた。


「ご確認いただき、ありがとうございました」


 そのまま荷車は次の家へと向かい、その姿が完全に見えなくなってから、リコは勢いよく家の中に飛び込んできた。


「見て! ミオ、見て! 鈴が……鈴が帰ってきた!」


「うん。……おかえり、だね」


 リコは鈴を両手にのせたまま、うれしそうに笑った。


「ばあちゃんがね、いつも言ってたんだ。この鈴が鳴ってれば、雨の神さまにうちの場所がわかるんだよ、って」


「そっか。じゃあ、これからはまた雨の神さまに音を聞かせてあげられるね」


「うん! うちはここだよって、毎日鳴らしてやるんだ!」


 リコは戸口に残っていた古い釘へ、鈴の紐をかけた。教会に持っていかれる前まで、ずっとかかっていた場所だ。


 戸を開けて、また閉める。


 チリン。


 もう一度開けて、また閉める。


 チリン。


「……えへへ」


 その日のリコは、夕食に呼ばれても、なかなか戸口から離れようとしなかった。


◇◇◇


 次の日の夕方、水門近くの粉屋に最後の鈴が返ってきたと、子供たちが知らせてくれた。


 今や、鈴の音は町のあちこちから聞こえるようになっていた。


 返してもらった鈴を、みんなすぐに家の戸口へかけ直したのだ。それからは家を出入りするたびに鈴を鳴らし、昨日のリコのように何度も戸を開け閉めする人まで何人もいたという。


 染物屋の店先でチリン。水汲み場へ続く路地でチリンチリン。他にも町のあちこちからいくつもの鈴が鳴り続けている。


 日が沈み始めたころ、わたしたちが舟で水路を進んでいると、ひと筋の風が通り過ぎていき、直後、両岸の家々の鈴が一斉に鳴り響いた。その様はまるで鈴の大合唱だった。


 わたしは舟の上で目を閉じ、しばらく耳を澄ませた。


 高い音も、低い音も、少しかすれた音もある。暗い蔵から解き放たれた鈴たちが、こうして持ち主の家で生き生きと鳴っているのだと思うと、胸が熱くなってきた。


 橋の上では、子供たちが鈴の音の聞き比べという、なかなか高度な遊びに興じていた。


「あ、今のうちの鈴だ!」


「違うよ、あれはお向かいさんのだって! あんたの家のはもっと低い音だって!」


「あっ、今のは染物屋のじゃない?」


「え、全然わかんなかった。よくわかったね!」


 そんな元気な声に混じって、水辺のどこかから、子守唄が聞こえてきた。


 ――ちりん、ちりんと、鈴が呼ぶ。


 その歌詞が聞こえてきたちょうどそのとき、近くの家で本物の鈴が鳴り、それを聞いた子供たちがおかしそうに笑っていた。


 楽しそうに鳴り響く音たちに包まれて、わたしはいても立ってもいられず、胸元の鈴を手に取って小さく振った。


 チリン。


 町じゅうで鳴る鈴の中に、わたしの鈴も仲間に加わっていく。その音は小さすぎて誰も気づくはずもなかったけれど、なんだかとてもうれしかった。


「……雨が降っとるみたいだな」


 船着き場に着いたところで、リコのおじいさんがつぶやいた。


「前にも話したが、昔からこの町には『雨を呼ぶ鐘が眠った日、町は歌を忘れた』って話が残っとる」


 おじいさんは、鈴の鳴る町をゆっくり見渡した。


「……歌も鈴も、ちゃんと戻ってきたようじゃな」


◇◇◇


 その晩の〈雨やどり〉は、いつも以上に賑わっていた。


 軒先には藍色の飾りがついた鈴がかけられていて、客が来るたびに誰かがそれを鳴らすので、低くこもった音が何度も鳴り響いていた。


 鳴り止まない鈴の音に包まれながら、みんなして何杯も〈雨やどり汁〉をおかわりしていた。


 やがて鍋が底を突き、そろそろ店仕舞いとなったところで、おかみさんはふと胸元に手を当てた。


「……おかみさん、それ――」


「ん? ああ、これかい」


 おかみさんは胸元を軽く叩いて、少しだけ声を落とした。


「ばあちゃんの形見の鈴だよ。実は、教会には預けず隠しておいたんだ。……みんなには内緒だよ?」


「そう、だったんですね……えっと、その鈴は、鳴らさないんですか?」


「この子は……まだいいんだよ」


 おかみさんは首を横に振った。


「この子にいちばん相応しい日に鳴らすって決めてるんだ。そう――町に、ちゃんと雨が戻った日にね」


「……そっか。じゃあ、その日は思いきり鳴らさなくちゃ、ですね」


「ああ。だからどうか……頼んだよ」


 わたしは、力強くうなずいた。


 そうだ、わたしにはまだ、やることが残っている。


 そしてその日は、もうすぐそこまで近づいている気がした。


◇◇◇


 それから湖へ向かうと、雨の神さまはいつにも増してずいぶん機嫌がよさそうだった。銀灰色の毛並みも、前より艶を増している気がする。


「今日は、素敵な音をたくさん聴かせてもらったわ」


 前足をなめながら、満足そうに言う。


「町じゅうの鈴がこんなに鳴ったのは、まさに三百年ぶりよ」


「よかったね。力、戻ってきた?」


「ええ。今のわたしなら、〈深流域〉の渦も少しの間だけど弱めてあげられそうね」


「――ほんと!?」


 思わず身を乗り出してしまった。


 雨を呼ぶ鐘を引き上げるには、あの強い水の流れをどうにかしなければならず、今も解決策は見つかっていない状態だった。


「あくまで少しの間だけね。ずっとは無理よ。まずはあなたたちのほうで十分に準備を済ませなさい。わたしが力を貸すのはそのあとよ」


「うん! ありがとう!」


 雨の神さまは、また町のほうへ耳を向けた。


「それにしても、本当にいい夜ね。みんな、あんなにうれしそうに鈴を鳴らして」


「……これからも、ずっとこうだったらいいね」


「そのために、あの鐘を引き上げるんでしょう?」


 雨の神さまは、当たり前のように言った。


「……うん。そうだね」


 わたしがうなずくと、それまで黙っていたノワが、舟の縁で姿勢を正して口を挟んできた。


「お前たち、感傷に浸るのは鐘を引き上げてからにせぬか」


「あら。今くらい浸ってもいいでしょうに。王さまも一緒にどう?」


「……遠慮するのである」


 雨の神さまに楽しそうに返されて、ノワは呆れ気味に顔を背けた。


 そのあと船着き場へ戻ると、ラギとリコが笑顔で出迎えてくれた。


 そうだ、ようやく町に鈴の音が返ってきたのだから、今日はただ、鈴の音をみんなで楽しめばいい。鐘を引き上げる件については、明日改めて話そう。


 そう思いながら町の鈴に耳を澄ませていると、リコのおじいさんが〈深流域〉の方角をじっと見ていることに気づいた。


 わたしも、その視線の先に目をやる。


 残すは、〈深流域〉の底に沈んだ、雨を呼ぶ鐘だけだ。


 ――次は、あなたを迎えに行くよ。

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