第64話 一人ひとりの鈴の音
教会堂の前に並ぶ人々の列は、気がつけば町の半分を埋め尽くすほどの長さになっていた。
教会で申し出を受け付けていた修道士たちも、さすがに面食らっていたようだ。まさか式典前に鈴を返してほしいと申し出る人が、ここまで集まるとは思っていなかったらしい。
とても一日で捌ける長さではなかったため、締め切りの夕方を過ぎても列は途切れず、その日は列の途中で一旦受け付け終了となった。
そして翌朝、本来の締め切りは過ぎているにもかかわらず、再び教会堂の前にはあっという間に長蛇の列ができ上がる。
その様子を見て、ラギは得意そうに帳面を叩いた。
「うん、これで決まりだね。さすがにこうなると、教会も町の人の意思を認めざるを得ない。で――そんな状況を受けて今朝、早速新しい告知を出してきたみたいだよ」
そう言ってラギが書き写してきた紙には、こう書かれていた。
――申し出がなかった方々にも、同じく式典前に鈴をお返しします。
「逆に式典の日まで鈴を返してもらえない人のほうが少数派になっちゃうから、あえて返さない理由を説明しにくくなったんだろうね」
「じゃあ、これからみんな教会堂まで取りに行くの?」
「いや。教会の人が届けに来てくれるんだって」
リコが目を丸くした。
「あたい、取りに行くつもりだったのに!」
「今日と明日の二日間で、一軒ずつ回るそうだよ」
すると、麻布の上で丸くなっていたノワが、鼻を鳴らした。
「うむ。ではあとは、堂々と待っておればよいのである」
わたしからノワの言葉を聞いたリコに、「クロちゃんはいつも寝てるじゃん」とからかわれ、ノワはいつものようにしっぽで麻布を叩いていた。
◇◇◇
その日の朝のうちに、教会の荷車が鈴を積んで町にやってきた。
荷車を引いているのは、ギド本人だった。二人の修道士も付き添い、鈴を収めた木箱を支えている。
こっそり木箱の中をのぞき見たという子供たちの話によると、箱の中は藁で仕切られ、布に包まれた鈴がひとつずつ丁寧に並べられていたそうだ。
荷車が最初に向かったのは、〈湖畔市〉の端にある染物屋だった。
わたしは近くの屋台に座り、帽子のつばの下からその様子をのぞく。
ギドは帳面を開き、預かり証の番号を確かめてから、木箱の中から布の包みをひとつ取り出した。
そして包みごと両手で染物屋の店主へ渡し、丁寧に頭を下げる。
「恐れ入りますが、この場で一度、鳴らしていただけますか?」
店主は不思議そうにしながらも布をほどき、鈴を振った。
チリン。
少し低く、弾むような音がした。
ギドは耳を澄ませてその音が鳴り終わるのを聞き届けてから、帳面に小さく印をつける。
「……はい。以前伺ったとおりの音が出ていますね。お確かめいただき、ありがとうございました」
――ああ、ラギが言っていたのは、こういうことだったんだ。
ギドは、鈴を取り違えていないか、最後に音を鳴らすことで確かめているのだ。
どんな音でしたか、と一軒ずつ聞いて回っていたのは、このためだったのだ。番号や飾りだけでは、特徴が被っている鈴もあることだろう。でも持ち主自身が聞き慣れた音まで合わされば、確実に鈴を見分けられる。
実際、その判別方法が大いに役に立った家もあった。
隣り合ったある二軒の家では、どちらの鈴も赤い飾りがついていて、ヒビも入っていなかった。形までよく似ていたので、ギドはそれぞれの家の人に音を確かめてもらった。
「……あれ? うちのは、もう少し高い音だったよ」
「そうだねえ。こっちは、うちの鈴に似てる」
ギドは帳面を確かめ直し、二つの鈴を入れ替えた。
「失礼いたしました。お伺いした音からすると、こちらがお宅の鈴です」
持ち主たちはもう一度鈴を鳴らし、顔を見合わせて笑った。
「そうそう! うちのは、この音だよ」
「あら、危うく間違えて持って帰るところだったねえ」
周りでその様子を見ていた人たちも笑っていた。
もし音を聞いていなければ、どちらの持ち主も間違いに気づかずそのまま受け取っていたかもしれない。
――あれ、じゃあ、音の特徴を教えてくれなかった家の場合はどうするんだろう。
なんていうわたしの疑問に対する答えは、程なくして判明した。
「以前、音だけはお伺いできませんでした。よろしければ、今ここでお伺いしてもよろしいですか?」
さすがにその場で返してもらえるとなると、持ち主も音の特徴を話さざるを得ないようで、ギドは話を聞きながら帳面へ書き加えていた。
そして番号どおりの包みを渡し、中の鈴を鳴らしてもらって、今聞いたばかりの特徴と合っているかを確かめるのだ。
それにしても、もう返してしまうんだから記録なんてしなくてもいいのに……なんとも真面目な人だなあと、わたしは思った。
◇◇◇
昼になって、鈴を運ぶ荷車は〈雨やどり〉の店先にやってきた。
おかみさんは前掛けで手を拭き、ギドから受け取った包みをほどいた。
中に入っていたのは――藍色の飾りがついた鈴。
その場で、鈴をそっと振る。
チリン。
低く、少しこもった音がした。
「……以前伺ったとおりの音ですね」
「あたりまえさ。うちの鈴なんだからね」
おかみさんはそっけなく答えていたけれど、顔は少しだけ笑っていた。
ギドが荷車を引いて次の家へ向かっても、おかみさんはしばらく鈴を握ったままギドの後ろ姿を見つめていた。
◇◇◇
そのあと湖へ向かったところ、雨の神さまは耳をせわしなく動かしていた。
「町のあちこちで、鈴が鳴っているわね。久しぶりに自分の音を鳴らしてもらえて、みんな嬉しそうだわ」
「明日はもっといっぱいの音が鳴ると思うよ。明日までに、鈴は全部返してくれるらしいし」
「そう。なら、明日はもっと賑やかになるわね」
雨の神さまは満足そうにうなずいた。
「残るは鐘の引き上げかあ。まだ準備しているところだから、もう少し待っててね」
「わかっているわよ。ふふ、ずいぶん頼もしくなってきたじゃない、声結びさん」
いきなり褒められて、わたしはなんだか照れくさくなってしまった。
◇◇◇
「ねえ、まだかなあ。うちって、何番目なんだろ」
帰宅後、リコはずっと家の中でそわそわしていた。
「順番に回ってるんだから、もう少しだよ」
「だってさ! さっき、すぐそこまで来てたんだよ!? そのままうちに来てくれればよかったのに……」
とうとう待ちきれなくなって家を飛び出し、何度も船着き場と水路の角を往復したかと思うと、しまいには子供たちに次の家を教えてもらうよう頼んでいた。
まあ、気持ちはわかるので仕方ないか、とリコの様子を見守っているうちに時間は過ぎていき――。
夕方になってついに、荷車のきしむ音が、リコの家に近づいてきた。
「来た!」
リコが立ち上がり、戸口の前に立って待機する。
わたしは戸口から少し離れたところに身を隠し、板壁の隙間から外をのぞき見た。ノワも様子をうかがえるようにわたしの足元で丸くなっている。
リコはまだかまだかとつぶやきながら戸口を見つめていた。
やがて、家の前で荷車の音が止まり、ギドが戸口の前に立って帳面を開く。
そして、預かり証の番号を確かめてから、木箱へ手を伸ばす。
「……お待たせいたしました」
藁の間から、小さな白い布の包みが、そっと持ち上げられた。




