第60話 広がる子守唄
昨日見かけた教会の舟については、今朝になって子供たちが調べてきてくれた。
「式典の日は教会堂の前の水路に飾り舟を並べるから、そのための下見をして回ってるんだってさ」
わたしたちがすれ違ったのは、まさにその下見中の舟だったらしい。こちらのことを調べていたわけではないとわかって、少し安心した。
報告を聞いて、ラギが少し考えてから言った。
「でも、もう蔵の近くへは行かない方がいいね。これからも式典の準備で水路を行き来する舟がますます増えてくるだろうし。そんな中で昨日みたいに蔵の近くで力を使うのは危ないよ」
「じゃあ、蔵にある鈴はどうするの? 式典までまだ七日もあるんだよ?」
リコはそう言い返した直後、ふと思いついたように顔を上げた。
「……待って。別に、ミオが力を使う必要はないんじゃないの?」
「どういうこと?」
「あたいたちには『歌』があるじゃん! みんなで集まって歌えばいいんだよ! それならミオも疲れなくて済むし、町の人たちも協力できるよ!」
わたしは「あっ、そっか!」と思わず声を上げた。
雨の神さまが言っていたじゃないか――鐘や鈴だけじゃなくて、歌も雨の神さまの力になると。
ならば、歌うことでも蔵の鈴に力を戻してあげられるかもしれない。
おばあちゃんの子守唄を、町のみんなに歌ってもらう。雨の神さまも喜ぶし、教会堂の近くで歌っても町の人が式典を待ちきれずにお祝いしているようにしか見えないだろう。それにこれなら誰にも怪しまれることなく、蔵にある鈴に歌を届けられる。
何より、町のみんなが各々の鈴への想いを込めて歌うのだ。わたしひとりが鈴を鳴らすよりも多くの蔵の鈴に届きやすくなるのではないか。
「すごい! リコ、すごいよ!」
「え、あたいすごい? えへへ……で、何がそんなにすごいの?」
「もう、リコが言い出したんでしょうが!」
まだキョトンとしているリコを見て、ラギも楽しそうに笑った。
「なるほど。それなら教会のことを気にしないで堂々とやれそうだね。よし、僕も協力しよう」
そう言って、近くにいた子供たちへ呼びかけた。
「みんな今の聞いてたよね? というわけで、歌ってくれた子には雨粒飴を一つずつあげるよー! あ、もちろん割れちゃって売り物にならなくなったやつだけどね」
「わーい!」
「えー、ちゃんと売ってるやつがいい!」
「売り物にならなくなったから、こうしてみんなにタダで配れるんだよ」
そうして子供たちは、早速船着き場に集まって歌おうとしてくれた――んだけれど……。
「ねんね、ねんね、の次って何だっけ?」
「雨の子や、だよ!」
「あれ? 雨の子だっけ?」
「ミオ、もう一回みんなの前で歌ってあげて!」
リコに袖を引かれて懇願され、わたしは反射的に口をつぐんでしまった。
人前で歌うのは、やっぱり恥ずかしい……。
……でも、これは蔵の鈴のために必要なことなので、断るわけにもいかなかった。
わたしは帽子を深くかぶってまわりからなるべく表情が見えないようにしつつ、おばあちゃんが歌ってくれたときのことを思い出しながら、ゆっくりと歌い始めた。
恥ずかしいのを我慢した甲斐あって、最終的にはみんな最後まで歌えるようになったのであった。
◇◇◇
昼になるころには、水辺のあちこちから歌が聞こえてきた。
――ねんね、ねんね、雨の子や。
子供たちは飴欲しさに、橋の上でも船着き場でも歌っていた。中には洗い場の石段に座って、覚えたばかりの歌を繰り返す子までいる。
――水のお宿で、夢をみな。
歌は子供たちだけでなく大人たちにも波及していく。
出店通りでは〈雨やどり〉のおかみさんが、汁をよそいながら子守唄を口ずさんでいる。お客さんたちもそれにつられ、ところどころ歌詞を間違えながらも陽気に歌っていた。
――ちりん、ちりんと、鈴が呼ぶ。
さらにはリコのおじいさんたちまでも、神殿の掃除の合間にひと休みしている最中に、一緒になって歌い始めた。おじいさんは「潜る前に歌うとなんだか元気が出るな」と笑っていた。
――起きておいでの、朝がくる。
夕方になって、家の窓を開けて一人で歌っているおばあさんなんかもいたと、子供たちが教えてくれた。
「そのおばあちゃん、前からこの歌を知ってたみたいで、最初から全部歌えたらしいよ。しかもあたいらよりずっと上手だったって!」
どうやら、まだこの歌を覚えている人が町にいたようだ。
――おばあちゃんから聞いた歌が、今度はリーメのあちこちで歌われている。
それが、なんだかうれしかった。
◇◇◇
日が暮れて静かになった湖へ向かうと、雨の神さまはいつもより機嫌がよさそうだった。
「雨の神さま、もしかして今日の歌、聞こえてた?」
「もちろんよ。朝からずっと聞いていたわ」
雨の神さまは、町のほうへ耳を向けた。
「子供も大人も、あちこちで歌ってくれているのね」
「うん。これなら、蔵の鈴にも聞こえてるんじゃないかな?」
「教会堂の近くで歌っている子もいるわね……その子の声なら、届いているかもしれないわ」
雨の神さまは少し考えてから続けた。
「ただ、あの子たちの力を完全に取り戻すには、やっぱり鈴そのものを鳴らす必要がありそうね。早く持ち主のところへ帰してあげたいわ」
「そっか……」
歌だけで全部解決してしまうほど、現実は甘くはなかった。
でも、鈴を取り戻すまでのあいだ、町のみんなにできることが見つかったのはうれしかった。
「それにしても……下手な子が多いわねえ」
「そ、それはしょうがないよ、まだ覚えたばっかりなんだし」
「ふふ、そうね。でも、ずっと聞いていたくなる歌だわ」
雨の神さまは満足そうに目を細めたあと、ふと思いついたようにノワを見やった。
「王さまも歌えば?」
「王は歌など歌わぬ」
「あら、そう? 王さまはできないことが多いのね。何ならできるのかしら?」
「…………歌えぬのではない。あえて、歌わぬだけである」
あ、ムキになってる。
わたしと雨の神さまが顔を見合わせて笑うと、ノワのしっぽが舟の底をバシンと叩いた。
◇◇◇
湖から戻ってみると、〈湖畔市〉では店仕舞いが始まっていた。
その端に、灰色の外套を着た人――ギドが立っていた。
その両手には、例の帳面が抱えられていた。けれど、今は開こうとせず、ただじっと、歌っている子供たちを見つめているだけだった。
子供たちは一曲歌い終わると、割れた雨粒飴をもらいに店へ駆けていく。
ギドは子供たちを追うでもなく、しばらくその場に立ち尽くしていた。
やがて帳面を抱え直し、教会堂のほうへ歩いていく。
わたしは屋台の陰から、その背中を見送った。
鈴の形も、傷も、音も、ひとつずつ書き留めてきたギドという修道士。
彼は今の歌を聞いて、何を思っていたんだろう。
あの人にも、町のみんながどれだけ鈴を返してほしがっているか、伝わっただろうか。




